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義母と嫁は義母の実家である子爵家へ向かった。
当然馬車など使えないので、徒歩でこの家を出ていったのだが、当然のように父上から送られてきた金を持ち出そうとしたので、争いになった。
半分だけ渡したら牙を剥くような酷い形相で文句を言ってきたが、反応しなかったら渋々出ていった。
この家に下ろされた時に渡された父上からの手紙の存在を思いだし読んでみた。父上からの手紙には、離宮で慎ましく暮らす日々の様子と、自由に出来る金銭が少なく、僅にしか送れない事の詫びが書かれており、既に爵位を剥奪されたことは知っているだろうに、その事を責める言葉は一切無く、ただ私の幸せを願う言葉で締め括られていた。
愛されていたことを実感して涙が止まらなかった。
家があるのは小さな集落で、近所の住民に聞いてみれば、近くにはもう少し大きな町があるそうだ。
自分の尊大な物言いを子供達が真似して笑われたのには腹が立ったが、食うにも困る状態を見かねて何かと声を掛けられ、話してみれば集落の住民は意外と親切で、何も出来ない私に、一つ一つ平民としての生活の仕方を教えてくれた。
出来ないことを笑われはしたが根気強く出来るまで付き合ってくれ、金が底を尽く前には幾ばくかの仕事が出来るようになった。
それでも平民の暮らしは過酷で、日々食べ物を買う為に長い時間の労働が必要で、それでも買えるのは粗末な最低限の食材だけで、慣れない料理には四苦八苦した。
平民になってみて初めて、自分に出来ることの少なさに愕然とした。
学生時代は多くの友人や恋人に囲まれて、何不自由無く面白おかしく生きていたが、それはこのような過酷な生活の上で、それでも真面目に税金を納めている多くの平民達の上に、己の贅沢な生活が成り立っていたのだと、思い知った。
それは王子として当然知っていなければならない事だった。その知っていて当然の事を知らずに、ただただ己の地位は磐石と信じて、知ろうとも学ぼうともせず、気の向くまま欲望のままに生きてきたツケが、この平民の生活なのだろう。
周囲の助けがなければ、何一つまともに出来ない己の姿。元婚約者だったヒュージムジェルカは公爵家を出奔した後は平民として冒険者になったと言う。公爵家の令嬢がわずかばかりの金を持って、身一つで平民になるなど、どれ程恐ろしく過酷だっただろう、と今更ながら思い至る。
自分は彼女に一度でも謝っただろうか?と、口先だけの謝罪はしたような気がするが、たしか、あの時に謝罪金として渡した金額は、今回の事で父上から頂いた金額よりも少なかったように思う。
そんなはした金で、身を立てられるくらい冒険者として一人前になり、冒険者ギルドの職員になるなど。
己の非道さには吐き気がする。
もう二度と会うことはないだろう相手に、申し訳無さだけが募る。
義祖母はアティアンデス家がなくなってからみるみる体が弱くなり、寝たきりのような生活で、最近では意識も散漫で、ひどく無口になった。
何故自分がこんな年寄りの面倒を見なくてはならないのかと、怒りを感じた時もあったが、ある時ふらりと家を出て居なくなった事があり、何故かその時は怒りも忘れて探し回っていた。
それからは面倒さはあるものの、共に暮らし続けている。
3年が過ぎて、平民として働く事にも少しは慣れ、ほんのわずかではあるものの蓄えも出来、たまの休みには町に買い物にも行けるようになった夏の終わり。
まだまだ夏の名残で汗ばむ日が多いのに、その日は前日に降った大雨のせいで気温が低く、雲の多い日だった。
畑仕事を朝の内に終えて、昼食を作り、まだ起きてこない義祖母に声を掛けようと部屋に行き、ノックをしても一向に返事がなく、またふらりと家を出たのかと慌てて部家を確認したら、義祖母はまだベッドに居り、そして息をしていなかった。
義祖母が亡くなった事に呆然としていたら、近所の奥さんが来て、呆然としている私に気付き、義祖母が亡くなった事を知り、近所の人を呼んで、葬儀の支度を整えてくれた。
元公爵夫人だった義祖母の葬儀とは思えないほど質素で簡素な葬儀だった。
一応義母の実家だと聞いた子爵家にも手紙は出したが、返事はなかった。
義祖母の葬儀後10日程たった日、集落では見慣れない馬車が家の前に来て、父上と母上の死を知った。
叔父上の計らいで墓参りが許され、そのための往復の馬車なのだと言う。
父上と母上は、心を病んで正気を失った母上が、刃物を持って暴れたのを取り抑えた時に父上が酷い怪我をして、感染症に掛かりあっと言う間に亡くなったそうだ。
まれに正気に戻る事のある母上が、自分のしてしまった事に気付き父上の後を追って自害。
葬儀は既に終わっていて、王族の墓ではなく、市街地にある墓に夫婦揃って埋葬されていた。
墓碑銘は家名もなく名前だけ。
義祖母が集落の集団墓地に埋葬されたのに比べれば、多少はましな扱いに思えた。
墓の前にどれくらい居たのか分からなかったが、
「スタインデル」
声を掛けられたのに振り返れば、叔父上が。
「叔父上、いや、国王陛下」
平民の礼の姿を執れば、
「頭を上げなさい。ここには兄と義姉の墓参りに来ただけだ。スタインデル、見違えたよ。随分と逞しくなった」
「いえ、私などまだまだです」
「ククク、お前の口から謙遜の言葉が聞けるとはな」
「自分の身の程を思い知りましたから」
「そうか。兄上は最後までお前の事を気にしておられた。兄上と義姉上の財産は多くはないが、お前に渡そう。希望するならば離宮もお前に譲ってもいいと思っている。どうする?考える時間が必要なら返事は後日でも構わない」
「離宮はいりません。遺産が金銭であるならば、今住んでいる集落の橋の補強に使いたいです」
「一代限りの男爵位くらいなら与えてもいいぞ?」
「いいえ。平民の暮らしは楽ではありませんが、私にはそれが精一杯なのです。楽をしてしまえば私は容易く流される弱い人間です。今の身の丈にあった生活を続けたいと思います」
「そうか。成長したな。今のお前ならば男爵位も務まるだろうが、そうか、いらぬか」
「今年は、平民になって最初に植えた栗の木が実をつけそうなんです。来年には桃の実が。平民には平民のそんなささやかな喜びがあるのだと知りました。何の実績も実力もない私に、身の程を叩き込んでくれたのは集落の皆です。まだまだ何の恩も返せておりません。私は、今後の人生を懸けて、皆に恩返し出来ればと考えております。墓参りを許して下さりありがとうございました」
「そうか、そうか」
何故か叔父上の方が泣きそうな顔で私の肩を叩いてきた。
その後また馬車で送ってもらい、集落に帰ってきた。
父上と母上の遺産は、平民には十分すぎる金額で、橋の補強にと思ったら、国の役人が来て補修の手配をしていった。
集落のある領地が王領地である事をその時に初めて知った。
叔父上の計らいに頭が下がった。
遺産は集落で植える為の少し高い薬草の種を買うのに使って皆に配り、残りは教会に寄付した。
義祖母の葬儀の知らせを送った、義母の実家だと聞いた子爵家から、義母と妻の出奔の知らせが来た。
義母も妻もそれぞれ別の男と逃げたそうだ。
子爵家は義母にも妻にも今後一切関与しない、子爵家の籍も抜いた、と態々知らせてきた。
平民に落ちた義母と妻は、子爵家の使用人として働いていたが、その扱いに不満を持ち、子爵家の金と夫人の宝飾品を盗んで出奔したらしく、見かけたら兵士に通報してくれ、とのこと。
兵士から連絡があったのは半年後。一応まだ離縁していなかった事から、義母とは別に出奔した妻が、犯罪奴隷として娼館に売られるが、身元保証人になって罰金を払うか、離縁するかの確認をされた。
義母も捕まり、犯罪奴隷として鉱山の洗濯婦になるそうだ。
正式に離縁した。
本当に一人になった。
たわわに実った桃の木を見上げながら少し泣いた。
「おー、もうすぐ収穫時だな!鳥と虫には気を付けろ!あいつらは人間よりも食い時を知ってるからな!」
「ああ、そのための魔法を掛けたから、栗の時みたいに悲惨な事にはならんだろ!」
「なに?!そんな便利な魔法があるのか?!ならうちの木にも掛けてくれよ!」
「ああ、いいとも!隣町の薬師の婆さんに聞いた魔法だからな!集落中の木に掛けてやる!鳥の野郎に負けてたまるか!あと虫にもな!」
「おー、なんだ?いつになく頼もしいじゃないか!どうした?」
「俺はこの集落で一番の農園主になる男だからな!」
「アハハハハッ!そりゃ~遠い道のりだな~!アハハハハッ」
笑われたのは気に入らないが、平民になって一番最初に声を掛けてくれたこのペーターとは生まれて初めての取っ組み合いの喧嘩もしたが、今では遠慮なく物言える仲になった。お調子者でちょっと可愛い子にはすぐにデレデレして、でも誰よりも働き者で野菜作りが上手ないい奴でもある。
そんなペーターと肩を組んで、集落中の木に魔法を掛けて回った。
多くの人に声をかけられ、笑ったり笑われたり、俺は、一人にはなったものの、孤独ではない日々をこれからも生きていく。
元王子は、王族としての最低限の能力くらいはありましたが、傀儡として操る気満々だった人達に持ち上げられ、両親も凡庸で、唯一の王子と言う立場に令嬢達が群がり、自分は尊い存在なのだと勘違いさせられてました。
義祖母に現実を突き付けられ、断種までされて平民になった事で、自分がいかに何も出来ない存在なのかを思い知らされ、これまでの行動を省みて、やっと平民として暮らしていくしかないのだと思い知りました。
そこで不貞腐れてゴロツキや犯罪に走らなかったところは、根は素直だったのでしょう。




