暗鬼崇拝入門 (三人称)
暗鬼崇拝者の司祭ザルザムは【精神支配】によって、ジオに絶対の忠誠を誓うこととなった。
ジオは彼に、暗鬼と暗鬼崇拝者の秘密を尋ねる。
神聖樹に磔にされた元守護聖人ツアレスの前で、ザルザムは淡々と語り始めた。
彼ら自身にしかほとんど知られていないが、暗鬼崇拝者は大きく三つの階級に分けられる。
【第三階位】入信者。暗鬼崇拝者というよりは単なる協力者、手下という意味合いが強い。報酬や恐怖で操られている場合もあるし、暗鬼崇拝者の力を利用しようとしている者もいる。実数は最も多く数千人は存在している。
【第二階位】戦士、助祭。『世界は創造神の【劇場】であり、人間は全て創造神の脚本に従って動く人形に過ぎない』という、『世界の真実』に気付いた者。この『気付き』は奇跡的な偶然の産物であるため、意図して第二階位に達する者は存在しない。実数は千人程度。
【第一階位】司祭。『世界の真実』に気付いた者が一定以上の暗鬼の影響を受け(受け入れ)、『暗鬼の王』の声を聞くことができるようになるとこの階位に昇格する。中でも、『暗鬼の王』と謁見しその声を他者に伝達できる境地に達した者は『大司祭』と呼ばれる。
かつては六名の司祭と一名の大司祭が居たが、現在司祭は四名、大司祭は空位である。
ザルザム・スラードラス・ザグムは四十八年前、北方の王国南部を預かる太守の家に生まれた。
陰謀、謀略はお家芸ともいえるシュレンダル貴族。それも広大な領地を管理運営する太守の嫡子として苛烈な環境で育ち、世界を憎悪するに至った……わけではない。
それなりに有能な父母からそれなりの愛情を受け、それなりに安全な環境で彼は成長した。つまり、この世界の基準で言えばまったく幸福であった。
それが何故、こんなになってしまったのか。既に説明したとおり、『この世界の真実』に気づいてしまったからだ。
武術師範から一本取った自分の頭を撫でる父。屋敷の学術書を読破した自分を賞賛する母。彼にとっては全てが空虚であり茶番だった。
理屈で説明することはできない。
だが、どんな言葉からも抱擁からも、『心』や『意志』を感じることがなかったし、自分を取り巻く屋敷も街も土地も風も、全てが劇場の舞台装置としか見えなかった。
本当にそうなのか、それとも自分が狂っているのか? 物心ついてからの十数年、ザルザムはそれを考えていた。
答えを得たのは、三十年前。父に同行して訪問した『法の神殿』だった。
八柱神の権威を具現化したような純白の巨大神殿も、彼にとってはただの『大道具』に過ぎなかったが、そこで出会った『聖人』は一目で彼の疑問を言い当てた。
厳格に、慈悲深く、聖人ツアレスは彼に言った。
「君も気付いてしまったんだね。世界の真実に」
「君が思っているとおりだよ。この世界は創造神の劇場で、人間もエルフも怪物も創造神が思い描く物語のための部品でしかないんだ」
「その真実に気付いた者だけが、この世界で唯一本当の意味で『生きている』存在なんだ」
「許せないだろう? 私たちを駒にして弄ぶ創造神が。その真実を知らずのうのうと生きる『ふり』をしている人間たちが。そして、そんな世界で苦しんできた自分自身が。だから」
「一緒にぶち壊そう。この停止した世界を」
若き聖人、法の神ペンダーガントの高司祭、そして暗鬼崇拝者の大司祭『伝える者』。
彼から王法について学ぶため法の神殿に留学したいと告げた時、両親は喜んだように見えたが、ザルザムは吐き気しか感じなかった。
その日からザルザムは暗鬼教を信仰しツアレスの弟子となった。
ツアレスは自らの意識を暗鬼の世界である『外』に接触させ、暗鬼の意思や記憶をある程度認識することができた。
また、代々の大司祭に伝わる暗鬼についての膨大な知識も持っており、それらを惜しげなく教えてくれたのである。
そもそも暗鬼とは何か?
この世界の『外』からやってくる破壊者。実体を持たず、個の概念もない一塊の巨大な精神体とでも表現すべき存在である。
何故、世界を破壊するために暗鬼を崇拝するのか?
暗鬼は出現した世界の知的生命を全て滅ぼす本能を持っている。人形、駒、役者、これらが存在しなくなれば『劇場』もまた滅びる。
大司祭は、暗鬼の王と直接交渉することができるのか?
まず、暗鬼の王とは暗鬼すべての意思の総体であり、『王』という個体は『外』には存在しない。
私は王の意識に接触し、その意思や記憶を断片的に認識することはできるし、逆に私の意思を伝えることもできる。ただし、暗鬼と人間は知性体としての在り方が違い過ぎるために完全な意思疎通は不可能。
というよりも恐らく、王は私という個人すら認識していない。
暗鬼の王の意思、とは?
すべてを破壊したい。それだけだ。
どうやって暗鬼をこの世界に呼び出し世界を滅ぼすのか?
暗鬼は人間の精神の深奥に発生する『焦点』からこの世界にやってくる。暗鬼は精神体だが、焦点となった人間の魔力を使って『巣』を作る。この巣の中で暗鬼は実体を構築するのだ。
ただし、普通の人間の魔力や肉体では、大量の暗鬼を実体化させるだけの巣を構築することができない。
国を、世界を滅ぼせるだけの巨大な巣を生み出す、すなわち『第三次大繁殖』を起こすことが暗鬼崇拝者の最大の目標である。
焦点を発生させる具体的な方法は?
強い憎しみの念を持つ人間に、暗示や儀式を施すことによってその人間の憎悪が『焦点』となる。焦点となる素養を持つ人間を『鬼杯』と呼ぶ。
我々暗鬼崇拝者は自身で焦点を発生させられないのか?
『外』の存在を認識している精神は、暗鬼にとって『この世界』への入り口にならないらしい。
第三次大繁殖を起こすほどの巣を生み出すにはどうすれば良いのか?
鬼杯と対になる『神体』を用意する。
神体は暗鬼の骨などに儀式を施して作成するもので、鬼杯と融合させることにより、巨大な巣を生み出すだけの強靭さと魔力を確保できる。
なお、神体は暗鬼崇拝者が『外』へ意識を接触させるためにも使用する。
鬼杯と神体をそろえるための計画は進めているのか?
各地の司祭がそれぞれ計画を進めている。有望なのはレリス市近郊の村を暗鬼崇拝に染めたガーズ司祭であろう。
また、私も、同じくラウリスにある神聖樹を利用する計画も進めている。
歴史上発生した全ての焦点や巣は暗鬼崇拝者が生み出したものか?
最初の大繁殖の焦点になった『神王』は暗鬼崇拝者ではなかった。
また、死霊のたまり場や自然界の魔力の濃い場所に巣が生まれることがある。さらに、稀に何年も生き延びた暗鬼が自ら焦点となる例も確認されている。
この三つの現象がどんな仕組みで発生するのかは研究中。
神王とは?
神王とは、創造神の庇護を受けた古代種族の王。現在の人間の上位種にあたると思われる。創造神が去ったのち、現在の北方の王国から追われ東方にシュズルス神王国を築いた。
神王と暗鬼崇拝者の関係は?
大繁殖によって神王国が滅んだのち、神王の血族がその知識と力を継承した。その血族の中で、『世界の真実』に気付いたものが最初の暗鬼崇拝者となった。
世界の真実に気付いただけでなく、さらに『外』の世界の知識まで得たザルザムは、もはやこの世界を滅ぼすことに何の疑いももたなかった。
『外』へ自らの意識を接触させ、暗鬼の力を扱う術。
鬼杯、神体を作成する術。
配下の暗鬼崇拝者を統括し、虚構に満ちた世界へ支配の根を伸ばす術。
十年にわたるツアレスからの教導を受けたのち、彼は故郷スラードへ戻る。
数年間、父の補佐として力を蓄えつつ、教徒を増やしていく計画だったが父はあっけなく病で死んだ。
神官位は受けていないものの、聖人の愛弟子であり現太守の嫡子であるザルザムが次の太守となるのは当然だった。
それからはスラードで教徒を増やし組織をつくり、鬼杯と神体の作成に励んできた。
残念なことに、鬼杯と神体の作成には技術的な難しさだけでなく運の要素も大きく、努力が実を結ばない日々が続く。
「そして十年前、『喪失戦争』が起きました。つまり、八守護聖人にして暗鬼崇拝者の大司祭ツアレスが『死亡』したのでございます」
まるで元から台本でもあったかのように、淀みなく話を進めてきたザルザムはここでようやく一息ついた。
「「「……」」」
彼の話を聞いていた三人。
冒険者セダム、戦族レード、そして大魔法使いジオ・マルギルスの表情は冴えない。
セダムとレードが浮かべていたのは純粋な嫌悪だった。
ザルザムの話が理解できなかったわけではない。理解しつつも、拒絶したのである。
ある意味では暗鬼崇拝者に最も近いといえる戦族の戦士として、レードのその態度は正しいものだった。
セダムも同様だ。ただし彼の目には抑えきれない好奇の色がある。
そして、今やツアレスに代わりザルザムからの絶対の忠誠を受けることになったジオ。
「……あー、うん」
口元をへの字に歪め、目も眉も垂れ下がって、いかにも困りきった顔をしている。
もちろん、邪悪な暗鬼崇拝者への怒りも嫌悪もある。
だが、彼の黒い瞳の中にはセダムとレードの『理解』とは違う、『共感』の色が確かにあった。
「シミュレーテッドリアリティ、だったっけ? そういうのって……」
「あと十年分残ってるのかこの話」
暗鬼崇拝者司祭ザルザムには、まだまだ聞かねばならないことが山積みだった。