お肉のシチュー
モコミチ君の厚いビーフを見た瞬間、あ、一本短編書けると思い、通勤のバスの車内で書きました。
日テレ系を朝からは見てます。
朝、テレビでイケメン男優が厚い肉からビーフシチューを作っていた。
クリスマスの夜にでもどうぞ、という訳だ。
美味しそうだった。
だけど‥‥‥
以前、住んでるところの近くのショッピングセンターに『スタミナ軒』という肉屋さんがあった。
店頭に大きな看板があり、にっこりした牛、笑顔の豚、笑う鶏が並ぶ漫画が描いてあった。
肉牛の立場になったら、その目的のために種つけられ、餌を与えられ、育てられ、殺され、肉としての商品として売られていく。
各家庭で、焼かれ、煮られていく。場合によっては最高の笑顔とともに‥‥
肉牛に魂があれば、一生を通じ笑顔を浮かべる瞬間はないはずだ。
彼らに言葉があれば、僕らのことを《殺したがる鬼ども》と称すはずだ。
彼らは食べられる運命だったんだから、せめて食べる前に《いただきます》《いただかせていただきます》などと手を合わせる礼節を払えば問題ないのかもしれない。
本当は、肉屋に笑う豚を看板として飾ってることに、特に違和感はない。
食われるだけの運命を呪う豚の顔の絵があってもメシが不味くなる。
だがしかし、生まれて育ち、クリスマスともなれば異性と祝い、それから、搾取され、毟られていくだけの我々の姿。
政権交代で唯一の功徳があったとすればそれは、丸裸にされ、殺されていく《屠殺場》に我々はいるという現実に気づかせてくれたことだ。
搾取され続けてる僕は豪華なビーフシチューには届くわけもなく、レトルトシチューで当日を祝うこととした。
肉だけに皮肉は利かせた積りです。