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第34話 怠惰の王、そして命がけの脱出#2

 静寂と不気味が同時にその場を支配した。

 静寂、それは突然に目の前で起きた凄惨な光景に対して。


 みぞおちに手を押さえ、必死に出血を押さえるのはクルーエルだ。

 着ていた服は見る見る内に赤く染まり、その出血量が痛々しさを物語る。


「――っ」


 小さく息を呑み、クルーエルがゆっくり後ずさる。

 目の前に現れた存在に、僅かに震えた両膝を動かし、少しでも距離を取ろとしたのだ。


「あぁ、本当にどうしようもないなオイラは」


 不気味、それはクルーエルの目の前に現れた一体のアビゲイルに対して。

 クセッ毛の濃緑の髪に、前髪の一部だけ赤の差し色があり、羊の角のような巻き角をした二十歳そこらの見た目をした青年。


 目元の隈は三十連勤を迎えたように深々で、同じく濃緑の瞳は濁り切っている。

 目元のすぐ下には多少ながらのそばかすがあり、それが僅かに青年に幼さを出していた。


 濃緑の青年が着る淡い黄土色をしたような服もそうだ。

 一見すれば、異国の商人のようにも見えるその服の袖は両腕をすっぽり覆っている。


 明らかに丈の長さが合っていない、そんなオーバーサイズを着ている姿が幼稚さを滲ませる。

 もっとも、その不釣り合いなサイズは同時に「だらしなさ」も表現しているが。


「身内が傷ついてからじゃないと間に合わない。

 怠惰だ......そしてそれを考える思考をめんどくさがっている。

 オイラは怠惰な人間だと――そうは思わないか?」


 青年は血に濡れた左手をピシッと振り払い、同時に見続ける者達に尋ねた。

 その手を袖が覆い隠す。地面に弧を描くように血の跡が広がった。


 そんな問いかけに、マークベルトも、クルーエルも誰も答えない。答えられない。

 体を強張らせる緊張感が、喉に絡みつき、首を絞めているようであったから。

 ノアが大変息苦しいと思っているのもその影響だ。


 動けないのも同様だ。

 鎖のように全身を縛り付け、その場に固定する。

 濃緑の青年が現れた――たったそれだけで。


「大丈夫だったか? グラグラ」


 青年はゆっくり視線を移動させ、右腕に抱える灰髪の少年に声をかける。

 その優しさと気遣いを感じさせる問いかけに、灰髪の少年――グラグラはゆっくり、されどしっかりと頷いた。


 そのまだ怯えが抜けきっていない顔に、青年は頬を緩ませる。

 そこには幼い少年だけは救えたという安堵感が如実に表れていた。


 それだけが分かればいいとでも言うように、「それじゃ下がってて」とグラグラを後ろに下がらせると、代わりに立ち上がって前に一歩立った。


「た、怠惰だ......怠惰のアビス王だ......」


 誰かがそう言った。

 その声には多分に緊張、恐怖が含まれており、震え声が静寂な空間によく通る。


 当然、その声はノアにも届いており、人生で二人目のアビス王という存在に唾を飲む。

 そしてまた、どこかで固まる隊員が禁忌の大罪である「怠惰」の名前を口にした。


「怠惰のアビス王――リュドル=アケディアだ」


 そう名前を告げられた怠惰のアビス王――リュドルはあくまでかったるそうに頭を掻いた。

 立ち姿は典型的な猫背であり、表情は常に眠そうで覇気がない。


 それでもなお、その場にいる隊員の誰もが固まってしまうのは、彼がアビス王であるからに他ならない。


 言うなれば、目の前に逃れようもない距離で津波が迫っているようなものだ。

 体が動けないのは緊張と恐怖が混じったものなのか。

 はたまた、ただ目の前にいるだけの死神に「死」を覚悟しているだけか。


「なぁ――」


「総員、今すぐこの場から逃げろ! 」


 リュドルが話しかけようとした瞬間、別の場所から言葉を覆い隠すように音が弾けた。

 その音の発生源はマークベルトだ。


 肩越しに振り返る彼は、すぐさま背後にいる総員に告げる。

 同時に、その言葉は首に巻かれた通信機からも伝達され、この場にいない隊員達にも伝えられた。


「全力でだ!」


 この時、本作戦の敵情視察という目標が達成され、同時に新たなタスクが言い渡された。


 それ即ち――一人でも多くその目で見た情報を本部に持ち帰ること。

 本格的な討伐隊が組まれていない以上、それは最善の手だ。


「「「「「っ!!」」」」」


 災害が起き、人がパニックになった時、簡単な命令を与えると沈静化するということがある。

 それは真っ白になった頭に「行動」が与えられ、進むべき道が見えるようになるからだという。


 その影響かどうかは定かではない。

 されど、その場に立ちすくんでいた隊員達が一斉に振り返り、走り出したのは確か。

 隊員が振り返ることはしない。出来ない。


 そんな中、唯一傲慢のアビス王(シェナルーク)との対面経験で、他の隊員達よりもわずかに心の余裕があるのがノアだ。


 心の余裕があるということは、即ち視野が広いということだ。

 だからこそ、気付いた。

 その場から離脱しようとしない少女の存在に。


「アストレア!」


 走り出した視界の端、呆然と立ち尽くすアストレアを捉え、すぐさまブレーキをかけた右足のつま先を彼女に向ける。

 アストレアに近づくと、はやる気持ちでノアはすぐに声をかけた。


「アストレア、この場を離れよう。早く」


「.......」


「アストレア!」


 ノアがいくら呼びかけようとも、アストレアは銅像のように固まったまま動かない。

 視線は一点を見つめたまま、瞬きもしない。


 その視線の先が気になり、ノアはふと振り返る。そして目を開いた。

 お腹に手を押さえ、肩で大きく息をするクルーエルの姿に、だ。


 クルーエルは腹部を氷で止血し、迎え撃つように剣を構えて動かない。

 隣にいるマークベルトとも同様だ。それが意味するのは一つ――殿(しんがり)だ。


 先の命令は部隊全体で逃げるためじゃない。

 隊長と副隊長を除く部隊全員が逃げるための命令だ。


 当然、先んじて逃げた隊員達もそれを理解しているのだろう。

 だからこそ、振り返らなかったのかもしれない――足が止まってしまうような気がして。


「ノア君」


「!」


 柔らかくも凛とした声がノアの耳に届く。

 いつまでも立ち尽くすを妹を見かねて振り返るクルーエルだ。


 彼女はただ戦場に似つかわしくない慈母の笑みを浮かべ、アストレアに向けた目を細めながら、すぐ隣にいるノアに言葉を続ける。


「アストレアを......妹をお願いね」


「待っ――」


 最後の言葉のように聞こえるクルーエルの言葉に、今まで制止していたアストレアが手を伸ばす。

 そして、返答しようとした言葉は――、


「ノア! 担いで走れ!」


 切羽詰まった鬼気迫る表情で叫ぶライカによってかき消された。

 その声に意識をハッとさせたノアは、チラッとアストレアを見る。

 依然手を伸ばしたまま、アストレアが前に進むための右足を動かそうとしていて。


「ごめん!」


 その右足が地面を着くよりも先に、ノアはアストレアを肩で担ぎ走り出す。

 ノアの肩を起点に、彼女の体が大きくくの字に曲がる。

 さながら、俵担ぎような体勢だ。


 そんな状態でも伸ばす手は変わらず、むしろ彼女の腕は先程よりもピンと張った。

 遠ざかるものに必死に手を伸ばして、取り戻そうとするように。


「姉さん!」


 普段の落ち着いたアストレアからは考えられないような、張り裂けた声が空に響く。

 同時に、ノアは背中から強く隊服が引っ張られるのを感じた。


「ノア、放して! 姉さんが!」


 アストレアが眉を歪めて担いで走るノアに訴えかける。

 しかし、ノアは己の弱さに恥じるように顔のパーツを中心に寄せ、目を伏せるばかりで応じない。

 応じてはいけない。


 でなければ、時間稼ぎしようとしてくれているマークベルトとクルーエルの覚悟が無駄になってしまうから。

 それだけは絶対に、踏みにじってはいけない一線だ。


「姉さん! 姉さん! ノア、放して! 姉さんが、姉さんが死んじゃう!」


「―――っ!」


「ノア!!」


 涙に濡れ、喉から出すような悲痛な声が、ノアの鼓膜につんざく。

 訴えかけるように打ち付けてくるアストレアの拳が、背中へ衝撃を与える。


 担ぐノアから離れようと、アストレアが両足をじたばたさせて暴れた。

 しかしそれでも、ノアは決して放さない。

 アストレアの心中がどれだけ理解できても、鋼の意思で行動に徹した。


「おいおい、即逃げは酷いよ。もう少し落ち着いてけって。

 ゆっくりしてこうぜ――な?」


 ノアの遥か後方、一つ欠伸を噛んだリュドルがゆっくり足を上げる。

 そして、同意を求めるような問いかけと同時に、足を地に踏み下ろした。


 踏み込んだその足から猛然と緑色の瘴気が噴き出し、地を駆ける。

 爆発的に広がる色のついた霧とも呼べるそれは、たちまち辺り一帯を覆いつくした。

 当然、その広がりはノア達を追いかけ、あっという間に追い越し――


「っ!?」


 死神が見ている。

 そう言い現わすしかない幻がノアの目の前に現れた。

 緑色の煙で形作られた死神の手には、両手でしっかりと身の丈ほどの大鎌が握られている。


 いくらは走ろうと死神は一定の距離を保ったまま目の前に居続ける。

 その圧倒的な存在感に目が奪われていたその時、ノアはふと気づいた。

 世界が暗い、と。付け加えるなら、歩みも遅い。


(死を......幻視している?)


 ノアの脳裏に、そんな言葉が過った。

 先程まで日中だった世界が、あっという間に夜に、否、闇に変わってるなどありえない。

 それに踏み出す足がやたらと遅く感じるのは、稚拙な表現で言えば「走馬灯」と同じだ。


 脳が「死」を回避するために、体に持てる全意識を脳に集中させ、死神の攻撃から逃れようとしている。

 当然の反応だ。誰も死にたくないのだから。


(他の人も見える)


 視界だけ通常の速度で動く不可解さを感じながら、ノアは周囲に視線を巡らせる。

 死神がいるのは、動きが超スローになってるのは自分だけではない。


 逃げた隊員、いやもっと正確に言えば、この緑の霧に捕まった隊員だけだ。

 数にして十人。その全員が死神の対象。

 きっと見えているのは自分だけじゃないはず。


(――っ!)


 その時、目の前にいた死神が大きく大鎌を振り被った。

 動きはスローで、それが逆にノアの震える心をさらに震えさせる。

 わかりやすい恐怖が目の前からゆっくり振り下ろされるのだ。


 思考は一瞬。

 死神の振る大鎌に対して、自分の動きは少し遅い。

 避けるタイミングを間違えれば――死ぬ。


 右足を伸ばし、ノアはすぐさまブレーキをかける。

 出来てるのかはわからない。しかし、だんだん体が斜めに傾き始めた。

 後ろに倒れるように傾く中、死神の大鎌が横薙ぎに振るわれ、カーブした刃の先端が首へ迫る。


 それはゆっくり、ゆっくりと迫り、刃先が真一文字に首の薄皮を掠める。

 しかし、血は出なかった。その証拠に刃先にノアの血は付着していない。


 躱した。避けれた。

 死神はゆらゆらと揺らいで消え、視界が元に戻り、陽光が瞳を刺す。

 途端に、ノアの心に安堵が満ち――


「―――ぃ!?」


 瞬間、膝からガクンと力が抜けるような感覚に、ノアは襲われた。

 感覚的には膝カックンされたような感じだが、体を覆う気だるさはそんなものじゃんない。


 いきなり両肩の上にずっしりと重石が乗せられたような感じだ。

 膝には力が入りずらくなっている状態での、上から押し付けられるような圧力.....そんな体を襲う謎の虚脱感。


 加えて、先ほどまでブレーキをかけていたと思っていた体は相変わらず前傾姿勢のまま。

 どうやら先程の回避は、あくまで思考の中での出来事だったようだ。


 その一瞬の思考と肉体のチグハグに足をもつれさせ、危うくコケそうになるが、ノアはなんとか後ろ足を出し踏み止まった。


 せっかくマークベルトとクルーエルが稼いでくれた貴重な時間だ。

 こんな大事な場面でしょうもないミスをしている場合ではない。


―――ドサッ


 と、誰かが倒れる音を聞くまでは、ノアはそう思っていた。

 視線の数メートル先、先行して走っていた男性隊員の一人が前のめりに倒れた。


 当然、勢いはそのままなので、その隊員はアスファルトの地面を顔面で削る。

 ザリザリと嫌な音をノアの耳は捉え、思わず顔をしかめた。


「ちょ、大丈夫ですか!?」


 すぐさま近づき、ノアは隊員に声をかける。

 うつ伏せで倒れる隊員に声をかけても反応がない。

 だから、まさかと思いひっくり返せば――


「もう動くのめんどぉ......なんで生きようと走らないといけないのか......」


 その隊員は荒い呼吸を繰り返しながら、ふざけたことを言っていた。

 額を盛大に地面で切り、顔の半分が血で染まる中、感じるはずの痛みよりも先に「怠惰」を貪ろうとしている。


 目は虚ろになり、さながら生きる屍だ。

 人の形をし、生物に最も近い人形。それが今の男性隊員の状態。

 そして、ノアはこの症状に見覚えがあった。


 それはこの作戦を実行する五日前のブリーフィングで見た映像。

 傭兵団の厳格な隊長が、見るも無残な呼吸するだけの植物と同じようになった姿と同じ。


「侵食領域......!」


 侵食領域「不精」――それが先程の死神の正体であった。

読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)


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