転生姫はお飾り正妃候補？愛されないので自力で幸せ掴みます

一章

第10話 装飾（中編②）

夜の冷気が石畳を伝い、回廊に漂っていた。

遠くではまだ笛や太鼓が鳴り、宴の余韻が名残のように響いている。

サフィアは胸の奥に熱を抱えたまま、早足で歩いていた。

（殿下…きっと今夜は、私を呼んでくださる）

頬が自然に紅を帯び、握る手に力がこもる。

角を曲がった瞬間、薄明かりの中に人影が立っていた。

揺れる燭火に照らされたのは、セレナ。

伏し目がちなその姿は儚げながら、芯の強さを纏っている。

足音が近づき、サフィアは思わず立ち止まった。

胸の鼓動が速まり、沈黙が落ちる。

燭火がぱちりと弾け、視線が交わる。

静かに顔を上げたセレナの唇が動く。

「……あなたに、お尋ねしたいことがあったのです」

声は穏やかでありながら、響きは真っ直ぐで揺るがなかった。

少し間を置き、彼女は扇を胸に抱きしめるようにして続けた。

「今宵の宴での振る舞い――あれは殿下の正妃になる覚悟をもっての行いでいらしたのですね？

ならば……あなたは、どのような正妃を目指しておられるのですか」

問いかけが夜気を震わせた瞬間、サフィアの瞳が大きく揺れた。

琥珀色に宿る光は、反射的な驚きと――すぐに燃え立つような決意へと変わる。

「……私が目指す正妃は、ただひとつです」

言葉を選ぶように、小さく息をつぐ。

「殿下の隣で、殿下だけを見つめ続ける者…殿下が望まれるとき、いつでもそこにいる者。

たとえそれしかできなくても……私は、それを全てだと思っております」

その声音はまだ若さを含んでいた。

だが、それは愚かさではなく、ひたむきに一途な者の響き。

胸の奥に揺るぎない想いを秘めながらも、どこか切なげなほど純粋だった。

セレナはそっと瞳を伏せ、扇の縁を細い指でなぞりながら静かに言葉を落とした。

「……では、民は？国は？そのことについては…どうお考えなのですか」

夜風が回廊を抜け、二人の衣をかすかに揺らす。

問いかけは柔らかだったが、沈黙を許さぬ鋭さを秘めていた。

セレナの問いに、サフィアの胸がぐっと締めつけられた。

一瞬言葉を失い、視線を揺らしたが――やがて強い光を宿してセレナを見返す。

「……私には、政のことはまだ未熟でございます。

　民や国のことも、殿下や賢き方々に学ばねばならぬことばかりです」

正直に吐き出したその声は震えていなかった。

むしろ覚悟の硬さがにじんでいた。

「けれど――」

小さく息を呑み、胸に手を当てる。

「殿下が疲れて戻られるとき、傷ついて帰られるとき……寄り添うのは、誰かひとりでなければなりません。

　その役目だけは、私にしか果たせないのだと……そう信じております」

瞳の奥が微かに潤んでいる。

それでも笑みを浮かべるその姿は、痛々しいほどひたむきだった。

「命を懸けて殿下の隣にいること。

　それしかできなくても、それが私の全てです、正妃の価値になりませんか」

夜風がふっと吹き抜け、サフィアの黒髪を揺らした。

彼女の言葉は、幼さをはらみながらも健気で、胸の奥から絞り出された祈りのように響いた。

セレナの胸に、かつての夜の光景が閃いた。

慕っていた呪術師は、取り憑かれた少女を救えぬまま血に沈んだ。

泣き叫ぶ少女を抱きとめ、嗚咽を呑み込みながら悪魔を祓ったとき――

（もう守れるのは、私しか残っていないのだから）

その瞬間、自分が背負わねばならぬものの重みを知った。

静かに顔を上げ、セレナは夜風に揺れる扇を胸に抱いた。

「……殿下の隣に立つということは、殿下が背負う重みもまた、共に受け止めることになるはずです。

　その覚悟を……あなたは、もう胸にお持ちなのでしょうか」

柔らかく問う声は決して責める響きではなく、ただ真実を確かめようとするかのように澄んでいた。

サフィアの瞳が揺れ、次の瞬間に真っ直ぐ燃え立つ。

「……どんな務めが待ち受けていようと、どんなに険しい道であっても……私は殿下についていきます。殿下の隣にいるために……そのためなら、何も惜しくはありません」

その声音は痛々しいほど真摯で、ひたむきに一途な光を帯びていた。

セレナは瞼を伏せ、扇を胸に抱いた。

（……この子は、真っ直ぐに殿下を想っているのね）

その眩しさに、心の奥がふと揺れた。

「……そうですか」

短く落とした声は、静かに回廊に溶けていく。

一礼して背を翻すその足取りは、何ひとつ乱れてはいなかった。

◆

扉が閉まる音と同時に、外のざわめきが遠ざかった。

広い部屋の奥、燭台の炎に照らされて立つアルシオンの姿を見つけるなり、サフィアはためらわず駆け寄った。

「アルシオン……！」

彼が振り返るより早く、その胸に飛び込む。

鎧を外した体は温かくて、張りつめていた心が一気にほどけていく。

「……サフィア」

強く抱きしめ返す腕に力がこもる。

「さっき……妃席に呼ばれたとき、胸が張り裂けそうだった。みんなの前で、アルシオンの隣が私の場所だって示してくれたんだもの……」

アルシオンは低く笑った。

「当然だ。俺はもう迷わない。お前が隣にいる、それだけでいい」

「ほんとに……？私でいいの？」

潤んだ瞳が真っ直ぐに縋りつく。

「他に誰がいる。俺が欲しいのはお前だけだ」

ためらいなくそう言って、彼女の髪に口づけを落とす。

胸の奥が熱くなり、サフィアは声を震わせた。

「……アルシオン……私ね、あの場で全部わかった。何があっても、何を言われても、私はアルシオンのものだって。……だから、もう放さないで」

「放すわけがない」

顔を上げさせ、その唇を深く奪う。

炎の揺らめきに包まれ、二人きりの世界が甘く熱を帯びていった。

◆

夜更けの後宮、静かな回廊の向こうに月の光が細く差し込んでいた。

セレナの居室には、香炉の煙がほのかに漂い、灯された燭火が低く揺れている。

リサは机に葦筆を片づけ、香草を浸した温い葡萄酒を小さな陶の杯に注ぎ、盆に載せてそっと差し出した。

「セレナ様、お疲れでございますね…」

声は柔らかいが、主の顔色を探る色が濃い。

セレナは窓辺に立ち、月明かりを仰いでいた。

白い指先が帯の端をいじり、小さく吐息を零す。

やがて視線を落とし、月影の中でぽつりと呟いた。

「…私たち正妃候補って…何の意味があるんだろうね」

リサは息を呑んだ。

湯気の立つ杯がかすかに揺れ、手元の影が震えた。

主の言葉に返すべきか、ただ傍に控えるべきか、迷いが胸を締め付ける。

燭火の明かりの下、セレナは杯に口をつけもせず、指で縁をなぞった。

窓外の月は高く昇り、青白い光が床に冷たい帯を描く。

ぽつりと零れた声は、かすれながらも抑えきれぬ痛みを含んでいた。

「…ここに来てからの生活で、もうわかっていたつもりだったのに」

視線を伏せ、帯の端をぎゅっと握る。

「いざ、どうでもいい存在として扱われると…こんなにも、つらいものなのね」

リサの喉が小さく鳴り、杯を持つ手に力がこもった。

声をかけたくても、主の背に届くか分からない。

沈黙の中、香炉の煙だけが細く立ち昇る。

重い影が二人の間を隔てていた。

やがてリサは杯をそっと卓に置いた。

膝の上で指先が震え、唇がわずかに動く。

「……セレナ様」

呼びかける声は小さく、けれど揺るぎなかった。

「私……侍女ですから、立場のことなど難しいことは分かりません。

けれど……どうでもいい存在なんて、そんなはずございません」

瞳を潤ませ、セレナを見上げる。

「セレナ様は……私にとって光でございます」

胸の前で指を強く組み、懸命に言葉を紡ぐ。

「たとえセレナ様ご自身がどれほどお辛くても……私にとってセレナ様は、意味のあるお方です。

……大切なお方なのです」

声がかすかに震え、最後は涙をこらえるように俯いた。

それでも、その背筋だけは真っ直ぐにセレナの方へ伸びていた。

セレナは小さく息を吐き、瞼を閉じてからゆっくり上げた。

涙がきらりと光を帯び、頬を濡らす前に笑みに変わる。

「……そっか」

扇を胸に抱き直し、瞳の奥に柔らかな灯を宿す。

「私の後宮での日々は、無意味なんかじゃなかったんだね」

声は震えていながらも、確かにリサへと届いていた。

「……ありがとう、リサ」

少し涙目になった笑顔が、蝋燭の揺らめきに照らされた。

痛みを抱えながらも、支えを見つけた者だけが持つ強さが宿る。

静かな部屋に、涙と笑みが交じり合い、温かな気配が夜の冷えを押し返していった。

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リサ「ここまでお読みくださりありがとうございます(._.)あの……これからもセレナ様の、応援お願いします……！」

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