第4話 理想(後編)
相変わらずの強メンタルでカリムを言い負かしたセレナ(笑)
そんな時、現れたのは―――?
「――ずいぶんと面白い話をしているな。姫君が武官に務めを尋ねるとは、私も初めて聞いた」
低く澄んだ声が書庫を切り裂いた。
振り返れば、青い瞳を持つアルシオン王太子が立っていた。
リサは慌てて深く身を折り、裾を握る手が小さく震えた。
カリムは即座に片膝をつき、拳を胸に当てる。
セレナの心臓は跳ね上がり、胸奥でざわめきが波紋のように広がる。
すぐさま両手で裾をつまみ、深く頭を垂れた。
石床に沈んだ三人の影を、冷ややかな青の眼差しが覆った。
陽光を背に立つアルシオンの胸当ては、青銅の飾りを鋭く反射していた。
その片手には、巻物が握られていた。
(ああ…そうだった。この人は勤勉家だったわ。書庫に現れるのは当たり前よね…)
けれど胸のざわめきは増すばかりだった。
(この人とサフィアの関係を知ってしまった今、どんな顔で見上げればいいの…)
「…顔を上げよ」
低く鋭い声が落ち、書庫の空気が一層張り詰めた。
セレナは喉の奥で小さく息を呑み、裾を握る指先に力を込めながら、ゆっくりと顔を上げた。
氷の冷たさと燃える意志を同居させた青の視線が、真正面から射抜いてくる。
一拍の沈黙。
アルシオンは腕を組んだまま口を開いた。
「…もし、この国が戦をしない王国になったら――お前はどこに立つ?」
「それとも、その時は傍観者になるか?」
石壁に反響する問いは、アルシオン自身の覚悟すら問う響きを帯びていた。
(殿下が、この姫にそこまでの問いを投げかけるとは…)
カリムは視線を伏せぬまま、胸奥にざらりとした違和感を覚える。
(サフィア以外に心を揺らすように見えるなんて――気のせいか?)
セレナは呼吸を整えるように深く息を吸い込んだ。
(しまった…余計なことを聞くんじゃなかった)
(それにしても…こんな問いを私に投げ返すなんて、この人…何を考えているの?)
セレナは青い視線を真正面から受け止め、落ち着いた声で言葉を放った。
「…殿下。その時は――この大陸に傍観者はいなくなります」
凛と響く声に、リサは息を止め、カリムの瞳もわずかに揺らぐ。
青い瞳が細められ、ほんの僅かに光を帯びる。
「…面白い」
短くそれだけを残すと、青紺の衣の裾を翻して扉へ向かう。
革靴の音が遠ざかり、扉が閉ざされた。
残されたのは、巻物の匂いと三人分の息遣いだけ。
石壁にその重さが染み込むように広がっていた。
(…殿下に正面から物を言い、“面白い”とまで言わせるとは。やはり只者じゃねぇな、この姫は)
◆
(…あの姫。迷いながらも、まっすぐ言葉を返した。
“傍観者はいなくなる”――妙に胸に残る言葉だ。)
青い瞳は前を見据えていたが、脳裏にはセレナの姿が焼き付いていた。
(俺は戦場で仲間を失った。もうあんな惨状は繰り返さない。
サフィアを泣かせぬためにも、この国を戦に巻き込んではならない。
…それでも、異国の姫の一言が胸に刺さるのはなぜだ)
軍歴で鍛えられた足取りは揺るがず、だが胸の奥には針のような小さな棘が残った。
(…いや、考えすぎだ。あれはただの正妃候補のうちにすぎない。
俺の道は揺らがない。隣に立つのはサフィア――彼女こそが俺の支えだ)
唇を固く結び、歩調をさらに早めた。
まるでその棘を振り払うように――。
◆
書庫に静けさが戻ったころ、美月は胸の奥のざらつきを抑えきれず、無意識に吐息を洩らした。
「…殿下は、なぜ私にこんな問いを投げかけられたのでしょうね…」
誰に向けるでもない独り言。
リサは息を詰め、美月を見つめたまま言葉を失う。
カリムは腕を組み、眉を寄せて黙した。
(正妃候補なんざ飾りのはず…それを殿下がわざわざ問いかけた。…やはり、この姫に何かを見ておられるのか)
喉仏がひとつ動き、答えかけて――しかし言葉を飲み込み、かわりに低く息を吐いた。
「…さぁな。殿下のお考えは、俺にも読み切れん」
淡々とした声に潜む熱が、静かな空気をわずかに震わせた。
◆
薄闇の中、青銅の油灯が寝台を柔らかく照らす。
軍装を解いたアルシオンは片肘をつき、じっとこちらを見ていた。
その碧眼の奥には戦場の冷たさも後宮の駆け引きもない。ただ、私だけを映すまっすぐな光がある。
「今日、後宮で面白い女に会った」
不意の言葉に、眉がぴくりと動く。
(…思い当たるのは、あのルナワの姫――セレナくらい)
姿を見たのも一度きりで、言葉を交わしたわけでもない。
けれどアルシオンの口からその話題が出るとは思わず、胸の奥に小さな波が立った。
「お前、正妃ってどう思う?」
唐突な問いに目を細める。
正妃――響きは立派だが、私には遠い話だ。
王妃の衣を纏っても、彼の傍で剣を握ることは許されない。戦場で背中を守ることもできない。
そんなのは、私じゃない。
「…別に欲しいわけじゃない。今のままで、私は十分」
そう言いながら、胸の奥にひりつくものを押し込める。
私の居場所は、寝台の隣か、戦場の横。冠でも玉座でもない。
今こうして彼の隣にいる――その事実だけが、私を生かしてくれる。
アルシオンは私の返事にわずかな笑みを浮かべた。
「俺は…好きな女を正妃にしたい」
迷いのない声が体の奥深くに沈んでいく。
(…ほんと、真っ直ぐだ)
誇らしくて、少し怖くて、でもたまらなく嬉しい。
もしその「好きな女」に、私が含まれていなかったら――
その時、私はどこへ行くのだろう。
私はそっと彼の胸元に額を押し当てた。
(このままでいい…でも、もしその日が来たら)
言葉にならない思いが、心の奥で静かに熱を帯びる。
アルシオンが髪を指に絡める。
「…お前は本当に変わらないな」
「なにそれ、褒めてるの?」
軽く返しながらも、全身がやわらかな温もりに包まれていく。
胸板越しに伝わる鼓動と体温が、ゆるやかに自分を縫い止めていた。
この温もりを守るためなら、私の手はまた剣を取るだろう。
アルシオンは低く笑い、額を寄せてくる。
吐息が頬をかすめ、指先が髪をそっと撫でた。
「褒めてる。俺は、その変わらないお前が好きだ」
(…ああ、やっぱりずるい)
ためらいなくそう言ってくれる彼を、信じたいし信じられる。
たとえ外の世界がどうなろうと、この瞬間だけは奪わせない――そう心に決め、彼の胸元に額を押し当てた。
◆
美月は巻物をくるりと繰り、ふと図絵に目を止めた。
城から遠くに延びる線の上に、四角い印が点々と並んでいる。
「…兵の並びより、道のほうが丁寧に描かれているのね」
リサが覗き込んで小首を傾げる。
「面白いのですか?」
「そうね、そこそこ」
笑いながらと答え、指でその線をなぞる。
だがそれ以上は説明せず、すぐに巻物を閉じた。
リサは一瞬名残惜しげに図を見つめ、それからぽつりと漏らす。
「…でも、美月様。あのカリム様によく言い返せましたね」
美月はぱちりと瞬きをして顔を上げる。
「…”あのカリム様”?」
「…武官の中でも、怖いっていうか…誰も逆らえないっていうか…」
セレナはきょとんとした表情でリサを見た。
(…そうなんだ。まぁ確かに顔はいかつかったけど…)
わずかに口元を緩め、
「裏表のない人だから、特に怖いとは思わなかったわ」
(…人間の裏の顔は怖いからね。悪魔よりも――)
声は穏やかで、肩の力を抜いたような調子。
ふっと浮かんだ笑顔の奥で、別の思考がひょいと顔を出す。
(…そういえば。あの人は、サフィアと殿下の関係をどう思っているのかしら…)
軍記を閉じた余韻とともに、胸の奥で小さな疑問が波紋のように広がっていった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
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Twitter始めました!裏話とか載せる予定ですのでよければ覗いてください→@serena_narou
本日短編公開しました!本編とは全く関係ないです!
タイトル:君しか見えない(笑) ~前世持ちの私、即離婚します♡~
https://ncode.syosetu.com/n6979kz/1/
1700文字程度ですのでサクッとポテチ感覚でお読みください!
次回は 9/5(金)21時 を予定しています!
予約掲載してますが、出産控えてますのでずれ込む可能性がありますm(__;)m
なるべくおまたせしないよう心がけますので、その際は暫しお待ち下さい。