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第4話 理想(前編)

アルシオンの正妃への思いが語られるところから幕を開ける。

彼の理想とは――。

「殿下――そろそろ正妃をお決めください」

ザリーナ王妃の声が石造りの執務室を重く満たした。


「…またその話ですか」

アルシオンは羊皮紙から顔を上げず、低く吐き捨てる。


「“また”ではございません。国王陛下もご高齢。後継を盤石にするためにも、早急に」

微笑みながらも揺るぎない王妃の瞳に、アルシオンは短く息を吐いた。


青銅縁の石卓には粘土板と羊皮紙が幾重にも広がり、軍報や交易路の見直し、各地の関所の管理、偏る物資供給の是正――国を動かす課題が山のように積み重なっている。

老王が政務から遠ざかる今、その重荷はすべて彼の肩にのしかかっていた。


「……」


葦筆を置き、溜め息を吐く。政務の重さと王妃の圧が胸を締めつける。


だが“正妃”という言葉に触れた瞬間、脳裏には嫌でも過去が蘇った――。



かつて、政略結婚で迎えた妻がいた。


有力諸侯の娘――美しく、立ち居振る舞いも完璧。

当初は互いに探り合いながらも、アルシオンは努力して寄り添おうとした。


好みを覚え、儀礼にも共に臨み、祝宴にも顔を出すことも厭わなかった。


だが、彼女の奔放さはやがて露わになった。

他国使節との密会、宮の規律を破った外出。

遠征に出ていた数か月の間に、別の男の子を身ごもっていた。

帰国した日に、侍女が震える声で告げた真実。


怒りよりも胸を満たしたのは、虚しさだった。


その場で離縁を申し渡し、彼女は実家に戻された。


「…もう、形だけの結婚はごめんだ」


あの日、自分にそう誓った。



戦場にいる間は、その誓いを忘れるほど日々が忙しかった。


だが、ある前線の夜、訓練場で青銅剣を振るう若い女兵の姿に目を奪われた。

泥と汗に塗れ、必死に踏みとどまるその姿。


「腰が浮いている」


思わず声をかけると、彼女は真っ直ぐこちらを見返してきた。

切れ長の瞳が炎のように揺れ、その奥に迷いはなかった。


後に知った――彼女がサフィアだと。


その後も幾度となく顔を合わせた。

危地で背を預け合い、矢雨の中で兵を救い、死線を共にくぐった。


サフィアは階級も立場も関係なく、アルシオンを“王子”ではなく一人の戦士として見てくれた。


(…あれが、嬉しかったんだ)


地位や名声ではなく、剣を振るう自分に心から敬意を向けてくれた。

その純粋さが、どれほど自分を救ったか――今も忘れられない。


そして今、彼女は己の隣にいる。

戦友であり、恋人であり、唯一無二の理解者。


(…正妃にするなら、俺はもう迷わない)



「……私の正妃は、私自身で決めます」


アルシオンは葦筆を置き、まっすぐにザリーナ王妃を見据えて言った。


王妃は小さく笑みを浮かべる。

「では――その時を気長に待ちましょう」

衣の裾を揺らし、静かに退いた。



数日が過ぎた。


初日以降、表立った嫌がらせはぴたりと途絶えている。

廊下ですれ違えば、側室たちは視線を逸らし、口元を引き結ぶ。


耳に入るのは、せいぜい遠くからの影口程度。


(これくらいなら、どうってことないわね)


着替えを手伝いながら、リサがふと笑みを含ませて言った。

「…やっぱり、あの日の牽制が効いたんですよ」


セレナは帯を締めながら、軽く肩をすくめる。

(私…そんなに怖かったの?)


「上出来だったと思っておくわ…」



石畳に硬い足音が響き、重厚な扉が押し開かれた。

革鎧の匂いが流れ込み、乾いた空気に鉄と汗の匂いが混じる。


机に向かっていたセレナは、ぱたりと羊皮紙を伏せて顔を上げた。

そばにいたリサはびくりと肩を震わせ、机の端をぎゅっと握りしめる。


現れたのは、浅黒い肌に汗の跡を残した男。肩にかけた外套は乱れ気味だが、立ち姿は揺るぎない。

書庫の静謐を破り、武官の気配が空気を引き締める。


「――やっぱり書庫にいたか。暇つぶしに巻物を漁るとは、物好きなお姫様だな」


低く掠れた声に、リサが再び肩を揺らし、怯え混じりにセレナへ視線を流す。

(好きで暇を持て余しているわけじゃないのに……)

心の中で小さくムッとする。


男はちらと侍女を見やり、すぐにセレナへと目を戻した。


「俺はカリム。殿下直属の近衛副隊長だ。サフィアの幼馴染って言えば分かりやすいか」


その名を聞いた途端、セレナの肩がぴくりと動いた。

リサの瞳がわずかに揺れる。


カリムは一歩近づき、声を落とす。

「単刀直入に言う。……彼女を泣かせるような真似はするなよ」

石壁に低い声が重く響き、書庫の空気がぴんと張りつめた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

ブクマや感想を頂けると、とても励みになります_(._.)_

Twitter始めました!裏話とか載せる予定ですのでよければ覗いてください→@serena_narou

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