教訓3:素人は足を挟まないようにしましょう。
全ての人間がすべからく楽しいと感じている状況では、世の中はうまく動きません。
辛い思いをする敗北者があってこそ、初めて歯車がかち合い、回り始めます。
砂の味が気持ち悪いのです。
衝撃に巻き込まれまいと伏せた節のことです、口の中でジャリっとした感触が広がっていきます。
反射的に強く閉じられた瞼をゆっくり開けると、世界がぼやけて見えます。
私の目が焦点を合わせるのに、三秒ほどの時間がかけられました。やっとはっきりくっきりしてきた視界にはしかし、はっきりともくっきりとも見たくない、間違いなく私の世界の生き物とはDNA的に一線を画しているような巨体が映り込んでいるのです。砂漠と草原のちょうど境界のような風景を後ろに、今にもこちらへと襲ってきそうな体勢で。だけれども奴の人面の、偉人のブロンズ像のようなその顔の上で動く2つの目玉は、私を別段注視しているわけでもなく、今自身に敵対している全ての相手に平等に視線を降り注いでいるようで。
周囲に対する警戒心を心から身体まで顕にするその動物的な習わしはやはり、獣のそれに他ならなく、たとえ人の面を被った龍だとしても、龍は龍であるということを如実に表していると思うのです。
とか考えている間に、龍、襲来。
私が前回失神させてもらった初対面の龍とは違い、羽を持たないそいつですが、それでもやはり脅威であることには変わりなく、羽の代わりにとばかりに俊足を魅せつけています。
ああ、近づいてきます。昔博物館で見た、ティラノサウルスのような、後ろ足に栄養を根こそぎ取られたようなアンバランスすぎる前足に、しかしこれまたアンバランスな、足まで届く長い長い爪が片手に三本、両手に六本。
それが、こちらに。大体私の三倍くらいの身長。
相手がこうも大きいと、逃げられる足も逃げられません。
今にも腹をえぐられかねません。
私の視覚いっぱいに、砂にまみれた茶色い爪が広がります。
そして、その鋭い爪は私へ――。
――ではなく、突然私と龍の間に割り込んできた、屈強な男の人の方へと吸い寄せられて行きました。
セーフ。ラッキー!
「うお、危なかったな! 大丈夫か!」
こちらを見ずに、相手の攻撃を、……なんとギターで受け止める、割り込んできた男の人。
なんでしょう、この人は。
この瞬間、この人は辛い思いをする敗北者側だというのに、どうして笑いながら私の安否を確認し、それとなくニヤついているのでしょう。
マゾなのでしょうか。
……それともヒーロー気取り? ギターで?
そう考えると、別段私が攻撃を受けた所で何も出来ずただあの爪に串刺しにされて命を落とすだけだというのに、立場上主人公である故、襲われるその瞬間何か特別な力が発揮され、龍をワンパンで沈めるという絶好の活躍の機会が奪われてしまったような気になり、まあムカつきます。
思った以上にムカついたので、命がけで応戦中のその人の背中を思いっきり足裏で蹴ります。
「は、えっ!?」
戦況を引っ掻き回すだけの、足手まといにしかならない脳足りんな素人。
今の私を表すのに、これほどふさわしい肩書きもありません。
案の定、目の前で多分私を助けてくれたのでしょうその人は、助けた相手に、自らの背中を蹴りたき背中と思われていたとは梅雨ほどにも思っていなかったのでしょう。後ろから女性一人分の体重を込めたスタンプキックをくらい、前のめりによろめきます。こちらは背後なので顔は見えませんが、想定外の出来事で、おそらく相当間抜けな顔をしていると計り知れます。
それを勝機と感じたのか相手の龍。おそらく力の抜けているだろう腕に握られたギターなど枝ほどの脅威もないと言わんばかりに弾き飛ばし、獲物を失くし、動揺してる男の人に容赦無く爪を伸ばしていきます。
あれ、結構不味いんじゃないですかね、これ。
流石に私の責任で死なれると困る。
なんとかしないと!
「……っ、こっちだ、テメオラァああああああああああっ!」
気がついたら私、叫んでいました。
キャラを崩して、啖呵を切ってしまいました。
爪は男の人の眼と鼻の先でつっ、と止まります。すんでのところで、という奴です。
と思っていた束の間、その爪はこちらに牙を向けてきます。爪なのに。
ヒュッ、とか、そんな効果音も何もなく、瞬間移動のように私の眼前へと繰り出されます。よく考えれば、音が鳴らないのはこの世界では当たり前でしたけど。
ほんの数瞬で、爪の先の目と鼻の持ち主が私に入れ替わってしまいました。
避けましょうか。いや無理。そもそも次の瞬間当たる、というような状況なので。
弾きましょうか。いや駄目。その爪は到底、ワンパンで折れるようなやわこいものには見えません。殴った方も痛そうですし。
喰らいましょうか。いや論外。死にますし。ゼッタイ耐えれません。
ああ死ぬしかないんだ、もう無理だ、駄目だ、論外だ。さようなら。
私の名前は――。
「はい、そこまで!」
……そう言えば、言い忘れていました。
別に、何もできない木偶の坊状態の私と、何もできない木偶の坊状態になっている目の前の男の人のツーマンセルであの気味の悪い龍と相対していたわけではないのです。
龍を取り囲むようにあともう数名ほどが、私が襲われるその瞬間に助けに入ってくれたようです。
私を餌食にしようとしていたあの長い爪を、シンバルの縁で手首ごと切り払い落とす、そんな突拍子もない行動をたわいもなく行っている女の人が、先ほどの台詞を発した、ツラマさんです。私より明らかに年上なツラマさんは、どうやらこのグループ全体を取り仕切っているようで、とても頼もしいです。頼もしいので、以後名前呼びで。
『ガァアアアアッ!』
ご自慢の爪を文字通り根こそぎ奪われた龍は、その人間のような造形の唇から、獣まんまの苦痛の叫びをもらします。どうやら混乱しているようで、手当たり次第にそこら銃を、あと片方の腕に残る三本の爪で削りまわっています。
しかしそれもまた悪あがきに終わります。何故なら龍のふるうその腕に、長い爪などもうないからです。
「刃物振り回して、遊ぶんじゃねえよ」
そう格好つけながら、ラッパを構える男前の方が、アシラ。
私と同じくらいの年のようで、この流れだとどうやら、ラッパの名手のようです。
爪を正確に狙い、ラッパを吹きつけると、爪が音にかぶさるようにボロボロと折れ崩れます。その手さばきは流石で、その姿はまさに男前。男前なので名前呼びで。
「デーイ、捕縛!」
「はいよ!」
リーダーのツラマさんが指示を出したのが、このチームの参謀で、いろんな武器を開発している元加治屋のデーイさん。
何かバズーカのようなものを構えたかと思うと、龍の足元に向かって杭が打ち出されます。命中し、深々と腱にささる杭は、よく見るとあんなに大きな龍をそれだけで伏せさせてしまうほどの力があるようです。
倒れた龍に向かって、今度は節々に重りが乗った大きな網を、これまた別のバズーカ砲で投擲するデーイさん。見事、龍はネットの中で羽交い絞めになります。その鮮やかな手さばき、名前呼びをせざるを得ません。
というか、楽器じゃないんですね。
もがき続ける龍は、しかし止まらないラッパとシンバルの猛攻、というか演奏会に、だんだんと弱り始めていっているようで、少しずつ動きが鈍くなっています。網を破る力も方法もないようです。少し可哀想にすら見えてきたその矢先。
「トドメだぁあああああああああああっ!!」
息絶え絶えの龍の首の上で、これでもかと言わんばかりにギターをかき鳴らす男が、先ほど私をかばったくせして何もできなかったカカシ野郎です。確か名前はアジフと言ったような気もしますが、名前を呼ぶ理由もありません。今後とも「男の人」で。
キンッキンのギターの音は、それこそ鋭く尖ったナイフのように龍の首に傷を付けます。
そうやってメッタ斬りにされたことで、いよいよ完全に息の根が止まった龍ですが、その巨体の亡骸の上で誇るように演奏を続けるあの男の人を、私は心底軽蔑します。
「よくやったわ、アジフ」
「トドメを刺すところは、流石エースというところか」
「調弦したばかりだからか、ギターの調子もいいな。今後も頑張ってくれよ?」
けれども軽蔑しているのは私だけのようで、ツラマさん以下メンバーはあの男の人を褒めたたえています。信じられません。トドメというのはそれほど価値のあるものなのでしょうか。それまでのお膳立てに何一つ参加してないあの男の人に、それほどの価値を付加できるものなのでしょうか。
何か忘れているような気もしますけど。
彼が今回の戦いでロクに活躍できなかった理由に、私が関わっていたような気もしますけど。
「あ、お前! なんで俺の背中を蹴りやがったんだ!」
あ、突っ込まれた。
「あ、えっと、その……」
気まずそうに、黙る私。
イットイズ演技。
「……ごめんなさい……ちょっと、あの爪のせいでパニックになって……
悪気はなかった……んだ……けど……」
イットイズ演技。
「アジフ! こんなか弱い女の子の顔を曇らせるなんて、男の風上にもおけないわよ!」
「えぇ!? いや、だって……か、か弱い!?」
ツラマさんを味方に引き寄せます。こうなればこちらのもんです。
ていうか、なんでしょうその疑問符は。失礼な。
「……あー、まあ悪気がなかったんなら、しょうがない、な……うん」
どうやら、しょうがないらしいです。悪気プンプンだったんですが、いいのでしょうか。
「さて、どうせ顔の部分は硬くて食べらんないし、ていうかデカいし。腹肉だけ貰って帰りましょうか」
「ラムベなんて、毛皮はないしランクも『ピアノ』だからどこにでもいる。腹肉の柔らかさ以外いいことなんてないですしね」
「こんなの、一々爪をもぎ取って報告してたら逆にクートカが弱小チームだと思われかねないしね」
この会話、何を言っているのかさっぱり分からないのは私も同じです。ただ、クートカっていうのはどうやら、このチームの名前のようです。ていうかツラマさんの背負ってるその腹肉、やっぱり食べるのでしょうか。
「……とまあ、せいぜいこんなところよ。ウチのチームはこんなとこ。どう?」
どう、と言われても、よくわからないのです。
そもそも、この「体験実習」的なもの自体、無理やり連れ込まれてきたものですし。
数時間前、初対面だった皆さんの自己紹介を聞かされ、私も自己紹介をしなければならなかったのですが、名前だけ告げた後、どうやら自分は異世界から来たっぽいことを伝えるか否か迷い、無言で考え続けていました。
するといきなり「じゃあ、ウチのチームの実力をお見せするわ」とかなんとか言われて、病床に就いていた私はツラマさんに引っ張り出されてきていたのです。
何がじゃあ、だったんでしょうか。今でもさっぱりわかりません。
だから、「どう?」と言われても、何に対する「どう?」なのかよくわからないのです。
正直に言いました。
「どう、と言われても……よくわかりません……ていうか」
「なんで楽器で龍を倒せるんですか?」
この質問がきっかけで、私がこの世界の人間でないことがバレることに、この時点で私は気付いてしまっています。
しまった、とか思いながら。
今回からファンタジー、スタートです。