第一話 不安だらけの異世界ローンチ
「カクヨム」にて同時連載中
背中には、デリバリーバッグ。持ち込み荷物、これひとつ。
勢いで転生を選んだものの、完全にノープラン。
しかも42歳、ゴリゴリのおっさんのまんま。
……やばい。これからどうやって生きていけばいいんだ。
とてつもない不安に襲われながらも、俺は周囲を探索することにした。
辺りは森と草原。
現世の田舎とそう変わらない風景だが、舗装された道なんてない。
せいぜい、地道が一本のびているくらい。
「とりあえず、この道沿いに歩けば人と出くわすかも」
──今できることは、それくらいだった。
しばらく歩くと、道ばたで休んでいる男を見つけた。
剣を背負った、ガタイのいい男だ。
水を飲んでいる最中だったが、こちらに気づいて、じっとこっちを見てきた。
「おい、そこのおまえ」
「え?」
「……転生者、か?」
唐突すぎて、返事に困った。
「なんで?」
「そのカバン。あと、その顔」
「俺の顔?」
「ああ。“完全に詰んでるやつ”って顔だ。転生者はだいたいそうなる」
──図星すぎて何も言い返せない。
「ま、俺も本物見るのは初めてだけどな。転生者なんて、十年に一人、いるかいないかだ」
「そんなに珍しいんだ……」
「ああ。珍しいってだけで、別にすごくはねぇ。
ほとんどは、なんにもできねぇまま消える」
……その「ほとんど」に、確実に含まれそうで辛い。
水をひと口飲もうとして──ふと気づいた。
「あれ? ちょっと待って」
「ん?」
「なんで俺、あんたの言葉わかってんの?」
グランがきょとんとする。
「は? 何言ってんだ?」
「いや、俺、日本語しか話せないんだけど……これって日本語じゃないんだよな?」
「なんにほんごって?」
「……やっぱり」
おかしい。
でも、なぜか普通に会話できてしまっている。
(……転生面接のとき、そんな説明はなかったけど……)
たぶんそこは“おまけ機能”なんだろう。
言葉が通じないまま放り込まれたら、本当に詰んでいた。
(いや、でも……これぐらいはサービスしてくれないと、さすがに無理ゲーすぎるわ)
なんとなく納得した。
グランは皮袋の水をこっちに放ってきた。
「まぁいい。飲め。顔色が死んでる」
素直に飲む。
冷たくて、うまかった。
「で、おまえ、名前は?」
「……俺は──」
ちょっと迷った。
でも、なぜか口から出たのは、少し背伸びした一言だった。
「──42歳……ウエムラ……経……営者」
……あぁ、やってしまった。
何が経営者だ。
自己破産した元経営者が。
配達バッグ背負ったまま、何をイキってるんだ俺は。
グランは3秒ほど固まって、それから眉をひそめた。
「……けいえいしゃ? それ、なんだ」
「……えっと……人をまとめたり、事業を回したり……」
「で? 強いのか?」
「いや、たぶん全然」
「戦えるのか?」
「無理」
「……魔法は?」
「使えるわけない」
「探索スキルとかあったり?」
「しない……」
グラン、静かに深いため息。
「おいおい……で、何ができんの?」
「その……課題を整理して、役割分担を……あと、数字の管理とか……マネジメントできます」
「なにそれ。マネ? マネなんとか?」
「マネジメント」
「マネ……じめんと……? 呪文か?」
もう一回、水を飲みたくなった。
「まぁ、なんでもいいけどよ。まず登録所は行っとけ。
登録証がねぇと、宿も仕事も無理だ。
この国じゃ成人したらみんな登録すんだ。転生者も例外じゃねぇ」
「ありがとう。あの……良かったら案内してくれる?」
「ちっ、仕方ない」
グランはそう言って立ち上がった。
背中の剣が重たそうに鳴った。
「そういや、おまえ……登録したらどうするんだ? その、ケイエイシャにでもなるのか?」
「あぁ……なりたいね。こっちでは借金もないし」
「おまえ、借金あったのかよ」
「うん、あった。けど、帳消しにした」
「帳消し?」
「向こうの世界には“自己破産”って制度があってさ」
グランは目を丸くする。
「……なんだそれ。こっちで借金返せなかったら、死ぬしかねぇぞ」
「ですよねぇ、ハハ……」
いやほんと。
現世の法的救済って、神。
そこからグランの案内で近隣の町を目指し、30分ほどで到着した。
町はテンプレそのもの、ザ・中世の田舎町。
本来、登録所はギルドの中に併設されているらしいが、この町にはギルドがない。
登録だけを専門に行う、簡素な役所のような建物がぽつんと立っていた。
俺はグランに礼を言って、扉を開けた。
「こんにちは、登録希望ですか?」
冴えない中年の男がカウンターに座っていた。
ありがちなかわいい受付嬢──などいない。
完全に“市役所の住民票窓口”のそれだ。
「どうも、今日転生してきたばかりの新参者です。
とりあえず冒険者の方に言われて登録に来ました」
中年男は少し驚いたように目を細め、俺を観察する。
「いや〜、珍しいですね。転生者の登録は……10年以上ぶりですかね。
では分からないことも多いと思いますので、ざっくり説明しますね」
──この世界では、「登録証」がすべての基盤となっている。
身分の証明、職業の記録、信用の保証、就業や契約──
すべてがこの一枚の羊皮紙に集約されていた。
登録証がなければ、宿にも泊まれないし、雇われることもできない。
町に居る資格すらない。
転生者には、例外的に「仮登録証」が発行される。
その住所欄は空白。そりゃそうだ、家なんてない。
ただし、救済措置として──
登録日から7日間限定で、町の宿と食事の最低限の支援を受けられる。
この7日間で、自分の職業を決め、再び登録所に来る必要がある。
それが「この世界における市民になる」第一歩らしい。
さらに、この世界では“職業登録”が義務となっている。
国民の9割が「〇〇労働者」または「冒険者」で登録しており、
宿屋の主人や酒場の店主ですら“宿屋労働者”“酒場労働者”登録だという。
冒険者以外、いわば「雇用されること」「どこかに所属すること」がこの社会の信用の基本になっている。
職業欄が空白のまま7日が過ぎると、登録証は無効となり──
その人間は町にいられなくなる。
この世界は、ニートに冷たい。
──
登録証を手にした俺は、紹介された宿屋へ向かった。
町のはずれ、木造の二階建て。看板も出てない。
扉を開けると、黙々と掃除をしている老婆が顔を上げた。
「転生者かい?」
「はい……登録証、あります」
「二階の奥。一番安い部屋だよ」
鍵を無造作に投げられる。愛想はゼロ。
客扱いというより、保護対象に近い。
部屋は想像よりさらにショボかった。
ベッドと毛布。照明はなく、窓はかろうじて開く。
六畳もない。
夕食の時間になり、呼び出された。
メニューは──水のようなスープと、黒くて硬いパンが一枚。
とりあえずパンをかじってみる
「・・・か、カチカチやんけ!」
歯が欠けそうなハードな触感、42歳の歯茎にはつらい。
……これで“支援”か。
スープもぬるくて味気ない。
おかわりなど聞くまでもない。
ああ……なるほどな。これが、異世界の現実か。
この世界に来て、俺はまだ何もしていない。
それでも、時間は進む。
あと6日。
この間に“何者か”にならなければ──ただの不要物として扱われる。
ベッドに横たわる。天井は薄暗い。
剣も、魔法も、スキルもない。
42歳、経営に失敗した中年男。
でも、この世界でなら、まだやれるかもしれない。
この手でもう一度、何かを作れるかもしれない。
そんな希望だけが、かろうじて自分を支えていた。
……けれど、それは希望でしかなかった。
食事は一日一回、味も量もギリギリ。
部屋には鍵もなく、武器もない。
昼間は町の人々が行き交う平穏な場所も、夜になると気配が変わる。
風が窓を鳴らす。
その音に混じって、何かの叫び声が聞こえた気がした。
遠くで女性が、助けを求めているような、そんな声。
俺は思わず、体を起こした。
動悸がする、心臓が脈打つのを感じる。
何もできない。
外に出ても、助けられる力はない。
戦う手段も、逃げる知恵もない。
だから、ただ耳を塞いだ。
この世界がどれだけ苛烈なのか、
俺はまだ何一つ、わかっていなかった。
この場所は──俺が思っていたより、ずっと危険なのだ。
魔王を倒して、現世に戻る。
そんなことはもう頭にもよぎらない、明日からどう生きるか。
外から聞こえる悲鳴とともに、俺は、ようやくこの世界が現世とは違う“戦場”だと理解しはじめた。
今日は眠れそうも、ない。
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