昔の記憶
引き続き流血シーン&暗いです。
身体にまとわりつくような闇の中に沈んでいく感覚。
生ぬるい感じがひどく鬱陶しいのに指一本動かす事ができない。
沈む……沈む……。
ふと気がつくと足元が明るくなり何かが見えた。
そうして見えてきた光景に息を呑む。
アレハ………。
巫女装束をまとった幼い少女が神楽を舞っていた。まだ、3歳くらいだろうか。
鈴のついた扇を手に、一生懸命舞っている。
けど、頬には涙の跡があり、噛み締められた唇が痛々しい。
「姫巫女様!手の向きが違います!」
ピシリと扇を持つ手が細長い棒に叩かれ、少女は痛みに扇を取り落とした。
「そのようなみっともない舞を奉納なさるおつもりですか?」
座り込んでシクシクと泣きだす幼い少女に厳しい叱責が飛ぶ。
扇を拾って立ち上がらなければ、もっと怒られるのは分かっていたけど、2時間近く続く稽古は幼い身体からなけなしの体力を奪っていた。
アレハ、ムカシノワタシ。
そう認識した途端、意識がスゥと少女の中に吸い込まれていった。
「かぁしゃま〜。のぞみつかれたよぅ。もうできないよぅ」
シクシクと泣きながら傍の女性を見上げ、両手を差し伸ばす。
「……姫巫女様」
女性の顔が困ったように歪む。
幼い少女を抱き上げるかどうかの葛藤が垣間見えた。
すると、横から伸びた手が、迷う女性の代わりの様に少女を抱き上げた。
「少し、休んだらどうだい?そんなに根を詰めたら希がかわいそうだよ」
「じじ様!」
自分を抱き上げた初老の巫に希はぎゅっと抱き着いた。
「もう、出来ないと困るのは希なのよ!みんなして甘やかして!」
怒った様に腕を組む姿は、しかし、先ほどの教師然とした顔はしておらず、母親の顔になっていて、希は練習から解放された事を知る。
「かぁしゃま〜。抱っこ!」
嬉しそうな笑顔で祖父の腕から身を乗り出す様にだっこをねだる娘に、母親は苦笑しながら抱きとった。
「もう。調子がいいんだから。明日はちゃんとやってよね〜」
「はぁい」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、希は幸せそうに笑った。
そう。とても幸せだった。
希の家は、言霊を進行する小さな神社で祖父は力のある巫だった。
魔を払い、人を助け、周りの人々に慕われ尊敬されていた。
父は特別な力は無いけれど穏やかな人で、経営にはからっきしの祖父を支え、母もまた同様に事務や巫女としての仕事に忙しい、厳しくも優しい人だった。
そして、希は、幼いながらも祖父の力を引き継いだ片鱗が見られ、早いうちから姫巫女の修行が始まっていた。
幼さゆえに間違った言葉を使わぬ様に、力の意味を理解するまでは家族以外と接触することも無い隔離された世界だったけれど、とても優しく幸せな日々だった。
イヤダ。オモイダシタクナイ。
スゥッと場面が暗転する。
希は7歳になっていた。
祖父譲りの力にはますます磨きがかかり、弱い魔なら1人で払うこともできる様になっていた。また、祖父には無かった力も目覚め始めたのはこの頃だ。
それは、未来視。かなり不安定で、発動条件は一切謎。突然なんの前触れもなく映像が目の前に広がるというもので、内容は次の日の夕飯やひとが訪ねて来るなど、ささやかなものが多かった。
もう大丈夫だろうと小学校に通う事も許された。
幼稚園は、不安定さを理由に止められていたけれど、たまに触れ合う氏子の子供達との会話で憧れていた小学校にどうしても行きたくて、祖父の貸した課題を頑張ってクリアした希の粘り勝ちの結果だった。
初めてはいる同世代の輪の中も、大人たちの心配を他所に希は上手く馴染んでいた。
たまたま同じクラスに氏子の子供で知り合いだった女の子がいた事も大きいだろう。その子の助けも借りて新しい友達もでき、たまに姫巫女としての仕事もしつつ、時は順調に流れていった。
しかし、転機は訪れる。
それは、幸せな世界が壊れる日。
希は泣きたい気分だった。怒ってもいた。
今日は、保護者参観の日で、母親が来てくれるはずだった。
だけど、ドキドキしていた時間になっても母親は姿を見せず、頑張って書いた作文も聞いてもらう事は出来無かった。
結局、帰りの会が終わってみんなが親と手をつないで帰る中、希は口をへの字に結び、俯き加減に足早に学校を後にした。
友達が一緒に帰ろうと誘ってくれたけど、母親と結ばれた手を見てしまえば、泣きそうになりダメだった。
こんな事で泣くのは、幼いプライドが許さ無かったのだ。
(母さんのバカ。ウソつき。ウソつき)
口をしっかりと閉じていなければ、悪い言葉が飛びしてきそうで希は唇をギュッと噛み締め家路を急いだ。
きっと、急で断れ無い相談者が来たんだ。
今、ジジ様いないから、対応が大変で、だから、お家に帰ったら泣きそうな顔でごめんねって言ってくれる。そうしたら、ギュッしてもらって許してあげよう。
そして、2人に作文を読んであげよう。
「わたしのかぞく」上手に書けてますって先生に褒めてもらったんだから。
来てくれ無かった理由を希なりに考え、どうにか気持ちに折り合いをつける。
最近母親が、DV被害者の駆け込み場所として神社を開放していて(希は怖い目にあった女の人を助けてるんだよ、と説明されていた)来客が増えていたのだ。
「ただいま!お母さん!!」
やっぱり一言ぐらいは文句を言ってやると玄関に飛び込んで、直ぐに異常に気付いた。
何か、嗅いだ事のない不快な臭いが鼻についたのだ。
そして、不気味なくらいに静まり返った家。
最近は、常に数人のお姉さんが居たから、いつも賑やかだっのに。
なんだか、自分の家なのに不気味に感じて、希はおそるおそる中に入った。
と、足が何かを踏んでヌルリと滑った。
紅い水が床に飛び散っていた。
「これ、なに?」
この時に、いや、玄関で異臭を嗅いだ時にその正体に気付いていたら、運命は少しは変わったのだろうか?
だけど、平和な日本で平和に暮らしていた7歳の子供に分かるはずもない。
床や壁に飛び散っていた紅や、不快に感じる程香る臭いの正体が、大量に流された誰かの血液だと。
「……おかあさ〜ん……」
小さな声で呼びながら居間を目指す。
と、向かう先でカタンッと、小さな音がした。
「お母さん?!」
「来ちゃダメ!!」
希が居間に飛び込むのと、女性の声で静止がかかるのは、ほぼ同時だった。
「ナツキさん?」
まず、目に飛び込んできたのは、後ろ手に縛られ男の人に背後から抱きしめられている女の人の姿で、希は、その女性をしっていた。
10日程前に、傷だらけでやって来た人でとても悲しい目をしていた。
ジジ様に言われて側にいて、いっぱいお喋りして、最近ようやく少し笑ってくれる様になってきた所だった。
今、ナツキさんは顔に怪我をして苦しそうな顔をしている?
「君がここの娘さん?」
男の人に突然声をかけられ、びくりと身体が震える。
なんでだろう。怖くて、身体が震える。
じっと見つめてくる瞳が真っ黒に塗りつぶされて見えた。
今すぐ後ろを向いて逃げたいのに、身体が動かない。
「………あなただあれ」
震える声で無意識に問いかければ、にっこりと笑顔が帰ってきた。
「ぼく?ぼくはナツキの夫だよ。ナツキを迎えに来たんだ。酷いよね。ちょっと喧嘩しただけなのに、みんながナツキを僕から隠すんだから。ようやく、行方を探し出して迎えに来たのに合わせもせずに追い返そうとするもんだから、つい頭にきちゃってさ。ごめんね?君のパパとママ、殺しちゃった」
ニコニコと笑顔でつむがれる言葉が、理解できない。
パパトママコロシチャッタ?
居間をぐるりと見渡せば隅の方に倒れる2人の人影。
紅い水溜りの中重なる様に倒れているのは……
「お父さん!お母さん!!」
慌てて駆け寄り縋り付く身体は、まだほんのり暖かかった、けれど、見たこともない苦しそうな顔で目を閉じた2人が希の声に答えてくれることは無かった。
………希は判った。
これは「死」だ。
希は言霊の力を持っているから、たくさんの言葉とその意味を教えてもらっていた。
けして、口に出してはいけない言葉も幾つかあって、それは、最たるものだった。
「良い?希。あなたの言葉は真実に近い。願いをかけてつむがれる言葉がそのまま現世になる事もあるのよ。だから、冗談でも言ってはいけない言葉があるわ。分かる?」
そう言って厳しく優しく教えてくれた母は、もう2度と動かない。
「希には難しいかな?大丈夫。一緒にゆっくり勉強していこう?」
そう言って撫でてくれた大きな手が希に触れてくれる事はもうない。
だって「死」んでしまったから。
「バチが当たったんだよ。僕からナツキを取り上げようとするからさ。しょうがないよね。愛し合う2人を引き裂こうとするからさぁ〜〜」
男が何かをベラベラと喋っている。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
『うるさい!黙れ!!』
希が叫んだ途端、ピタリと男の口が閉じた。
だけど、驚愕に見開かれた眼から、喋らないのが男の意志ではない事が分かる。
手で自分の口を触りこじ開けようとしている男に、ゆらりと立ち上がった希が向き合った。
その顔からは、ごっそりと表情が抜け落ち、いつもニコニコと笑っていた希とはまるで別人の様になっていた。
『あなたが殺したの?父さんと母さんを』
問いかける声は低く、まるでどこかを別の所から聞こえる様に虚ろに響いた。
声を出す事も出きぬまま男は、蒼白な顔でコクコクと頷く。
それをボンヤリと見つめた後。
『うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
希が叫んだ。
それは、慟哭だった。
聴いている人間の心臓がその嘆きに引き摺られギュッと痛むほどに締め付けられる。
『………でしまえ』
そうして、叫びがやみ再び訪れた静寂の中、ぼそり、と言葉が呟かれた。
「………え?」
思わず、聞き返したナツキの声に反応する様に、今度はハッキリと声がした。
『お前なんか死んでしまえ。父さんを殺した、母さんを殺した!!』
ナツキを抱いていた男の身体がビクンッと硬直するのを肌で感じながら、ナツキは信じられないものを見る眼で希を見つめた。
爛々と光る眼で男を睨みつけ叫ぶあの子は誰だろう。
私の知る少女は、くるくると表情が変わってとても明るい可愛い子で、私を見るときは少し心配そうに眉をひそめ、訳が分からぬままに一生懸命慰めの言葉をかけてくれる優しい女の子だ。
こんな、視線だけで人が殺せそうな顔でこんな事を言うような子では決して無かったのに。
『父さんも母さんも痛かった。苦しかった。怖かった。それよりももっとひどい目に合えばいい!』
叫びに反応する様に、男の体に異変が起こる。身体中の血管が不気味な程ボコボコと浮き出し、やがて切れて血を吹き出す。
相当な痛みが襲っているのだろう男は頭を抑えながら狂ったように床を転げ回っている、のに、口だけはきつく閉じられうめき声すら発しない。
それは、異常な光景だった。
転げ悶える男のドタンバタンという音の中、呪いの言葉は続く。
『苦しみ抜いて死んじゃえ!!』
「いやあぁぁぁ!!」
本能的な恐怖に襲われ、ナツキは悲鳴をあげていた。
これは。
この、異常な状況は、目の前の少女が起こしているのだと、理解した瞬間、ナツキの正気は消し飛んだ。
男がここに上がり込み、暴力を振るう間、何もでき無かった。恐怖にすくんだ身体はピクリとも動かず、自分を匿ってくれていた夫婦が刃物で滅多刺しにされるのをただ眺めていた。
体と同様固まった感情で、また、暴力にさらされる日々が戻ってくるのか、今度こそ自分も殺されるんだろうと、どこか他人事のように考えていた。
それが、今。
理解できない不思議な力で男は排除されようとしている。
だけど、それを救いに感じる事が出来ないほどに目の前の光景は陰惨で異常だった。
「いやあ、来ないで!化け物!!」
闇雲に叫びに部屋の隅に這いずり身体を小さく丸める。化け物の目から少しでも自分を隠すために。
そんなナツキの様子も今の希の目には映っていなかった。
ただ、全身から血を流し転げ回る男の姿を虚ろな瞳で見つめていた。
やがて、漸く男の動きが止まる。
静かになった部屋の中に、ナツキの呟く「いやいやいやいや」という小さな声だけが響いた。
希はボンヤリとしたままノロノロともう動かない父母の元に戻ると、その上にドサリと倒れこんだ。
血の気をなくした蒼白な顔の口元から一筋、紅が線を描いていた。
凄惨な光景の中、倒れた希の身体からスゥッと半透明の大人の希が抜け出してきた。
アァ、ダカラミタクナカッタノニ
泣きそうな顔で眼下に広がる光景を眺める。
この後、連絡の取れない希たちを心配した友達の親に発見されるのだ。
そうして、連絡を受け祖父が飛んで帰ってきて、自体の収集を測ってくれる。
『言霊の呪い』なんて、現代社会で理解される訳もなく、希は無罪放免。
男の死は適当な理由がこじ付けられたらしい。科学で証明できないものは、無かった事にされるのだ。
そして、希は呪いの反動か言葉をしゃべる事が出来なくなり、暫くは生きる屍のようになっていた。
と、ここら辺は大人になってから祖父に聞いた話だ。
父と母を思い出しては狂ったように泣く孫を哀れに思った祖父が、全ての記憶と力を封じてくれていたのだ。
幼い頃は、ある日父と母が殺されショックで記憶を失ったのだと教わっていた。
一応、記憶の方は封印を解いてもらっていたけど、長く封じていた反動か現実感が薄かったのに……。
生々しい光景に胸が痛む。
「血の匂いで思い出したのかな?それとも言霊の使いすぎ?」
この世界に来て、あまり苦労なく力を使えていたのは幼い頃の素地があったからだったんだ。
ちょっと違うけど、似たような物というか。
ため息をついて下を見ていると、誰かに呼ばれた気がした。
同時に辺りに光が満ち、景色が霞んで飲み込まれていく。
「時間、かな?」
トン、っと飛び上がれば最初とは逆に上へ上へと上がっていく。
最後にちらりと下を向き、父母にそっと手を合わす。
私の記憶の中に祈っても意味があるのか分からないけど。
そして、視線を上へと戻せば浮き上がるスピードがアップした。
眩しい光の渦へと吸い込まれ瞳を閉じる。
「あ、起きた。大丈夫?」
目を開ければ、懐かしい人が覗き込んでた。
まだ、記憶の中にいるのかな?
でも、ラッキー。久しぶりに甘えておこう。
「ハルチカさん。会いたかった」
腕を伸ばし抱き寄せ、軽く口づけてから、昔のように胸に頬を寄せる。
………あれ?少し痩せた?
顔をあげれば、頬を染め目を見開いた顔が至近距離にあった。
…………これは。
「ごめんなさい。寝ぼけました」
はい。陽哉くんでした。
その後、真っ赤になった陽哉君に「もう良いよ」と言質を取るまで謝り倒しました。
本当にごめん。
ファーストキスじゃ無いよね?
読んでくださり、ありがとうございました。