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第38話 受け止めるべき現実、そして再起の時#3

 水色の髪をしたボーイッシュな格好をした少女――ユリハが深蒼の双眸を向け、正面に立つノアを見る。


 僅かに不機嫌そうな感情の瞳、その目にノアは若干戸惑いつつ、改めて容姿を見て頭の中の記憶と照合した。


(この子って確か......)


 内心でそう呟き、思い返すは任務帰還直後の記憶だ。

 その時、アストレアは二回りほど小さい少女がクルーエルのことを聞いていた。

 アストレアと同じ髪色に、瞳の色。

 そう、悲痛な声をしていたアストレアの妹だ。


「――っ」


 途端に、ノアの息が詰まった。

 何か柔らかいもので気道を閉められてる感じは酷く気持ち悪い。

 物理的な意味ではない。精神的な意味で呼吸がしづらくなっている。

 そして、その理由をノアは知っている。


 任務で「怠惰」のアビス王――リュドルが現れた時、クルーエルは殿を務めた。

 その時、姉のもとへ行こうとするアストリアを見かね、ノアは命令を優先して担いで帰った。

 必死に姉に手を伸ばし、泣き叫ぶ彼女の意思を無視して。


 言葉に尽くせない死の受圧を浴びながら、帰還したのも束の間、アストレアの苦悩を知らないユリハは姉に問い質した。


『一番上の姉であるクルーエルの姿がない。彼女はどこにいるの?』


 クルーエルが帰ってこない。他の隊員が返ってきているのに。

 それはユリハに一つの事実を突きつける――姉が死んだという事実だ。

 もちろん、生きて帰ってくる可能性もあるが、それが極めて低いことは特魔隊関係者なら周知の事実。


 故に、大抵の場合は「帰還しない=死亡」という嫌な等式が成り立つ。

 そして、それを理解できないユリハでは無かっただろう。

 その時の彼女の気持ちがどれほど悲痛なものであったか、想像に難くない。


 難くないが、決してノアに理解しきれるものでもない。

 親のような存在の死を味わっても、肉親か否かでは悲しみの辛さも天と地ほどの差がある。

 そんな辛さや理不尽に対する怒りはどこへ向かうか。


 それらがアストレアに向くだろうか。いや、向くはずがない。

 彼女はただの被害者だ。全てはこの現実を決定づけた存在。

 つまり、自分であり、だからこそ今この瞬間、ユリハはその恨み辛みを自分に――


「.......何か勘違いしてませんか?」


「え?」


 思い詰めるノアの前で、まるで思考を読み取ったようにユリハが答えた。

 相変わらず向ける瞳は、アストレアよりも冷たい印象がある。

 いや、違う。熱い、煮えたぎった怒りが瞳の奥にあった。

 それを努めて理性的に抑えているだけで。


「私のこの目つきは生まれつきです」


「それは少し無茶があるような......」


「それに、あなたの選択は間違っていなかったと思います」


 そう言いながらも、ユリハは顔を逸らし、握った拳を震わせた。

 少しでも緩めてしまえば、その口から烈火の如く怒りが出てしまうのを防いでいるみたいに見える。


 そんな彼女の堪えがたい激情の意味が、ノアの胸を締め付けた。

 今の彼女は、理性的には理解しているのだ。

 マークベルトとクルーエルが下した決断を、その命を実行に移したノア達のことを。


 しかし、理解できることと、それが納得できるかどうかは別だ。

 その納得が及んでいないことは、彼女の態度を見れば一目瞭然だろう。


「......それはアストレアから聞いたの?」


「はい、追っかけ回して問い詰めました。

 正直、戻って来た皆さんの顔と、マークベルト代表やクルーエルお姉ちゃんがいないことで心構えはしてましたが......」


 唇を噛みしめ、ギュッと強く目を閉じるユリハ。

 一言一言発する度に、彼女の体表から溢れんばかりの熱が伝わって来た。

 火傷するほど熱く、それが炙られているように感じるのはノアだけだろうか。


 いっそ責められた方が気持ちとしても落ち着く。

 しかしそれでも、ユリハはそれをしない。噴火させることは無い。


「いつか経験するかもと思ってましたが、想像以上にキツいですね」


 その時、肩を震わせるユリハの姿が、任務前に見た震えを隠したオルぺナの姿とノアは重なって見える。


 ライカの紹介で顔を合わせたオルぺナは、隊員が死ぬのはよくあることといった感じの言葉を、慣れてる様子で明るい口調で言ってた。

 しかし、その実、堪えきれない恐怖を隠していて。


 あの時の、あの言葉の意味、ノアは単に仲間が死ぬのが耐えられないからだと思っていた。

 実際、それは間違いじゃない。オペレーターに出来るのは、あくまでサポート。

 戦場で死ぬのは、いつだってサポートしている一番の相棒だ。


 しかし、その苦しみの真の意味は、自分が何もできない情けなさかもしれない。

 自分は安全地帯にいながら、相棒が頑張ってるのを祈るしかできない。

 そんな自分の無力さに、歯がゆさに、情けなさに胸が茨で締め付けられるようで。


 聞けば、ユリハはアストレアのオペレーターをしているそうだ。

 それはライカと話した次の日に発覚した事実だが、それを考えれば彼女の抱える闇は深く、暗い。

 だからこそ、ノアはユリハを見つめ、


「僕を責めないのか?」


「――っ!」


 口にした瞬間、ユリハの伏し目がちの瞳がノアを捉える。

 それから、おもむろに顔を正面に向け、


「私はあなたの選択は間違ってないと言いましたが?」


 その瞳に宿っている感情は敵意であった。

 言葉の裏に「罰を下して欲しいんですか?」と聞いてるようにも聞こえる。


 事実、遠回しにそのような言い方をしたのは間違いない。

 ユリハのやり場のない怒りを、自分へと仕向けさせるため。

 それは少しでも彼女の気持ちが晴れればいいという優しさから。


「――っ」


 しかし、その発言が失言だったと、ユリハの向ける瞳から理解した。

 考えてみれば当然だ。

 あの時、ノアがアストレアを回収しなければ、姉妹二人とも死んでいた可能性は高い。


 今だって、マークベルトとクルーエルが帰ってることを祈っている。

 しかし、それが限りなく低い希望であることを考慮すれば、先の可能性の方がよっぽど高いと言えるだろう。


 そんなことに気付かない自分に、罪悪感と苛立ちが募る。

 ユリハは、たとえどれだけ納得し難い内容でも、理性的に、合理的に事実を理解した。

 そんな彼女の葛藤を、自分は無神経に踏みにじったのだから。


「ごめん、考えなしに言った」


 ノアの謝罪の言葉に、ユリハは腕を組み、大きくため息を吐く。

 それから、「......でしょうね」と返事をする。

 そして、俯かせた顔からチラッと横を見れば、


「アストレアお姉ちゃんは、ああ見えて簡単に人には懐きませんし」


 再び小さく息を零し、ノアの謝罪を受け入れた。

 だからといって、ノアの心が簡単に明るく晴れるわけもなく。

 顔を俯かせ、自己嫌悪に拳を握った。

 それしかできない今の自分も腹が立つ。

 そんなノアを、ユリハが片目を瞑って見て――、


「なら、目を瞑ってください」


「え?」


「目を瞑ってください! ほら、早く!」


「あ、はい!」


 ユリハに急かされるようにして、ノアは瞑目した。

 このような指示をしたということは、恐らく罰を下すのだろう。

 きっとこっちの罪悪感を察して、気遣いとして。


 慰めるはずが慰められている。ライカの時と同じだ。

 情けなさと、恥ずかしさで死にたくなる。


 頬を固くして、ノアはぶたれる覚悟をする。

 強烈なビンタが来る――いや、拳が来ると覚悟した方がいいだろう。

 それだけの気持ちを傷つけたのだから――、


「そいや!」


「――ぁがっ!?」


 強烈、痛烈、苛烈な一撃がノアの全身に稲妻のように駆け巡る。

 その原因は頬でもなければ、ダークホースとして覚悟していた腹部でもない。


 それよりももっと下の、正中線に沿ってある男の唯一のシンボル。

 そこを原点にして、まるでつま先から頭の先まで衝撃が突き抜けた。

 一瞬の間、ノアは耐えねばならないと思った――襲い来る痛みを。


「がぁ........ぁ!」


 すかさず股間を両手で覆い隠し、内股になった姿勢で体を生まれたての小鹿のように震わせ、ゆっくり床に膝をつく。

 悶絶する痛みと、下腹部から込み上がる耐え難い気持ち悪さに目が回り始めた。


 口をパクパクさせ、空気を口内に含む感覚があるのに、上手く息が吸えない。

 胃液が込み上がり、目からは涙が溢れ出る。

 そしてついに、お尻をあげた状態で、額を床につけた。


「き、効きすぎましたか......で、でも、お望みは叶えてやったでしょ!?」


 ノアのあまりの苦しみっぷりに、やった張本人は若干引いていた。

 しかし、すぐに腕を組んで真下でうずくまるノアを見下ろす。

 自分は悪く無いと態度からアピールするように。


「こ......」


「はい?」


「ここは......よ、そうがい、だった......」


 今にも死にかけの人が遺言を残すようなか細い声でしゃべるノア。

 そんな発言に、百合は「あ~」と目を背け、頬をかきながら、


「その、まぁ......お姉ちゃんはオトコの娘好きだし大丈夫だと思いますよ。

 それに先輩は女性顔って感じだし」


「いや、これ......オトコの娘じゃなくて、ニューハー......ふっ」


「え、ちょ、先輩!?」


 今までに味わったことのない痛みに、ノアはグロッキーで倒れた。

 ついにダウンしてしまったノアに対し、ユリハは今度こそ慌てた様子で肩を貸し、少し遠くにあるベンチに運んだ。


 ノアがユリハに背中を擦ってもらいながら復活したのは、それから十数分後のことだった。


***


「その......やった行動に対しては悪いとは思ってませんが、もう少し加減すれば良かったとは思います、はい......」


「ここは.....うん、中々鍛えるのが難しい弱点だからね」


「とりあえす、悪漢の対処法として極めて有効であることは学べました」


「そ、それは良かったね......?」


 確かに、非戦闘員のユリハの実力は、見た目の通りか弱い乙女だ。

 そういう意味では、確実な弱点を突いて逃げるという選択肢を学べたのは大きいだろう。

 それに気づく要因に少しばかり不満が残るだけで。

 そんなノアに対し、依然として眉尻を下げ、


「気持ち悪いの治りました?」


「あぁ、うん。だいぶマシになった。背中擦ってくれてありがとう」


「まぁ。こればっかりは自分が蒔いた種ですし......」


 伏し目がちの視線を落とし、ユリハがデフォルトで冷えた瞳に別の意味で暗い感情を残す。

 とはいえ、先ほどの彼女の声色からしても、多少気が晴れたような明るさがあった。


 そういう意味では、ノアにも罰も受けた甲斐があっただろう。もう二度とごめんだが。


「――アストレアは大丈夫そう?」


 いつまでも下世話な話をするのも忍びないので、ノアは話題を変えた。

 となれば、当然気になるのはアストレアのことだ。


 この三日間、アストレアとは一度も顔を合わせていない。

 もともと、違う拠点(パレス)なので会う機会は少ないのだが、いつも猫のように日向ぼっこしている教室の陽だまりスポットにもいないとなれば、その深刻さも伺える。


 もっとも、それも無理の無い話だろう。

 家族を失う悲しみなんて、心が切り裂かれるように痛いのはノアも理解している。

 自分だって、もう家族が三人も消えているのだから。

 ただ、内二人は悲しみの理由が違うが。


 そんなノアの感傷の一方で、ユリハは生存する姉を思い浮かべ、


「そうですね、まだちょっと引きずってるかもしれません。

 ベッドの上で丸くなって......はいつものことなんですが、反応が鈍くて。

 怠け癖が目立つ姉なんですけど、それとは別って言いますか......」


 そう語るユリハの表情は暗い。

 うるささから少し離れた場所にやってきたというのに、店内BGMが消えたようによく聞こえる。

 それだけ親身になって聞き入っているのかもしれない。


「そっか.....」


 一先ず返事はするも、言葉に詰まった。

 「元気になって欲しい」と思ったものの、それはあまりに他人行儀だ。

 加えて、無理やり引き離した自分が言うべき言葉じゃない。


 なら、何もしなくていいのか。それは違うと断言できる。

 たとえ命令に従って行動したとしても、アストレアの心を傷つけたのは事実だ。

 であれば、そう自覚があるなら、誠意を示すのが筋だろう。


(それすらも自分の身勝手な罪滅ぼしな気がしなくもない)


 そんな気持ちが脳裏に過りながらも、ノアは動ごかない理由を潰すように、


「僕に出来ることがあるなら行ってくれ。なんでもやるよ」


 それこそ、アストレアが立ち直るなら女装だってやろう。

 もちろん、そんなもので元気づけられるはずがないとはわかっているけど。


 そんなノアに対し、ユリハは横目に見ながら、小さく息を零す。

 背もたれに背を預け、少し逡巡したように組んだ両手の親指をくっつけたり離したりして、それから目線を傍らに向けると、


「あなたも真面目ですね。それもバカがつくほどの。つまり、バカってことですね」


「真面目って単語はどこ行っちゃったの......」


「ですが、そういう人の良さそうな所がお姉ちゃんが気に入ったかもしれません。

 ほら、お姉ちゃんって前世明らかに猫っぽそうですし」


(ごめん、アストレアのことそこまで詳しくないから共感しにくい)


 そう思いながらも、口には出さず「そ、そうなんだ......」と答えておく。

 なんせ関係が始まって一か月ぐらいなのだ。

 それ以前の話は、ライカからそれとなく聞いてはいるが。


 しかし、妹のユリハから見て、アストレアとの関係がそう見えるのなら、きっとそれは他の人達にとっても共通認識なのだろう。


 それが意味するのは、自分ならアストレアの役に立てられるかもしれないということだ。

 この際、彼女が再び立ち上がれるなら、偽善でも何でも行動するべきだ。


 もちろん、あの発言自体、ユリハの気遣いを感じる部分もあった。

 だが、今回は素直に受け取るべきだ。自分にできることがあるのなら。


「それじゃ、姉のこと任せようと思います。不束者の姉ですが、よろしくお願いします」


「それだと意味合い変わっちゃうんだけど......うん、わかった」


 ユリハのお願いを受け、ノアの一日の中に行動指針が定まった。

 ぶっちゃけ手持無沙汰だったのだ。むしろ、目的を得られてありがたいぐらい。


 そんなノアの気持ちなど知る由も無く、ユリハは立ち上がると、大きく体を伸ばした。

 吐息とともに一気に脱力すると、「よし」と腰に手を当ててノアに振り返る。

 その視線に、ノアも立ち上がり――、


「それじゃ――」


「はい、せっかくなので遊びましょう!」


「あぁ......ぅえ?」


 意気込んだノアであるが、早速出鼻をくじかれた。

 しかし、気勢を削いだ本人は「どうしたんですか?」と気づいてない様子。


 とはいえ、ユリハにもお世話になったので、しばらく彼女の遊びに付き合った後、青のパレスに向かった。

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