第41話 光の怪物、そして青のパレスの後継者#3
届く言葉を選びながら、感情で紡ぎながら、熱を伝えながら、ノアはしゃべった。
アストレアがいる扉に背を預け、閉ざされた心に寄り添うように。
その言葉が功を奏したのか、扉越しに気配が伝わってくる――音が聞こえてくる。
ゆっくりとだが、確実に近づいてくる微かな足音が。
だから、その動きに合わせ、ノアも立ち上がり、さらに口を動かした。
「――僕に力をかしてくれないか?」
奇しくも、その言葉を言った時、アストレアと扉を隔てて向かい合ってる時だった。
そして、すぐ近くから聞こえるアストレアから返答の代わりに、疑問が返ってくる。
「どうしてそこまで寄り添ってくれるの?」
確かに、最もな疑問だろう。
アストレアという存在は、ノアにとってライカを除けば初めての特魔隊で出来た友達だ。
模擬戦や女装会、先日の任務での共闘と一緒に作った思い出はどれも濃いが、されどたった一ヶ月しか経っていない。
その一か月でノアはアストレアの何を知っているか。
そう、問われたのならば、きっと答えられることは驚くほど少ない。
それだけ、まだまだちゃんと話せていないことが多い。
しかしそれでも、友達を助けたいと思うのに特別な理由は必要なのか。
いや、必要ないはずだ。少なくとも、自分には何もない。
でも、強いて答えるとすれば、やはりあの時の約束か。
「助け合うって約束したからね」
旧都市トルネラの地獄の門が開き、多くの隊員達が先に進む中、空気に飲まれたノアは最初の一歩を中々踏み出せずにいた。
そんな中、ライカとアストレアがそばに来てくれて背中を押してくれた。
その時、アストレアが言っていたのだ「助け合い」と。
足がすくんだ自分をアストレアは助けてくれた。
ならば、今度は自分の番だろう。
状況も事態も違うけど、それでもアストレアは立ち止まっている。
暗闇の迷路の中を彷徨うことも出来ず、怯えてしまっている。
だから、あの時アストレアがしてくれたように、自分もアストレアを助けたい。
あの時に貰った確かな勇気に感謝を返したいのだ。
「なら、私もあなたと一緒に光ってあげるわ。光の怪物さん」
ノアの言葉が届いたことを裏付けるように、アストレアの部屋の扉が開かれる。
久々に見たアストレアの深蒼の瞳、相変わらず綺麗な輝きを放っていた。
そして、同時に凛とした力強さもある。
ユリハの瞳から感じたものに近いと思うのは、やはり姉妹だからだろうか。
少し頬を上気させた彼女の口が、いつもより弓なりに上がっている。
「久しぶり」
「えぇ、久しぶり。心配かけたみたいで申し訳ないわ。
きっと他の人達にも頼まれた感じなんでしょう? 私を元気づけてあげてって」
「そうだね。それも確かにあるよ。
でも、先ほど言った言葉は、他の人達から頼まれたからって義務感からじゃない。
僕自身がアストレアを助けたいと思ったから。
僕はまだまだアストレア無しじゃやってけなさそうだから」
「......あなたのそういう所は本当に危ういと思うわよ。
今の私で確かにグラッと来ちゃったから」
なぜか少し不満ありそうに頬を膨らませ、アストレアの人差し指がノアの額と突く。
どうしてそんな態度を取られるかわからないノアからすれば首を傾げるしかできないが。
とはいえ、元気になったのは間違いじゃないらしい。
雰囲気も表情も明るさがあり、それこそ表情なんて今までに見たことない感じだ。
心なしかいつもより柔らかくなった感じがする。
「アストレアってどっちかっていうとクールみたいな感じだと思ってたけど、案外表情豊かかも?」
「『クール=無表情』みたいな感じに思ってない?
まぁ、表情変化に乏しい自覚はあるけど。
ただ、豊かって言われるのは初めてね」
そう言いながら、満更でもなさそうにアストレアは目を細める。
その表情には、クールさとは別種の乙女の可愛らしさがあり、柔らかく微笑む姿には男女問わず魅了するような可憐さがあった。
なんだか顔を合わせるのが恥ずかしく感じて、サッと目を離したノア。
と、その時、視界の端で妙な肌色の規模が大きい何かを捉えた気がした。
気のせいかと視線を向ければ、そこには――スラリと伸びる長い生足があった。
「――ぇ」
その時、アストレアの今の姿に、ノアは初めて気づく。
その姿、それを一言で言い表すなら「彼シャツ」コーデである。
もはやコーデとして括っていいものかはともかく、非常に危うい恰好をしてるのは確かだ。
加えて、アストレアの着ているワイシャツは隊服のシャツだ。
つまり、「彼」ではななく「自分」のであり、サイズも当然自分用。
であれば、大きすぎて見えないなんてことはなく――下着が丸出しだ。
「だっぁ!?」
瞬間、目つぶしを食らったように両手で両目を塞ぎ、ノアは頭を弾いた。
そのまま一歩、二歩、三歩と後ずさり、背中を後ろの壁にぶつける。
しかし、そんなことを気にすることなく、そのまま顔すら俯かせ、
「あ、アストレア! ごめん!」
とりあえず不可抗力とはいえ、見てしまったことを謝罪するノア。
しかし、当の本人はその謝罪の意味が分からず首を傾げ、
「何が?」
「な、何がって......そ、それはその......」
「......?」
何やら非常に言いずらそうにするノアに、アストレアは脳裏にこれまでの映像をリプレイする。
先程まで非常にいい感じに話していたのに、突然ノアの反応がおかしくなった。
その時のノアは何をしていたか。確か、視線を下に向けて、
「あ」
顔を真っ赤にして悶えるノアの原因、それをアストレアは視認する。
視認した上で――、
「何をそんなに驚いてるの?」
「え!? いや、それは、ほら......見えちゃってるじゃん!」
「そうね。でも、下着自体ならあなたを女装させた時に散々見せたはずよ?
だから、それと同じものを私が履いてたってそんなに動揺すること?」
「するよ! 男だからね!」
「オトコの娘でもするんだ」
「なんかニュアンス違ってるような気もしなくもないけど、いいから着替えて! 早く!」
「そうね、さすがにこのままは、少しはしたないものね」
(少しなんだ.....)
ビシッと指を突き付けるノアに急かされるように、アストレアが部屋に戻る。
ガチャッと扉が閉まる音を聞き、ようやく一安心できるノア。
妙に激しく動く鼓動に手を当て、深呼吸でもって沈めて――
「あ、そういえば、男が女子棟にいると面倒だから部屋の中に入ってていいよ。散らかってるけど」
「なんでドア全開にして聞いてくるの!
僕はもう立ち入り許可貰ってるから大丈夫! 早く着替えて!」
信頼してるからなのか、はたまた単に羞恥心が低いだけなのか。
明け透けなアストレアの行動は、女子慣れしてるとはいいずらいノアには目に毒だ。
「そう」と短く返事して、部屋の中に戻る彼女を見て、ノアは今一度安堵の息を吐く。
しかし、心のざわつきは簡単には拭えない。
そう、なんだかこの場に居ないユリハに睨まれてそうで――
「何、人の姉の下着姿見てるんですか」
「――ひぃ!」
噂をすれば影、呼べば答える柴の庵、フラグを立てれば回収される。
結果、なぜかこの場にいるユリハにタイミング悪く目撃されてしまった。
妹の目の前で、姉の下着姿を見る変態男の姿を。
変態男を見るユリハの、アストレアと同じ深蒼の双眸は、極寒如く冷えていた。
それもそのはず、信じて送り出した男が姉の下着姿を目撃したとすれば、その信用も大暴落待ったなしだろう。
とはいえ、ノアだって好きで見たわけではない。
目に入ってしまったのだ。防ぎようのない現実だったのだ。
まさかアストレアがあんな姿で部屋から出るとは思うまい。
「ゆ、ユリハさん、落ち着きましょうか」
「見ての通り非常に落ち着いてますが、一体何がでしょう?
もしかして、弁解する余地があるとでも? 言っておきますが、わかってますから」
「いや、わかってないと思う。僕は確かに、君の姉の下着を見てしまった。
だけど、それは僕もビックリしたわけで、けど不可抗力だったんだ」
「だーかーらー、わかってるって言ってるでしょ。見てましたし」
「......へ?」
ユリハの一言で、ノアの脳内に一瞬の空白が生まれる。
そんなノアの様子に、ユリハは肩を竦めてため息を吐くと、
「見てるこっちが恥ずかしいほどの取り乱しっぷりをですよ。
言っておきますが、お姉ちゃんがだらしないのはデフォルトです。
もっとも、まさかあそこまで異性の視線に無頓着とは思いませんでしたが」
そう言いながら、スタスタとノアに近づいてくるユリハ。
かといって、ノアに用があるわけではなく、アストレアの部屋の扉のドアノブを掴むと、「お姉ちゃん、入るよ」とあっさり部屋の中へ消えていった。
その光景を呆然と見ていたノア、あまりにもスムーズな事態の収拾に呆気を取られ、少しばかり状況の整理に時間がかかった。
そして、落ち着いて来れば、ユリハに怒られなかったことにただホッと息を吐く。
もう彼女に二度目の金的を受けるのはごめんである。あれほどの苦痛は早々無い。
それから数分後、半袖パーカーにジーパンとラフな格好でアストレアが現れる。
初めて見るアストレアの私服、なんだか新鮮に映る。
すると、まじまじと私服を見つめるノアに、アストレアは口元に手の甲を当て、
「あまり見ないで恥ずかしいから」
「恥ずかしさの基準がわっかんないなぁ」
「こんなもんですよ。早い話慣れてください」
というユリハからのありがたい話を頂いたところで、ノアはようやく大きく息を吐く。
目の前にいるユリハはもとより、クルーエルとアリューゼからのお願いを無事に果たせた。
そのことに、肩の重荷が取れ、少しだけ心が軽くなる。
(これで恩は返せたかな?)
二人の助けがあったからこそ、ノアはこうして今存在出来ている。
そういう意味では、アストレアの現状を救うことは恩返しも含まれていたと言えるだろう。
もっとも、そう思えるのはアストレアの問題が片付き、思考がクリアになったからだが。
ともあれ、これ以上、ノアがここに居る意味が無くなったのは確か。
後のことはユリハが何とかするだろう。
そうでなくても、アストレアはもう立派に歩いていけるのだから。
だから、
「んじゃ、僕はそろそろ戻るよ。ちょっと長居しすぎたかもしれないし」
そう言って、一足先に女子棟から出ていこうとするノア。
その背後からアストレアが「ちょっと待って」と呼びかける。
その声に振り返れば、アストレアは両手をパーカーの前ポケットに突っ込んだまま、
「出来ればノアにも立ち会って欲しい」
そう言って、アストレアはノアを呼び止めた。
****
青のパレス二階にあるラウンジ。
そこは隊員の共同スペースになっており、軽いミーティングなどに使われることが多い。
そんな場所に現在、青のパレス所属のA級とS級が全員揃っていた。
一帯が静かなのは、この場に居る誰もが口を噤んでいるから。
そして、彼らが見つめる視線の先に、傍らに女性を立たせた一人の水色髪の少女――アストレアが神妙な面持ちで立っていた。
そんな一同の中、一番最後尾で立ちながら傍聴するノアが隣にいる同じく水色髪の少女に小声で話しかける。
「アストレアは何をする気なの?」
「これまでの謝罪と決意表明ってところじゃないですかね」
姉の勇姿を一瞬たりとも逃さないとばかりに見つめるユリハが回答に、ノアは何となく状況を察した。
しかし、それ以上考えることをあえて止め、アストレアの言葉を拝聴することにする。
それがきっとここに呼ばれたことだから。
そんなノアの視線の先、アストレアは傍らのアリューゼに一瞬目配せすると、それに頷いたアリューゼが口を開き、
「皆さん、突然のミーティングに参加してくださりありがとうございます。
お呼びしたのは他でもありません、彼女――アストレアからの大事なお話があるからです」
そう言うと、「では」と短く言った言葉とともにアリューゼが横にはける。
その彼女の代わりに、アストレアが一歩前に出て、それから深呼吸して一拍、
「迷惑かけてごめんなさい」
アストレアの一言目は、謝罪から始まった。
長い髪がばさりと床に向かって伸び、頭が地面と平行になる。
そして、そのままでアストレアは言葉を続け、
「これまでの私は現実を受け止めきれず、一人で勝手に塞ぎ込んでいました。
目の前で姉の決死の殿を見て、それに取り乱し、動けなくなっていました。
そして正直、今だって完全に整理出来たと言えば嘘になります」
アストレアの表情は見えない。
しかし、紡がれる言葉の声音は確かに本気のものだ。
そう思わせるほどしっかりとした、頼りない言葉でありながら力強いという矛盾を孕んだしゃべりであった。
「お姉ちゃんは生きていると私は思っています。どこかふらっと帰ってくるのでは、と。
でも、そう、心の中で抱えながらも、きっとどこかでは諦めていたのかもしれません」
矛盾する二つの言葉、されどそれがアストレアの今の正直な気持ち。
相反する気持ちがあるからこそ、せめぎ合い、混ざりあい、混沌とする。
それを人は「悩み」と呼ぶ。
「現実は無情で、残酷で、悲惨で、凄惨で、無慈悲で......それは特魔隊に所属すれば嫌でも知る絶対的な真実で、でもそれに抗いたくて特魔隊に入って、それでも未だ叶っていません。
そして、膨大な経験が私に諦める道を無条件で選択しました。
皆がまだ抗う意思をどこか心の中で残す中、勝手に一人で責任を放棄しました。
だから、動くことができませんでした。私は動こうとしませんでした」
その「悩み」を解決するために、人は情報を整理して、現状の最適解とは言えずとも最低限動ける答えを求めて思考を錯綜させる。
そして、見つけた答えが自分の価値観にあった時、ようやく動き出すことができる。
しかし、それは上手く見つけられた場合だ。
当然、見つけられない場合もあり、重ねに重ねた思考は情報が膨大になり、その情報の処理にも脳は酷使を余儀なくされ、やがて思考が停止に近いほど酷く鈍くなる。
その時、人は動けなくなるのだ。
いくら考えを止めようとしても、生きている限りに真に思考は停止できない。
自分が気付いていないだけで、脳は勝手に瞬時に思考し決断する。
その決断に至る答えまでのショートカットが経験値で補えるだけだ。
また、人生で得た経験値が必ずしも自分にとって良い選択肢を与えるとは限らない。
なぜなら、それで得られるのは、あくまで現状の合理的な判断に過ぎないからだ。
アストレアの場合、過去の膨大な経験値が「動かない」ことを合理的と判断した。
動かないことで、これ以上自分のせいで大切な家族が、仲間が、友達が傷つくことがなくなる。
同時に、それを見ることになる自分の心も救われる。
だから、「動かない」。いや、「動いてはいけない」。
それがたとえ、クルーエルの限りなく小さい生存の可能性を放棄することになっても。
それは無意識の中で極限まで圧縮されたアストレアの思考の中で下された結論だ。
つまり、意識外であり、だからこそアストレアは「自分は考えることを放棄した」と捉えた。
「でも、今はもう違います。今の私は暗闇を歩いていません。
小さく、でも心強い光の存在のおかげで自分が歩くべき道が見えています。
小さな歩みですが、着実に前に進むことができています」
そう言って、顔を上げたアストレアの深蒼の双眸がノアを捉える。
瞬間、僅かに目を細め、頬を綻ばせた。
それから、視線を正面にいる同じ青のパレス所属の隊員達に向けると、
「きっとこれからも私は迷い続けると思いますし、時に判断に間違うこともあるかもしれません。
でも、そんな時でも、お姉ちゃんは――クルーエル代表は堂々と立っていました。
皆の一番前に立って、私達が歩く先を示し続けてくれました」
アストレアが一度瞑目する。
そのまぶたの裏に家族として愛しい姉、隊の先輩としてカッコいい姉、その両方を思い浮かべた。
ゆっくり目を開ける。それから、大きく息を吸い宣言した。
「今度はクルーエル代表に代わって、後を託された私が皆を導く光となります。
『怠惰』な私を今ここで殺し、そして皆に誇れる代表として立つことをここに宣言します!」
右手に小さく作った拳を掲げ、力強く言い切った。
その光景に、隊員の誰もが目を輝かせ、空気に発熱させていく。
また、誰よりも後任として相応しいと言っていたアリューゼも、赤ぶちメガネを指で押し上げ、今にも流れそうになる涙を指で摘まんでせき止めていた。
「カッコいいよ、アストレア」
一番後ろで眺めるノアもその場にいる隊員と同じく心が熱くなった。
こうして言葉で人を熱くさせるのだから、アストレアはカリスマ性があるのかもしれない。
「うぅ......お姉ちゃん、ぐすん」
傍ら、滂沱の涙を流すお姉ちゃん大好き妹のユリハ。
無理もない、自分が心配していた姉がこうして立って輝いているのだから。
シスコン冥利に尽きるというものだろう。
「クルーエルさん、アストレアって凄いですね」
見た目は氷のように凛としていても、触れば温かいという不思議な氷。
今、この瞬間、アストレアの優しく力強い氷が、この場に居る隊員を氷漬けにして一つの氷塊として結束したのを、ノアは見届けた。
そして、口から漏れるのは、この場にはいないクルーエルに対するアストレアの称賛の言葉。
どこか彼女のドヤ顔が見えるようだ。そういうタイプにはあまり見えないのに。
「――!」
その時、不意にバチッと視線があったアストレアがノアに向かって口を動かした。
その言葉は短く、音を伴っていなかったが、なんとなく「ありがとう」と聞こえた気がした。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)
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