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「はぁ。本当に情けない息子ですまない。ヒムカにはいらぬ苦労ばかり掛けた。嫁と姑の問題が、孫に向けられる等と考えもしなかった。謝罪する為にギルドに行くと言えば、自分も同行すると言うから、素直に謝罪するものと思っていれば、今更戻ってこい等と碌でもない事を言い出す息子にも呆れるばかりだ。ヒムカ、本当にすまなかった」
深々と頭を下げて謝るお爺様。
「お爺様、頭をあげて下さい。家族で唯一まともに謝ってくれたお爺様の事は許します。ですが私は公爵家に戻るつもりはありません」
「ああ、分かっている。その様な恥知らずな事はせぬ。確かにヒムカの言った通り、私はこれまで妻の言いなりだった。今更反省したところで、ヒムカが虐待された事実は消えない。だがせめて、祖父として孫の幸せを祈り、少しでも助けになれればと思って、今日はここに来たのだ。爵位も地位も望まぬヒムカ、これは私の個人資産から出したものだ。いざと言う時の為に、受け取ってくれ」
ドサッと重い音と共にテーブルに置かれた袋。中身は確かめなくてもお金だろうと予想が付く。
「もう私は1人でも自分の生活を支えられます。ですが、これが本当に最後で、祖父から孫への支援としてなら受け取ります」
「ああ。今後公爵家は、冒険者ギルド職員のヒムカとは一切関わらない事を約束しよう。ここに念書も用意してきた」
「何を勝手なことを?!それでは公爵家はどうなるのですか?!ヒュージムジェルカが継がなければ公爵家は無くなるのですよ!」
お祖父様の言葉に父が驚いて反論する。
「黙れ!ヒムカが継いだところで直ぐ様爵位返上すると言われただろう。既に公爵家は終わったも同然。それはヒムカに見向きもしなかった我々の罪だ!犯した罪は償わねばならん。失った時間は取り戻せないのだからな!」
お祖父様の言葉に何も言えなくなる父。
「ヒムカ。言い方は悪いが、これはヒムカが家を出る時に渡すべきだった手切れ金だ。これまで助けてやれなくてすまなかった。これからは何にも煩わされず、自由に生きて欲しい。祖父として最後に渡せるのが金しかないのは情けない限りだが、どうか、少しでもヒムカの暮らしが楽になるよう、願っているよ」
「お祖父様、ありがとうございます。ふふふ、皮肉ですね?生まれて初めて身内から優しい言葉を掛けて貰ったのが、手切れ金を渡される時なんて。ああ、お祖父様を責めてる訳では無いのですよ?お祖父様は領地に居られたし、お母様が正直に私の様子を伝えるなんてする訳ないし。この国には誰1人私の味方なんて居ないと思ってましたけど、もう少しだけ早くお祖父様と話が出来ていれば、関係は変わっていたのかもしれませんね?」
「そう言って貰えただけで嬉しいよ。ヒムカ、どうか幸せになってくれ」
「ありがとうございます」
お祖父様はこれからの公爵家が地獄に落ちるのを理解されていて、それでも私に自由をくれて、幸せを願ってくれた。
私はありがたく手切れ金と念書を貰って席を立った。
父は何かを言おうとして、結局何も言えずに黙っていた。
最後の別れとして、渾身のカーテシーをして部屋を出た。
ギルドを出て、乗り合い馬車の発着所に行くと、アルガンさん達が待っててくれて、
「もう良いのか?」
と気遣うように聞かれて、
「はい!最後に手切れ金もガッポリ貰えて、思い残す事は…………ああ!」
「何だよ?!」
「元王子と妹と母に一発入れるの忘れてた!」
「ブハッ!アハハハハハハ!この国の未練がそれだけなのかよ!アッハッハッハッハッ!愉快な奴だよお前は!」
「いや、大事な事でしょ!あの無駄に綺麗な顔を、凹ませるくらいの一発をお見舞いしたかったのに!」
って言ったら他の皆にも笑われました。
「アハハッ、まあ良いじゃないの!あの様子だと確実にあの2人は自業自得で破滅の道まっしぐらよ!きっと!」
「きっとじゃなく確実に!ですよ!絶望的な未来しか見えないから、今更父も私を戻そうと考えたんでしょうけど、お祖父様に一蹴されてたし!いい気味!」
「お祖父様はかばってくれたの?」
「ええ、まあ。それもまあ今更なんですけどね?家出する前に止めてくれるなり待遇改善してくれてれば、今頃公爵家の為に働いてたでしょうし?」
「まあ良いじゃないの!過ぎてしまったことは考えない考えない!これからをどう楽しくするかは、全部ヒムカちゃんの自由なんだから~!」
「そうですね!取り敢えず、貰ったお金で豪遊しちゃおっかな!」
「いいわね~!付き合うわよ!」
呑気なお喋りと共に、ゆっくりと進む馬車に揺られ、生まれ育った街が遠ざかっていくのを眺める。
胸の内を探っても、未練の一欠片も無い事を確認して、前を向く。
◆
最初はすました顔での嫌味の応酬から、次第にギャンギャンと罵り合いとなり前公爵夫人と現公爵夫人の争いは、貴婦人としては有り得ない事に今では取っ組み合いとなり互いの胸ぐらを掴み合う始末。
あまりの出来事に使用人一同唖然として止める事も考え付かず呆然と見ていれば、冒険者ギルドに居ると言うヒュージムジェルカ様を訪ねていった大旦那様が帰ってこられた。
大旦那様の後ろには落ち込んでいるのか見るからに肩を落とした旦那様も居られる。
正面玄関の入り口付近で取っ組みあいをされている夫人を見て、動揺激しく、
「な、な、何をしているんだ?!」
と問う旦那様。
そんな旦那様に答える事無く、
「貴方!ヒュージムジェルカはどこに居ますの?!」
「そうよ!ヒュージムジェルカはどこ?!」
取っ組みあいをする程険悪な仲にも関わらず、同じことを聞いてくる奥様と大奥様。
これは単純に仲が悪いと言うよりも、過去の因縁と言うよりも、同族嫌悪なのだろうかと疑問に思う。
お互いの胸ぐらを掴みながらの質問に、旦那様はもごもごと、
「それは、父上が………」
と言い訳のように答えるだけ。
「あなた?」
「お義父様?」
訝しげな視線で問う二人に大旦那様は溜め息しか返せない様子。
「ヒュージムジェルカと言う公爵家の令嬢は、この国では二年も前に死亡している。国王陛下の名の元、正式に受理された事実としてな。それを今更覆すことは、公文書偽造となる。それにろくに確かめもせずに死亡届を出した事実からも、この公爵家がいかにヒュージムジェルカと言う娘を蔑ろにしていたかを表明することと同じこと。その上ヒュージムジェルカの死亡届が受理される前から、ヒュージムジェルカの有りもしない悪評を広めていた事実と合わせれば、我々が共謀してヒュージムジェルカを虐げ、死に追いやったと疑われる事態だ。今更あの子をこの家に戻すなど、考えるまでもなく、して良い事ではない」
「ですが!このままでは我が公爵家は無くなるのですよ!」
大奥様の悲鳴じみた声に、
「だからなんだ?これまで我々がヒュージムジェルカにしてきた仕打ちが、我が身に返ってきただけだろう?今更足掻いても遅い。これは身から出た錆だ。甘んじて受け入れるしか無いだろう」
「そんな!?どうして?!ヒュージムジェルカさえ戻れば、全ては元通りになるではないですか!」
奥様の悲鳴じみた声も虚しく響く。
「そんな訳は無いだろう。ヒュージムジェルカが万万が一この家に戻ったとしても、あの子は爵位を継ぐと同時に国に返上するだろうよ」
「そんな!?何故ですの?公爵家を継げるのですよ?!」
「これまで、自分を虐げる事しかしてこなかった家に、なぜ居たいと思う?」
「ですが!公爵家の令嬢としての責務を果たさせねば!」
「何が責務だ!幼い頃より体罰を伴う教育と称した虐待を続け、挙げ句に阿婆擦れの妹に婚約者を寝取られたからと家から追い出し、領地へ戻ってみれば公爵家の令嬢として恥だ醜聞だ傷ものだと騒ぎ立てられ、掃除もされていない掘っ立て小屋に監禁される等、そんな扱いを受け続けたあの子が、何故公爵家の為に働くと疑問に思わない?恨まれて当然の事をしてきた自覚も無いのか?!そんな相手に義務だからと仕事を押し付ける気か?!正気とは思えんな?人間としてもあまりに非道!それが身内に居るとは情けない限り!」
大旦那様の言葉に誰もが黙る。
この家に居る者は、漏れ無くヒュージムジェルカ様を虐げてきた側の人間だ。
確かに飢えることはなく、ドレスも宝飾品も平民では一生目に出来ないような物を身に纏ってはいたけれど、それが公爵令嬢に相応しい物だったかと問われれば、それは否と言われるだろう。




