第56話 怠惰との戦い、そして生きるか死ぬか#2
突然に始まったタイムリミット。
それは戦いの終わりを意味し、敗北を示し、死ぬことを表す。
先のリュドルの話が本当であれば、いや、本当なのだろう。
この場で嘘をつくほど相手は切羽詰まって無ければ、ほぼ負けはないのだから。
状況を整理しよう。
これまで自分はアリューゼ、オルクス、マチスの三人と共闘してリュドルと戦っていた。
相手へのダメージが核を壊さない限りほぼ無意味である以上、押されてるのはこちらで間違いない。
とはいえ、全く成果が無かったといえば、きっとそうではないだろう。
侵食領域の中にも関わらず、誰一人離脱せずリュドルと戦えている。
自分以外の三人は、とっくに限界ぐらいの魔力を使ってるはずなのに。
「アリューゼさん、体の調子は大丈夫ですか? ダルさとか」
「いえ、幸いそういうのは無いわね。
魔力の消費や体力の消耗で疲れてはいるけれど、以前の任務の時に感じた不自然なやる気の減退とはかあまり......それがどうしたの?」
「いえ、何でもないです。ただ、皆さんが動けてるのが心強くて」
「そうね。誰一人欠けても今頃生きてはいられなかったでしょう」
僕の質問に答えながら、アリューゼさんはある位置方向に視線を飛ばす。
その視線の先にあるのは、氷の山であったり、水が滴る建物であったり、斬り刻まれた道路であったりとともかく様々なもので溢れていた。
しかし、なんとなくだが、アリューゼが見つめていたのはその景色なんかじゃないだろう。
この場所から数百メートルほど移動した位置にある勇姿ある隊員達の亡骸。
きっとそれを想って、先ほどの言葉を紡いだのだ。
そう、これは決してノア一人が作り出した奇跡じゃない。
傷つき倒れた隊員、その隊員の意思を引き継ぐ隊員の絆があって生まれた必然だ。
だからこそ、今も侵食領域に負けず、四人も生き残っている。
(そして、それはリュドルにとっても異常事態のはずだ)
確かに、リュドルは余裕なのだろう。
実際、四人がかりでも命を脅かすに届いていない。
とはいえ、そんな相手が見るからにヤバい技を使ったという心理には必ず意味がある。
ここまで手こずらされると思っていなかったのだ。たった四人を相手に。
もしくは、一抹でも殺される可能性があることを感じ取ったか。
だとすれば、それだけ自分達は脅威になっているということだ。
(それを言い換えれば、俺達の勝率が上がっているということだ)
アビス王を相手に、限りなく低い勝率が一パーセントでも上がった。
であるならば、単純に勝てる確率が上がったという意味であり、このまま上げ続けていけば、必ず勝利の兆しが見えてくるはず。
「だとすれば、それは俺の役目」
「ノア君......?」
支えを借りていたアリューゼから立ち上がり、ノアは正面に見えるリュドルに視線を飛ばす。
リュドルに勝つための勝率を上げる方法、それを客観的に考えれば、他の三人では無理だ。
それはうぬぼれでも何でもなく、純粋な意見であり、きっと間違っていない。
それじゃ、どうして自分なら勝率が上げられるか――シェナルークの魔力があるからだ。
同じアビス王である十六年前の悪夢の魔力を。
シェナルーク曰く、自分はまだ完全に魔力を使いこなせていないらしい。
アビゲイル相手に苦戦しているのが良い証拠だと。
それを使いこなせていないのは、単純な自分の怠慢でしかない。
だからこそ、その力を完全にものにしてリュドルを完全に仕留める。
そのために、一度大きく深呼吸して、ノアは口を開くと、
「アリューゼさん、オルクスさん、マチスさん......これから俺はもっと魔力を解放します。
ただそれは、俺自身にも先輩方にもどういう影響を及ぼすかわかりません。
ですが、勝利のために承認よろしくお願いします!」
そう言うと、一瞬目を丸くしていた三人の先輩達であったが、
「ふっ、自分を犠牲にする気の全力ね。えぇ、その覚悟を私が見届けます」
「逆に言えば、今まで手を抜いてたってか? いや、手は抜いてないか。
そんな事すれば今頃死んでるだろうしな。あぁ、かましてやれ!」
「えぇ、任せたわ。もちろん、私も可能な限りサポートするから」
アリューゼ、オルクス、マチスの三人から送られる声援の言葉に、ノアは背中を押される。
そして「ありがとうございます」と短く感謝を述べると、軽く構えた。
「お、弟よ。何かやるのか? 兄ちゃんに見せてくれ、どんな凄いことをしてくれるんだ?」
「お前を殺すことだよ!」
瞬間、ノアは体に包み込む魔力を一気に解放した。
ダムの一部が決壊し、溜まりに溜まった水が一気に放出されるように、ノアの細い魔脈を激流が満たしていく。
「――っ!?」
瞬間、体の全身に激痛が走った。
まるで空気に触れるだけでも痛いとばかりに、ノアは奥歯を噛みしめる。
その噛む力も奥歯を噛み砕く勢いでなければ、耐えられないほど。
まるで水を流すホースの先端に無理やり栓をし、それでも水を流すを止めないため、ホースが内側から膨張するようにノアの魔脈も膨張を始める。
それから、それはすぐに周辺の神経を圧迫し、全身が絶えず高圧電流が流れているようで意識が飛びそうになった。
しかしその結果、全身のあらゆる管が太くなり、溢れんばかりの魔力で表皮から光が眩く輝く。
体表に出現している魔力回路は、激流に沿って拡張を始め、太いペンで描き直したように全身のボディペイントが上書きされていく。
それもついに落ち着いてきた頃、ノアの全身の筋肉が僅かに膨張し、もともと華奢な体つきが少しガッチリと変化した。
加えて、手の甲や腕、首筋に至るまで血管が浮き彫りになり、紅の瞳の周辺が僅かに血走る。
「ハァハァ.....これがたぶん俺様が動かせる限界ってことか」
僅かに前かがみになり、大きく開けて呼吸する口からボタボタと血が落ちた。
膨張の圧力に耐えきれず、内臓の一部が傷ついてしまったみたいだ。
しかし、そんなことはリュドルに勝つためには些末なこと。
「これは.....」
その時、右手の甲に青白く光る紋様が現れていることにふと気づく。
その手にあったのは、デフォルメされた天使が剣を抱くデザイン。
この作戦が始まる前に大広間にあった旗のシンボルと同じだ。
ただし、手の甲の向きとしては逆で、天使の輪っかが手首側に向いている。
これではパッと見、天使が地上に向かって落下しているように見える――
「って、こんなことはどうでもいいか。それよりも、体は......よし動く」
軽く頭を横に振り、拳を軽く握ったり開いたりして感触を確かめる。
体の感覚に違和感は無く、むしろ体が先程よりも軽くすら感じた。
そんな状態に僅かに邪悪な笑みを浮かべ、ノアは背後へ振り返ると、
「さて、いい加減殺しましょうか。あまり調子に乗られるのもムカつきますし」
そう言って、アリューゼがメガネをクイッと上げ、
「ハァー、さっさと代表に仇を取るぞ。俺達を舐めてることを後悔させてやる」
そう言って、オルクスが槍を振り回して構え、
「もういい加減あったまに来た。あのふざけた口を黙らせる」
そう言って、マチスが前髪をかき上げた。
その態度は先程の普段の彼らとは違い――いや、全く違うわけではないが、どこかおかしな怒りが宿っていた。
さながら、プライドの高い人が自分より弱い存在にコケにされて苛立っているような。
人間という存在がリュドルから舐められてることには変わりないが、それでも先程のリュドルの能力によって戦意喪失に近い衝撃を受けていたはずだ。
にもかかわらず、その衝撃がまるで無かったように。
(この性格の変化.....やはり、そうか)
三人の先輩方の変化に、ノアは心当たりがある。
というか、この影響が出ることを考えたからこそ、その三人に忠告したのだ。
そして予想通り、シェナルークの魔力による影響が出た――「傲慢」な性格の改変だ。
それは言い換えれば、シェナルークの魔力侵食であり、それが三人の人体に一体どういう影響を及ぼすのかわからない。
もともとシェナルークによって肉体が魔改造されたノアとは違うのだ。
人体に害をなす毒を吸い続けのと同じで、それが人間に悪影響を及ぼさないことがない以上、今のノアに出来ることは三人の体が無事を祈ることのみ。
(くっ、身勝手な話だ)
こんなことでしか戦えない自分に腹が立ち、思わず歯噛みする。
もっと早くから魔力を解放出来ていれば、もしくは魔力の制御が出来ていれば、今頃仲間に迷惑かけるような博打なんて取らなかっただろうに。
しかし、そんなことを今考えたとて仕方ない。
その責任を受け入れると決めたからこそ、限界まで魔力を解放したのだ。
シェナルークの魔力の毒が仲間の全身を巡る前に、リュドルと決着をつける。
それが、今の自分に出来る精一杯の償いなのだから。
「ん......妙な魔力の気配だ。オイラはこれを知ってる......?
だけど、それがお前からするのはおかしい。んじゃ、気のせいか。
まぁいいや、考えるのは面倒だ。いいぜ、かかってきな」
「吠え面かかせてやる」
手をクイッとさせて挑発するリュドルに対し、ノアは前かがみに倒れた。
両足を揃えたまま自然とから向くからだから咄嗟に踏み出される右足。
瞬間、ノアの体は踏み込みの爆裂音と共に掻き消えた。
次に現れたのは、リュドルの背後だ。
振り向くこともしておらず、無防備を晒す後頭部に向かってハイキックをノアはかました。
「――っ!?」
その攻撃は、まるで攻撃軌道が読まれていたようにリュドルに腕でガードされたが、そのガードの上から腕をへし折り、そのまま頭部に接触――吹き飛ばした。
たった一撃のハイキック。
これまでであれば、平然と受け止められていたはずだ。
しかし、シェナルークの魔力によって最大まで引き上げた筋力が、リュドルの絶対的な防御を打ち破る。
されど、それで油断してはいけないのが、アビスとの戦いだ。
常人では致命傷どころか即死レベルの攻撃であろうとも、アビスにはかすり傷にもならない。
つまり、腕を吹き飛ばそうが、頭を粉々にしようが、次の攻撃がやってくる。
「ぐっ!」
リュドルの残った腕、長い袖が靡く裏拳が後ろにいるノアを叩いた。
咄嗟に腕を立てノアはガードする。
しかし、強化されたのはリュドルも同じであるのか、衝撃が体を吹き飛ばした。
体にロケットを搭載されたように、肉体が一直線に高速移動し、移動した向きと反対側の地面を跳ねながら体が回転。
激しい打ち身に頭が麻痺するような痛みに襲われるも、歯を食いしばって耐える。
同時に、地面に触れる箇所を意識することで、僅かな空中移動の間で姿勢制御し、ノアは両足から地面に着地した。
「波紋槍乱突き」
すぐさま正面を向くと、目を血走らせたオルクスが水の螺旋を纏わせた槍で突撃していた。
数多の蜂が己の武器を最大に活かして突撃するように、オルクスによる槍の乱撃が繰り出され、それらが正面、左右と三方向から一斉に繰り出される。
先程よりも見て分かるほどの動きの速度もキレ、まるでオルクスが三人いるようだ。
そんな攻撃に対し、リュドルも先程よりも少しだけ余裕をなくしたような表情で対処しているのわがかった。
しかし、それでもイマイチ足りないのか、リュドルに致命傷を与えるには至らない。
風の斬撃と、弾丸のような雨粒が周囲一帯の景色を変貌するだけで、オルクスの攻撃が捌かれ続けているのだ。
ならば――、
「強化分裂弾」
オルクスがリュドルの動きを抑えている隙を狙って、ノアが銃口から計六発の弾丸を発射した。
魔力を多めに込められた破壊力満点の一撃が、その数をさらに二倍に増やし、最大十二発。
それが津波のように迫る槍の重撃を防ぐリュドルの横から核を穿たんと迫る。
そんなノアの攻撃に対し、リュドルの視線が僅かにチラッと視線を向けた。
それから、オルクスの攻撃の一部を無視するように、両手の掌を胸の前で叩き合わせ、
「天蓋層断風」
瞬間、リュドルの体を纏うに様に風の防御壁が発生する。
半球状の渦巻く風の多重層がリュドルの槍を弾き、ノアの弾丸を防いだ。
それだけではなく、リュドルの頭上から降り注いだ水の矢の一撃、いつの間にかリュドルの周囲を包み込んでいた冷気からの氷柱の刺突すらも、その風は全て防いでしまった。
(あの多重攻撃を受けながらまだ反応できるのか!?)
その事実に、ノアは驚愕の表情を浮かべる。
四人の一斉攻撃、そのどれも致命傷を狙うには十分な威力であった。
しかし、それすらも核以外無傷というアドバンテージを最大限に活かして、アビス王は防いでしまう。
なんという強さか。わかっていたことだが、それでもなお驚かされる。
同時に、ここまでしても届かないことにもう何度奥歯を噛みしめたことか。
(しかし、諦めるわけにはいかない)
もとよりその選択肢がないともで言おうか。
リュドルとの戦いを始めた以上、どちらかの死しかこの戦いに終着はない。
リュドルから発生した風の多重層は徐々に膨張を始めた。
触れたものを皆粉々にきり裂きながら、ノアに接近していく。
避けるにはその多重層の膨張速度が速すぎる。
だから、その場から離れようと、ノアが背後にある建物の屋上まで大きく跳躍すれば、
「急激に強くなったね。それもお前が魔力を解放してから。
一体何をやったんだい? それがお前の唯一無二の魔法か?」
「そうだ!」
「それはいいな。凄いぞ」
すぐさま背後に振り返り、ノアが右手の銃のグリップの底で殴ろうと腕を振った。
しかしその攻撃は、手首からリュドルの左手で受け止められる。
直後、視界がすぐさまブレ、肉体が強い風に包まれた。
姿勢制御がすぐに出来ない――吹き飛ばされたようだ。
砲弾のような速度で背中から建物に衝突し、いくつもの壁を突き破って地面に着地。
土ぼこりと小さな瓦礫を顔に乗せたノアが、視線を真っ直ぐ正面に向ける。
そこは先程自分が通って来た道であり、光が差し込む風穴が開いていた。
そこから急速に迫る黒い影、否、手刀を構えたリュドルだ。
「なぁ、それはどんな魔法だ? 兄ちゃんに教えてくれよ」
「誰がっ」
咄嗟に横に転がれば、先ほど自分がいた位置にリュドルの手刀が突き刺さった。
遅れてやってきた衝撃に体が僅かに浮き、それを利用して立ち膝に移行する。
それからすぐさま正面に体を向け、地面に突き刺したままリュドルが視線を向けると、
「つれないこと言うなよ」
アンダースローするようにひっかき上げたリュドルの手から四本の風の爪が迫る。
それらは地面を裂くように走り、纏う雰囲気から触れれば肉体が裂ける一撃だろう。
だから、それを躱すようにノアは旋回を始める。
すぐそばは盛大に建物が斬り刻まれ、風圧で瓦礫が空中を大きく舞った。
そんな光景に一瞥もせず、ノアは銃口を向けて乱射。
もはやその攻撃は当たることを目的としていないただの牽制だ。
それが相手にもわかっているのか、リュドルはニヤリと口元を歪め、
「そんなんじゃ、いつまで経ってもオイラ勝てないよ」
長い袖から白い手を突き出し、ひっかくように爪を立てた両手を外に向けるようにして、リュドルが胸の前に腕をクロスさせる。
何かの強い攻撃の前兆だ。
それが分かった途端、ノアに突きつけられるのは「進む」か「下がる」かの二択。
(いや、下がった所で避けられるかわからない)
だとすれば、進んで少しでも勝機を見出すのが今の自分に出来る仕事だ。
それに、前提として忘れてはいけないのが、自分は一人で戦っているわけではないということ。
―――ガッ
走り込むノア、それに対してリュドルがクロスさせた腕を解放させようとしたその時――壁を突き破る衝撃音とともに何かが飛び出した。
ひび割れた壁から圧力のかかった水が一斉に飛び出したように、水を纏った槍が一本、攻撃直前のリュドルの真横から迫る。
あの槍、間違いなくオルクスが投げた槍であろう。
その攻撃が目前まで迫った時、リュドルは一瞬にして腕を振り上げ、槍を弾く。
真っ直ぐ真上に軌道を曲げた槍が建物の天井を貫く最中、ノアは一気に踏み込んだ。
それに気づいたリュドルがもう一本の腕を横に振り抜くが、その斬撃をスライディングして通り抜けると、すれ違いざまに銃弾を二発撃ちこむ。
直後、虚を突いたその一撃はリュドルの肉体を二つに千切り、浮き上がった上半身を立ち上がったノアが外方向に向かって蹴り飛ばした。
(まだだ、核を壊さない限り下半身が再生する。急がないと!)
遠く飛んでいくリュドルを見ながら、すぐさま体勢を立て直し、ノアは再び走る。
視線の先では、両腕を動かそうとするリュドルを阻害するように、氷塊と水の矢がその両腕を引き千切った。
「両腕が無い。下半身の再生もまだ。イケる――オルクスさん!)
空中に浮かぶリュドル死に体、それに最も近くに居るのはオルクスだ。
目の前にいる英雄候補は、手元に回収した槍を突き出し、十六年ぶりの英雄にならんと銀閃の一撃を放つ。
「これで終わりだああああぁぁぁぁ!」
――ゴーン♪
魂の叫びが聞こえた直後、それをかき消すような一つの鐘の音。
まるで心が浄化されるような心安らぐ耳心地のよい音色が鼓膜を打つ。
瞬間、走っていたノアの意識は急速に透明になり、瞼が無意識に閉じていく。
しかし、シェナルークの魔力が阻害しているのか、すぐさま寝落ちするということは無かった。
それでも、頭がガクッと落ちそうな微睡を泳ぎ、体の力が抜けていく。
一拍、目をパチッと開けたノアの目の前に地面が迫った。
違う、地面が迫っているんじゃない。体が倒れているのだ。
「まず――」
そう気づいた時には、時すでに遅し。
踏み出す足も間に合わないまま、ヘッドスライディングする勢いで地面を滑る。
このままでは格好の的だ。だからこそ、すぐに体勢を立て直し、状況確認を――
「――ぁ」
立ち膝になり、見上げる視線の先、完全復活したリュドルとオルクスがいる。
ただし、首根っこ掴まれたオルクスがリュドルの手刀で刺される状態で。
一瞬、頭の中が白く染まるのを、ノアは確かに感じた。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)
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