司祭
【時間停止】によって停止することができる時間は、今回は30秒だった。
途中でまごつかなければ、三つの呪文が使用可能か。では。
「この呪文により、我が身は周囲200メートル以内の任意の地点へ瞬時に移動する。【空間跳躍】」
「この呪文によりオグル6体で構成された1個小隊を無から生み出し3日の間支配下に置く。【鬼族小隊創造】」
「この呪文により、我が身は最高時速50キロメートルで自在に天駆ける。【飛行】」
怒涛の三連続詠唱である。現実の時間にすれば(いや停止してるんだが)30秒の作業だが、『内界』の私は必死こいて混沌の領域へ続く螺旋階段を三往復したのだ。
『魔法を使うとMPが減る』ってこういうことなのかもな……。
くだらない感想を浮かべる間に停止した時間が動き始める。三つの呪文は同時に効果を発揮した。
私の身体を透明な力場が包み込み、意識するだけで飛行できるようになる。
私の周囲に、赤褐色肌をした屈強なオグルが六体出現する。
そして、私の身体は瞬間移動し、神聖樹の幹に設置された祭儀場を見下ろす巨大な根の上に出現していた。
私が出現した神聖樹の根は大きく上下にうねっており、石段の終点にある祭儀場とその上の暗鬼崇拝者からは死角になっていた。
暗鬼崇拝者の首領らしい異相の男から情報を引き出すためには、【精神支配】を使うしかないだろう。ただし、【精神支配】は効果は絶大だが射程距離が短い。よって瞬間移動で接近したのだ。
「グオッ!!」
石段の登り口前ではレードと達した者の戦いが2ラウンド目を迎えていた。
盾役として立ちはだかった青銅の肌の達した者に、レードの大剣が食い込んだ。
青銅男は胸元に半ばまで潜り込んだ大剣を必死に抱え込み、動きを止めようとする。
「死ねぇっ!」
「キシャアッ!」
そこへ三体の達した者が一気に襲い掛かった。これはヤバイかな? レードの援護のために創造したオグルたちが戦場に到着するにも、あと五秒はかかるだろう。
「ふんっ」
「ぐふぉっ!?」
「ギャンッ!?」
青銅男の身体で一瞬止められたレードの大剣。だがレードはそこから足を踏ん張り、青銅男の巨体ごと大剣を振り切っていた。
フルスイングで吹っ飛ばされた青銅男は、側面から襲い掛かってきた達した者二体を巻き込んで地面に転がる。
「ヒャハァァァー! ……ゲッ!?」
大剣を振り抜いた姿勢で流石に一瞬硬直したレードの背に、腰から毒蛇を生やした達した者がしがみつく。
無数の毒蛇が、戦族の異形の甲冑を這いずり隙間から潜り込もうとして……毒蛇男が血を吐いて崩れ落ちる。
見れば、レードは背後の毒蛇男に自分の肘を叩きつけていた。肘当てから伸びた鋭く禍々しい刃で、毒蛇男の胸を貫いたのだろう。
もうあいつは放置でいいな。
「彼は『暗鬼狩り』ですねぇ! 貴方達、今のうちに全力を出せるようにしておきなさいぃぃ!」
「はっっ!」
祭儀場の異相の男――まあ仮に司祭と呼んでおこう――は、動揺しながらも周囲の部下に指示を出していた。
異常に太く長い両腕を持つ達した者二体が返事をすると、3メートル近くまで巨大化する。全身から棘やら角やらを生やしいかにも凶悪そうだ。
祭儀場までは石段を登らなければたどり着けない。この場でレードを迎え撃つつもりだろう。
……まあ、別に名乗りをあげたりする必要はないよな。
何やら魔術を使って側近たちを強化しはじめた司祭を見下ろしながら、私は呪文を唱えた。
「……この呪文により対象一体の精神を掌中に収め、彼の者を忠実なる下僕と化す。【精神支配】」
この呪文を使うのは、あの『のっぺらぼう』だけで終わりにしたかったのだが。くそ。私は心の弱い人間だ。
せめてこの嫌悪感だけは忘れないようにと思いながら、縦長の後頭部を持つ異相の男へ混沌のエネルギーを解放する。
「……?」
あの暗鬼の精神世界では混沌のエネルギーは物理的な実体を持っていたが、ここでは音も光もなにもない。
ただ私は呪文の効果がしっかりと司祭の脳に作用し、その精神を作り変えるのを感じていた。
「ドウシマシタ、シサイサマ?」
急に押し黙り、周囲を見回す司祭(どうも本当に司祭と呼ばれているようだ)に、人間離れした姿に変異した側近が声をかけた。
もし今目の前に私がいたら、司祭は即座に私に忠誠を誓っただろうが、その私に気づいていないので混乱しているのだろう。
「ギャアア!?」
「ぐえっ」
石段の下ではレードとかいう馬鹿力が暴れ続けている。側近たちは困惑しつつも司祭の命令を待っていた。
私はその隙に次の呪文を唱えることができた。
「この呪文により幅2メートル、長さ30メートルの雷を招来し地を払う。そのダメージは2D20なり。【稲妻】」
巨体に変化した側近は二体。都合よく司祭からは数歩離れていた。そこで私は二体の側近を結んだ直線状に稲妻を走らせたのだ。
青白い雷光の奔流が異形の戦士たちを飲み込み、《ドンッッ》という、鼓膜が破れそうな雷鳴が鳴り響く。
「なっ!? 何ですかぁっ!?」
数度瞬きして白く染まった視界が復旧すると、呆然とする司祭の足元に二つの消し炭が転がっていた。
「この野郎っ!」
「死んでたまるかっ!」
「グルアッ!」
石段の下から知らない怒声が響いたのでそちらを見れば、縛られ引きずられていた捕虜の数人が自力で拘束から脱出し達した者の一体に飛びかかっていた。
オグルたちもようやく駆けつけ援護しているから、まあ問題ないだろう。
さて。
「……こっちだ。私が魔法使いジオ・マルギルスだ」
「おおっ!」
消し炭になった部下よりも、『何か』を求めて視線を彷徨わせていた司祭に声をかける。
彼が気づくと、私は呪文の力で10メートルほど飛行し祭儀場に降り立つ。
「我が神ぃ! ジオ・マルギルス様! お会い出来て光栄の極みでございますぅ!」
司祭は手にしていた錫杖を投げ捨て、平伏した。
これが普通の人間相手だったら、罪悪感が凄いことになりそうな絵面である。
「他にお前の仲間はいるのか?」
「はっ! 城の前の兵舎に10名、地下通路の見張りに5名ほどおりますぅ!」
司祭は顔をあげ即答した。体毛のない爬虫類のような顔には、紛れもない忠誠心が現れている。……顔の造作自体は邪悪そのものなので凄い違和感だ。
まだ他にあんなのがいるのか。とりあえずトップを抑えたのだから、何とでもできるだろうが。
それより気になるものがあったので、私は司祭に聞く。
「で、これ何?」
指差したのは、司祭の背後。神聖樹『ラウリスの聖母』の幹にもたれかかる、法衣をまとった男性……のミイラ。そのミイラの胸には黄金に輝く杖が突き刺さっていた。