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第27話:届かぬ声、届いた声

第27話:届かぬ声、届いた声

帝都での、囚われの日々は、静かに、そして、緩やかに、リリアーナの心を、締め付けていった。

豪華な食事も、美しい衣服も、知的好奇心を、満たしてくれる、書物の山も。その、全てが、彼女にとっては、見えない、黄金の鎖のように、感じられた。

彼女は、まるで、精巧に、作られた、美しい人形のように、ただ、そこに、在ることだけを、求められている。

その事実が、何よりも、彼女の、誇りを、傷つけた。

唯一の、慰めは、窓から、見える、小さな、小さな、庭園だった。そこには、彼女の、故郷ミストラルでは、決して、見ることのできない、色とりどりの、南国の花々が、咲き誇っている。彼女は、毎日、その、花々を、眺めながら、遠い、北の故郷と、そこにいる、愛しい人々のことを、想っていた。

(みんな、どうしているかしら……。水路は、無事に、完成したのかしら……)

そして、何よりも、彼女の胸を、締め付けるのは、あの、二人の、英雄の、面影だった。

最後に、見た、ゼオンの、絶望に、満ちた顔。

クリストフ様の、怒りに、燃える、瞳。

彼らは、今、わたくしのことを、どう、思っているのだろう。わたくしが、いなくなったことで、悲しんで、くれているのだろうか。

その想いは、届くことのない、悲しい、独り言のように、彼女の心の中を、ぐるぐると、巡るだけだった。

そんな、ある日の、昼下がり。

部屋の、重い扉が、静かに、開かれ、一人の男が、入ってきた。

若き、帝国皇帝、ヴァルフレート。

彼は、公務の合間を縫って、こうして、頻繁に、リリアーナの部屋を、訪れていた。

今日の、彼は、皇帝としての、威厳に満ちた、軍服ではなく、動きやすい、簡素な、しかし、上質な、仕立ての、私服を、身につけていた。その、精悍な、顔には、悪戯っぽい、しかし、全てを、見透かすような、鋭い笑みが、浮かんでいる。

「やあ、赤髪の魔女。我が帝国の、暮らしには、もう、慣れたかね?」

「……おかげさまで。至れり尽くせりの、ご待遇に、感謝しておりますわ、皇帝陛下」

リリアーナは、長椅子から、立ち上がることもせず、ただ、静かに、皮肉を込めて、答えた。その、物怖じしない、態度が、ヴァルフレートには、かえって、面白くて、たまらないらしかった。

彼は、リリアーナの、向かいの椅子に、どさりと、腰を下ろすと、まるで、旧知の、友人にでも、語りかけるような、気さくな、口調で、話し始めた。

「君の、あの、水攻めの策、実に見事だった。我が国の、最高の、軍師たちでさえ、完全に、意表を、突かれたよ。おかげで、我が軍は、手痛い、損害を、被ったがな」

「……」

リリアーナは、黙っていた。彼の、その、言葉が、彼女の、心の傷を、容赦なく、抉ることを、知っていたからだ。

「だが、俺は、君を、責めるつもりは、ない」と、ヴァルフレートは、続けた。「むしろ、賞賛している。君の、その、常識に、とらわれない、発想力と、それを、実行する、胆力。それこそが、旧態依然とした、この、大陸に、新しい、風を、吹き込む、力だと、俺は、信じている」

彼は、身を、乗り出すと、その、黒く、燃えるような瞳で、リリアーナを、真っ直ぐに、射抜いた。

「リリアーナ。俺の、后になれ」

その、あまりにも、単刀直入な、求婚の言葉に、リリアーナは、美しい眉を、ひそめた。

「その、お言葉は、何度、お聞きしても、お受けすることは、できませんわ」

「なぜだ?」と、彼は、純粋に、不思議そうな顔で、問うた。「俺は、エルシュタインの、あの、若造の王よりも、遥かに、大きな力を、持っている。そして、あの、朴念仁の、騎士団長のように、過去の、亡霊に、囚われてもいない。君の、その、才能を、最も、理解し、最も、自由に、羽ばたかせることが、できるのは、この、俺だけだ。俺と、君が、手を取り合えば、この、大陸、そのものを、手に入れることさえ、できるのだぞ?」

その言葉は、野心に、満ち満ちていた。だが、それは、クリストフの、それとは、また、違う、純粋で、どこか、子供のような、キラキラとした、輝きを、持っていた。

リリアーナは、静かに、首を、横に振った。

「陛下。わたくしは、大陸など、欲しては、おりません。わたくしが、欲しいのは、たった一つ。わたくしが、心から、愛した、あの、北の、小さな土地の、平穏だけでございます」

彼女は、窓の外の、南国の花々に、その、視線を、向けた。

その、愁いを帯びた、美しい横顔。陽光が、彼女の、燃えるような赤髪を、透かし、まるで、後光が、差しているかのように、きらきらと、輝かせている。長く、白い首筋から、滑らかな、肩へと、続く、その、ラインは、神が、精魂、込めて、作り上げた、最高傑作の、芸術品のよう。

ヴァルフレートは、その、あまりにも、儚く、そして、気高い、美しさに、一瞬、息を、飲む。

彼は、今まで、欲しいものは、全て、その、力で、手に入れてきた。だが、目の前の、この、女だけは、違う。彼女の、その、魂は、どんな、権力をもってしても、決して、手に入れることが、できない、孤高の、宝石だ。

だからこそ、欲しかった。

どうしても、この手で、手折って、自分の、ものに、したかった。

「……そうか」と、彼は、諦めたように、言った。「ならば、仕方がない。君の、その、愛する故郷と、愛する男たちが、我が帝国の、軍靴に、踏み躙られるのを、この、美しい、鳥籠の中から、ただ、見ているがいい」

それは、優しい、脅迫だった。

リリアーナは、ぐっと、唇を、噛んだ。

一方、その頃。

エルシュタイン王国では、リリアーナを、想う、二人の男が、それぞれの、やり方で、行動を、起こしていた。

王城の、執務室で、クリストフは、一枚の、巨大な、大陸地図を、前に、夜も、眠らず、思考を、巡らせていた。

彼の元には、ミストラル領から、届けられた、一通の、手紙が、置かれている。

それは、リリアーナの、忠実な、老執事、セバスチャンからの、ものだった。

そこには、リリアーナが、ミストラルで、どれほど、領民に、愛され、慕われていたか、そして、彼女が、どれほど、あの、土地を、心から、慈しんでいたかが、老執事の、誠実な、言葉で、切々と、綴られていた。

クリストフは、その手紙を、読み、初めて、知った。

リリアーナという、女性の、自分が、まだ、全く、知らなかった、もう一つの、側面を。

彼女は、ただ、才能に、溢れた、気高い、だけの女では、ない。民を、愛し、土に、根差し、ささやかな、幸福を、誰よりも、大切にする、温かい、心を持った、人間なのだ。

(……俺は、彼女の、何を、見ていたのだろう……)

彼は、自問した。彼女の才能を、国の変革の駒としてしか見ていなかったのではないか。彼女を、王妃という名の、美しい鳥籠に閉じ込め、その輝きを、独占しようとしていたのではないか。

(王とは、民の幸福のために存在する。ならば、彼女の、一人の人間としての幸福を、願うことこそが、真の王の務めではないのか……?)

クリストフは、王として、彼女を、手に入れることと、一人の、男として、彼女の、幸福を、願うこと、その、二つの、矛盾した、想いの間で、激しく、揺れていた。

そして、もう一人。

ゼオンは、エルシュタイン王国と、グランツ帝国との、国境に近い、薄暗い、森の中にいた。

彼が、率いるのは、王国騎士団の中でも、選りすぐりの、十数名の、精鋭たち。リリアーナを、奪還するための、特殊部隊だ。

彼の腰には、戦地へ発つ前に、リリアーナ本人から直接手渡された、古びた革のお守りが固く結びつけられていた。

この、ささやかな、お守りが、今、彼の、心を、支える、唯一の、光だった。

彼の、耳には、今も、彼女の、あの、悲しい、声が、響いている。

『わたくしは、あなたが、好きよ……!』

その声は、届かなかったはずの、声。

だが、今、彼の、心には、確かに、届いていた。

俺は、何としても、彼女を、取り戻す。

そして、今度こそ、彼女の、その、全ての、痛みと、苦しみを、この腕で、受け止めよう。

彼女の、心が、本当に、望む、安らぎを、与えられるのは、王では、ない。この、俺だけなのだ、と。

ゼオンの、黒い瞳に、覚悟の、炎が、静かに、そして、力強く、燃え上がった。

届かぬ声、そして、届いた声。

囚われの、美少女を、巡り、三人の、男たちの、想いが、それぞれの場所で、交錯する。

大陸の、運命を、賭けた、壮大な、愛の、物語が、ついに、クライマックスへと、向かおうとしていた。

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