第33話 怠惰の王、そして命がけの脱出#1
「――そっか、わかった。教えてくれてありがとう」
マークベルトがいる本隊までの道中、ノアは脳内に響くオルぺナの言葉を聞き、安堵の息を吐いた。
彼女から聞いた内容は、ライカの勝利と生存だ。
まさか勝利報告を聞くとは思わなかったが、しかし負けるとも思っていなかった。
とはいえ、心配はしていたので、無事である確認が取れたのは素直に喜ばしい。
オルぺナとの通信を切ると、すぐさま顔を向けたのは、隣にいるアストレアだ。
ノアが向ける視線にアストレアが気付くと、水色の髪を耳にかけ、
「どうしたの?」
「たった今、オペコ......僕のオペレーターをしてくれている人からライカが無事なことを確認できた。
どうやらたった一人でアビゲイルを倒してしまったらしい。ハハッ、凄いね」
言葉を並べ、同時に脳裏にギャリーとの激戦を思い返し、ノアは苦笑する。
あれだけ自分達が苦戦した相手に、ライカはたった一人で勝ってしまった。
もちろん、アビゲイル自体の戦闘力の差異はあれど、基本的な強さは変わらないだろう。
だからこそ、幼馴染の輝かしい勝利報告が喜ばしい。
さすが自分が並ぼうとしている相手だ。格が違う。
「でしょうね。私はライカが負ける姿なんて想像できない。
単純に想像力の乏しさもあるでしょうけど、ライカの強さは理解してるから」
そう、さも勝つのは当然といったアストレアであるが、走る呼吸の僅かに短く言葉を零した。
その吐息に含まれる感情が、隣から見るノアはなんとなく理解する。
きっと自分と同じだろうなのだろう、と。
アストレアが友達想いであることは、もう十二分に知っている。
でなければ、わざわざノアの前で「ノアを辞めさせる」宣言なんてしないだろう。
飛ばされ、ギャリーによって奪われた時間を取り戻すように、ノアとアストレアは地面を駆けた。
魔力によって強化された身体能力を活かし、目的地に向かって全力直進。
道路を横切り、建物屋上を飛び越え、真っ直ぐ最短距離で。
「見えてきた」
陽光を水鏡のように映す深蒼の瞳を正面に向け、アストレアが小さく言葉を零す。
耳元でうるさくなる風切りの音を聞きながらも、確かにその言葉を聞いたノアは、同じく視線を正面に向けた。
遠くから見える大きな十字路には、キラキラとしたものが連なっていた。
氷山だ。といっても、大きさはせいぜい二、三メートルほどだ。
空気をあまり含まず、透明感のあるそれは、僅かな表面の汗に光を反射させている。
その光がノアの捉えたキラキラの正体だ。
そして、その近くには、マークベルトとクルーエルの姿がある。
他にも、その数メートル後方ぐらいに隊員達の姿がいて、
「無事みたいだね。負傷した人はいるみたいだけど、死者はいなさそうだ」
「そうね。そろそろ、着くわ」
アストレアの言葉を聞き、ノアは無事本隊に合流する。
スタッと地上に降り立つと、僅かにバクバクと動く鼓動を感じながら、視線を巡らせた。
膝に手を突きながら呼吸する隊員、地面に座りながら話す二人の隊員、仲間から簡易的な治療を受ける隊員、そして――
「ライカ! 良かった無事で」
「ノア!」
ライカに気付き、ノアがすぐに声をかける。
瞬間、声を聞いたライカが弾かれるように頭を振り向かせ、ゴールデンレトリバーの如く走り出した。
「ごふっ!」
無邪気なままに華奢のように見えて鍛えられたライカの肉体が、ノアを弾く。
もはや抱き着かれた衝撃などゴールデンレトリバーの比ではない。
もっとだ。極端な例を挙げれば、鉄球クレーンのそれ。
ギャリーとの戦闘で傷だらけにノアに痛烈なダメージが入る。
衝撃が素早く体の正面から背中へと駆け抜け、ゆるやかに吹き飛ばされる。
しかし、それも束の間、ライカの両腕がガッチリ体をホールドした。
「ノアぁ~~~......良かったよぉ.......」
若干の嗚咽混じりの泣き声に、ライカがどれほどノアの安否を心配してくれていたかわかる。
このベアハグもそう言う意味であることは、理解しなくてもわかった。
がしかし、それが理解できていても、今の状況をノアが許容できるわけではない。
万力のような力が、ノアの両腕をゆっくり折り曲げ、そのまま胴体を締め付ける。
ライカの胸部に肺が閉められ、正常な呼吸が難しくなり、息が途切れ途切れでしか吸えない。
その状態で並走するように来るのは、ジリジリと続く痛みだ。
せっかくライカに心配かけまいと生き残って帰って来たのに、その幼馴染に殺されては意味がない。
加えて、死因ベアハグだ。こんなの全く笑えない。
「ら、ライカ.....ぐ、ぐるしい......あぁ、意識が......」
「......ライカ、幼馴染殺す気?」
「え、ハッ!」
横合いにいたアストレアが肩を揺さぶったことで、ようやく両腕の中で半分意識を失ったノアに気付くライカ。
ライカの顔は途端に顔を真っ青にすると、素早くノアを解放し、先程とは全く別の理由で泣き始めた。
「こ"め"ん"、こ"ん"な"つ"も"り"し"ゃ"......」
「ゴホッ、ゲホッ......あぁ、うん、大丈夫だから」
地面に手をつき、ライカが謝罪する。彼女の姿勢は所謂、土下座であった。
そには普段のカッコいい少女の姿はどこにもない。
どちらかといえば、浮気した男が彼女に泣いて許しを請う構図に近かった。
そんな戦場のど真ん中でむせび泣く幼馴染に、ノアは苦笑しながら許しを与える。
こんな場合ではないこともさることながら、周りの先輩方の生暖かい視線が恥ずかしかったのだ。
どうやらライカがどれだけ幼馴染に甘いかということは、思ったよりも周知な事実らしい。
その甘酢いっぱいニヤニヤした視線が何よりも耐え難かった。
今まで感じたことのない羞恥心に、胸のザワザワが止まらない。
「.......」
その時、ノアはアストレアがとある一点を見つめることに気付く。
彼女がが見つめる先、ノアも視線を向ければ、すぐに言葉の意味を理解する。
円形に囲う氷山の中心、クルーエルの前に真っ黒の男がいた。
三日月形のような頭に、肩から生やした鋭いトゲ、スパイクのような両手。
アビゲイルの「罪禍ノ呪鎧」による本来の姿だ。
「やめろ、弟には手を出すな!」
クルーエルに頭以外を凍らされ、身動きの取れないアビゲイルが無い口で叫ぶ。
三日月形の頭にある小さな双眸を向ける男――アルバトロがクルーエルを鋭く睨んだ。
元は白い燕尾服に紳士のような姿であったが、今の彼にはその雰囲気はかけらもない。
「アルバトロ......あなた達の目的を教えなさい」
そんなアルバトロの虚勢を帯びた威圧に、クルールは一切取り合うことなく、凍った表情を顔に貼りつけたまま質問した。
その冷たく吐かれた言葉に、アルバトロは唇を震わせる。
たったその一言でどちらかが上下がハッキリした瞬間だった。
「それは先程も言ったはずです。兄さんに捧げものを献上するためと。
しかしあいにく――」
そう言葉にしながら、アルバトロはクルーエルから視線を外す。
彼女の数メートル後方そこにいる、本来なら戻ってくるはずのない三人の姿を見て。
そこから視線を動かし、自身の現状を見るやすぐに、顔に苦笑の色を浮かべた。
「あちらも手練れだったようですね。まさか妹と弟がやられるとは....。
加えて、この私もこのザマ。ハハッ、さすがに自分の運の無さを呪いますね」
「どうしてあの子達だったの?」
「それもお伝えしたはずですよ。兄さんが気になったからだと。
何やらあの三人から妙な気配を感じるとのことでしたからね」
アルバトロはもう一度対象の三人へ視線を移す。
三人の素性を訝しむように目を細め、そのままクルーエルに話を続けた。
「それ以上のことは知りませんよ。それを調べようって話でしたから。
むしろ、こちらに教えて欲しいですね。あなた達は何を抱えているのかを」
「あの子達は普通よ。隊にいる以上、定期的にメディカルチェックはしてるわ」
クルーエルは部下を一切疑う様子もなく、冷ややかな口調で言い切る。
あまりにハッキリした断言にアルバトロは一瞬大きく目を見開くが、すぐに鼻を鳴らした。
「それで異常がないと? ハハッ、それはさすがに安直でしょう。
現にあなた達は私達のことにどれだけ知れていますか?
未だほとんどのことはわかっていないでしょう」
アルバトロの挑発するような口調にも、クルーエルは涼しい風をする。
それこそ、アルバトロが舌打ちをするほどには、暖簾に腕押しといった態度であった。
「たぶん、嘘は......ついてないようね」
鋭い水色の双眸をぶつけていたクルーエルは、一度瞑目し、小さく呟く。
それから目を開けると、隣で腕を組んで静観していたマークベルトに視線を移動させた。
「マーク、これで満足かしら?」
「そうだな。聞けるのもこれぐらいだろう」
「あなた達の話に答えを受けてあげました。弟を解放してください」
マークベルトの発言を聞き、アルバトロはすぐに懇願を求める。
弟――背後にいるフードを被った灰色の髪をした少年だ。
ボロ雑巾のような一張羅で、黄色の瞳を持った丸い顔。
六、七歳ぐらいの年齢をした人型のアビスだ。
その少年がアルバトロに比べてれば、大した力を持っていないことは、実際に戦ったマークベルトとクルーエルは知っている。
しかし――、
「それはダメだ。確かに、戦闘力は他のアビゲイルに比べれば圧倒的に低い。
だが、他のアビスを従わせるという強力な能力を持っている」
アルバトロが守ろうとしている少年の能力は、一言で表すなら「司令官」だ。
自分の以外の弱い存在(この場合、アビスになる)を従わせ、襲わせる。
それは従わせるアビスの数が多いほど、付け加えるなら一つ一つの個が強力なほど、凄まじい戦力へと変化する。
たたでさえ、アビスという存在は普通の人間が戦うには荷が重すぎる相手。
そんな存在を、少年はたった一人で軍隊にして操れてしまう。
「多勢に無勢」という言葉があるように、数に勝る個は無い。
時に、圧倒的な数にも勝る個もあるが、それはまず例外中の例外と思っていい。
つまり――、
「その子は私達にとって、いや引いては人類においての脅威になる。
現に、あなたの周りにいたアビスは全てその子が操っていたものでしょう?」
クルーエルの口調は努めて冷徹であった。
その声に意図的に感情が乗っていないのは、彼女の後方にいたノアにも分るほど。
ノアの横では、アストレアが「姉さん」と小さく呟いた。
「死者こそでなかったけれど、多くの隊員が傷ついた。
私達レベルの隊員でその程度の被害。その時点で、よ」
クルーエルの目が強く閉じられ、眉間に深いしわが刻まれる。
しかしそれも束の間、光量を少なくした瞳で、クルーエルはアルバトロを凍て刺すように見た。
「可哀そうだけれど、生かしておく必要が無いわ」
「ハッ、人間は子供も殺すのか?」
「えぇ、殺すわ。それがアビス達であるならば」
クルーエルの口から飛び出る今までで一番の冷えた感情。
その言葉に、その表情に、アルバトロは二の句が継げなくなる。
アルバトロがギリッと唇を嚙み、そして――
「うおおおぉ――」
―――ザクッ
アルバトロの胸の中央――核の位置に剣が突き刺さる。クルーエルの剣だ。
深々と剣の半分ほどが、氷に包まれた黒い肉体に埋まった。
パキッと薄氷が割れる音が響なる。
剣が刺さった箇所から氷にヒビが入り、少しずつ広がり、その面積を大きくなりながらやがて全体へ。
やがてバキンッと音を立てて、人間サイズの氷が崩れ落ちる。
大小様々な氷が地面に広がり、その氷からアルバトロだったものが光の粒子に姿を変え天へ上った。
アビゲイルひいてはアビスが死した時に見せる一際の輝き。
命の灯が吹き消えた証拠だ。
「......次はあなたの番よ、ごめんね」
視線を少年へと向け、アストレアは悲哀に満ちた声色で謝罪した。
恐怖で怯え切った瞳を向ける少年が、地面につけたお尻を引きずったまま、少しずつ後ずさる。
小さな足が何度も地面を滑り、それでも少しずつ、目の前の怖い人間から離れようとして。
しかし、それでもアストレアが一歩詰める方が圧倒的に速い。
「ごめんね」
剣を振り上げながら、それでもなおクルーエルは謝罪の言葉を続けた。
行動に迷いがない。しかし、表情は行動と正反対の感情をし続ける。
せめて一太刀で、苦しませずに一瞬で――
「またどこかで」
短く言葉にし、クルーエルは剣を前に突き出した。
鋭く、正確な剣先は少年の胸元に目掛けて一直線に進む。
そして、その剣先は少年の核へ――
―――グサッ
柔らかい肉が鋭い何かで貫かれる音がした。
同時に、ピシュッとその音の発生源から生暖かい赤い液体が噴き出す。
その光景に、その場にいた誰もが固まった。
少年も、マークベルトも、ノアも、ライカも、アストレアも、その他隊員達も誰も動かなかった。動けなかった――突然現れたただ一人を残して。
「あ~あ、やっぱり間に合わないんだな、オイラは。怠け癖が身に沁みてらぁ」
右手に少年を抱え、左手の貫手でクルーエルのみぞおちを貫く角の生えた青年は、虚ろにも似た眠たげな瞳を少年に向け、静かに呟いた。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)
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