第二話; 合戦
何の根拠もないはずなのに、あなたは死んだと言われれば少しは動揺するものだ。
いや、見ず知らずの老婆が、しかも天使と言い張る人から言われたからかも知れない。
テーブルにあったお冷を少し飲む。
動揺を隠すつもりで冷静ぶってはいたが、十中八九この老婆には見抜かれていたに違いない。
でも大丈夫、こうして喉を通るお冷は冷たいと感じるし、第一、普通に生活している。
少し考えれば、落ち着きを取り戻す事に成功した。
「残念だけど、これは事実なのよねぇ」
「いえいえ、現に僕はこうして普通にカフェに居ますし」
「皆そう言うのよねぇ。ちなみに、あなたの素性を詳しく知らないのは、成仏局から渡されたあなたの資料をまだ目を通していないだけ」
大宮真吾、23歳。
大阪府富田林市にて大宮勉、めぐみの次男として生を授かる。
姉には美香。
大きな蒙古班がなかなか消えず、両親を悩ませたが健康上問題はなく、順調に成長する。
一歳を迎えた時、父、大宮勉の仕事上の都合より埼玉県春日部市に移住する。その際に……
科学者の研究資料のような分厚い束の紙に、僕の今までがずらりと記述されている。
家族にしか分からない事や本当にどうでも言い事までくまなく記されていた。
なるほど、映画みたいな展開だ。
正直な所、この老婆が天使であるか、そうでないかを見極める要素なんて、僕の素性を知っていたり、背中から羽が生えていたりはたまた、頭上に電灯のような丸いわっかが浮いているとかそんな事ぐらいしかなかった。
しかし、彼女が天使である事を認めるのは、それは僕の死を認めるのと同じだ。
もっと天使について研究すれば良かったとお門違いな後悔をする。
この老婆が天使でないという決定づける情報が僕にはあまりにも少ない。
その中で僕の素性を知っているという要素は、この老婆が天使であるという余りにも有力な要素だ。
でも、でも…羽が生えていない、わっかもない。
何より、天使は老婆なんかじゃない。
そういった要素が、僕をまだ支えていた。
「有名な探偵か何かに依頼したものでしょう?そんなの、調査すれば分かる事です。」
「あら、強情っぱりねぇ。あなたモテないでしょ。頑固ですもの。」
認めてたまるか。世界を敵にしてでも認めてたまるか。
「ほらこれ、あなたが身に着けていたペンダント。ちょっと血まみれで分かりづらいけど」
間違いなく僕のだ、しかも血まみれ。
これは、裁判の行方を決定付けるような証拠が出てきた。
彼女が天使であると書いた天秤皿が大きく下に傾く。
濁流に飲み込まれていく僕がいる。
辺りに藁でもいいから根付いていないか必死に探した。
「は……羽が生えていない、そうです、羽が生えていないじゃないですか!天使は羽が生えているものです!そうだ、そうに違いない!」
彼女はため息をつきながら、そっと僕に背中を向け、ワンピースを少しずらす。
ちくしょう、ちくしょう……天使の羽が折りたたみ式なんて聞いてないぞ。
もう、頭上に浮くわっかとか老婆とかどうでも良かった。
錦旗を掲げる薩長軍の前に立ち尽くす幕府側の田舎侍かの如く、戦意を失っていた。
「やっぱり羽を見せるのが一番効くのよねぇ。でも恥ずかしいのよねぇ。一応女だし。ほんとは天使に男も女もないけどねぇ。そもそも、人間が勝手に作った天使のイメージが厄介なのよねぇ。まぁ、裏を返せばそれに沿った姿形をすればすぐに認めるってわけか。いっちょ、上司に提案してみようかねぇ。このやりとりはいちいち面倒臭いの。」
独り言のように喋る天使のみつさんを忘れて、僕はずっと窓から見える風景を眺めていた。
エプロン姿のまま歩く母親が幼稚園の制服を着た子供と手をつないで、さっき自分とみつさんが歩いていた木漏れ日歩道を歩いている。
僕は将来、家庭を持つ事ができないのかと思うと、うっすらと涙が浮かんできた。
そうか、僕は死んだのか。
それからみつさんは、大まかに事情を説明してくれた。