最強の攻撃呪文
後になって考えてみれば、あそこまで慌てる必要はなかったのだ。
「先に行ってくださいっ。危険なのでなるべく谷から離れて! モーラさんは幻馬に乗って!」
呆然と、または不審げに見やる冒険者たちとモーラに言い捨てて走り出す。幻馬にはモーラを乗り手にするよう指示も出した。彼らに対してできたのはそこまでだ。100メートルほど山道を全力で駆け戻り、木立の隙間から谷間を見下ろす。狭い谷間を進軍する暗鬼たちの後ろ姿が少しずつ遠ざかっていた。振り向いて自分がモーラたちの視界から隠れていることも確認する。
「よしっ」
両手で頬をひっぱたいて気合を入れる。自分を包んでいる不可視の力場に意識を向ける。塔を出る時に、万一に備えて使った呪文のうち一つの効果だ。
「うぅぅ……」
力場に支えられ、身体全体がふわりと浮きあがった。さっきの『飛行酔い』を思い出して気分が悪くなる。が、そんなことは言っていられない。
私は【飛 行】の呪文によって空に飛びあがった。
「こわっ」
生れて初めて生身で空を飛ぶわけだが、幻馬に乗っての飛行以上に怖い。身体を包む力場のお蔭で風や気圧からは守られているのだが、足元に何もないというのがこんなに怖いものだとは……。
「まぁ、いくか……」
私はおっかなびっくり飛行して、暗鬼の軍団を追った。
【飛 行】は最高時速50㎞も出せる。途中、モーラたちがいそうな場所は迂回したが、暗鬼の先頭に追い付くのに数分もかからなかった。
「この呪文により我が眼下に厚さ30㎝幅15m高さ5mの頑強なる石の壁を作り出す。【石の壁】」
呪文によって巨大な石壁が谷間に出現した。狭い部分の幅に合せたので、丁度ぴったり暗鬼の行軍の行く手に蓋をしたことになる。
私はその石壁の上に降り立った。
わざわざこんな真似をしたのは、殲滅するまえに彼ら暗鬼たちを間近に見ておきたいと思ったからだ。遠距離で呪文を使っても結果は同じことなのだが、やはりこれだけの数の生き物を一方的に虐殺するというのも体裁が良くないし、万が一にも話し合いの可能性がないかどうかを確かめたいと思ったのだ、が。
「…………ぅ……」
進軍していたらいきなり目の前に石の壁が現れたのだ。当然、彼らも動揺している様子は見えた。しかしそれは一瞬だ。石壁に私が立つのを……人間の姿を見た瞬間、谷間を埋める暗鬼の軍団は一斉に凄まじい金切り声を上げた。
「キシャァァァァァ!」
「ギャギャギャギャギャ!」
「グルォォォ! グガァァァァァッ!」
小鬼も巨鬼も、口泡を飛ばして牙を打ち鳴らす。『ガチガチ』という硬い音さえ聞こえた。私を睨みつける彼らの目は『お前が憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて仕方がない』と雄弁に語っていた。
「……これは、ダメだ」
遅まきながらはっきり理解できた。彼らは人間の天敵だ。絶対に和解できない。
「グギャッ! ギャアッ!」
軍団の後列から何かが飛んできた。巨鬼の指示で小鬼の弓兵たちが放った無数の矢だ。あれほど憎しみに狂っているのに、軍隊としての規律は守られているというのがまた恐ろしい。
だが太く黒い矢は、私の身体に到達するまえに全て軌道を変え明後日の方向へ去っていく。万一に備えて使っておいた呪文その2【矢 止 め】の効果だ。
「ギャルゥゥゥ!」
「キシュァァァァッッ!」
飛び道具が効果ないと知った巨鬼が腕を振り回す。見渡す限りの小鬼が狂ったように叫びながら石壁に殺到した。
押し合いへし合い、一秒でも早く手にした剣や斧を私に叩きつけようと、お互いを踏み台にして石壁を登ろうとする。高さ5メートルに設定した壁だが一分もしないうちに小鬼の波に飲み込まれるだろう。
もちろん、そんなことに付き合う必要はない。
「ギャウウゥゥ!?」
私は石壁から上に飛んだ。矢や投斧が飛んでくるが物の数ではない。
「……ま、まぁ、ある意味ではっ………安心、したなっ」
強烈な敵意と憎悪に直接さらされ、気分的にはもちろん最悪だ。喉がからからに渇き冷や汗が止まらない。だが、自分の行動に確信が持てた、という意味ではむしろ好都合だった。
現実の私は急上昇し、谷間全体を見渡せる高みで停止した。一方、心の中――『内界』の私は魔道門をくぐり、螺旋階段を下っていく。
昨日、2度使ってすでに勝手は分かっているが、やはり第9階層のプレッシャーは半端ではない。焦る気持ちを押さえながら『大魔法使いの呪文書庫』に入り、(すでに2つの9レベル呪文を使って再準備していないので)7冊ならんだ書物を確認する。
……あった。
実は『D&B』というゲーム、純粋な攻撃呪文の種類はそう多くない。
代表的なのが1レベルの【魔力の矢】に3レベルの【火 球】【稲 妻】、4レベルの【氷の嵐】、飛んで9レベルの【隕 石】といったところだ。もちろん、眠らせるとか毒ガスで殺すとか麻痺させるとか、竜巻や怪物を作り出すとか、広い意味で相手を攻撃する呪文はまだまだ存在するが。派手めの『攻撃(にしか使えない)呪文』は多くない。当時の私やゲームマスターが漫画やアニメの影響を受けて追加したオリジナル攻撃呪文もいくつか存在するが、私と彼の間にはこんな不文律があった。
すなわち、最強の攻撃呪文はーー。
「この呪文により天空から八つの流星を招来し、我が敵の頭上に降らす。【隕 石】」
現実の私と『内界』の私の詠唱が呪文のエネルギーを解放する。
ひと呼吸の後……青空を八つの光が切り裂いた。
八つの光は私の狙い通り、曲りくねった谷間を進軍する暗鬼の軍団に降り注いだ。
光、すなわち隕石の直撃を受けた岩鬼や指揮官の巨鬼は、針を刺された風船のように肉体を消し飛ばされる。隕石の激突により生じた爆炎は谷間を埋め尽くし、暗鬼を骨まで焼き尽くす。左右を崖に挟まれ上にしか逃げ場のない衝撃波が、燃え盛る暗鬼たちの肉体をバラバラに引き千切り空へ巻き上げた。それだけの犠牲を喰らいながらまったく勢いを減じない爆炎と衝撃は、谷間全体から津波のように噴き上がる。
「う、お、おおおおぅっ!?」
空気の壁が私を乱打し、爆音が内臓を揺さぶる。実際、【飛 行】による力場に守られている私の身体さえ、木の葉のように揺れていた。爆音の凄まじさゆえか、暗鬼たちの悲鳴も怒号も聞こえない。
「なんじゃこりゃーっ!?」
以前TVで見た核実験の記録映像が脳裏に浮かぶ。
両手で顔を庇いながら谷間を確認する。炎と煙で全貌はわからないが……そこにいた無数の暗鬼たち、小鬼、巨鬼、岩鬼……全てが原型を留めない肉片や炭の塊と化していたことだけは確信できた。
ゲームの中で、【隕 石】を使って城を破壊したことも確かにあるが、実際目にするとここまで凄まじいのか……。
「あっ!?」
爆発の衝撃で左右の崖のあちこちが崩れ、岩が転がっていく。それを見てやっと気付いた。
「これだけの爆発だと、モーラさんたちが……」
自分の愚かさを呪いながら飛行し、山道を辿ってモーラや冒険者たちを探す。
50メートルほど先の崖際の道に、彼らはいた。私の言葉に従ってくれたのか、別れた場所からは大分移動している。
が。
「危ないっ!」
谷の底から崖を遡って行くひび割れが彼らの足元まで達して足場を崩そうとしていた。
足場が全て崩れモーラたちが谷底へ投げ出されるまで、10秒あるだろうか?