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第36話 受け止めるべき現実、そして再起の時#1

 ずっと昔、幼馴染と約束した夢があった。

 その夢は誰かが聞けば、月に手を伸ばして捕まえるかのように無謀な話だっただろう。

 しかし、自分からすれば、それはただの夢物語ではなく、誓いであった。


「.......」


 作戦の翌日、必死に逃げ帰って来たノアは、総合病院にて治療を受けた。

 初めてのアビゲイルとの戦闘ではあったが、幸いにも大きな傷は無い。


 それもこれも、シェナルークの魔力による防御(かたさ)のおかげであるのは、少し癪ではあるが。


 その治療の間、軍の対策本部の人間に事情聴取をされ、ノアは見たものを赤裸々に語った。

 侵食領域の影響、アビゲイルの強さ、そして特魔隊が戦うことを忌避し続けている怪物の存在。


 それらを語ってる時の自分の姿は、正直あまり覚えていない。

 最後に見た鉄の扉を最後に、時間が跳躍してるように今を感じるからだ。


「.......たくさんの人が死んだ」


 自分の自室で、所々にテープや包帯を巻いたノアはベッドに寝そべっていた。

 そして、右腕を庇のように顔に乗せ、ただ時間を無為に過ごすように天井を眺め続ける。


 しかし、ノアの目に映るのは、白い天井のありふれた景色ではない。

 まるで何か月も時を過ごしたかのような、濃密すぎる昨日の出来事。

 地獄と呼ぶ相応しい惨劇に、もはや心はぐちゃぐちゃになっている。


 助かったことに対する安堵感と、逃げてしまったことの罪悪感。

 命令だったと、あれは仕方ない行動だったと無理やり納得することもできる。

 しかし――、


「目の前で.......死んだ!」


 その事実が、ノアは現実から背けさせてくれない。

 だって、焼き付いているのだ。どうしようもなくまぶたの裏に。

 あれは些細な休憩時間だった。


 ほとんどの人が初対面で会った中、青のパレスの先輩――ユートリーは優しく話しかけてくれた。

 話したことは、なんてことない他愛のない内容だった。


 しかし、初めての戦場で気を張り続けていたノアにとって、束の間の休息と言えた。

 もちろん、全く警戒を怠っていたわけじゃない。


 しかし、周りにはマークベルトやクルーエル、ライカに、アストレア、そして数々の修羅場を潜り抜けた先輩達のがあり――だからこそ、気づけなかった。

 唐突に、「死」が命を攫って行ったことに。

 

「何もできなかった......!」


 目の前でユートリーの頭が無くなったことは記憶に新しい。なんせ昨日のことだ。

 その時の死はあまりにも鮮明で、衝撃的で、無慈悲だった。


 怒りよりも混乱が心の中を見たし、視界の現実を疑った。

 拒絶にも近かったかもしれない。

 それほどまでの理不尽が、ノアへ襲いかかった。

 怒りで責め立てたくなるような不条理が、心を傷つけた。


 その現実に対して、激しい怒りがある。今だって感じる。

 しかし、その怒りが向いているのは現実だけじゃない。自分自身にもだ。

 なぜなら、自分は――


(自分じゃなくて良かった、ってなんでそう感じるんだ!?)


 その気持ちを抱いていたことに気付いたのは、病院で治療を受けて少し経った頃。

 ようやく心が落ち着ける場所に帰ってこられて、それによって緊張が解けたのだろう。


 だとしても、そう思うことに抵抗があった。思いたくなかった。

 だって、だってそんなの――あまりにも身勝手じゃないか。


 死にたくなかったのはユートリーも同じだ。

 にもかかわらず、それを差し置いて我が身可愛さにそう思うのが「恥」に感じた。


 自分が果たそうとしている約束は、叶えようとしている夢は、究極的に言えば「人助け」だ。

 であれば、それは当然ユートリーを助けることもそれに含まれる。


 しかし実際は、大口叩いておきながら、何もできず帰って来た臆病者。

 それが自分というちっぽけな男の、人間性を如実に表していた。


「クソ......」


 あまり表に出さないようにしていた悪態が露出し、悔しさに言葉が吐き捨てられる。

 その言葉と同時に、ノアは体を起こすと、ベッドから足を投げ出す。


 すぐ近くに立てかけられたモデルガンに目を向け、すぐに視線を逸らすと立ち上がった。

 少しでも気が滅入る今な状況が変わればと、ドアノブに手をかけ、廊下へと出る。


 人気の少ない――というか単純に人が少ないパレスの中、ノアが向かったのは三階だ。

 三階には会議室や視聴覚室など、雑多に部屋がある割には使ったことは一度も無い。


 そんないくつもの部屋がある中で、唯一使う部屋があるとすればオフィスだ。


「フゥー......」


 赤茶けた色の両開き扉の前で、ノアはと息を吐き、心を落ち着ける。

 緊張しているといえば、その通りのかもしれない。

 部屋の中にいる人物に、余計な心配をかけないように。

 ゆっくり深呼吸した後、片方の扉のドアノブに手をかける。


「失礼します......」


「あぁ、ノアか.......相変わらず律儀だな」


 開かれたドアの隙間から見えてくる執務室。

 ダークブラウンの机にはやっぱなしの書類が乱雑に置かれており、一部では積み上がっている。


 その手前には応接用の二つのソファとテーブル。

 そして、テーブルの片方に力なく背を預けている黄色の髪をした少女――ライカが鋭い目つきをいつにもなく弱々しくして出迎えた。


 そんな彼女の様子に察しているノアは、そのことに触れることなく、ライカの向かい側のソファに座った。


「眠れた?......っていうのもおかしいよね、ごめん」


 初動からかけるべき言葉をミスったノアは、バツが悪そうに顔をしかめた。

 昨日のことがあってグッスリ眠れるわけがない。自分だってそうなのだ。


 聞く必要のないことを聞いて、不用意にライカを傷つけた。

 あまりに無神経で考えなしの発言に、自分の胸の内側に気持ち悪さを感じる。


「気にすんな。アタシはそんな繊細な人間じゃねぇよ」


 暗く影を落とすノアに対し、ライカは微笑し、ゆっくり首を横に振った。

 向けらる青い瞳の双眸に、優しさを慈愛が込められている。

 それがわからないほど、ノアは彼女と一緒に育ってきていない。


「ノアの方こそ大丈夫か?」


 それこそ、自分よりも相手を気にするのだ。

 十年来の再会の時もそう。ライカはとても優しい人物。

 それを考えれば、当然彼女に上がる頭など無い。


 幼馴染の優しさに、ノアは少しして「大丈夫」と返答する。

 しかしすぐに「いや」と自らの言葉を否定し、


「やっぱり......少し無理してるかも。ごめん。ライカも辛いはずなのに、僕ばっかり甘えて」


 昨日から一夜明けて、マークベルトとクルーエルの帰還報告は無い。

 もっと言えば、彼らのオペレーターすら何も連絡を受けていないという。


 もちろん、単に連絡が出来ない状況であったり、通信機が故障していたりと可能性はある。

 しかし、大抵の場合それは一つの事実を示す。それは――


「だから気にすんなって。それに、恩人が死ぬのは何も初めてじゃねぇ。

 まぁ、二人も同時に失ったって可能性が非常に高いってのは、さすがに堪えるが......」


 マークベルトはライカの直属の上司であり、ライカは度々上司の秘書的な立場で動いていた。

 時には無茶ぶり、時にはからかわれ、時には背中を預けられと、ただの上司と部下にしては濃密な時間を過ごしている。


 そんな恩人が死んだ。それはもはやノアが抱えている感情を遥かに超えているはずなのに。

 それでも、彼女はノアを優先する。先輩として、幼馴染として。

 そんな優しさにノアは助けられてばっかりだ。


(思えば、それはずっと僕はライカに助けられてばっかりだ)


 心の中を満たす怒りが、悲しさが、身近な自分へと向けられる。

 ライカに助けられたのは、久しぶりの再会を果たしたあの時だってそう。

 無謀無茶で一般人のノアが戦場に突っ込み、死にかけたところをライカに助けられた。


 あの時のライカの言い方には、キツいものがあったが、それは間違いなく正論で。

 結果として、ノアは魔力を得てどうにかなったが、迷惑かけたことには変わりない。


 それでいてノアが特魔隊に入隊すれば、特訓の相手として付き合ってもらった。

 アビスという存在がどういうものか、そしてそれを倒すことがどういう意味か教えてくれた。

 アストレアとの決闘が決まり、同等レベルまで戦えるまで引き上げてくれた。


(全部.......全部、ライカのおかげ。なのに――)


 自分は未だ甘えている。甘え続けている。

 今だって自分の弱さをひけらかすだけで、それで慰めてもらおうとしている。

 愚かだ、浅はかだ、そしてあまりにも身勝手だ。


 仲間が死んで辛いのは自分だけではない。ましてやライカなんて尚更。

 そんなことも考えられないで、自分が一番不幸みたいな思い違いをして。

 腹立たしい。そんなちっぽけな自分でいる自分が許せない。


 憤ってるのも、罪悪感を感じてるのも全部自分のためだ。

 本当にそう思っているなら、考えて思い詰めるよりも早く行動すべきだったんだ。

 でなければ、こんな燻っていない。つまり、これが答えだ。


「――人が死ぬのは、やっぱ何度見ても慣れねぇな」

 

 それぞれのふとももに肘を乗せ、前かがみの状態でライカが口を開いた。

 正面からポツリと聞こえた言葉に、ノアは顔を上げる。


 俯いた顔からは感情は見えない。

 しかし、声音や握ら手た右拳が雄弁に語っていた。


「当たり前だけどさ、この世界にいると割と死は身近になるんだよ。嬉しくねぇけどな」


 一人でにしゃべり始めたライカは、最後だけ自嘲気味に笑った。

 相手は死を恐れぬ化け物。

 本能を持っていようと、理性に従っていようと相手は平然と人間を殺す。


 そんなアビスと戦うのが特魔隊の仕事だ。一人でも多くの人間を救うために。

 もちろん、その仕事で殉職する隊員や守り切れなかった人はあまりにも多いが。


「でさ、『人間は慣れる生き物』って言うじゃん?

 適応してきたから、こうしてどんな環境でも自己を確立したんだって。

 けどさぁ、やっぱり目の前で死ぬのを見ると、心にぶっとい杭を打たれた気分になるんだ」


 上半身を起こし、背もたれに力なく寄りかかる。

 ライカの瞳にはノアが映っていないのか、ぼんやりと机の方を向いていた。

 その瞳を見たノアからすれば、過去を思い出しているように見える。


 当然だ、ライカが特魔隊のキャリアは十年になる。

 その期間で、最初から戦場に送り出されていたわけではないだろう。

 しかしそれでも、ノアよりは確実に戦場を知っている。多くの死を知っている。


「ましてやさ、目の前で介錯を見届けるなんざぁ、数えるほどしかない。

 加えて、今回は懇願されたわけでもない。死体撃ちを見届けてる気分だった」


 ノア達生き残り組が門を抜けた後、すぐに行われたのは発狂した仲間の処理だ。

 「怠惰」の侵食領域に犯され、発狂状態になった人間はアビスになる。


 それは覆しようのない事実であり、加えて半端に実力がある人間がアビスになれば、その分周囲に及ぼす影響が大きくなる。


 故に、仲間としてできるのは、仲間を人間として死なせてやるための情け。

 意識も無い、呼吸するだけの仲間に贈る唯一の慈愛。


 そんな光景を、ノアはライカと一緒に見ていた。

 仲間を解釈したのは同期の先輩達であり、今でもその沈痛な面持ちは目に焼き付いている。


「だからさ.......ちょっと甘えていいか?」


 あまりにも堂々とした宣言、男らしい言葉に、ノアの目が大きく開く。

 わかっている。その言葉にあるのがただの気遣いであることぐらい。

 それはあまりにも不器用で、それでいて太陽のように温かく、そして輝いていて――


「ノア、泣いてるのか?」


「......へ?」


 ライカからの指摘に、ノアの口から気の抜けた音が漏れる。

 涙溢れさせた感覚も、泣いた自覚も無い。

 しかし、そっと右手で目元を触れてみれば、しっとりと人差し指が濡れた。


 それを自覚すると、堰を切ったように涙が頬を伝い、運河を作った。

 おかしい。こんなつもりじゃなかったのに。

 なんで、どうして、こんなにも涙が溢れて止まらないんだ。


 自分への苛立ちか、無力への嘆きか、生を実感してしまった罪悪感か、慰められることへの恥か。


 そのどれかはわからない。あるいは全部が攪拌されたものかもしれない。

 ただそんな中でも唯一理解できたのは、限りなく純度の高い「情けなさ」だ。


「.......ぅ、うぐっ」


 ともかく、もう一度流れたものは止まらない。

 運河は水量を増し、嗚咽とともに加速する。

 顎先に収束した涙が、大きな雫を作り、ズボンの上に滴り落ちる。


 うずくまる子供のように頭が下がり、全体的に前のめりになった。

 顎先から産み落とされる雨が、テーブルの上にまばらに落ち、水たまりを作り始める。


「......全く、こっちに甘えさせろよ。バカ」


 滂沱の涙にくれるノアを、ライカは片目を瞑って見る。

 それからテーブルへと身を乗り出し、その上に横座りになると、ノアの頭を両腕で抱えた。


 ノアの顔がライカの比較的慎ましやかな胸に埋まり、ノアの手がすがるようにライカの腕を通して肩を掴んだ。

 それからノアが泣き止むまでの数分間、二人はこのままの体勢だった。

読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)

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