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こんな筈じゃなかった。
何もかもが自分の思い描いていた当然だと思っていた生活とは掛け離れ、後悔ばかりが押し寄せてくるが、自分の何が悪かったのかが未だに分からない。
こんな筈じゃなかった。私の何が悪かった?
妻は確かに子爵家の娘だったが、それは婚約する筈だった王女が嫌がり婚約には至らなかったせいだし、次に出来た婚約者は侯爵家の令嬢にも拘わらず学園の最終学年時に駆け落ちするなんて前代未聞の騒動を起こしたせいだし、既に目ぼしい高位貴族の令嬢で婚約者の居ない令嬢など居なかったし、今の妻が一番ましに思えたし、実際に声を掛ければその気になったし、婚約を結んだ時には母上も何も言わなかったじゃないか!
子爵家出身の妻は公爵家に相応しいマナーも教養も身に付いてなかったから、教育が厳しくなるのは当然だし、母がキツイ言い方をしていて心配になった時は大丈夫かと、もう少し優しく言ってくれるよう頼むか、と度々声を掛けたのに、婚約した当時は、
『お義母様に直接教えていただけるなんて、認められてるようで嬉しい!』
と微笑んでいたじゃないか!
婚姻を機に父と母が引退し爵位の継承を済ませ領地に戻った事で、私はそれまで補佐としてしていた仕事の責任の重さに必死になるあまり、家族に目を向ける余裕を失っていたのは確かだが、確かに妻の雰囲気は一変したが、母が居なくなった事でより公爵家の夫人として相応しくあるよう虚勢を張っていただけだろうと思っていた。
前国王陛下と父の約束で、生まれたばかりの長女は1つ年上の王子との婚約が整い、これで我が公爵家はより磐石な地位を得られたと安心して、より一層仕事にのめり込み、王家に嫁ぐからには厳しい教育をしているとの妻の言葉を鵜呑みにして、あまり関わりを持たなかった。
そんな妻が手塩に掛けて育てた次女は、姉の婚約者といつの間にか恋愛関係になり婚約者の交替となった。
長女が一方的に婚約を破棄され、次女がその座に座り、長女が家を追い出され領地からも姿を消したと知らせを受けたのは、長女の死亡届が受理された後だった。
死体が無い以上葬儀は行えず、その後聞いた話では、貴族の間では長女の悪い噂が多く囁かれていたそうで、長女の死後、公爵家の評判も徐々に悪い方向に落ちてきた頃、城からの緊急招集があり、登城してみればそこには、死亡したと報告を受けた筈の長女の姿が。
公爵家の令嬢としてはあり得ない格好で立ち、周囲のざわめきを無視して妖精との通訳を務め立つ姿は、これまで見たどの令嬢よりも堂々として凛とした強さを感じた。正直何故この令嬢が王妃にならないのかと他人行儀に思ったりもした。
そして長女本人の口から明された虐待の事実と他国へと渡り冒険者になった経緯。
一切知らされていなかった事実に呆然とするしかない。
正直、長女が婚約を破棄されても、次女が王太子の婚約者である以上、公爵家は安泰だと高を括っていた部分はある。
それが姉に冤罪を掛けて王太子を寝取るなどと!その前から姉の悪い噂を貴族中にばらまいていたなどと!想像だにしたことも無い事実が次々に判明し、さらに妖精族との一触即発の事態にまで陥り掛けて、その原因の一端が次女であると聞かされて。
これまで築き上げてきた公爵家の名誉や地位がガラガラと音を立てて崩れる音が聞こえた気がした。
一縷の望みを懸けて冒険者ギルドに長女に会いに行ってもにべもなく断られ、共に行った父には子供のように叱られた。
それからの公爵家は落ちる一方。
父は公爵家の籍を抜け平民として何処かへ行ってしまい、行方は分からず。
母は妻と日々罵りあい取っ組みあいの喧嘩までする始末。
跡継ぎとなった元王子と次女に当主教育をしてみれば、まるで能力が無く、弱音と不満ばかり漏らしまともに学ぼうとする気さえ無い。
公爵家としての事業も、家としての評判を著しく落とした事で、信用を失くしもはや何をしても挽回の余地はなく、他貴族からは蔑みの目を向けられるだけ。
取引していた商会からは次々と契約を切られ、王家からは爵位継承後の領地についての知らせが届けられた。
継承後の領地は実に公爵領の九割を国に返還する事となり、辛うじて残される領地は王都から何日も離れた飛び地のみ。
公爵家は終わった。
寝食を忘れて領地運営に励んできたのに、何もかもが台無しになった。
王家から調査官が派遣され、家中の財産の目録が作られ、爵位継承後に持ち出せる荷物の選別までされ、そのあまりの少なさに何の抵抗も出来なかった。
母上と妻と婿と娘は、国から派遣されている調査官に食って掛かり、危うく捕縛されそうになっていた。
いっそのこと捕縛され牢屋にでも入れられてしまえば静かになるのに。
「あなた!何とかして下さいまし!」
「貴方はこの公爵家の当主でしょう!しっかりなさい!」
調査官に文句を言うと捕縛されるので私の元へ文句を言いに来た母上と妻。
「仕出かしたことの結果だ。今更何を言ってもしても、この公爵家は既に終っている。後は父上のように爵位を譲ったら平民にでもなるしか方法は無い」
「そんな?!何とかならないの?!」
「そうよ!この公爵家が終わりなどと!」
「娘や孫を虐げた母や祖母、姉の婚約者を寝取った上に事実無根の誹謗中傷を広める妹、ありもしない鉱山を目当てに妖精族に戦争を仕掛けた王子。こんなろくでもない人間しか居ない家に、誰が従いたいと思う?誰が信用する?もう私に出来る事は、さっさと爵位を譲って大人しく隠居し、残された少ない財産で慎ましく生きていく事だけだ。爵位継承の際にはお前とは離縁し、母上とも縁を切る。何処へなりと行き好きに生きればいい。私は今後一切貴方達と関わらずに生きていく」
「「そんな?!無責任よ!」」
「貴方達は互いに憎みあい日々罵りあっているのに、驚くほど同じ意見を持っているようだ。これまで散々公爵家の金で贅沢三昧暮らしていたのだから、責任などとうに果たしているだろう?この先の慎ましい生活にお前達が耐えられるとは思えない。だから実家へ帰るなり、領地に帰るなり好きにすればいい」
似ていると言っただけで憎しみのこもった目で互いをにらみあう二人。
見ているだけで疲れるので、部屋から追い出し、残りの仕事を片付ける。
諸々の手続きを終え、後は元王子にサインさせ、その書類を城に届け受理されるのを待つだけ。
移り住む家は手配済みで、公爵としては小銭としか思えないが平民となるならば使用人を数人雇っても数十年は暮らせるだろう金額を持ち出す事が許され、最低限と制限はあるが荷物の整理も済んだ。
執事と侍女長、料理長は共に邸に付いてきてくれる手筈となっている。その他の使用人には一応紹介状は書いたものの、この落ち目で評判が最悪の公爵家の紹介状が何かの役に立つとは思えない。
まあそれでも、王太子の婚約者で公爵家の長女を、妻の言うままに虐げていた者達なのだから自業自得としか言えないが。
何の疑いもなくろくに書類も読まずにサインする元王子には呆れるばかりだが、私にはもう関係の無い事なので何も言わずにそのまま書類を提出した。
提出した書類はあり得ない早さで受理され、私は執事達を連れ新しい邸に移った。
部屋数も最低限の邸は、人の動く音まで聞こえて不快だし、食事は酷く質素で素材の質もだいぶ落ち、調味料もふんだんに使うわけにもいかずに味が落ちた。衣服も持ち出せたのは最低限だったため新しく買ったものは肌を刺すようなゴワゴワと固い生地で不快だ。
そして何よりも苦痛だったのは、何もやることが無いこと。
これまでは領地運営に手掛けていた事業の進捗、貴族間の動向や流行の把握等、様々な事に目を配り耳をそばだてていたものだが、この邸に来てからは日がな一日何もやることがない。
移り住んで2、3日はやっと休めた事を喜んだが、その後は本当にやることがない。
重責からは解放されたが、私はこれからどうやって生きていけばいいのだろう?




