第52話 姉妹ケンカ、そしてケンカの行く末#3/上司と部下、そして最後の戯れ#1
激戦の姉妹ケンカ、それもついに終わりを迎えた。
しんしんと降り続ける雪によって出来た白い大地に立つのは、生者であるアストレアだ。
大きく肩を揺らして呼吸する彼女の眼下、そこには複数のブロックに切断されたクルーエルの姿があった。
先程のアストレアの拙い<白糸>によって、鳩尾にあった核が割れ、再生は不可能。
アビスとしての死を迎えた彼女の肉体は少しずつ滅び始める。
そんな空気に溶け行く姉を、アストレアは強化術式を解いて眺めた。
すると、クルーエルが嬉しそうに声色でアストレアに尋ね始め、
「アスちゃん、今のって私の<白糸>よね?
それも片手から五本.....私でも制御が難しいから二本なのに。
一体いつからその技を身に着けようと練習していたの?」
「昔にお姉ちゃんが、私を助けるために使ってくれたのを見てから。
いつかお姉ちゃんを驚かせようと思ってて......でも、まだ上手く出来ない。
それに、高圧縮の放出の水なんて、魔力を湯水のごとく使うようなものだから。
高火力だけど燃費がひたすらに悪いし」
「そうね。私は出来るだけコスパ良く使いながら練度を高めたものだから。
でも、アスちゃんの拙いけれど、その努力の証が私を倒した。
それは紛れもなく事実よ。それは誇っていていいわ」
クルーエルからの手放しの賛美、そのことにアストレアは嬉しかったし、喜びたかった。
でも、目の前にいるのがアビゲイルとなった姉だ。
そんな姉を殺すために使った技がそれだなんて......だから、素直に喜びずらい。
「......まったく」
そんなアストレアの曇り顔を見て、クルーエルがため息を吐く。
しかし、それも妹の成長のためと思って指摘せず、残り少ない時間を姉妹の会話に費やし、
「にしても、最後の<白糸>もそうだけど、直前の氷塊なんてどうやって作り出したの?
あの技がアスちゃんの大技だって認識してたから、アレを使った時点で魔力を大放出する<白糸>に回す魔力なんてないと思ったのだけど」
クルーエルが言及したのは、言わば決定的な隙を作ることに至ったアストレアの攻撃だ。
そして、その指摘は実際間違っておらず、あの氷の巨剣を落とすのがアストレアの奥の手と言っていい。
そんな妹の成長ぶりが気になるクルーエルの声音を聞き、アストレアはそっとクルーエルの顔の近くで座り込むと、クルーエルの頭を抱える。
それから赤子を抱くように大事そうに抱えながら、
「アレはお姉ちゃんが降らした周囲の雪を利用したの。
氷の塊はお姉ちゃんの魔力そのもので制御を奪うのが難しいけど、雪ぐらい細かいなら別。
もともと魔力の塊である以上、制御権を奪ってしまえば、少ない魔力で運用できる」
「なるほど。ってことは、最後の<白糸>以外、私の魔力で作ったものだったのね。
確かに、考えてみれば、アスちゃんの攻撃が開始してから雪をすくったり、蹴ったりして氷を作り出していた。
そこから考えることもできたはずなのに......私はまんまと見落として――.結果がこれか」
そう言葉にすると、最後に「なら、完敗ね」とこれまた嬉しそうにクルーエルは声を弾ませた。
そんなクルーエルの言葉を聞きながら、「えぇ、私の勝ちよ」とアストレアは頬を緩ませ、されど姉を見つめる瞳は悲しみで揺らす。
視界の端では、着々とアストレアの崩壊が進んでおり、肉体がバラバラになったせいかその進行速度も速い。
現に、目の前のアストレアの顔にも崩壊が三分の一ほど完了している。
「あぁ、最期にいいものが見れた気がするわ。
ケンカに負けるってことが、まさかこんな清々しいものだなんてね」
「世の中の多くの人は、お姉ちゃんみたいな感性を持ってないと思うけどね」
「ふふっ、私達は仲良し姉妹だったものね。
あぁ、懐かしい.....アスちゃんが小さく見える。
あの大人しかったアスちゃんがこんなにも立派に成長して.....」
クルーエルの声がかすれ始める。
目の無いフルフェイス兜の顔に目があるとすれば、今頃アストレアに焦点が合わず遠くを見ているだろう。
そんなことが姉を見つめるアストレアから想像でき、命の刻限が目に見える形で表れていることに強い衝撃を感じた。
(ダメだ、耐えろ......)
そう呟く心とは裏腹に、体は感情のままに衝撃を表現する。
目元に雪を溶かすほどの熱量をもった涙が浮かび、そして頬を伝って流れ落ちた。
クルーエルの頭を抱える両手は、よりその頭の感触を体に刻むように強く抱き、
「いなくならないで、お姉ちゃん......」
言わないでいようと決めていた言葉、それが口から零れ落ちた。
これまでも姉の姿を見て、散々弱音を吐露してきたと思う。
それはその弱音の最上級で、そして単なるワガママだ。
誰も喜ばないワガママ、それを無責任に望んでいる。
「ごめんね、アスちゃん......」
そのアストレアの願いを、クルーエルは静かに、されど力強く謝罪した。
それはアストレアからしてもわかっていたことで、しかしわかっていても悲しいものは悲しい。
「......ぅ、ぐす、うぅ......」
まさかこの人生で二度も姉の最期を見送ることになろうとは。
それでも前回と違うのは、今度はちゃんとお別れの言葉を告げられること。
きっと言い足りないことはたくさんあるだろうけど、それでも――、
「ありがとう、お姉ちゃん。私を、ユリハを助けてくれて。
私達のお姉ちゃんになってくれて、生き方を教えてくれて、楽しさを教えてくれて、嬉しさを教えてくれて、喜びを教えてくれ、悲しさを教えてくれて、怒りを教えてくれて、そして――思い出をくれて」
アストレアの脳裏に過る、出会った頃から今日に至るまでの思い出の数々。
アビス災害による両親の死に分かれから始まり、クルーエルとの出会い。
それから、クルーエルと家族となって苦楽をともにし、もう二度と大切なものを奪わせないように、お姉ちゃんのようになるために特魔隊としての生き方を選び、研鑽を積んだ。
それでも、まだまだ全然足りなくて、足りなさ過ぎて、自分でも嫌になるぐらい。
だけど、そんな自分でもお姉ちゃんが誇れるような自慢の妹になるから。
だから、だから――
「私達の活躍を見守っててね、お姉ちゃん」
「.....えぇ、見守ってるわ」
「お姉ちゃん、大好き」
ギュッと小さくなった頭を、アストレアは抱きしめる。
薄く弓なりに伸びた口から紡がれた言葉は、愛の言葉だ。
普段、アストレアが口にしない類の、恥ずかしくて言えない類の。
でも、今なら恥ずかしくても言える。今しか言えないのだから。
「私も、二人のことが大大大好きよ」
アストレアの言葉に返答するように、クルーエルも大きな愛を示した。
この場に居ないもう一人の妹にも届くように。
クルーエルの頭の崩壊もあとわずかと迫った。
アストレアの顎から滴り落ちる涙も、無くなった頭の位置を通り抜ける。
そんな散り際の最期、クルーエルは無い口を動かし、
「最後に、一つだけ聞かせて――アスちゃんは好きな人できた?」
聞いてきたのは、まるで母親の日常会話デッキの一つのようなセリフだ。
あまりに唐突な内容に、アストレアは一瞬瞠目しながらも、すぐに目を柔らかくして、
「好きな人かはわからないけど、大切な人は出来た。
とってもお節介で優しくて放っておけない私の光が」
「......そう。良かったわ。それだけが心残りだったのよ。
あ、でも、こうなると未練が残っちゃうわね。困ったわ」
「最後までカッコつかないね」
「いいのよ、これで。私らしくて......じゃあ、おやすみね――アスちゃん」
「うん、おやすみ」
アストレアの両手からクルーエルの頭が完全に消える。
灰の粒子が空中に舞い、上空に雪を降らさなくなった雪雲に溶けていく。
その姿を見ながら、アストレアは自分の両腕を抱き、
「温かい......」
そう、静かに呟くのだった。
****
―――十数分前、アストレアがいる位置から二キロ離れた地点。
「だああああぁぁぁぁ!」
「威勢だけはいっちょ前だな!」
建物に囲まれた道路の真ん中で、黄色髪を揺らして突き進むライカと、黒鋼の魔人となったマークベルトが激しい衝突を繰り返していた。
もうすでにいくつもの衝撃が重ねられ、建物や地面の一部が激しくボロボロになっている。
そして、今も現在進行形でいくつもの衝撃が、瞬間的に多発し、さながら連鎖爆発が起きているような状況が今の激しさを全て語っていた。
「剛気」
超インファイターであるライカの拳が、豪風纏わせてマークベルトに迫った。
銀色のガントレットが太陽光をキランと反射させる。
その煌めく銀拳が、マークベルトが振り下ろすロングソードに接触。
バチッとオレンジ色の火花が散った。
同時に、接触の衝撃が、足元から地面を砕き、爆風を作り出す。
「らぁ!」
短く息を吐き、気合とともに左拳を放つライカ。
胸を大きく張り、ギチッとガントレットに悲鳴をあげさせ、再び銀拳を振り抜く。
その極小惑星の衝撃を、マークベルトは左の掌を向けて防御。
しかし、その程度ではライカの衝撃は受け止めきれない。
接触した瞬間から左腕が砕け散り、ライカの左拳がマークベルトの左肩を通り抜けた。
「――っ!?」
瞬間、マークベルの砕けた左腕が超速再生し、ライカの眼前に左手が出来上がった。
さながら、相手の虚を突くために、初めから砕かれる前提で突き出したかのように。
砕かれたことに動揺一つしていないのが良い証拠だ。
その事実にライカが驚愕の表情を浮かべる。
すると、マークベルトの左手がライカの顔面を鷲掴みにし、そのままの勢いで地面に叩きつけた。
直撃、そして爆発。
叩きつけられたライカを中心に、半径三メートルの地面が凹む。
割れた大地が衝撃で浮かび上がり、二人の戦士を包み込んだ。
そんな中でも、マークベルトはただ冷静に、右手の長剣を逆手に持ち替え――真下に振り下ろす。
瞬間、ライカの左手が自分の顔面を掴む手首を掴み、もう片方の手が左腕をへし折る。
そこから急いで横に転がると、ライカの元居た位置には長剣が刺さった。
あのままあの場所に居れば、間違いなく死んでいただろう。
いや、そんなことよりも――、
「随分と使いこなしてんじゃねぇかよ、バカ上司ィ!」
転がって出来た数メートルの距離、それを片膝立ちのライカが一足跳びで移動する。
爆発的な加速で生み出された推進力をそのままに、強烈な跳び蹴りをマークベルトに食らわせた。
咄嗟に左腕を再生させ、その腕でガードに入るマークベルト。
そのガードを上からぶち破るように、ライカの足が突き刺さる。
鋼鉄の杭が差し込むような威力に、段々とマークベルトの体がひしゃげ――
「ぬわっ!?」
一拍、黒い残像を残し、マークベルトの体が建物に突っ込む。
コンクリートをぶち壊し、どこかの喫茶店を突き抜け、さらに路地裏にあるひっそりとしたバーの壁に直撃してようやくマークベルトの勢いが止まった。
大きく凹みひび割れた壁から瓦礫とともに体が崩れ落ち、真下にあったソファに座り込む。
思いっきり変形した左腕と左半身、その両方を再生させながら、正面の光の道から歩いてくる黒い影をマークベルトは見つめ、
「もはやどっちが敵かわかんねぇな。つーか、相変わらずのバカ力め。
俺がアビゲイルじゃなかったら死んでるぞ」
「安心しろ、殺すために殴ってんだ。むしろ、死んでねぇ方が困る」
正規の入り口でない方からバーに入って来たライカ。
その青い双眸には、揺らぎない殺意が宿っている。
そんな戦意迸るライカに対し、マークベルトはソファの背もたれに肘をかけると、
「そりゃそうだ。むしろ、お前さんには俺を殺してもらわにゃ困るわけだしな。
となると、甘いことを言ってんのは、むしろ俺の方ってことか」
「ようやくわかったか。だから、抵抗すんなって言ってんだろ。
ちゃんと殺してやれないだろうが」
「言葉だけ聞くと、ホントお前さんの方が悪役っぽいよな」
そう軽口を叩くマークベルトを見て、ライカは訝しむように眉根を寄せた。
というのも、先ほどからマークベルトの口調が変わらずヘラヘラしているからだ。
「殺意の衝動に駆られている」というのは本人の言葉だが、実にそうは思えない。
かと思えば、自分を殺そうとする攻撃は間違いなく本物だ。
さっきの叩きつけからの剣で突き刺す流れは、もはやそうとしか説明つかない。
しかしそれでも、納得しきれない部分があり、
「なぁ、なんでお前はさっきから魔技を使わない」
目の前でくつろぐマークベルトを見ながら、ライカは一番大きな疑問を口にした。
というのも、戦いが始まってしばらく、マークベルトは一切魔技の使用が見られないのだ。
それこそ、自分が生きているのが良い証拠だ。
もし、マークベルトが魔技を使えるのなら、今頃首と胴体は泣き別れすらできないだろう。
なぜなら、マークベルトの魔技は「時を止める」。知覚すら不可能なのだから。
しかし、殺意の衝動に駆られている割には、それを一切使う気配がない。
だからこそのライカの疑問である。
まともにやり合ってる状況が不可解でしょうがない。
そんなライカの質問に対し、マークベルトは前かがみになると、
「正しくは使わないじゃない、使えないだ。
実際、この体になって自分の意思で動かせるからこそわかったことだけど」
「それはアタシからすれば願ったり叶ったりな状況だが、少し解せねぇな。
アタシも昔にはアビス化した仲間を殺したことがあるが、そいつは普通に使ってたぞ」
「そいつの属性は? もしそいつの属性が『元素属性』なら使えても問題ない」
「確かに、そいつは炎の使い手だったが......なんだ、無属性だと話が違うのか?」
この世界の魔技の属性は、大きくわけて二つに分類される。
無属性のことを指す「原点属性」とそれ以外の「元素属性」だ。
そして、無属性は他の魔技とは違い、特異的な能力を示すことが多い。
マークベルトが使う「時間停止」の能力は特にわかりやすい例だろう。
(まぁ、それを考えれば、無属性だけ異質って理由はわかるが)
しかし、それでは「区別されているから違う」という幼稚な説明でしかない。
それで納得できるほど自分は単純ではないし、それを根拠に行動していてはいつか例外が出た場合にそれが理由で足元をすくわれるかもしれない。
もちろん、マークベルトが使ってないために説得力はあるが、せめて根拠にもう一つ欲しい所だ。
そんな思考し始めたライカの腕組み姿を見て、マークベルトは「そうだ」と頷き、
「一説によると、無属性だけは『魂に刻まれた能力』という見方がされている。
そうだな、例えるならゲームにいるそのキャラ限定の固有能力.....それが無属性に当たる」
そのマークベルトの例えで、小さい頃にしかゲームをやったことが出来ないライカにも理解できた。
とはいえ、まだ気になる所はいくつかあり、
「その一説ってのは、何を根拠にしてんだ?」
「五百年前以上昔のものとされる遺跡から発掘された本だ。
ほら、教会都市エルスタも元は城があった場所って話だろ?
そこの廃れた城の跡地に見つかったのがそれで、偉い学者さんがそういう説を唱えたんだと」
「待て、それはおかしい」
マークベルトの疑問を聞き、ライカはすぐさま指摘した。
まず、今に至る歴史として、五百年前に現れたアビスと同時に魔力が使える人間が現れた。
その人間もアビスの魔力に適応したとか色々話があるが、少なくとも五百年前に出現した後に魔力を持った人間が生まれたというのが常識だ。
しかし、その言い方ではまるで――、
「そんじゃ、五百年前から魔力は存在してたってことか?」
「......みてぇだな。詳しいことは俺もわからねぇ。
その情報を聞いたのも、詳しく調べてたオルガさんだったしな。
俺も独自で調べてみたが、どうやら俺はあの人ほど隠密には長けてねぇらしい」
「......」
「というわけだ。つまり、俺は魔技は使えないから安心しろ。
それに、仮にお前がアビスになったとしてもお前の魔技は脅威になり得ない。
だから、そこら辺も安心していいと思うぞ」
「.....前提が間違ってる。アタシはアビスになんかならねぇよ」
「それもそうだな」
ライカの噛みつく言葉に、マークベルトは小刻みに笑って膝に両手をつけ、立ち上がる。
それから、真下に向けた右手から黒い肉体の一部を使ってロングソードを生み出すと、
「んで、ちっとは休憩出来たか? 俺を相手にすんのは厄介だろ」
「あぁ、本当に厄介だよ。
いつも魔技でサッと倒してるもんで、剣技は未熟だと思ってた。
でも、そうじゃない。仮に、お前がアビスじゃなくても苦戦はしてただろうな」
「俺の魔技は万能じゃないからな。現実を知った時に必死こいて鍛えた。
とはいえ、アビスの肉体を得て、お前さんにやっと張り合えるってんだから一体どっちが異常か」
そう言いながら、マークベルトが歩き出した場所はバーのカウンターだ。
そこを挟んでマスターが立つ位置には、保存状態の悪いワインボトルがズラりと並んでいる。
そんないくつもある酒瓶の一つを手にし、「飲めねぇの辛いなぁ」と愚痴りながら、
「けどまぁ、むしろそっちの方が期待も持てるってもんか。
この場で俺を殺せるのはお前しかいないんだからな」
「だったら、ちったぁ殺しやすくいてもらいたいもんだ。
さっきも言ったが、再生能力を駆使して抗ってくんじゃねぇ」
「ハハッ、悪いな。醜い生存本能とゲーマー気質な性格が嫌な融合しちまった結果だ」
悪気の無い笑い声をカラカラと鳴らし、しかしマークベルトが鋭い視線がライカを捉える。
当然、顔面はフルフェイス兜なので目などあるはずがないが、ある位置から視線が飛んでるとライカは感じるのだ。
「でもまぁ、お前は俺の後を継ぐんだ。これぐらいこなしてもらわねぇとな。
愛しの幼馴染を助けに行くためにも、こんな所で時間は売れねぇぜ?」
「わかってる。ここからはもっと本気出す」
掌と拳をぶつけ合わせ、ガントレットがガチっと音を鳴らす。
そして、その両手をそっと離すと、ライカは目つきを鋭くさせ、身構えた。
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