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転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
二章

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第5話 噂

後宮の回廊。午後の陽を受けた石畳を、侍女たちの笑い声が行き交っていた。


「聞いた? ルナワの姫様が“良縁の宴”を殿下に進言なさるとか」

「まぁ……ほんとに? 」


水桶を抱えた侍女が囁けば、隣で衣を畳む少女が目を丸くする。

「もし本当にあれば……わたしたちでも縁談の話に近づけるかも」


噂は、桶の水が受け渡されるより早く回廊を巡った。

侍女から妃候補へ、妃候補からまた侍女へ。

扇の陰で形を変えながら、それでも同じ言葉だけは残る。


「良縁の宴」――いつしかそれは、後宮全体をざわつかせる符丁になっていた。


そのざわめきはやがて、王宮の最奥――政務の中枢にまで届く。


窓外に夕陽が差し込む中、アルシオンは書状に目を走らせていた。


「殿下」

入室したラシードが軽く一礼し、言葉を置く。

「内廷より報が上がりました。……例のルナワの姫君が“良縁の宴”なるものを発案した由」


手を止めたアルシオンが眉をひそめる。

「良縁の宴……?」


「外交の大宴を、妃候補の“出口”と兼ねる。各国にとっても悪い話ではなく、

後宮縮小の口実にもなる――今や後宮では、その話で持ち切りでございます」


ラシードの灰色の瞳が愉快そうに細められる。

「お戯れと思いきや、意外と理に適っている。殿下に伝える価値はあると考えました」


アルシオンは書状を伏せ、わずかに息を吐いた。

「……なるほど」


(セレナが……“良縁の宴”を……)


報告の文面の向こうに、あの落ち着いた声と、迷いを隠さない眼差しがよみがえる。

――人を動かし、流れを変える。

彼女は、そういう種類の危うさを持っている。


ラシードは肩をすくめ、唇の端をゆるめた。

「……もっとも、姫様ご自身は後宮を出る気満々のようでしたがな」


その一言で、アルシオンの表情がぴたりと止まった。


「……」


視線を窓から戻し、冷えた眼差しでラシードを射る。

「軽口が過ぎるぞ」


「はは、失礼」

ラシードはわざとらしく両手を広げ、灰の瞳を細めて笑った。

「ですが殿下――この話が、後宮の空気を変えつつあるのは事実にございます」


アルシオンは答えず、再び窓の外へと視線を逸らした。

胸裏に去来するのは、サフィアの真っ直ぐな瞳。

そしてもうひとつ――“出ていく”という言葉が、妙に現実味を帯びて響く感触だった。





(……私の提案が、こんなに皆の興味を引くとは思わなかった)


外交の宴を“良縁の場”に――そう口にしたときは、軽く流されると思っていた。


けれど今、廊下を歩けば侍女も女官もひそひそと囁き合い、妃候補の部屋からは小さな笑い声まで洩れてくる。


(……皆、本当は望んでいたのね。後宮に縛られるより、自分の未来を選びたいって……)


その空気を肌で感じるだけでも驚きだったが、さらに思いがけない声を耳にした。


「……で、カリム様も出ないのでしょうか?」

「近衛副隊長殿なら、きっと注目の的ですよ」


セレナは思わず立ち止まった。

(……え? か、カリム様……?)


気づかなかった。

寡黙で実務に徹する近衛副隊長、殿下直属の忠臣。 

侍女や女官の間では、実はひそかに人気があったというのだ。


(……確かに、条件だけ見れば申し分ないわね。

頼りがいもあるし……顔はいかついけど)


意外な名前に、胸の奥で小さな笑いがこみあげる。


そして同時に、企てた宴が、自分の想像以上の速さで広がっていることを、ひしひしと実感していた。





夕刻の訓練場。木剣を収めながら、サフィアがふいに口を開いた。


「そういえば……聞いたぞ。宴の噂に、カリムの名前まで出ているらしいな」


カリムは眉をひそめる。

「俺の、名前?」


「ええ。“近衛副隊長殿も参加されるのかしら”って。女官たちが目を輝かせていたぞ」


カリムは短く息を吐き、顔を背けた。

「……勝手に言わせておけ。俺には関わりのない話だ」


サフィアは片眉を上げ、唇の端を吊り上げる。

「ふふっ……無骨で融通の利かない副隊長が、まさかの人気者。信じられないな」


「……からかうな」


不機嫌そうに返しながらも、耳は赤い。


サフィアは肩を揺らし、なお笑みを抑えられなかった。

「でも……真面目で誠実なところ、皆が惹かれるのかも」


その一言に、カリムの胸がわずかに軋む。

(……おまえにそう言われると、余計に堪えるんだ)



日が沈み、空が紫に染まる。訓練場を後にしたサフィアは、鎧の金具を押さえながら回廊へ出た。

夕陽が石畳を朱に染め、肌の熱をゆるやかに冷ます。


角を曲がった先で、ひとり歩くセレナと鉢合わせた。

白い衣が風に揺れ、ダークブラウンの髪が陽光にほのかな金を宿す。


「……セレナ殿下」


サフィアは立ち止まり、一礼した。


セレナは柔らかく微笑む。

「いつもご苦労さまです」


サフィアは軽く息を整え、言葉を続けた。

「この時間にお一人とは、珍しいですね」


「知ってる? “良縁の宴”。みんなの反応を見て回っていたの」


サフィアはわずかに眉を動かす。

「……そのような催しを、本気で?」


「ええ。皆が参加したがっていたら、殿下に進言しようと思うの。――その方が、あなたたちにも都合がいいでしょ?」


一瞬、風が止む。

サフィアの琥珀の瞳がわずかに揺れた。


「……セレナ殿下は、我らの都合までお考えになるのですね」


淡々とした声の奥に、かすかな棘が混じる。


「ご心配なく。殿下のお心を煩わせることなど、ございません」


セレナが何か言いかける前に、サフィアは一礼して踵を返した。

夕陽の中、背に長い影を引いたまま歩き去る。


セレナはその背を見送り、静かに息を吐いた。

(武官達の負担も減る……だから殿下に後押ししては、流石に厚かましすぎたかしら……)





甲冑を外し、髪をほどいたサフィアは、窓辺に腰を下ろして夜気を吸い込んだ。


(……後宮が縮む、か)


それはアルシオンの負担を減らし、同時に――あのルナワの姫に、外へ向かう理由を与える。


胸の奥に、静かな安堵が広がった。


(ならば……アルシオンの隣に残るのは、私ひとり)


唇が、自然にほころぶ。

まるで勝利のような錯覚が、甘く胸を満たしていく。


(剣で支え、盾となり、命を懸けて守ってきた。

……ようやく、報われるのかもしれない)


夜風が髪を揺らし、頬をなでる。

サフィアはそのまま瞼を閉じ、

――その思いが錯覚であることも知らぬまま、微笑んでいた。





寝所の帳の奥、灯火の柔らかな明かりが、肌と髪を淡く照らしていた。

サフィアが身を寄せ、彼の胸に頬をすり寄せる。指先が古い傷跡をなぞり、細く息を漏らす。


「アルシオン……」


呼ぶ声は甘く、安堵と渇きが混じっている。

アルシオンはその声に応えるように腕を回し、髪を撫でた。

体温が交わり、心臓の鼓動が一つに重なっていく。


(……俺は、これを望んでいたはずだ)


唇を落としながらも、胸の奥に小さな影が残る。

“自分こそが選ばれた女”という安堵と誇り――

それを壊す理由も、今はない。


(おまえのまっすぐさに救われた夜もあった。だが……)


指を絡めてきた手に、サフィアはわずかに力を込めた。

その温もりを抱き返しながら、ふと脳裏をかすめたのは、噂話の向こうにいる別の姿。


――「私は、一度きりの人生なので……誰かに愛されたい」


ラシードから聞いた“あの言葉”が、なぜか耳の奥に貼り付いたまま離れない。

まるで、自分自身がその場で聞いた声のように。


ただの夢想でも、戯れでもない。

胸の奥底から放たれた声だった。


(……なぜ、あの娘の言葉などに心を動かされる)


驚きではない。戸惑いでもない。

ただ、忘れられない。


義務でも体裁でもなく、“生”を選ぼうとするあの意志――

それが、どうしようもなく胸を刺した。


(……あの言葉ひとつで、後宮全体が揺れた)


侍女が囁き、妃候補たちがざわめく。

波紋のように広がるその余韻が、まだ胸の底で疼いている。


サフィアがさらに身を寄せ、「ずっと……そばにいさせて」と囁く。

その声音に、現実へと引き戻される。


アルシオンは小さく息を吐き、彼女の背を撫でた。

細くしなやかな髪が指に絡み、灯火が二人の影をひとつに溶かしていく。


だが、心の奥は別の場所にあった。

――触れているのに、遠い。


その距離を、彼自身まだ言葉にできずにいた。




セレナは、妃候補たちに個別に意見を伺って回った。


レイラは「殿下のおそばに仕える身として」と、きっぱり否定した。

けれど、その横顔には、ほんの僅かな揺らぎが滲んでいたように見える。


他の者たちも「必要ございません」と口では言いながら、視線を逸らし、扇の陰で笑みを隠した。

まるで本心を覆い隠しているかのようだった。


(……口ではああ言っても、実はみんな興味あるみたいね)


もちろん、アシェラのように率直に「ぜひ!」と応じた者もいる。

表立って賛同するのは少数でも、意外なほど希望者は多い。


(これだけあれば十分よね……殿下に進言してみよう!)


胸の奥で小さく息を吸い、セレナはその勢いのまま机に向かった。

筆を取り、細長い書板に、思いつく限りの言葉を書き連ねていく。


(目的とメリットを、どうまとめれば殿下に伝わるだろう……)


だが、筆はほどなく止まった。

こうした“企画書”めいた文を整えた経験など、一度もない。

結局、後宮監ナヴァリスの執務室を訪ねることになった。


「……なるほど。項目立て、ですか」


ナヴァリスは眉をわずかに動かし、書板を受け取る。


「目的、利点、予想される効果……。姫様、これは……」


言葉を切り、しばし文字の並びを見つめた。


「……正妃候補が、ここまで形にして持ち込まれるとは実に珍しい。

 殿下にお示しするに足る体裁でございます」


(ナヴァリスに評価されちゃった!)


その驚きの余韻を胸に、セレナは改めて筆を走らせた。


外交の宴を“良縁の場”に――


草稿は、ひとつの思いつきから、

“宮廷の制度案”へと、静かに形を変え始めていた。





陽が傾き、石壁の隙間から差す光が、積まれた書板を金色に染めていた。

政務の合間、アルシオンは机上に広げた書板へ視線を落としていた。


その背後で扉が開き、ナヴァリスに伴われてルナワの姫が入室する。

両腕には、細やかな筆跡の並ぶ数枚の書板が抱えられていた。


「……ルナワの姫か」


アルシオンが顔を上げ、静かに声を落とす。


深く一礼したセレナは、両手で書板を差し出した。

「殿下。“良縁の宴”について、要点をまとめてまいりました。

 どうかご一読いただければと……」


受け取った書板に視線を落とす。

簡素な筆致ながら、項目ごとに整理され、無駄がない。

まるで政務の一報告書のような体裁だった。


背後で控えるナヴァリスが、淡々と口を添える。

「前例はございませんが……正妃候補が、ここまで形にして持ち込むのは稀にて」


アルシオンは書板から視線を上げた。

セレナは裾を握りながらも、逃げない目でこちらを見ている。


(……一時の思いつきではない。

 構想し、まとめ、周囲を動かした……この短期間で、ここまでか)


書板の端を親指で押さえ、息をひとつ落とす。

「……なるほど」


セレナが、わずかに身を乗り出す。

「では……ご検討くださるのですか?」


「検討に値する、とは言った」


その一言に、セレナの頬がかすかに色づく。

一礼すると、書板を胸に抱えるようにして静かに退室していった。


扉が閉まり、執務室に静寂が落ちる。

机上に残された筆跡を、アルシオンはしばし見つめた。


(あの一言から、後宮をここまで動かしたのか……)

(……与えられた役割の外へ踏み込み、形を生み出そうとしている)


背後からナヴァリスが静かに言う。

「殿下にとっても、王宮にとっても好ましい案かと。

 後宮の縮小、外交儀礼の整備――理に適っております」


「……そうか」


書板を指先で押さえたまま、アルシオンは視線を逸らした。


「採用とお受け止めしてよろしいのですか?」

ナヴァリスの問いに、眉がわずかに寄る。


「……まだだ」


沈みゆく夕陽が、書板の上に長い影を落とす。

その光を見つめながら、アルシオンは静かに息を吐いた。


書かれた言葉の奥に、己の理想と響き合う何かがある。

それを認めることが――今はただ、癪に障るだけだった。




執務室を辞したセレナは、胸の鼓動がまだ熱を残すまま、待っていた妃候補たちに声を弾ませた。


「殿下が……“検討に値する”と仰ってくださったのよ!」


「まあっ!」

「それはつまり、前に進んだということですわね!」


妃候補たちの表情がぱっと華やぎ、付き従っていた侍女たちまで、思わず顔を見合わせて笑みをこぼす。

その熱気は、扉をひとつくぐるたびに後宮へと流れ込んでいった。


「ルナワの姫様の宴が、本当に開かれるらしい」

「殿下直々にお認めになったとか」

「これで私たちも……」


ただの“検討”に過ぎないはずなのに、後宮はまるで決定が下ったかのように浮き足立っていた。





夕刻の光が政務室の石壁に差し込み、書板の縁を淡く照らしていた。


扉が開き、王妃ザリーナが静かに歩み入る。

焔色の絹をまとい、扇を手にした姿は、場の空気を一瞬で支配した。


「“良縁の宴”の噂、聞いているわ」


ザリーナは扇を広げ、涼やかな視線をアルシオンへ向ける。


「……面白いことを思いついたのね。後宮も落ち着くし、殿下の負担も減るでしょう?」


「……王妃まで、ご存じでしたか」


「もちろんよ。後宮中がざわついているもの」


ザリーナは扇を胸に抱くようにして、柔らかく続けた。


「良いことだと思うわ。やってごらんなさい。

 皆のためにも――あなた自身のためにも」


その声音は甘やかだが、王妃としての鋭い洞察を含んでいた。


アルシオンは一度だけ静かに息を吐き、短く応じる。


「……わかりました」

セレナ「お読みくださりありがとうございます(^^)

感想をいただけたら、とても嬉しいです!」

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― 新着の感想 ―
最後の一押しは、王妃様かぁ・・・ アルシオンはまだ決断できていなかったはず。
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