第44話 負けられない未来、そして果たすべき約束#1
オルぺナからもたらされた情報、それも一段落ついたところで、部屋の中にノック音が響いた。
そして、ガチャリと両開き扉の片側だけ開かれ、そこから水色髪の少女が顔を覗かせる。
「あ、アストレアちゃんじゃないですか~!」
部屋の様子を伺う人物を目にして、オルぺナが大きく手を振って反応する。
その気安い反応に、アストレアは「久しぶり」と言葉で返すと、視線を腕を組んで座るライカに向けた。
同じく視線を向けていたライカが、アストレアの視線がバチッと重なったところで、
「よぉ、気持ちは落ち着いたか?」
「えぇ、ノアのおかげでね」
そう、アストレアが答えた直後、ライカの視線がノアに向く。
その顔は「いつの間にそんなことしてたんだ?」という顔だ。
だから、ノアはそれまでの経緯を簡単に話すと、
「なるほどな、ユリハやアリューゼ副代表に頼まれたんなら仕方ねぇ。
だとしたら、悪いな何も声をかけなくて。
身内の死って話だから、安易に心配の声をかけるのもどうかと思ってよ」
「当事者じゃないから気持ちがわからないでしょ、とでも言うと思った?
さすがに友達相手にそこまで酷いことは言わないわよ。
でも、放っておいてだったり、声かけて無視はありえたかもしれないけど」
「僕からも謝らせてくれ。もっと早くに声をかけられなくてごめん」
「助けてくれえたノアにまで謝れるとなんかむず痒いから止めて。
それに、そっちだってマークベルト代表が帰ってこない時点で似たような気持ちのはずよ。
そんな時でも、私のことを考えてくれたのなら嬉しいわ」
ノアとライカの言葉に、アストレアは本当に何でもなさそうに瞑目した。
同時に、その口元に優しく笑みを作る。
その言葉と表情、それがアストレアの今の気持ちの全てを表していて。
だからこそ、それ以上の口をノアは開かなかった。
それはライカも同じ気持ちの様子で、しかし視線を唯一会話に不参加だったオルぺナに向けると、
「なんだニヤニヤして気持ち悪りぃな」
「気持ち悪いとは酷いですね。
ウチは単純にこのてぇてぇ空気に浸ってただけですよ。
あぁ、この高純度に浄化された空気うめぇ~」
「ライカ、オペコの様子がおかしいんだがこれは前からなのか?」
「あぁ、そうだ。だから、遠慮なく『キモい』って言ってやれ」
本当に無遠慮なライカの言い分に、さすがのノアも苦笑い。
しかし、ライカが嫌いな相手ならそもそも関わらないので、仲良くしてる証ではある。
そんなノアが幼馴染の交友関係に微笑んでる一方で、ライカが改めてアストレアに視線を向けると、
「ともかくまぁ、アタシはそれほど気にしちゃいねぇ。
無事に戻ってきて何よりだ。ただ、その感謝は功労者に向けてやれ」
「えぇ、わかってるわ」
ライカの言葉に、アストレアが力強く頷く。
そして、ライカに視線をノアに向けた。
その深蒼の双眸には「感謝」の二文字が刻まれていて、もう一体何度感謝されるのか。
そこまでされると、今度はアストレアと違う意味でむず痒い。
とはいえ、満更でもないので受け取ってしまうノアであるが。
「何を話してたの?」
応接用のソファに移動すると、アストレアが三人に対してそんなことを聞いてきた。
恐らく、扉越しに話声や今の少し重たい空気に気付いての質問だろう。
オルぺナが少し座り位置をズラし、そこへアストレアが座った所で、先の質問をノアが返答する。
「オルぺナから本部の今後の行動方針みたいの聞かされてね。
それと、実際に戦うとなった時に、僕達が置かされる状況ってのを聞いてた」
「それね、私もさっきユリハから話を聞いたわ」
「さっき?」
サラッと答えるアストレアの言葉に、ノアは首を傾げた。
同じ話を聞いたとなれば、そこそこ衝撃的な話だったはずだ。
それこそ、立ち話で聞ける内容とは思えないが。
そんなノアの疑問を肯定するように、アストレアは頷き、
「えぇ、私がここにくる道中で私を探しているユリハとバッタリ会ったから、ここに来るまでの間で話してもらったの」
「え、そんな歩きながら話せる内容じゃないと思うんだけど」
「そうね、だからゆっくり歩いてきたわ」
「いや、結局歩いてるじゃん。どこを否定したの」
アストレアの妙な自信満々な返答に、ノアは苦笑いを浮かべる。
少なからず、ここでオルぺナから聞いた話は十分に理解に時間がかかる内容だ。
しかし、そのアストレアの言い方だと、任務の内容よりこっちに来る方を優先したみたいな感じになる。
それは些か優先順位がおかしいような気もするが。
ともあれ、アストレアは次期青のパレス代表だ。
そこら辺のことは彼女なりのこだわりがあるのだろう――
「お前、アタシ達に会いたくてそっち優先したろ」
「なんだか無性に会いたくなっちゃって」
「キャー! アストレアちゃん、可愛い~!」
と、考えていたが全然違った。おもくそ私情であった。
とはいえ、ノアとてアストレアの事情は理解しているので、そこに言及するつもりはない。
気分が沈んだ時、友達と話したり遊んだりして暗い気持ちを晴らそうとするだろう。
いわゆる、彼女なりの気分転換。特に、今の彼女にはそれが必要だ。
しかし、それでも聞かねばならないことはあり、それを確かめるようにノアはアストレアへ視線を向け、
「アストレア、一つ聞いていい?
君がここに来たということは、もう戦う心づもりはしてるってことでいいんだよね?」
「えぇ、大丈夫よ。少なくとも私一人だったらダメだったかもしれない。
でも、今は私だけじゃない。見たところ、ここの三人は心では負けてないみたいだしね。
安心して、私も気持ちは一緒だから。ちゃんと戦える。自暴自棄にもなってない」
「なら、良かった」
ノアが知りたかった部分、その全てをアストレアは言葉にした。
だからこそ、その内容を聞いたノアも気持ちにまた一つ整理がつく。
もっとも、病院でアストレアと会ってから、そこまでの心配はしてなかったが。
「......にしても、ノアってばアリューゼさんと同じことを言うのね」
「え、そうなの?」
「えぇ、あの人も口うるさかった時のお姉ちゃんみたいで。
少しだけその時の気持ちを思い出してしまったわ。
なんというか、お母さんみたいな感じで」
「そりゃそうですよ、ノアさんはママ属性の適正ありそうですから」
「ないよ? それにそもそも僕は男だし」
「安心しろ、ノア。男にも包容力ってのはあっていいもんだ。アタシが許す」
「いや、それを聞いて『なら、いっか』とはならんのよ。
僕としては、見た目が細いから男らしさを目指してるわけで。
いや、そんなガッカリした顔を向けられても」
ノアが自分のスタンスを定めれば、なぜか三人から落ち込んだ顔を向けられる。解せぬ。
確かに、自分の見た目は女性と見間違われることが多い。
今でこそ男物の服装をしているからどうにかなっているが、ひとたび女装すれば余裕で周囲を騙せるだろう。
(母親譲りの顔とは言われたことはあるけど.....)
そう内心で呟くが、ノアとて納得のいく理由にはなっていない。
両親ともに身長は高い方だったので、少なくとも身長でその印象は跳ねのけると思っていた。
にもかかわらず、身長はそこまで伸びず、挙句幼さの残る顔立ち。
いっそ別の要因が影響してると聞かされた方が納得がいく。
(まさかシェナルーク様が......?)
仮に可能性があるとすれば、そこしかない。
だが、なんだかそれ以上考えても今更な気がして考えること自体をノアは止めた。
そして、今この場に居る三人の少女の表情に対して反論することも止めた。
***
特魔隊本部の大広間、そこには早々たるメンツが集まっていた。
広々とした空間の中には、白のパレス、青のパレスからS級、A級、選抜されたB級の隊員達総勢六十五人が集まっており、そのうち五十人が青のパレスのB級隊員だ。
また、整列して立ち尽くす隊員達の視線の先、壁にデフォルメされた天使が剣を抱くデザインの旗が掲げられており、その少し前にはマイクが置かれた教壇。
その両脇には、それぞれ微妙にデザインが違う軍服を着た本部の上層部がいた。
上層部は若くて四十代から七十代と八割男、二割女性という男女比で、隊員達と対面の形で並んで立っている。
その顔に刻まれたしわには、これまでの修羅場と経験を刻まれているようであり、纏う威厳はそれだけで気の弱い隊員なら畏怖させる迫力がある。
しかし、あいにくこの場にヤワなメンタルで集まっている隊員はいない。
そんな一同によって静寂と緊迫が包む空間に、一人の老年の男が歩いてくる。
百八十センチ越えの高身長と戦士であった過去を示すガッチリとした体格。
前髪の一部だけが下りたようなオールバックで、肩までクセッ毛の銀髪が伸びている。
あごに同色のひげを僅かに生やし、一際威厳のある顔をして教壇に立つ男――ギリウス=ウィルバートが隊員達に向けて口を開いた。
「まずは、ここに集まってくれた勇姿ある隊員達に感謝する。
私は作戦指揮総督をしているギリウスだ。
今回の対『怠惰』のアビス王討伐作戦の立案者であり、最高責任者だ」
その声は低く、されど酷く空間に響き通った。
それは空間が静かだったこともそうだが、しかし騒がしかったとしてもよく聞こえただろう。
それだけ荘厳で、透明な迫力がある声が全体を支配する。
誰もがその声に反応せざるを得ない、誰もがその声に注目せざるを得ない。
今この場で発言権があるのはギリウスただ一人のみ。
「単刀直入に作戦を伝えよう。
これより、五日後に旧都市トルネラにて強襲作戦を行う。
本作戦における目標は――『怠惰』のアビス王リュドル=アケディアの討伐。
十六年前の『傲慢』のアビス王シェナルーク=スペルビアにおける二体目のアビス王だ」
十六年前の「傲慢」のアビス王との戦い、後に「鏖殺の傲慢戦」と呼ばれる戦いだ。
なぜ「鏖殺」とつくか、それはシェナルークの強大さを表している。
腕を払うだけで大地を抉る豪風が吹き抜け、踏みしめるだけで大地が割れる。
ひとたび攻撃をしてくれば、世界が白く染まり、一切合切が消滅する。
それだけなら、まだ大怪獣が暴れただけかもしれない。
しかし、シェナルークが振りまく侵食領域により、近くにいた人々は発狂。
ある者は魔力を帯びた肉体で傲岸不遜に暴れ回り、ある者はアビスとなって生き残った者を殺し尽くす。
その場にいる全ての生命が、たった一人の「傲慢」によって蹂躙される。
命も、夢も、希望も、人権も、信念も、矜持も、自尊心も、何もかもすり潰され、粉々にされる。
その光景は、まさに撃滅、まさに殲滅、まさに――鏖殺
残ったのは、天災の具現化たるシェナルークだけ。
それが名前の由来である。
「十六年前で起きた戦い。それはまさに青天の霹靂だった。
突然の『傲慢』のアビス王の襲来により、我々は突然の対応を余儀なくされた。
出来る限りの策を講じ、なんとか戦力をかき集め、そして突然の人類の存亡をかけた戦いをしかけ――勝利した」
ギリウスの言葉の通り、その戦いは勝利に終わった。
五百年と倒せなかったアビス王の一体をついに倒したのだ。
それは特魔隊設立から掲げられている悲願のことである。
がしかし、それが心の底から喜べるかと言われれば、それは別だ。
その戦いで、当時の精鋭中の精鋭であるS級達がほぼ全滅した。
前線で生き残ったのはわずかなS級と特別に選ばれたA級のみ。
加えて、それはあくまで前線で戦った隊員達の死者の数であり、その巻き添えを受けた民間人も含めれば、被害者数は優に三万人を超える。
それをどうして喜べようか。
確かに、悲願を達成した喜びはあるし、特魔隊としては希望の象徴として、勝利は勝利として周囲に示さなければいけない。
だが、この結果から目をそらしてはいい理由にはならない。
あの戦いは、勝利したが、同時に負けであった。
突然、敵に襲撃され、都市の一部は十六年経った今でも回復の目途は立たない。
加えて、「プライドホール」と呼ばれる大穴周辺には、また汚染された大気が漂い、それが浄化される気配もない。
都市の一部とはいえ、大事な皆の拠り所がめちゃくちゃにされたのだ。
その理由は、シェナルークの動向が読めなかったために、後手に回ってしまったから。
しかし、今回は違う。「怠惰」のアビス王の所在は掴めている。
後は、何がなんでも勝つだけ。
「とはいえ、状況は十六年前と同じとはいかない。
戦力は当時の三分の一以下、加えて、その戦いをキッカケに他のアビス王も活性化し始めている。
そのせいで戦力をかき集めることは非常に困難だ」
特魔隊はアビス王を倒すことを悲願としているが、それは特魔隊の本分ではない。
特魔隊の存在意義は、「民間を守ること」にある。
故に、アビス王を倒すために戦力を一極集中させ、その間にアビスによって他の街が襲われても感知しないというのは、あまりに特魔隊の理念に反するのだ。
そのため、組織としては、アビス王を倒すためという大義名分があっても、よそから戦力を引っ張ってくることは難しい。
「故に、我々は現状のいる戦力.....いや、厳密に言えば、青と白のパレスからのA級とS級の精鋭十五名で挑む形になる。
また、ここに集められたB級隊員達は、道中までのA級とS級の警護の任についてもらう。
つまり、本戦力が可能な限り万全で戦えるようにするための露払いだ」
出し惜しみしてる場合じゃないと捉えられる発言だが、比較対象が十六年前の戦いである以上、どれだけ数を増やしても焼け石に水。
それこそ、当時の戦いでS級すら死んだのだから、心身ともに未熟なB級であれば犬死もいいところだ。
また、そのB級達の中からS級に至る隊員を育成する必要がある。
そういった理由から無意味な隊員の死を、特魔隊は許容できないのだ。
つまり、現状の最高戦力である十五名でアビス王に挑むというのが、もっとも合理的な解。
「私の立場でこういうのもなんだが、非常に不利な状況というが現状だ。
戦力の件もそうだが、我々はすでに「怠惰」のアビス王によって標的にされ、いつ攻められるかもわからない。
ここに攻められれば、それこそ十六年前の再来となるだろう。
そうなれば、また多大な犠牲者を生み出すことになる」
故に、特魔隊としては新都市トリエスで戦うことは出来ない。
それは特魔隊の理念に反するためであり、復興コストという大人の事情もありで。
「だからこそ、我々は旧都市トルネラへ攻撃をしかける。
そして、そこで――『怠惰』のアビス王を討つ!」
特魔隊が置かれている現状、それらを離したギリウスが改めて力強く宣言する。
十六年前を知る人達からすれば、あまりにも頼りない宣戦布告だ。
しかし、それでも笑う事なんてできない。それしか選択肢がないのだから。
いつ死ぬかもわからない日常を怯えて暮らすなら、解決のために命をかける。
それが特魔隊であり、ここに入った者達が持つ本来あるべき決意。
それが今から五日後に示す日がやってきた――ただ、それだけのこと。
「ここにいる皆の奮戦を祈っている」
***
ギリウスによる作戦命令を伝えられた後、解散の流れとなった大広間から続々と隊員達が出ていく。
その流れに沿って、ノアもライカと一緒に出ようとすれば、その背後から威厳のある声が話しかけてきた。
「――君がノア=フォーレリア君かな? 」
その声に振り返ると、そこにいるのは銀髪の総督ことギリウスだ。
後ろ手を組んで立つ姿は、高い上背や威厳のある軍服も相まって肩書以上の迫力がある。
しかし、ノアを見つめる黄色の双眸には品があり、それでいて表情は好々爺のように優しさがあった。
そんな人物に気付いたノア、反射的に敬礼する。傍らのライカも同じく。
その二人の様子に、ギリウスが微笑を浮かべると、
「そこまで固くしなくていい。私も公式の場以外では気楽にいたいからね」
「そ、そうですか......ともかく、僕のことを知っているんですね」
「当然だ。街を救ってくれた恩人の名を知らないはずがない。
もっとも、そうでなくても君はかの英雄の息子なのだからね。
そして、私は君の父親であるオルガ君を知っている。彼には何度も助けられた。
それこそ、今こうして特魔隊があるのも彼のおかげと言っていい」
そう言われると、なんだかノアも嬉しく感じる。
そう感じてしまうのは、父親を誇らしく感じている子供の感性によるものか。
それとも、英雄という存在を推しているから抱く感情なのか。
そんなノアの一方で、ノアを見ながら、ギリウスは右手で顎髭を撫でると、
「にしても、ノア君は随分と謙虚な姿勢だね。
君の父親は私に対しては随分とフランクであったよ。
先も言ったが、公式でないならば変に固くする必要はない」
と、言ってくれるが、かといって急にフランクにできるかと言われればそんなことはない。
さすがのノアでもそこまでの肝は据わっていない。
確認のために隣を見てみるが、ライカから帰ってくるのは全力の首の横振りだ。
当然の反応だろう。特魔隊の最高責任者に馴れ馴れしい態度だなんて。
いや、待て。それよりも――、
「僕の父はウィルバート総督と懇意にされていたんですか?」
「そうだな。彼は特殊な立場の人間であったから、何かと頼むことが多かった。
そういう意味では、私は彼ほど信用できる人間はいなかったと言えるだろう」
ギリウスから伝えられるオルガの存在、その言葉には確かに信頼に足る感情が乗っていた。
それはノアを通して面影を重ねる目つきからも判断できる。
だから、そう、これはつまり――、
(ウィルバート総督は僕の父さんのことを詳しく知ってる)
内心で、確信がいったように頷くノア。
オルガのことに関して、ノアは知らない部分が多い。
マークベルトの過去の話からどういう人間性であったかはなんとなく把握したが、そこでは肝心な知りたい部分が知れなかった。
それは――どうしてオルガはシェナルークと取引したのか、ということ。
ノアの精神にシェナルークがいる状態、これはオルガとシェナルークの契約の結果だ。
そして、それをシェナルークに問おうとも、そう簡単には口を割ってくれない。
ならば、知っていそうな人間から聞くしかあるまい。
(シェナルーク様に自身の存在の口外をしないことは厳命されていても、父さんのことを知ろうとすること自体は何も言われてないしね)
もっとも、こうして考えてる今にも思考に割り込んでこない辺り、黙認しているのだろう。
であるならば、その間に好きなように動くだけ。
「ウィルバート総督は――僕の父が『傲慢』のアビス王と何をしていたか知っていますか?」




