第69話 首脳会議、そしてシェナルークの密約#1
薄暗い世界が広がる。辺りには何も見えず、手足は自由に動かせない。
体をゴロゴロと回転させられるが、できるのはそこら辺ぐらいだ。
でも、自分はこの感覚を知っている。
なんてことはない、ただ目を瞑っているだけだ。
目を閉じ、光を遮断した世界の中で、寝転がっているだけの感覚。
もっとも、さすがに手足が動かせないことに妙な謎が残るが。
ともあれ、もうすでに自分の意識は目覚めている。
なら、次は目を覚まして今の状況を確認するだけ――
「いつまで寝ている?」
その声は子供のように高く、されど重鎮のような威圧感があった。
同時に、寝転がる体が軋むような圧を感じ、急な息苦しさが肺を席巻する。
瞬間、自分の体は跳ね上がり、しかし上手く起き上がれずに転がった。
開けた視界の中で世界が回る。
赤い床が上を向き、玉座に座る少年が下を向いた。
背中に感じるからして自分はひっくり返ったのだろう。
そしてその姿勢はすぐにでも正さねばいけない。
なぜなら――ここが王の御前であるからだ。
「申し訳ありません」
一度うつぶせになり、芋虫のように体を起こしながらノアは謝罪した。
結果的に土下座したような感じになってしまったが、たぶんこれが一番いい。
目の前にいる王――シェナルークがこれまでにないほど不機嫌だからだ。
いちいち顔を見なくともわかる。
重々しい空気が、のしかかる圧が、のどが詰まりそうな殺意がその全てを語っているのだから。
そして自分自身、その逆鱗に触れた理由を理解していた。
「我が何を言いたいのか......いちいち説明しなくとも理解しているな?」
言葉の端々から伝わる濃厚な殺意が、体中に突き刺さる。
それも急所を外したような刺し方であり、実に怖気が止まらない。
人体は多大な警報の証として、大量の汗を流し、血の気を引かせた。
指先には痺れを感じ、冷たくすら感じる。
見えない黄泉の冷気が全身に纏わりついているようで、たぶんこの圧に負けたら死ぬ。
精神がポキッと折れたら、この体はシェナルークに乗っ取られる。
それを防ぐためには、決して精神だけでは負けちゃいけない。
虚勢でもいいから気を張れ、張り続けろ。
そして決して思考を止めず、適切な返答を心掛けろ。
それがきっとこの場においての唯一の活路だろうから。
シェナルークの問いかけから、僅かに空きそうになった時間を埋めるように、ノアが「はっ」と返事をする。
それから、短く深呼吸をすると、偽りのない回答を始めた。
「僕が軟弱であるために、『怠惰』のアビス王を倒せなかったことです」
「その通りだ、愚図が」
「――がっ」
シェナルークからの返答が来たと同時に、ノアは顔面に衝撃を受けた。
一瞬にして顎が打ち上げられ、口の感覚がおかしく感じる。きっと骨が砕けたのだ。
それだけじゃない、揺さぶられた脳で意識が歪み、視界が霞む。
真上に打ち上げられた衝撃で体は一直線に伸び、シェナルークの前で無防備を晒した。
いや、シェナルークからすれば、どんな相手でも無防備を晒しているのだろう。
そしてこれから行われるのは私刑だ。
「がっ」
伸びた体が、腹部を起点にくの字に曲る。
衝撃が一瞬にして腹部から背中に突き抜けた。
しかし、おかしなことに、拳を突き立てるシェナルークからノアの体が離れない。
まるで拳とノアの体の間に強力接着剤でもついているかのように。
直後、二度目の衝撃がノアを襲う。
今度は腹部から伝わった衝撃が、体内の隅々までいきわたるような波の攻撃であった。
体が沸騰するような痛みに襲われ、今度は拳から離れ、盛大に吹き飛んでいく。
血反吐をぶちまけながら、ノアは地面を数度バウンドし、その後転がる。
精神体のはずなのにダメージエフェクトがあるのは、きっと精神ダメージの表現なのだろう。
そんな無益なことを考えてしまうのは、痛みから少しでも意識を逸らしたいからなのか。
「我の魔力を使っておきながら、我の肉体でありながら、たかだかリュドル程度に後れを取るなど恥を知れ」
言葉の合間に、シェナルークからノアの腹部へ鋭い蹴りが入る。
その蹴りはただ死体蹴りするようなものではなく、さながらボールでリフティングするように。
ノアの体は幾度も浮かび、地面に落ちるその度に蹴りで打ち上げられた。
「加えて、我が一度手助けしておいてのこの体たらく。
我は傲慢なる存在だ。なれば、誰よりも上にいることが我が存在意義。
それを貴様のような愚弱に一度泥をつけられそうになった。
それがどういう意味かわかっているのか? 答えてみよ!」
リフティングで浮かせたボールでシュートするシェナルーク。
ボールに見立てた頭は弧を描くように、入り口側から玉座側へ飛び、
「申し訳――」
「聞こえんな。その程度か」
謝罪を述べようとしたノアの行き先を先回りしたシェナルークが再び蹴り返す。
今度は斜め下に向かって吹き飛ばされたために、ノアの体は床に激しく叩きつけられて転がった。
「――っ」
全身から感じる激痛と、骨まで響く鈍痛にノアは顔をしかめた。
体の至る個所から火で炙られているような熱を感じ、脂汗が滝のように流れる。
しかし、そんな状況でも自分が口にするのは、痛みに悶えた声ではない。
今、求められているのは、主君の手を煩わせた臣下としての謝罪だ。
そして謝罪の内容は、シェナルークからの試練を突破できなかったことに対するもの。
シェナルークを倒す手段が「自殺してもらうこと」しかない以上、それを実行してもらえるぐらいの信頼構築をするのが必須である以上、どうあがいたってノアは下手に出るしかない。
それが――全てのアビス及びアビス王を倒すと決めたものの「傲慢」なのだから。
「自分が弱いばかりに、主君たるシェナルーク様の手を煩わせて申し訳ありませんでした!」
寝転がる体を仰向けにし、背中を丸めて正座する。
同時に、額を地面に擦り付け、誠心誠意の言葉で謝罪した。
口の端から血が滴り、鼻先に流れようと、許可が下りるまでその姿勢は崩さない、崩せない。
「......それだけか?」
ゆっくりと頭の方から近づいたシェナルークが、小さな足をノアの頭に乗せた。
そのまま足をグリグリと動かし、床へ押し付けるように少しずつ力を込める。
そして先ほどの言葉をもう一度繰り返し、
「それだけか!」
「――ですから!」
シェナルークの激発した声に負けじと、ノアも腹の底から声を出した。
そして踏みつける足から無理やり頭を脱出させると、決して折れぬ黒の双眸をぶつける。
脱出の際に擦り切れた額から血が流れ、それが鼻筋を取って顔を赤く濡らすが、それでも構わずノアは言葉を続けた。
「どうかもう一度僕にチャンスをください!
次こそは、シェナルーク様が与えてくださった試練をクリアしてみせます!
それでもクリアできなかったその暁には――この命でもって償わせていただきます!」
ノアが宣言した言葉、それは事実上の切腹宣言であった。
しかし、それぐらいの言葉を尽くさねば、目の前にいる王は聞き入れすらしないだろう。
もちろん、その言葉が自分で自分の首を絞めている自覚はある。
とはいえ、それが自分の目的に近づくのであれば、ノアとて引くことはできまい。
その言葉に対し、シェナルークは紅の瞳を一切ブラさず、
「その言葉に偽りはないな?」
ただ一言、ノアに対して言葉の真偽を確かめた。
となれば、自分が言う言葉は決まっている。
「はい、偽りはありません。僕にも譲れない果たしたい約束がありますから」
「......フッ、いいだろう。貴様の『傲慢』に免じて許してやる。
ただし、この一度限りだ。それだけは心根に刻んでおけ」
そう言って、シェナルークが玉座に戻る。
そこでいつもの足組みの頬杖ポーズを取ると、未だ姿勢を崩さぬノアを見た。
そしてその姿勢から放たれる強い眼光に、シェナルークが目を細めると尋ねる。
「まだ何か用か?」
「はい、あります。差し出がましいお願いとは重々承知なのですが......」
「.....言ってみろ」
「僕を鍛えて欲しいです」
シェナルークに追求したノアの要求、それは実におかしいものであった。
そもそもノアが現状でも生かされてる理由は、シェナルークの恩情と言っていい。
普通、自分を殺そうと明言している人間を生かす理由がないからだ。
その願いが通用したのも相手がシェナルークという絶対的強者だからであり、ましてや啖呵を切ったあの時とは違い、今のシェナルークの機嫌は悪い。
そんな状態でシェナルークの要求は叶えられず、しかもチャンスを与えた上でさらに自分の要求は通そうなどとあまりにも図々しいことこの上ない。
「.......」
そんなあまりにも愚かな発言に対し、シェナルークは非常に静かだった。
傲慢のまま感情を激発させ、一瞬にしてノアを消し去ることもできただろうがそれをしない。
しかし、ノアに向ける瞳は相変わらず冷たいままであり、
「.....我のもとで特訓すれば、次の雑魚には勝てると?
それは貴様にとって、絶対に失敗できないことを.....いや、もとよりそうであったな」
小さく言葉に出し、シェナルークが思案顔を見せる。
しかし、それも瞬きのような短さで終わると、伏せた視線を再びノアに向ける。
「小僧、我が技術を授ければ、勝てる......そう言いたいのだな?」
「当然です」
「ククク......そうか、どのみち自ら退路を断ったんだ。
その傲慢な勇姿を評価して、貴様に我が持つ技を教えてやる」
「はっ、ありがとうございます!」
上機嫌にシェナルークが笑うのを見て、ノアが深々と頭を下げる。
それは当然、額を床に擦り付ける姿勢だ。
最大限の平服、それがこの恩情に返答できる唯一のノアの誠意。
それを見届けると、シェナルークが「話は終わりだ」と言い、ノアとシェナルークの間に永遠に等しい距離ができる。
そう、それはノアの意識がシェナルークの精神世界から離れ、現実世界に戻る時の現象だ。
「――そうだ、一つ言い忘れていた。態度を誤るなよ?」
ノアの意識が遠のく最中、シェナルークからそんな言葉が聞こえた気がした。
******
―――現実世界
現在、ノアは非常に困惑の最中に立たされていた。
それもそのはず、自分の全身を覆うように拘束具が装着されているからだ。
さながら垂直に立たされたミイラ男のような感じであり、口にも動物がつけるような最低限の口が動かせるだけのマスクがついている。
そんな状態のノアがいる空間が、真っ白な何もない部屋だ。
いや、正確には正面にあるガラスと、四隅の監視カメラ以外何もない部屋だろうか。
ともかく、まるで殺すこともできないから厳重に管理されている怪物のような状態がノアであり、その彼をガラス越しに眺めるのが怯えた様子の研究員達である。
そしてその部屋の中に一人の男の声が響き渡った。
『どうかな、拘束着の感触は? お気に召さないなら申し訳ない――『傲慢』のアビス王シェナルーク=スペルビア』
しゃべっているのはガラス越しに見えるマイクを持つ男だ。
そんな彼の口から放たれた言葉に、ノアの血の気が一気に引いていく。
それ即ち――、
(どうしてその名前が出てくるんだ!?)
困惑だった思考は一気に別の感情に支配され、心臓が途端に鼓動を早めた。
体中が拘束具で覆われていることもあり、すぐさま体中が熱くなる。
加えて、困惑しているのはその名前が出たからだけではない。
まるで決め打ちするような感じで、ノアの目覚めとともにその名前を呼んだのだ。
つまり、そう決定付ける何かがあったということになる。
しかし――、
(ダメだ、何も思い出せない.....!)
すると、そこで問題になるのがノアにその自覚はないことだ。
ノアが思い出せるのは、リュドルによって首根っこを掴まれたのが最後。
そこから目覚めたらこうなっているのだから、まるで説明のしようがない。
なら、気絶する前にバレた可能性を疑うが、それも可能性としては低い。
仮に、シェナルークの魔力でバレたとすれば、もっと前からバレているはずだ。
それに、リュドルとの戦闘した場所は、リュドルの瘴気によって魔力を使用する機器は軒並み使用できなくなるはずであり、それでバレるとは考えにくい。
「あ、あの......何が何だかサッパリなんですが」
だからこそ、ノアは返答をとぼけることで、情報を探ることにした。
どうしてシェナルークの存在が露見したかわからないが、バレてしまった以上、その中からどうにかして活路を見出さないと殺される――この都市の全員が。
『......そう来たか。とはいえ、あなたもすでに理解しているはずだ。
私達がわざわざそうやって問いかける理由を。
魔力反応や市街地の監視カメラからでも姿を確認している。このようにね』
研究員の男がそう言った直後、ノアとガラス窓の間にホログラムモニターが浮かぶ。
そのモニターには激しく揺れる映像が映し出されていた。
カメラか地面のどちらが揺れているのかわからないが、その映像を眺めていると、突然フェードインしてきた壁に対し、片足だけで止める自分の姿があるではないか。
加えて、その自分は壁を蹴り返した後、なぜか自動販売機をぶん投げている。
正直、自分である心当たりがないが、自分でないとすれば、その仕業はもう一人しかいない。
(シェナルークが何かしたのか!?)
瞬時にそう思ったものの、しかしそう考えないと現状の辻褄が合わない。
ノアが今生きているのは、あの激戦地から救出されたという証拠なのだから。
しかし、朧げな記憶の最後では鐘の音で全員眠ってしまったはず。
つまり――、
(そうか、シェナルークがリュドルを倒したのか......!)
そうでなければ、この状況にも説明がつくまい。
そして先ほどの映像は、自分の肉体を使ったシェナルークが正しく戦っている証拠。
そう、シェナルークは自分の命の恩人でもあり、この状況を作り出した張本人でもある。
なんとも素直に感謝しずらい状況に、ノアが口をムズムズとさせた。
そんなノアの表情か、または別の何かで読み取った研究員の男が話を続ける。
『どうかな、これでわかってくれたと思うけど、バッチリ証拠が残ってる。
そして監視室で捉えた魔力反応も、十六年前の戦いで収集したデータと魔力波形が一致してね。
これ以上の言い逃れは難しい。認めざるを得ないと思うよ』
つまり、状況的にはチェックメイトと言われてるようなものだ。
実際、映像を見せられてしまった以上、ノアにそこから逃れる術は持っていない。
万事休す――かと思われたが、次の一言で風向きが変わった。
『とはいえ、それだと少々辻褄が合わないのはこっちも理解している。
なぜなら、前に『傲慢』のアビス王が現れたのは十六年前だ。
そして君の年齢も十六歳。加えて、君が生まれたのは戦いの後だ』
研究員の男の言葉は本当だ。
ノア自身も今は亡き母親やライカの父親からそこら辺の話を聞いている。
とはいえ――、
『だから、君自身が『傲慢』のアビス王とは思わない。
だからこそ、どうして君の体にアビス王がいるのかわからないとも言えるけど。
しかし、これだけはハッキリ断言できる――君は危険な存在だ』
ノア自身がシェナルークとは違うと理解してもらっても、その脅威度はなんら変わりない。
それはノアが何を言っても覆ることはなく、何より自分自身で理解してることだ。
となれば、気になるのは今後の自分の処遇となるが。
「......僕はどうなるんですか?」
『そうだね、君のような子供に言うのは非常に酷だが......事が事なのでハッキリ言う――死んでくれ』
あまりにも淡白でストレートな言葉、しかしその言葉にノアが瞠目することはない。
なぜなら「そりゃそうだろう」という答えでしかないからだ。
『正直、メディカルチェックしても君の体は従来の人間そのものだ。
だから、解剖して調べることもできなければ、仮にそれができても本人が黙っちゃいないだろう。
そして何よりも、十六年前の恐怖を知る者達としては、『アビス王は即刻殺せ』というのがお偉いさん方の判断だ』
そう言う研究員の顔は、少し残念そうに見える。
恐らく目の前にいる生存したアビス王という研究対象に対して手が出せない悲しさだろう。
『正直、我々としてもアビス王から貴重な意見を伺えるこんなチャンスを逃すのは惜しいと思っている。
だがそれ以上に、その研究も命あっての物種だ。だから、受け入れることにした』
正直、ノアとてライカとの約束がある以上、死にたくはない。
加えて、今回のリュドル戦でも理解したが、今後もシェナルークの魔力は必要だ。
そういう意味では、シェナルークを殺すのは反対である。
とはいえ、それ以上に気になるのは――、
「では、これから僕を殺すってことですか.....その、できるんですか?」
その意見が出るということは、最低限シェナルークを殺せる手段を確保していないと出ない言葉だ。
しかし、その言葉における信用度はあまりない。
それは、実際にノアがシェナルークと対面しているから感じることで、もし今この拘束状態のことを指しているなら、非常に甘い考えとしか言わざるを得ない。
そんなノアの憂慮に対し、研究員の男は声高にし、
『あぁ、理論上は可能だ。そしてその理論に乗っ取って作られたのがその拘束具。
それは過去に確保したアビゲイルの核をもとに作成した魔力阻害効果が施されている。
アビスという存在は、アビス王の魔力瘴気によって肉体が作られた、もしくは変異した存在。
そんな魔力の塊であるアビスもといアビス王の行動を阻害するのがその拘束具でもある。
つまり、それに捕まった以上、どんなアビス王だって身動き一つ取れやしない』
「いや、それはさすがに――甘いなぁ」
前半のノアの声から一変して、後半の声に厚みが出る。
加えて、一瞬にして重々しい空気が席巻し、その圧でガラス窓がガタガタと震えだした。
それを感じたのは研究員達も同じであり、一斉に顔を青ざめさせていく。
「では、我が動けば貴様らの理論は破綻するな」
そんな中、ただ一人その圧を作り出すノア、否、シェナルークが不気味な笑みを浮かべた。
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