第5話 宴
……殿下に“良縁の宴”の許可をいただけて嬉しかったのも束の間――
「姫様のお考えですから、ぜひ段取りもお任せを」
にっこりとしたナヴァリスの一言で、すべてが決まった。
客人の名簿、料理や楽の内容、招待状の文面。
机上はたちまち薄板の山となった。
丸投げするなんて。
……確かに、言い出しっぺだけど。
それでも手は止められない。リサは夜更けまで筆を執り、女官は衣装や装飾案を出して支えた。
アシェラやアナヒータは座の務めの合間に、小道具や舞台を手配し、
冷ややかなレイラでさえ「失敗すれば後宮の恥」とぼやきつつ、帳簿整理に加わった。
ありがたかった。
皆の手がなければ、とても形にならなかった。
それでも、微笑む後宮監の顔が脳裏から離れない。
こうして慌ただしい日々は過ぎ、宴の当日が迫った。
高鳴りと不安と期待がないまぜのまま、セレナはその時を迎えようとしていた。
宴の当日、控室は香が満ち、化粧の筆が頬をなぞるたびに息が浅くなる。
「姫様、少し動かないでくださいませ」
侍女に窘められても、口元だけは勝手に上がってしまう。
唇に紅、髪に飾り。鏡の中の自分は疲労の影を残したままだが、少女のように輝いて見えた。
「姫様、本当に楽しそうですね」
リサが笑いを含んで囁く。
セレナは頬を染め、目を伏せた。
「だって……わくわくしているもの」
今宵は妃候補だけの宴。――女官や侍女たちは当日の準備や応対に追われ、参加には至らなかった。
「ねえ、リサ。今回は妃候補だけの宴だけれど……
次は内命婦のみんなのためにも、小さな“縁談の集い”を後庭で試してみたいの」
リサの目が丸くなり、すぐに熱を帯びる。
「……セレナ様……!本当に……?」
「ええ。だって、皆だって出会いの場、欲しいでしょう?」
やわらかに微笑むセレナの声に、リサは強く頷いた。
「はい……! 私……セレナ様についてきてよかった……!」
そのやり取りを耳にした侍女たちが、そっと顔を見合わせる。
「……素敵……」「本当に、あの方なら……」
喜びを押し殺すような囁きが広がり、控室の空気がほのかに熱を帯びた。
セレナはそんな声に気づき、息をひとつ飲んで立ち上がる。
侍女たちに囲まれながら、回廊へと歩み出た。
セレナは肩をそっと落とし、口元だけ整えた。
前世で友達と身につけた“立ち回り”――使う時が来たわね。
灯火の並ぶ道を進むごとに、喉がからりと乾いていく。
“婚活は戦場”
――戦いの場に出る気持ちで、臨まないとね!
目を合わせて微笑む、会話の聞き方――
一つひとつ思い返し、セレナは扉へ歩を進めた。
◆
会場の大広間は灯火と布飾りで彩られ、果実と香の甘い匂いに包まれていた。
セレナは足裏に力を入れ直した。
妃候補たちは色とりどりの衣を揺らし、各国の使節達と談笑している。
黒紺の礼服のナヴァリスが進み出る。
「本日は、陛下の御厚意により各国の使節と妃候補を交え、盛大なる宴が催されます――」
口上に視線が集まる。
そこへ、奥から低い靴音。
黒地に金糸の礼服をまとったアルシオンが舞台へ進む。
「諸国の賓客に感謝する。
この宴は我らの友誼を深め、新たな縁を結ぶためのもの。
互いに心を開き、今宵を楽しんでほしい」
力強い挨拶に拍手が湧き、楽が満ちた。
壇上に立つアルシオンは、広間の流れを点検するように目を走らせた。
その眼差しがセレナを一瞬だけ掠め――すぐにラシードの方へと戻った。
目が合った?……気の所為よね。
胸の奥に熱が広がる。
殿下がこの企画を認めてくださったおかげね。
――ありがとうございます!
◆
宴は本来、席を立つものではない。
だから、出会いが限られてしまう。
壁際の卓には肉や果実、香辛料の煮込みが並び、
人々は自ら杯を受け取り、皿を選んでいく。
だから、あえて“立ち上がらせる”仕組みにした――前世で言うビュッフェスタイル。
この案を出した時、ナヴァリスはわずかに口端を動かした。
「……奇抜ですが、合理的ですな。人の流れが生まれる。――姫様らしい」
使節と妃候補は自然に立ち、同じ卓で言葉を交わしている。
セレナは広間全体に目を走らせた。
うん、回ってる。
戦場みたいな緊張と、恋みたいな高揚が、胸の内で入り混じる。
よし、いよいよ“立ち回り”の出番!
杯を受け取ったセレナは、隣に立った若い使節へふっと目尻を和らげる。
「遠路お疲れさまでございます。お衣装もとても素敵で……きっと皆の目を引かれますね」
思いがけない褒め言葉に使節は頬を紅潮させ、配膳担当の侍女が驚いて口元を押さえた。
ふふ、やっぱり効く。
“目を見て笑顔で褒める”……定番ね!
別の客人には身を少し傾け、話を聞く姿勢で応じる。
「……ええ、わかります」
そのひと言だけで相手の顔がぱっと明るむ。
皆ごめんね、この戦……私が勝つ!
ふと視線を向けると、人だかりができていた。
「まあ、あれが近衛副隊長殿……」「背が高くて凛々しいわ……」
礼服に身を包んだカリムが、人目をさらっている。
その眉間には、見事なまでの不機嫌のしわ。
……本当にモテるのね。
少し前。
「副隊長殿も参加を」
「……姫様、勘弁してくれ」
「貴方に参加してほしいって希望者が多いの!お願い!」
――と、セレナが半ば押し出した結果である。
相変わらずぶすっとしてるのに。
でもヘラヘラするよりも真面目でいいわよね。
その時、広間の別の輪がぱっと弾けた。
レイラが淡い金糸の袖を揺らし、北方の若い使節と杯を合わせている。
「まあ……貴国では祭礼の舞を“男”が舞うのですか? 興味深いわ」
扇越しの微笑みに、使節の表情がみるみる熱を帯びる。
そのすぐそばでは、ほかの妃候補たちが思い思いの輪をつくっていた。
端麗な黒髪の少女は、緑衣の青年に果実を勧め、
「この香り、お好みに合えばよいのですが……」と頬を染めている。
別の妃候補は、学問に明るい使節と地図を前に盛り上がっていた。
「この交易路……実は父が整備に関わりまして」
誇らしげに語る声に、相手の青年が目を輝かせる。
自分が仕掛けた場で、それぞれが輝き始める――
その光景が、どこか誇らしくもあった。
◆
高座のアルシオンは杯を手に、静かに場を見渡していた。
妙な仕掛けだ。だが、人の流れはできている。混乱もない。よく考えた。
使節達と笑顔を交わす妃候補たち。
その中で、ひときわ鮮やかな姿が目に留まる。
ルナワの姫――セレナ。
隣の使節へ柔らかく微笑み、言葉を交わせば、相手の表情がほどけていく。
作為のないそれだけで、場の空気が少しずつ変わっていく。
……よく通る声だ。無理も、媚びもない。
指先が杯の縁で止まった。
後宮が動いた理由も……こうして見ると、わからなくもない。
アルシオンは視線を逸らし、隣のラシードへ小さく息を吐く。
「……奇抜だが、悪くはないな」
ラシードが唇の端をゆるめる。
「姫様の企画にしては、上出来でしょうな」
アルシオンは答えず、杯を口に運んだ。
それでも、あの微笑みだけが目の裏に焼きついて離れなかった。
◆
サフィアはアルシオンの傍らで杯を抱え、輪の中を軽やかに渡るセレナを見つめる。
……なるほど。ああやって気を引くのか。
剣しか知らぬ自分にはできない技。戦場の采配のようだと、妙な感心が胸をかすめる。
セレナがわずかに見上げて笑う――波紋のように笑いが広がる。
不思議な人だ……自然と人を引き寄せる……。
だが次の瞬間、アルシオンの視線が一度、セレナへ向いたのを確かに見た。
……やっぱり、殿下の目を引くのか。
感心と苛立ちがないまぜになり、サフィアは指先に力を込め、背筋を伸ばした。
私は私のやり方で守る。
殿下の隣に立つのは、最後には私だけだ。
◆
セレナは人波の切れ目で立ち止まり、扇を胸に当てた。
……さて、私の王子様はどこかしら♡
セレナは各国の若い使節たちを見渡した。
皆、それぞれの国の色が出てるわね。
誰に声を掛けようかな。
砂漠の国の青年は琥珀の瞳を光らせ、陽の熱を含んだ声で挨拶を返す。
北の山岳王国の使節は寡黙ながら、銀飾りの揺れるたびに誠実さがのぞく。
大河上流国の青年は深い緑衣をまとい、湿った香草の香をまとっていた。
どの方も素敵……どうしよう!
頬を染めながら、セレナはまるで恋を探す乙女のように歩を進めた。
先生もこんな気持ちだったのかしら。
舞台の上からその様子を見つめる影に、セレナは気づかない。
賑わいの輪がいくつも広がる中、セレナは杯を手に、ぽつんと佇む妃候補の姿を見つけた。
誰とも話せずにいる?
ずっと一人で杯ばかり見てる。
「まあ、お隣よろしいかしら」
微笑んで声をかけ、果実を勧め、さりげなく彼女の腕を引いて輪へ。
最初はおずおずと、やがて頬にふんわりと笑みが灯った。
よかった……。
◆
広間の片隅で、ナヴァリスは杯を手に静かに場を眺めていた。
……あれは、北の山岳王国の使節か。あの家の娘と並べば、家格も悪くない
視線を巡らせる。
こちらは……緑の沃土の青年と、第二の席の娘。互いに顔色も良いな。
後宮でこんな光景を見る日が来るとはな。
家の娘と異国の若者が肩を並べ、時折、悪くない顔をしてみせる。
――誰と立てば、どの家が和らぐか。
宴は、本来こういう瞬間を拾う場だ。
だが。
視線の先、ひときわ人を集める輪があった。
セレナが誰かの腕をそっと取り、臆した妃候補を自然に会話へと繋いでいく。
褒め、聞き、笑い、背を押す。その仕草が波紋のように場を動かしていた。
……仲介か。まるで婚姻の斡旋人のようだな。
自分が前に出るだけでなく、他者を巻き込み場を整える女。
小さな力を組み合わせ、大きな流れを作ってしまう。
本来なら後宮縮小の口実に過ぎぬはず。
だが、姫様の手にかかれば一つの制度になりかねん。
芽は伸びた――もはや摘む機はない。
制御するか、それとも……。
その頃、人の輪の外れで、リサは誇らしげに目を細める一方、冷たい汗が背を滑った。
セレナ様。こんなに皆のために動かれて……。
ご自分の縁は、どうされるおつもりなのですか。
婚姻の場でありながら、姫は人の縁を結ぶに徹してしまう。
セレナ様……そろそろ、ご自分の未来のために動いてくださいませ。
◆
笑い声が重なり、杯が打ち鳴らされる。
セレナはその様子を見て、思わず口元を緩めた。
その直後、背後からリサの小声。
「ご自身のお相手に……声をかけなくて、よろしいのですか?」
「……!」
し…しまった…!!
楽が下がり、宴は締めへ。
あ……もう、終わってしまう……。
達成感の下に、ぽっかりとした虚しさが残る。
セレナは唇を結び、立ち尽くした。
宴が終わり、広間の余韻が薄れる。
ラシードが殿下へ寄る。
「殿下――ルナワの姫は仲介役に徹しておられましたな。ご自身の出会いは、結局なかったようで」
アルシオンの眉がわずかに動く。
「……」
「面白い姫君でございます。自らは手を伸ばさず、他人を縁へ導く……。
殿下のお傍に置いても、外へ送り出しても――どちらに転んでも波を立てましょう」
答えは返らない。青の瞳にわずかな影が残った。
廊下の陰でその横顔を見つめながら、サフィアは唇を結ぶ。
淡い期待がほどけ、サフィアは拳をそっと握りしめた。
◆
月光が中庭の泉に揺れ、花の影が風に震える。
セレナは石縁に腰を下ろし、深く息を吐いた。
達成感の下で、冷たい空洞がひっそり広がる。
誰とも縁がなく終わってしまった……。
――私何やっているの。
唇を噛む小さな笑いは、自嘲と悔しさの音だった。
泉の影を見つめていたセレナは、気配に顔を上げる。
月明かりに黒衣のアルシオンが立っていた。
「……殿下」
立ち上がろうとする彼女を、片手の仕草で制す。
「構わん。座っていろ」
低い声に胸が跳ねる。殿下は泉を挟んで向かいに立った。
セレナは水面を見つめ、指先をそっと握る。
「……だめでした」
アルシオンの青の瞳が細められる。
「誰にも選ばれないのは……やっぱり、寂しいものですね」
アルシオンは短く息を吐いた。
「おまえのように一人で立てる者を、恐れずに見つめられる者などそうはいない。
おまえが誰も選ばなかったのではない。おまえを、軽々しく選べる者がいなかっただけだ」
セレナは目を見開く。
「殿下……?」
「見ていた。おまえの仕掛けも、立ち回りも、全て。……誇れ、セレナ」
そう言って、ほんのわずかに視線を逸らした。
セレナは瞬きし、泉越しに彼の表情をそっと探った。
……よく、わからないな。
何も言えず、ただ——クスッと微笑む。
「ありがとうございます」
月光の中、泉はなお静かに揺れていた。
重なった影はほどけても、
その揺れだけは、しばらく消えなかった。
セレナ「お読みくださりありがとうございます(^^)
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