知ることの意味
さて、衝撃の事実が明らかになったところで、これまでに私が調べたり聞いたりしてきたこの世界の宗教関係用語について整理しておこう。
セディアの神話において最高神といえばやはり『創造神』だ。なにせ世界や神々、人間を生み出した存在である。ただし、現在では創造神は世界から離れていることになっている。
創造神が生み出した神々の代表格が『八柱神』だ。トーラッドが信仰する冬の女神アシュギネアや戦いの神ランガー、そして法の神ペンダーガンドなどがいる。
八柱神にはそれぞれに教団があるが、各教団の代表が集って組織されているのが、例の『法の神殿』だ。
『法の神殿』は特定の神を信仰する組織ではない。創造神が定めた、人間が守るべき規範『王法』を司る組織なのだ。具体的には、国家や王、貴族レベルの裁判や紛争の調停や裁判、公証などを行う。
いうなれば最高裁判所のようなものだろうか。仮にも宗教を基盤とする組織なのに、ばりばり俗世を管理しまくっているあたり、大分地球とは違うな。
とにかくその権威は絶大で、北方の王国でさえ法の神殿の裁定には基本逆らえない。
ただし細かくいうとこの世界の王権は創造神から直接北方の王国王に授けられたことになっているので、全て神殿の言いなりになっているわけではないようだが。
その、法の神殿のトップ八人の幹部が八守護聖人というわけだ。
「他の守護聖人……いや法の神殿そのものが暗鬼崇拝者の巣窟なのかもな」
「……会ったことのある聖人もいる。そいつらは大丈夫だろう」
私たちは元筆頭魔術師の屋敷であり、暗鬼の巣のあった場所を離れラウリス市街に向けて進んでいた。
先程までと同じく、亜空間を使っての移動だ。
暗鬼たちに見つかる心配はまずないが、逆に視界や音の響きが制限されるため探索には細心の注意が必要である。
セダムとレードは周囲を警戒しながらも、先程の情報について話し合っている。
「いやもしかすると、戦族の目を欺く手段が何かあるのかも知れん」
冷静に……むしろ面白そうに推論を並べるセダムにレードが唇を歪めた。
「ずいぶん楽しそうだな?」
「何であれ、知識が増えるのは楽しいさ」
「……」
「ま、全く楽しくないですよ……」
レードは不機嫌そうに黙り込んだ。ライル青年も、3メートル棒に両手ですがりつくようにして何とか歩いているという有様である。
「八守護聖人の一人が暗鬼崇拝者で目の前が真っ黒になってるか? それは、今知った新しい知識のせいだな」
セダムは片手の指先に摘んだ矢をくるくる回しながら続ける。
「だが次に新しい知識を得たら、今度は目の前が明るく広がるかもしれん。知識が増えるってことは世界が広がるってことなんだよ」
「おぉ」
「……」
セダムの卓見に私は思わず唸った。
レードとライルは目を見開き、耳目兵たちまでなにやら感心したように頷いている。
……考えてみると、こういう『いい台詞』は大魔法使いである私が言うべきところなんだがな。
「もちろん、知識を得た結果、世界がより暗くなることもありえるがね」
新情報はあったが、偵察本来の目的も忘れてはいけない。
私たちはラウリス市街をあちこち見て回った。
かつては華やかな人々で賑わっていたであろう市場も住宅街も、職人たちの工房も、全て破壊されていた。
生きて動いているのは僅かなネズミや野犬と、暗鬼たちだけだった。
かつて数千人を収容していた市街に暗鬼の姿はまばらだった。
見つけたのはほとんどが小鬼だが、巨鬼も数十体は確認できた。異様だったのは、奴らの多くがまるで冬眠でもしているかのように地面や建物の陰にうずくまり、ぴくりとも動かないことである。
ネズミを追いかけたり、奇怪な文様を壁に描き殴ったり、湖や水路で魚を獲っている暗鬼もいたし、巨鬼に率いられた小鬼数体が街を出入りしている姿も見た。
一体の岩鬼が湖に潜ってモンスター級の大きさのワニを咥えて浮上してきたのを見た時には、流石のレードも驚いていた。
正確には分からないが、市街に存在する暗鬼の半数は活動し、半数は休眠(?)しているといったところか。
そうして二時間ほど市街を調査したが、暗鬼たち以外には生者も、手がかりらしきものも見当たらない。
「それにしてもこんなのは初めて見るな。いや、人間を襲ってない暗鬼ってもの自体、見るのが初めてなわけだが……」
「それは私たちもです」
セダムは、身体を丸める巨鬼を亜空間を隔てて覗き込みながら目を輝かせていた。
耳目兵たち……戦族も言うのだから私たちはよほど貴重な暗鬼の生態を観察できているのだろう。
「もし俺たちに気付いたら全て起き出して、喜んで襲ってくるだろう」
「だろうな」
レードは興味を引かれた風でもなく、いつでも大剣で暗鬼を叩き斬れる位置に立っていた。
「小鬼は七、八百は居たな。この分だと市街に全部で千五百ってところかな。岩鬼の一体と妖鬼はまだ見てないし、やはり城も調べるべきだろう」
「そ、そうですねっ。『慈母』も気になりますし……もしかしたら『ラウリスの杖』もあるかも……」
セダムの冷静極まりない観察と提案に、ライルは激しく頷いた。
守護聖人ツアレスが生き延びて脱出しているなら、杖も失われているだろうが。そうでなければ、彼の言うとおり城を調べる価値はあるな。……ツアレスその人の遺体も見つかるのが一番望ましいが。
市街を北へ抜け、切り立った山の中腹に立つラウリス城へ向かう。
長い長い石の階段を登ると、高い防壁に囲まれた迷路のような通りが私たちを迎えた。
防壁を亜空間で通り抜けても良かったのだが、時折分厚い壁があったり高低差もあったので、普通のルートを選ぶ。
疲れも吹き飛んだような顔で案内すると言ってくれた、ライルがいてこその選択である。
途中、ラウリス名物だったという大門がありぴったりと閉ざされていたので、ここだけは亜空間を使って通過した。
「こちらですっ! この角を曲がれば……」
ライルが先頭の耳目兵を追い抜く勢いで進み、角を曲がると、そこは壮麗な城の前庭だった。
真っ先に目を引くのは、城の中央部から天に突き出した神聖樹だ。近くで見てもやはりすっかり朽ちており、葉など一枚もなく幹も穴だらけである。
その神聖樹の周りを飛び回る無数の翼鬼はむしろ、神聖樹を見守っているかのようにすら思えた。
城や周辺の建物には、思ったほど破壊の跡がない。
さて、城に入って内部や神聖樹を調べようか、と思った時。
前庭に立つ兵舎のような建物の中から、数個の人影が出てきたのに気付いた。
人影……そう、黒いローブとフードで全身を隠した姿は、【過去視】で見た暗鬼崇拝者に酷似している。ただし、似ているのは装備だけで、中身はだいぶ違いそうだ……。
「……なんだ、あれは」
「むう」
耳目兵やセダム、レードの反応はもっと硬かった。
彼らには私より良く見えているのだろう。
その人影が、どう見ても四本の腕を持っていたり、無数の蛇のような尾を引きずっていたりするのが。
しかも彼らは縄で拘束した人間たちを引きずっている。
翼鬼に気付かれるのを恐れているのか? 声は出していない。
「戦士長、あいつらは……」
「『達した者』では?」
耳目兵二人が、巨像のような戦士を見上げて聞く。レードはいつものようにつまらなそうに頷いた。
「手強いぞ」