この世界について
10秒。『D&B』でいう1ラウンド。
これが私にとって死命を制する時間単位になるだろう。
私が気付いた時、モーラと冒険者たちは崖の崩落に巻き込まれ谷に落ちる寸前だった。不可視の力場で壁や床、階段などを作り出す【力場の壁】で救うことができたのは、この10秒の余裕があったお蔭だ。
ひとまず、幻馬を使ってのピストン輸送でモーラと冒険者たちを安全な場所に移動させる。生身で飛び回る経験をしたからか、空中酔いはだいぶましになっていた。
全員、疲れ果てたため、森の出口にたどり着いたところで休憩することにする。
当たり前のことだが、冒険者たちはこの出来事についての説明を求めてきた。呪文を使っているところは見られていないとはいえ、「たまたま隕石が暗鬼の軍団に落ちてきた」という言い訳はもちろん通用しなかった。良いんだよ、ダメ元だったんだし。
「まあとにかく、あんたが偉大な力を持つ魔術師……魔法使いだっていうことは分かったよ。マルギルス……様、と呼ぶべきなのかな?」
わざわざ火をおこして熱いシル茶を淹れて(淹れたのはモーラだが)、大分落ち着いたところでセダムが言った。
穏やかではあるが、さすがに声と表情が少し硬い。
見回すと、テッドとジルクは怯えた表情だ。トーラッドとフィジカは不安げで、クローラは露骨に警戒の視線を向けている。
モーラは心配そうにこちらを見つめていた。
「いえ、私は別に貴族でもないですし、偉くもありません。ただの一般市民です。普通にしてもらえれば良いですよ。普通に」
セールスマンに様付で呼ばれるだけでも気持ち悪いのだ。『偉大な魔法使い様』扱いなんて冗談ではない。……しかし、頭の片隅では、あれだけのことをしでかしておいて『一般市民です』は通用しないことも理解はしていた。
「マルギルス様! あんだけの暗鬼を一発で焼き払うお方を呼び捨てなんてできませんぜっ」
「マルギルス様は大英雄っすよ!」
案の定、ジルクとテッドは必死に言いつのった。何の嫌がらせかと疑うレベルだが、私が怒り出さないか心配なのだろう。彼らの立場からしたら仕方ないのかも知れない。
「俺も、もちろんあんたには感謝している。あのままあの規模の暗鬼が村に向かっていたら大惨事になるところだった。……だからこそ、その暗鬼を倒せるあんたのことが気になる。万一、あの隕石をこっちの頭上に落とされたら困るからな。分かってもらえるだろうか?」
そりゃあそうだろう。
私は腹に力を込めて、静かに言った。
「……私はジーテイアスの魔法使いジオ・マルギルスです。この世界のことはまだ良く分かりません。しかし、魔法の力で悪事を働くことや、皆さんに……この世界に害を与えることは絶対にしません。誓います」
「……ふうん」
「そ、そうっすよねぇ!」
「マルギルス様を信じてますぜ!」
フィジカにテッド、それにジルクは今の言葉に多少安心したようだ。
「誓う、とは? 貴方には神がいるのですか?」
トーラッドはさすがに神官戦士らしい突っ込みをしてくる。むむ。これはどう言えば良いんだ?
「……貴方たちの神と同じかは分かりませんが。……『見守る者』に誓います」
「ほう」
頭の中の、神っぽい存在リストの一番上にきていた名前を挙げてみる。興味を惹かれたように唸ったのはセダムだった。トーラッドは腕組みをした。彼の信仰する神が異教弾圧とかしていたらヤバいんじゃないかという考えが頭をよぎったが、後の祭りだ。
「聞いたことのない神ですね。……しかしきっと、善神なのでしょう。暗鬼を倒すために力を使う方が信じているのですから」
トーラッドは笑みを浮かべてくれた。片方の耳を掌にあてたのは、宗教的な仕草だろうか?
「ジオさんは凄い人ですけど、本当に優しくて……えっと、優しい人なんです!」
モーラも冒険者たちに訴えてくれる。ごめんね、会って2日目の女の子にそんなフォローさせて。……しかし案外この子も、発言するタイミングはしっかり計っている気がするな。
「……ああ、そうだな。村を救った英雄を信じないわけにはいかないな」
セダムがにやりと笑いながら、聞きたかった言葉と聞きたくなかった言葉を同時に言ってくれた。英雄とか本当に、器じゃあないんです。
「その、『見守る者』があんたをここへ連れてきてくれたのかもな? 頼りにさせてもらうぜ?」
セダムが肩を叩く。君の方がよっぽど頼りになるよ。
休憩のあと、私たちは街道に出て東へ歩き出した。
平野を東西に横断する街道には石畳が敷かれていて、この世界の文明レベルが決して低くないことを窺わせた。セダムの話によれば、野営を挟んで明日の朝にはユウレ村に到着するという。
【幻 馬】の持続時間が切れたので、モーラは私の横を歩いている。ジャーグル像と麻袋がぷかぷか着いてくるのは相変わらずだ。
この人数なら全員を一度に高速移動させる呪文もあるのだが、村に着くまでに時間の余裕がほしかったので口にはしなかった。モーラの父親の気持ちを考えると、早く連れて行ってやりたいのは山々ではあるが……山賊から救出したことで勘弁してもらおう。
南方に、先ほどまでいた山地と森を見ながら、私はまずセダムに話しかけた。
「さっき言いましたけど、この大陸のことを全く知らないんですよ。簡単でいいので教えてもらえないですか?」
そう、村に到着して多くの人と接触する前にこの世界の基本知識を知りたかったし、心の準備をしたかった。
気になっているし重要そうなことは、暗鬼と魔法関連のことだが、まずは基本からだ。
「随分大雑把な質問だな。具体的にはどんなことを聞きたいんだ、マルギルス殿?」
彼の中で、私の呼び名は概ねこれに固定されたようだ。……まぁ我慢しよう。
「そうですね……じゃあまず、国とか、歴史についてはどうですか?」
セダムは何故か嬉しそうに笑った。
「そいつを語るには、一晩や二晩じゃあ足りないな。野営の時にでもゆっくりと……」
「えっとまずは概略をお願いします。簡単に」
「……まぁ良いけどな」
自分で語りたがるだけあって、セダムの説明は非常にわかりやすかった。
まず、今いる地方はリュウスといい、大陸の中央付近にあるリュウス湖を中心に都市国家や小国が点在している。モーラにも聞いたが、その小国などの連合をリュウス同盟というそうだ。
街道や、これから向かうユウレ村を含む一帯はカルバネラ騎士団の領地だ。
街道を逆方向、西に向かえばリュウス湖があり、モーラや冒険者たちの故郷であるレリス市に辿りつく。ユウレ村より東は危険な広野が広がっているが、広野の先に豊かな国があるため時折旅人や隊商、冒険者の往来があった。だいぶ遠いが、リュウス湖から北へ向かうと大陸最大の国家『シュレンダル王国』があり、南方は現在、内乱の真っ最中でこの近辺の治安が悪い原因になっているそうだ。
「なぁるほど」
TRPGの新しいシナリオを開始する前、ゲームマスターが『君たちがいるのは~~な世界だ』と説明してくる場面を思い出して私は何度もうなずいていた。
やはり全体としては中世ヨーロッパ風異世界、といって良いようだな。
「では……あの暗鬼というのは一体何なのですか?」
「……難しい質問だな」
語りたがりのセダムでも少し口が重くなったが、暗鬼についての説明は以下のようなものだった。
まず、『暗鬼』とは小鬼や巨鬼、岩鬼といった複数の種族の集団を指す。特徴は人間やドワーフ、エルフ(やっぱりいたのか)など『暗鬼以外の知的生物』に対する徹底した破壊衝動だ。ほとんどの国や地域で人間の天敵と認識されており、暗鬼が出現した場合、あらゆる争いは中断してそれに備えることが暗黙のルールである。
「なにしろ、暗鬼は昔人間を滅ぼしかけたらしいからな」
と、セダムは淡々と言った。
幸い現在では暗鬼の絶対数は多くないようで、セダムや冒険者たちも今まで暗鬼を見たことは数度しかないそうだ。それも、集団から離脱した『はぐれ』の暗鬼ばかりだ。
奇妙なことに、暗鬼には決まった生息地というものがなく、『いつの間にか巣を作って』いるのだという。一度築かれた巣は際限なく暗鬼を生み出す。従って大規模な暗鬼の巣を発見した場合、総力をあげて破壊しなければならない。国によっては、それが貴族や騎士の義務になっているのだという。
「今回の場合はどうですか? あの数だと、はぐれということはなさそうですが」
「そうだな」
セダムは顔をしかめた。
「では、周辺に巣があると……? 破壊しなくてはいけませんね」
「騎士団に報告すれば、そういう話になるだろうな」
積極的に力を見せびらかしたり、戦いたいとは全く思わないが。暗鬼だけは、そんな我侭をいって放置してはいけない存在だと、先ほど心の底から実感したばかりだ。セダムが頼りにするといったのはこのことだろう。
……転移する前に考えていた、早期定年状態ののんびりした生活は、すこしお預けになりそうだ。
野営の準備も、ゲームなら一言で終わるところがなかなかの大仕事だった。
といっても、私が手伝おうとしてもジルクやテッドが「いやいやいや、マルギルス様にそんなことさせられませんよっ」とか言って邪魔してくるし、セダムも「あんたは客なんだから大人しくしててくれ」と言うので見ていただけだ。
モーラとフィジカが鍋に肉や豆、スパイスをぶち込みかき回しはじめたころ、私は今度は魔術師クローラに話しかけた。
この世界の魔術と、私の魔法がどうやら違うものであるということについていい加減確認したかったのだが。
「……そのお話は、このような場所でするべきではありませんわね」
ウェーブのかかった金髪に櫛を通しながら、クローラはそっけなく言った。うぅん、モーラよりは年上だろうが、若い女の子と話すのは疲れる。
「ああ、ええと、では……」
私が言葉を探していると、クローラは私を剣呑な目つきで見詰めて言った。
「村に着いたら少しお時間を頂けますかしら? 余人を交えずゆっくりお話しましょう」
「おぉ、マルギルス様モテるっすねぇ!」
テッドが横から気軽な声をかけてくるが、面倒な予感しかない。
「……貴方のお話次第では、魔術師ギルドが吹っ飛びますもの」
ほら。