第31話:三王会談
第31話:三王会談
国境地帯に、そびえ立つ、古城の一室。
その、円卓を、三人の、若き、指導者たちが、囲んでいた。
部屋の、空気は、まるで、水面下で、巨大な、獣たちが、互いを、牽制し合うかのように、重く、そして、張り詰めている。
この、テーブルの上で、交わされる、たった、一言が、大陸の、未来を、戦争か、平和か、その、どちらかへと、大きく、傾かせる。そのことを、その場にいる、誰もが、理解していた。
リリアーナは、その、中心に、座っていた。
帝都での、囚われの日々が、嘘のように、彼女は、今、心身共に、その、輝きを、取り戻している。
今日の、彼女が、選んだのは、ミストラルの、深い森を、思わせる、静かな、しかし、芯の強さを感じさせる、モスグリーンのドレス。過度な装飾は、一切なく、ただ、良質な生地と、完璧な仕立てだけが、彼女の、その、知的な、美しさを、引き立てていた。
燃えるような、赤髪は、きっちりと、夜会巻きに、結い上げられ、普段は、快活な、印象を与える、その、顔立ちは、今は、為政者としての、冷静沈着な、オーラを、放っている。
しかし、その、完璧に、整えられた、淑女の、仮面の下で、彼女の、美しい、翠玉の瞳だけは、目の前に座る、二人の、絶対君主を、値踏みするかのように、鋭く、そして、冷静に、観察していた。
その姿は、もはや、誰かに、守られるだけの、か弱い、令嬢のものではない。
自らの、意志で、この、困難な、交渉の場に、臨む、一人の、誇り高き、女王の、姿、そのものだった。
彼女の、その、背後には、まるで、彼女の、影であるかのように、ゼオンが、微動だにせず、控えている。
彼は、騎士団長の、物々しい、黒鎧ではなく、動きやすい、黒を、基調とした、シンプルな、しかし、機能的な、礼装を、身に付けていた。その、おかげで、彼の、鍛え上げられた、その、美しい肉体の、しなやかなラインが、かえって、際立って見える。
彼の、役目は、護衛。
だが、それだけでは、ない。
彼は、この、孤高の戦いに、臨む、愛する女の、その、精神を、支える、ただ一つの、揺るぎない、柱でもあった。
リリアーナは、彼の、その、静かで、しかし、絶対的な、存在感を、背中に感じながら、心の、平静を、保っていた。
「さて、始めようか。この、実に、馬鹿げた、しかし、面白い、お茶会を」
最初に、口火を切ったのは、グランツ帝国皇帝、ヴァルフレートだった。その声には、相変わらずの、不遜な、しかし、どこか、この状況を、楽しんでいるかのような、響きがあった。
「まずは、今回の、戦の原因となった、領土問題から、片付けようではないか。シルバ砦を含む、東部一帯は、歴史的にも、資源的にも、我が、グランツ帝国に、帰属するのが、当然の、道理だ」
「それは、聞き捨てならんな、皇帝陛下」
即座に、反論したのは、エルシュタイン国王、クリストフだった。
「その、土地は、三百年前の、神聖なる、条約によって、我が、エルシュタイン王家の、正当な、領土と、定められている。歴史を、無視した、貴殿の、その、暴力的な、主張は、断じて、認められん」
交渉は、冒頭から、火花を、散らした。
ヴァルフレートは、帝国の、圧倒的な、軍事力と、経済力を、背景に、実利を、主張する。
一方、クリストフは、王家の、伝統と、正当性を、盾に、一歩も、譲らない。
互いの、主張は、どこまでも、平行線を、辿り、部屋の、空気は、ますます、冷たく、そして、重くなっていく。
それは、まさに、古い、価値観と、新しい、価値観の、代理戦争のようだった。
リリアーナは、しばらく、二人の、その、子供の、喧嘩のような、プライドの、ぶつけ合いを、黙って、聞いていた。
彼女は、理解していた。
彼らが、本当に、欲しいのは、土地や、資源では、ない。
ただ、相手に、勝利し、自らの、正しさを、証明したいだけなのだ。
その、つまらない、意地の張り合いのために、これから、また、どれだけの、血が、流れるというのか。
彼女は、そっと、目を閉じ、ミストラルの、あの、泥の海の、光景を、思い出す。
そして、静かに、口を、開いた。
「お二人とも、少し、よろしいでしょうか」
その、凛とした、しかし、どこまでも、静かな声に、激しく、応酬していた、二人の王が、はっと、口を、つぐんだ。
リリアーナは、その、美しい、翠玉の瞳で、一人、一人、交互に、見つめながら、語りかけた。
「陛下方が、おっしゃる、歴史も、道理も、もちろん、重要でございましょう。ですが、その、土地に、住む、名もなき、人々の、暮らしは、一体、どうなるのでございますか?」
彼女の声は、誰を、責めるでもなく、ただ、静かだった。
「国境線が、数マイル、こちらに、動いたからといって、彼らの、日々の、パンが、美味しくなるわけでは、ありません。むしろ、戦火に、怯え、家族を、失い、畑を、焼かれるだけ。そんな、彼らの、犠牲の上に、成り立つ、勝利に、一体、どれほどの、価値が、あるというのでしょう」
その、あまりにも、本質を、突いた、問いに、二人の王は、言葉に、詰まった。
彼らは、常に、国家という、大きな、大きな、視点から、物事を、見てきた。その、足元で、生きる、一人、一人の、人間の、顔など、今まで、想像したことさえ、なかったのだ。
リリアーナは、そこで、一枚の、羊皮紙を、テーブルの上に、広げた。
それは、彼女が、ミストラルで、夜を、徹して、書き上げた、壮大な、計画書だった。
「わたくしが、提案するのは、領土の、奪い合いでは、ございません。新たな、『道』を、創ることでございます」
彼女の、その、細く、美しい指で、地図の上に、一本の、線を、引いた。それは、エルシュタイン王国、グランツ帝国、そして、北の、ミストラルを、結ぶ、新たな、交易路だった。
「この、『ルビードロップ・ロード』と、名付けた、道が、開かれれば、どうなるか。エルシュタインには、帝国の、優れた、鉄製品や、鉱物資源が、安定して、供給されます。帝国には、王国の、豊かな、穀物や、織物が、もたらされるでしょう。そして、わたくしたち、ミストラルは、その、中継地として、両国の、産品を、加工し、新たな、付加価値を、生み出す、拠点となります」
彼女の、その発想の根底には、不完全ながらも蘇った、前世の記憶――国と国とが、複雑な、サプライチェーンで結びつき、経済的な相互依存によって、平和を、維持していた、遠い、世界の、朧げな、知識が、あった。
彼女は、目を、輝かせながら、続けた。その姿は、まるで、未来を、幻視する、巫女のようだった。
燃えるような、赤髪が、彼女の、情熱に、呼応するかのように、きらりと、光を、放つ。その、あまりの、美しさと、そこに、込められた、圧倒的な、熱量に、二人の王は、完全に、呑まれていた。
「争いからは、憎しみしか、生まれません。ですが、交易は、富と、そして、相互理解を、生み出します。互いの、国が、この、道によって、経済的に、深く、結びつき、互いを、必要とする、関係に、なれたなら……。もはや、戦う、理由そのものが、なくなるのでは、ございませんか?」
それは、夢物語かもしれない。
理想論に、過ぎないのかもしれない。
だが、彼女の、その、言葉には、誰にも、否定することのできない、力強い、真実の、響きが、あった。
彼女は、ただ、自分の、領地を、豊かにしたいだけでは、ない。
この、大陸、そのものに、平和を、もたらそうと、本気で、考えているのだ。
その、あまりにも、壮大で、そして、気高い、ビジョンに、二人の王は、ただ、圧倒されるばかりだった。
長い、長い、沈黙が、部屋を、支配した。
やがて、ヴァルフレートが、くつくつと、喉の奥で、笑った。
「……面白い。面白いぞ、赤髪の魔女。お前の、その、頭の中は、一体、どうなっているんだ。戦場で、あれほどの、非情な策を、弄したかと、思えば、今度は、まるで、聖女のような、理想を、語るとはな」
クリストフもまた、深いため息を、つきながら、どこか、感嘆したような、眼差しで、リリアーナを、見つめていた。
「……君の、言う通りだ。我々は、あまりにも、目先の、小さな、プライドに、囚われすぎていたのかもしれんな」
リリアーナの、その、たった一つの、提案が、膠着していた、和平交渉の、その、空気を、一変させた。
二人の王は、初めて、敵としてではなく、同じ、未来を、見据える、競争相手として、互いを、認識し始めたのだ。
会談は、そこから、新たな、局面へと、入っていく。
領土問題では、なく、この、新たな、交易路を、いかにして、実現させるか。その、具体的な、協議が、始まったのだ。
リリアー-ナは、その、中心で、ミストラルで、培った、全ての、知識と、経験を、総動員し、二人の、王と、対等に、渡り合った。
その、姿は、あまりにも、生き生きと、そして、美しかった。
ゼオンは、彼女の、その、背後で、ただ、黙って、その、光景を、見守っていた。
彼の、胸には、誇らしさと、そして、ほんの、少しの、寂しさが、同居していた。
彼女は、もう、自分が、守らなければ、ならない、か弱い、姫君では、ない。
自分よりも、ずっと、ずっと、大きな、世界を、見て、その、未来を、自らの、手で、創り出そうとしている。
それで、いい。
それこそが、俺が、愛した、女だ。
彼は、ただ、彼女が、彼女らしく、輝ける、その、場所を、守り続ける、影で、あり続けようと、心に、固く、誓うのだった。