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私達使用人一同も同罪であると言えよう。
ヒュージムジェルカ様は、生まれた瞬間から母親に疎まれ、乳母に任せきりで一切省みられることは無く、父親である旦那様はそもそも家族に興味すら示されたことは無い。
そもそもヒュージムジェルカ様の乳母から異例だった。
乳母とは名ばかりの高齢の女性の身分は平民で、当然のごとく乳は出ず、山羊の乳を与えられて育つ公爵家の令嬢など聞いたこともない話で、平民が公女様の乳母に選ばれることさえ有り得ない事態。
それでも乳母は必死にヒュージムジェルカ様を育てたものの、よる年波には勝てず、腰を悪くして引退したのがヒュージムジェルカ様三歳の年。
その後は奥様のご命令で、専属のメイドや侍女を付けられる事無く交代で事務的に世話をするものだけがおり、家庭教師として雇われた者達は我々が目を背けたくなる程に苛烈な指導を行っていた。
奥様は幼子が鞭打たれる度にほくそ笑み、そんな狂気的な顔を見る度に、使用人の誰一人ヒュージムジェルカ様に味方するものは居なくなっていった。
確かに奥様がまだ旦那様の婚約者だった頃には、公爵家の嫁として相応しくあるように、と大奥様から厳しく指導されていたのは事実だが、子爵家出身の奥様が、高位貴族の頂点足る公爵家に嫁に来るとなれば当然それは厳しいものとなるのは当たり前の事で、多少言葉がきついと感じたり褒め言葉1つもないとは思ったが、高位貴族の令嬢としての教育とそう変わらない厳しさだったように思う。
それを長年恨みに思うなど、ましてや本人にやり返すのではなく、ご自分がお生みになった赤ん坊に八つ当たりするなど、普通なら考えられない事である。
何故我々はその事を奥様に指摘しなかったのか、旦那様に訴えず、奥様のご命令通りに動いてしまったのか、今更後悔しても遅すぎると言うもの。
翌年にお生まれになったラローナ様の事は、自ら片時も離す事無く育てられ、溺れる程の愛情を与え、意に沿わない事からは全て遠ざけ、高価な品を惜しみ無く与えお育てになったのに。
既に新国王陛下が即位されることが公布され、即位式典の準備も着々と進められていると聞く。
そんな式典では今回の騒動の原因も処罰も全て明かされると言う。
この公爵家は一家総出、使用人一同もあわせてヒュージムジェルカ様を虐げていた事も公表されるだろうと大旦那様は仰られた。
次代になれば領地は大幅に減らされ財産も没収され、その上で男爵家に降爵されることも決定しているとの事。
我々使用人一同も、今更他家に移る事も出来ない。
主家の長女を虐げるような使用人を雇ってくれる家などある訳も無いのだから。
大旦那様に説明された時は、不満もあらわに逆らおうとする者も居たが、当主教育が始まるや否や連日旦那様の怒声が響き、悲鳴と共に逃げ出す元王太子殿下だったスタインデル様とラローナ様の姿を見かける毎に、この家の先行きが真っ暗である事を痛感せずにはいられなかった。
それでもご自身の身分や生活を諦めきれなかった大旦那様以外の方々は、何とかヒュージムジェルカ様を公爵家に呼び戻そうとされ、スタインデル様とラローナ様は連日冒険者ギルドに通い、旦那様は何とか爵位を維持出来ないものかと城へ通い、大奥様と奥様は日々お互いに責任の擦り付けあいをしては喧嘩になっていた。
大旦那様の話では、ヒュージムジェルカ様は何の未練も無くこの国を出ていかれたそうだ。
それを聞いて泣き崩れる使用人多数。
大奥様と奥様は未だお互いのせいだと睨みあい、旦那様はただただ項垂れ、ラローナ様はお姉様が!お姉様が!と叫ぶばかり。
そんなラローナ様を見てスタインデル様は何をお考えなのか呆然とするばかり。
「お前達は醜いな。そして私自身も酷く醜い。ヒュージムジェルカがこんな家を見限るのも納得だな。私はこれからこの公爵家の籍を抜け、平民として生きていく。お前達はお前達で好きにすればいい。すまなかったな」
最後の謝罪は誰に向けてのものだったのかは分からないが、深く頭を下げられた大旦那様の姿に、誰も何も言えなかった。
大旦那様は引き留めようとする大奥様に、長年夫婦であったからと、一応平民として着いてくるか?と誘っておられたが、大奥様はそれを断られ、大旦那様は公爵籍を返上し、公爵家の馬車も使わずに、少ない荷物を持って歩きでこの家から去っていかれた。
大旦那様と言うストッパーが無くなったこの家は、連日罵りあいと不満とヒュージムジェルカ様に対する罵詈雑言が響くだけで、旦那様は執務室に籠り、使用人も逃げ出す者が多数現れた。
「貴方はどうするの?」
侍女長の言葉に、
「もう我々に出来ることは無い。この家と心中するしかあるまいよ」
「…………そうね。この家を出ていった者も、雇ってくれる家は見つからないようだし、どこかの商人の下働きにでもなれれば良い方よね」
「今更言っても仕方ない事は分かっているが、何故我々までヒュージムジェルカ様を虐げる側になり下がったのだろうな?ヒュージムジェルカ様は王太子殿下の婚約者だったのに。許される事ではないのにな」
「そうね。奥様の妄執とでも言うものが、この家を支配していた、としか言いようが無いわね。………いいえ、それも言い訳ね。誰か一人でも、ヒュージムジェルカ様に味方して、大旦那様にでもお知らせしていれば、この家は違っていたのかもしれないわね」
「気付いているか?この家は見張られている」
「ええ。きっと王家からのご命令でしょうね。財産を隠したり持ち出したりしないように。スタインデル様とラローナ様はそれだけの罪を犯したと言うことね?」
「ああ、そうらしい。公示はまだだが、知れ渡れば、この家は更に酷いことになるかもしれない」
「でも逃げる事も出来ないのよね」
「そうだな。私達は止められる立場にあったのに、そうしなかった。同罪だ」
「大旦那様が出ていかれた後からかしら、この屋敷に居ると、幼い頃のヒュージムジェルカ様の泣き声が聞こえる気がするの。本当に今更なんだけどね」
侍女長に返せる言葉は思い付かなかった。
我々はこれから地獄に落ちる。抗う術は無い。




