闇 対 影 (三人称)
湖賊首領と幹部の密談の場に駆け込んできた暗殺者。
その暗殺者の背後には彼女……ジーテイアス城密偵頭レイハナルカが立っていた。なお、湖族たちは気づいていないが実は彼女の妹とも言える存在も、すでに天井裏や屋敷の周辺に潜んでいる。
「くそっ」
「……っ」
「……ううっ!?」
村の無軌道な若者にしか見えないザサムは、しかしさすがに反応が早かった。
弾かれたように振り向き、ダークエルフと首領の間に割って入る。手にはすでに細長い刃が握られていた。無駄な飾りをつけた袖や靴にも刃は仕込まれている。目の前に居るのが『ただの刺客』ならば、この若者は雇用主の指示など待たずに首を切り裂いていただろう。
ハリドの動きは落ち着いていた。一瞬腰を浮かしたが、すぐにどっかりと座りなおす。
ただし内心では落ち着くどころではなかった。屋敷の周辺には高額な魔具による警報システムを設置しているのだ。彼が知らない人間が気づかれずに侵入するなど、ありえない。
最も動揺していたのはラークで、中腰になって美女と首領の動きを窺うように視線を動かしていた。
「お前たちに一つだけ聞く。……いや、そうか。……我が名はレイハナルカ。偉大なるジオ・マルギルス様の忠実なる従属する者だ」
レイハは淡々と三人の悪党に声をかけた。
言い直したのは、彼らが自分の素性に全く気付いていないことに気付いたからである。
「ほう、マルギルスの。……尾行されたな、ラーク」
「……まさか…」
ハリドも悠然と応じる。
とはいえ内心は戦慄していた。自分の正体と居場所、両方を正確に知っているのはザサムとラークだけだ。
必然、他者がここを探り当てるためにはラークの口を割るか、尾行するしかないのだが……。ラークの驚愕は本物だった。つまり裏切ってはいない。
ということは。
「ラークが私の部下だと見抜き、尾行してこの屋敷を見つけ、魔具の警報を無効にして、ザサムの背中をとった、と?」
「……」
ハリドの言葉に、ザサムとラークは顔色を悪くした。どれ一つをとっても凄まじい技量がなければ不可能な行為だ。
「そうだが? それよりこちらも聞きたいことがある」
レイハの目も声も冷たい。当たり前のことを聞くな、と言いたげな顔だった。
「ほう、何だね?」
目の前のダークエルフを殺すか捕獲するか、むしろこちらが降伏するべき状況なのか?
頭を高速回転させながらハリドは聞き返した。
ザサムとラークに向けて微かに頷く。ザサムは舌打ちしながら数歩後退して道を空ける。
ダークエルフは花街の売れっ子のように艶やかに歩いて、執務机の前で止まった。
開け放たれていた扉からラークが廊下に飛び出す。他に侵入者が居ないか確かめるためだろう。
レイハは背後の動きも気にもしない。正面に大湖賊、右手に殺人者を見据えながらハスキーな声で言い放つ。
「貴様らに二つの道を選ばせてやる。苦痛にまみれた死の道と、偉大なマルギルス様の下僕として生きる道だ」
「……我々にチャンスを与えるというのか? ずいぶん寛大だな」
交渉のためというより時間稼ぎのための言葉を、ハリドは返した。
他人に従属することに耐えられるような常識的な神経をしていたら、ここまでの組織を育て上げ君臨することなどできるはずもない。
「そうだ。我が主は貴様たちのような悪党の命も大切になさる。計画では貴様たちは即処分するはずだったが、『一度だけで良いから降伏するつもりがないか聞いてくれ』とおっしゃられたのだ。その底知れぬ闇のような慈悲深さに感謝して、今すぐ恭順せよ」
「……」
ハリドは『我が主』について語るダークエルフの瞳に、苛烈なまでの忠誠と心酔を見取っていた。
脚も腰も胸も艶めかしい曲線で構成された肢体。
その身体にフィットした黒革鎧から露出する暗褐色の艶やかな肌。
紫の瞳と唇が濡れたように見える妖艶な美貌。
今までハリドが抱いたどんな女よりも美しい……しかもその女は、最強の暗殺者ザサムに匹敵するかもしれない凄腕なのだ。
本当に残念だ。ハリドは心の底から思った。
女の背中、扉の向こうにラークが戻ってきているのが見えた。ザサムも右手のナイフを揺らめかせて臨戦態勢だ。
ハリド自身も執務机の下に用意していた小型のクロスボウを掴んでいる。
その気になれば、部屋の中にも仕掛けはいくつもあった。
「どうした? 返事を聞かせろ。貴様らにとって今後一生ないほどの幸運だぞ」
女ダークエルフの声に僅かに苛立ちが混じった。レイハはレイハで、実のところ内心は複雑だったのだ。
そもそも、レイハ自身はハリド達に一片の利用価値も認めていない。心の底から――魂の底から敬う『流れの主』の悪評を流した、それだけで極刑に値すると信じている。
事前の計画でも、ハリドはここで退場させることになっておりそれは主も承知していた。だから、彼が『一度で良いから……』と頼んだ時には、本当に済まなそうな顔をしていたのだ。
それがレイハの心を憂鬱にさせている。ハリドたちを処分するのは簡単だが、それを聞いたら主は悲しむのではないだろうか?
だから、レイハは本気でハリドたちを降伏させるつもりだったのだ。
彼らに突きつけた二択にしてもそうだ。
『死か? マルギルスへの従属か?』 誰が聞いたって、後者を選ぶに決まっている。
諜報活動となれば精密に他人の心を操ることもできるのが、謀略を生業とする氏族だ。しかし、その冷徹な計算にジオ・マルギルスという要素が混入すると、導き出される結論は少々狂うようだった。
「そうだな……では……」
レイハの瞳に浮かんだ焦り。それを見たハリドは決断した。小さく瞼を動かし、廊下で気配を断っていたラークに合図する。
部屋の中には、窓際の執務机について座るハリド。執務机の左前方にザサム。ハリドの正面にはレイハ。レイハの後方、廊下にラーク。
「……ぬぅっ!」
まずラークが、あえて気合の声を上げてレイハの背に突進した。
彼も熟練の盗賊である。片手に短剣を持つが、それで刺すよりもまずレイハの腰辺りにタックルし動きを封じようとしている。
ザサムは右手のナイフをレイハに見せつけるように構えた。むろん、レイハがラークに対処する一瞬の隙を突くつもりだ。ザサムの真の獲物は左手の袖に隠した円刃……飛び道具である。
ハリドは執務机を盾にするようにしゃがみ込みながらクロスボウを持ち上げていく。
レイハは――。
振り返りもせず後方へ跳躍した。膝を抱えて回転し、突進するラークをやり過ごして着地する。
「うっ!?」
「ぐげっ!?」
目標を見失ったラークはそのまま執務机に激突してひっくり返った。彼の延髄には、跳躍と同時にレイハが放った小さなナイフが突き立っている。
「しっ!」
ザサムが左手を振るう。高速回転する円刃が二枚、蛇のような軌跡を描いてレイハの喉と胸に迫った。
レイハは着地した瞬間で、腰の短剣を引き抜く余裕はない。仮にこの攻撃をしのいでもハリドのクロスボウが止めを刺すはずだ。
ザサムは凄惨な笑みを浮かべ――凍りついた。
何ということはない。ダークエルフは飛来する二つの凶器を素手でひょいと摘み取ったのだ。
「なっ……げっ!?」
青年の額に投げ返された円刃が食い込み、稀代の殺人者としてリュウスに知られた青年は、死んだ。
最期の瞬間ザサムの目に映ったのは、ハリドの顔面にもナイフが埋まっている光景だった。
ラークの頭上を飛び越えた瞬間、レイハが投げたナイフは二本だったのだ。
「……か……ぁ……まさか……な……」
血まみれで机に突っ伏しながら、ハリドは呟いた。
自分が容赦なく他人に与えてきた『死』がすぐ間近に迫っている。
「ぅあ……マル……ギルス……うら、やましい、奴だ……。俺も……お前のような……女が……」
彼が最期に感じたのは絶望でも恐怖でもなかった。
これほどの女に、あれだけの忠誠を向けられる。何故、それが自分ではなく魔法使いとかいう男なのか?
リュウスの影の支配者、とまで言われた大湖賊ハリドは『従属する者』の宣言通り、嫉妬という苦痛に魂を苛まれながら死んだ。
「……おぞましいことを言う男だ。こいつとマルギルス様では比べ物にもならん」
「まあ、そうですね」
「見かけはそんなに変わらないけど中身がおー違いだよね」
てきぱきと屋敷内の調査をはじめたレイハとダークエルフ四姉妹。
作業しながらレイハが仏頂面で呟くと、次女のラシルや末っ子のササラが同調した。
「それにしても結局、殺すしかなかったとは。……マルギルス様は悲しまれるかも……」
「んー。でも、主様はレイハ姉を怒ったりはしないでしょ?」
今度は眉を下げて嘆くレイハ。おっとりした長女のアルガが慰める。
「……もしお怒りになられたら、折檻していただけるだろうか?」
「何でちょっとうれしそうなの」
無口な三女ギルマも、思わず突っ込んでいた。




