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第6話:最悪の出会いと鉄仮面

第6話:最悪の出会いと鉄仮面

 ミストラル領に、ささやかながらも、確かな希望の光が、灯り始めていた、その頃。

 その、信じがたい噂は、北の、冷たい風に乗って、近隣の地域にも、届き始めていた。中でも、その、土地の変化を、最も、敏感に感じ取っていたのが、ミストラル領に隣接する、ガルダ砦に駐屯する、王国騎士団だった。

 騎士団長、ゼオン・ライアスは、砦の、殺風景な執務室で、部下から、差し出された報告書に、目を通しながら、その、整った眉間に、深い、深い、皺を寄せていた。

「……ヴァインベルク公爵家の、新しい領主代行が、水路を建設し、奇妙な、赤い実を、栽培している、だと?」

「はっ。噂によりますと、その、ご令嬢自ら、領民を率いて、泥まみれで、働いているとか。王都から、いらっしゃった、か弱いお嬢様とは、到底、思えぬ働きぶりだそうでございます」

 報告する、屈強な騎士も、どこか、信じがたい、といった口ぶりだ。

 ゼオンは、ふん、と、興味もなさそうに、鼻で、息を吐いた。彼の、夜の湖面のように、静かな、黒曜石の瞳には、冷ややかな、光が宿っている。

 ゼオン・ライアス。

 平民の、それも、スラム街の出身でありながら、その、神業としか、言いようのない、卓越した剣技と、氷のように、冷静沈着な指揮能力で、若くして、騎士団長の地位にまで、上り詰めた男。

 そんな彼は、貴族という存在を、心の底から、好いていなかった。特に、王都で、贅沢三昧に暮らし、己の、血筋と、権利ばかりを主張するような、軟弱な貴族には、侮蔑の念すら、抱いていた。

 ヴァインベルク公爵令嬢、リリアーナ。

 彼女の、スキャンダラスな噂は、もちろん、ゼオンの耳にも、届いていた。

 王太子殿下を、大勢の、衆目の前で、手酷く振った、プライドばかりが、やたらと高い、気の強い、我儘な女。

 それが、ゼオンが、リリアーナという女性に対して、抱く、全てのイメージだった。

「どうせ、王都での、醜聞から逃げてきた、お嬢様の、気まぐれな、ままごとだろう」

 ゼオンは、報告書を、机の上に、置きながら、吐き捨てるように、言った。

「領地経営ごっこに、飽きたら、すぐに、泣いて、王都に、帰るに決まっている。だが……万が一にも、その、素人仕事が、原因で、領内に、混乱が生じ、当砦の、兵站に、影響が出るようなことが、あれば、見過ごせん」

 ガルダ砦は、ミストラル領から、食料などの、物資供給を、一部、受けている。領地の安定は、砦の、機能を維持する上でも、極めて、重要な問題だった。

「近々、ミストラル領へ、視察に行く。準備をしておけ」

「はっ!」

 数日後、ゼオンは、数名の、屈強な部下を連れて、ガルダ砦を、発った。

 馬を駆り、ミストラル領へと、足を踏み入れると、彼は、わずかに、目を見張った。土地の、空気が、以前とは、明らかに、違う。人々の動きに、確かに、活気が、感じられる。そして、何よりも、ゼオンの目を引いたのは、村へと向かって、長く、長く伸びる、掘削途中の、水路だった。

「……ほう」

 ゼオンの口から、思わず、彼自身も、予期していなかった、感嘆の声が、漏れた。ままごと、と、一刀両断に、断じていたが、これは、本気の、事業のようだった。

 領主の館に、到着したゼオンは、馬から、ひらりと降り立つと、出迎えた、執事のトーマスに、名乗った。

「王国騎士団、団長の、ゼオン・ライアスだ。領主代行殿に、砦の現状報告と、今後の、協力体制について、話をしに来た」

「こ、これは、これは、ライアス騎士団長殿! ようこそ、おいでくださいました! ただいま、姫様を、お呼びいたしますので、どうぞ、こちらで、お待ちくださいませ!」

 トーマスは、その、氷のような、威圧的な佇まいに、恐縮しきった様子で、慌てて、ゼオンたちを、応接室へと、案内した。

 通された応接室は、古びてはいるものの、清潔に、保たれていた。壁には、大きな紙が、何枚も、何枚も、貼られている。そこには、炭で描かれた、複雑な図面や、びっしりと、書き込まれた、計算式が、見て取れた。

 彼が、思考を巡らせていた、その時だった。

 廊下から、ぱたぱたと、慌ただしい、軽い足音が、聞こえてきた。

「トーマス! 大変よ! 実験農場の、三番区画の苗が、病気かもしれないわ! 葉っぱに、黒い斑点が、出ているの! すぐに、隔離しないと……!」

 勢いよく、応接室の扉を、開けて、飛び込んできたのは、一人の、若い女性だった。

 ゼオンは、その姿を見て、思わず、絶句した。

 燃えるような、美しい赤髪を、無造作な、ポニーテールに結い上げ、その、整った顔や、白い腕には、泥が、跳ねた跡が、くっきりと、残っている。服装は、どう見ても、農作業用の、動きやすいシャツと、ズボン。公爵令嬢が、持つべき、優雅さなど、そこには、欠片も、見当たらなかった。

 リリアーナもまた、部屋の中に、立つ、見知らぬ、屈強な男たちの存在に気づき、言葉を、途中で、止めた。特に、その中心に立つ、全身から、まるで、冬の、凍てついた空気のような、威圧感を、放つ男の姿に、彼女は、思わず、眉をひそめた。

「……どなた?」

 リリアーナが、訝しげに、問いかける。

 ゼオンは、彼女が、噂の、ヴァインベルク公爵令嬢であると、すぐに、理解した。しかし、その、あまりにも、みすぼらしい格好と、貴族らしからぬ、その、必死な様子を見て、彼の、心の奥底にあった、貴族への、強い、強い、不信感が、頭を、もたげた。

「王国騎士団長、ゼオン・ライアスだ」

 彼は、冷ややかに、口を開いた。

「噂に違わぬ、お働きぶりのようだな、ヴァインベルク嬢。貴族の、お嬢様の、その、結構なままごと遊びが、我々騎士団の、大事な兵站に、影響を及ぼさぬよう、釘を、刺しに来た」

 その言葉は、あまりにも、傲岸不遜で、相手の、努力を、真っ向から、侮辱する、響きを、持っていた。

 瞬間。

 リリアーナの、翠玉の瞳に、カッと、怒りの炎が、宿った。

 ままごと遊び、だと?

 この、わたくしが、どれほどの、想いで、この、土地と、向き合っているか、知りも、しないで。

 彼女の、公爵令嬢としての、そして、この土地の、責任者としての、プライドが、ぐらりと、大きく、揺さぶられる。

「……あなたこそ、一体、何様の、つもりかしら?」

 リリアーナの声は、低く、しかし、怒りに、震えていた。

「現場の、苦労も、知りもしない、ただの、鉄仮面に、この、わたくしの、領地経営の、何が、わかるというの? 兵站を、気にかけるのは、結構ですけれど、その前に、人に対する、最低限の、礼儀というものを、学んでこられたら、どうかしら」

 彼女の、痛烈な、反論に、今度は、ゼオンが、眉を、上げた。噂に、聞いていた、気の強さは、どうやら、本物のようだった。

「口の利き方に、気をつけろ。俺は、お前の、その、ままごとが、失敗した時の、尻拭いを、させられる、立場なのだ。当然の、懸念を、述べたまでだ」

「ままごとですって!? この、無礼者っ! あなたのような、戦場で、人を斬ることしか、能のない、朴念仁に、土地を、豊かにする、この、神聖な、仕事の、価値が、わかって、たまるものですか!」

「朴念仁……。面白いことを、言う。少なくとも、お嬢様の、その、泥遊びよりは、よほど、国益に、貢献していると、自負しているが?」

「な、なんですって!?」

 バチバチ、と、音を立てて、火花が散るような、二人の視線が、激しく、交錯する。

「ひ、姫様! ライアス団長殿! どうか、おやめくださいませ!」

 この世の終わりのような、顔をしたトーマスが、慌てて、二人の間に、割って入った。

 一方は、貴族を、嫌悪する、実力主義の、氷の騎士。

 もう一方は、男に、媚びることをやめた、誇り高き、炎の元令嬢。

 互いの立場も、性格も、まるで、水と、油。相容れる要素など、何一つ、ない。

 後に、ミストラル領の、歴史に、語り継がれることになる、二人の出会いは、互いの、第一印象が、「最悪」という、言葉以外に、見つからない、まさに、嵐のような、幕開けと、なったのだった。

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