第26話 調査開始、そしてアビゲイルの襲撃#3
ビシュッ―と天に向かって勢いよく飛沫が上がる。
噴水が涼しさを周囲にもたらすように、赤い水滴が困惑と恐怖を街き散らす。
局所的に、鮮血で出来た赤い雨が降り注ぎ、ノアの額が瞬く間に赤く染まった。
「先輩......?」
瞬きもせず、ノアは状況も飲み込めないままに呼び掛ける。
しかし、当然返答は来ない。頭が無いのだから。
目の前のオブジェは、先ほどまで話していた先輩隊員ユートリー――だったものだ。
たった数秒前まで楽しくおしゃべりし、アドバイスまで貰った。
ここが地獄と分かっていながらも、僅かに油断を解いてしまった。
それがいけなかったのか。だから、こんな結果が生まれてしまったのか。
ダメだ、頭が真っ白になる。考え、られない。何も、何もかも。
どうしてこうなった? 何があった? 思考が、思考がこんがらがる。
誰がこうなって、誰がこれをやって、なんでユートリーが死ななければいけなくて――
『――ノアさん、大丈夫ですか!? ノアさん!!』
真っ白に燃え尽き、乱れ、また燃え尽きとノアの思考が出口のない廊下をグルグルと走っている時、壁が壊されるようにガツンとオルぺナの声が脳内に響き渡る。
その穴からオルぺナが手を伸ばしてくれたので、手に取り、壁を抜けた。
瞬間、廊下の外には色鮮やかで、淀んでいて、最悪な空気が漂う地獄が視界に広がる。
目の前、突然襲撃してきたアビスによって交戦する隊員の姿がある。
水の刃が、氷のつぶてが、水の槍が、氷の剣が大小様々なアビスを斬り、穿ち、突き刺し、両断していた。
その隊員達の一部の足元、そこには奇襲を受けて負傷する隊員達の姿がある。
死んだのは二人らしい。一人が座ったまま壁によりかかり、顔の上半分を両断されている人。
そして、もう一人が――すぐ傍らで倒れている首なしの死体。
頸動脈が切断され、そこからピュッピュッと赤い水たまりが生まれる。
今も刻一刻と流れ出て、まるで体中の血をそこへ流れ出すかのように。
咄嗟に立ち上がるも、まだ完全に情報が完結していない。
目の前で起きている状況を理解しながらも、理解しきれていないから動けない。
一体何が、ユートリーは誰に殺されて――
「――っとっと~」
「っ!」
その時、ノアの耳に入って来たのは陽気な声だ。
まるでつんのめりそうになりながらも、けんけんでギリギリ耐えているかのような掛け声。
あまりにも状況にそぐわない声であり、だからこそ明確な異質さを感じ取ることができた。
聞こえた声の方へ、ノアは恐る恐る首を巡らす。
そこには短い金髪をツインテールにまとめた女性がいた。
人の情欲を煽るような三日月目をし、緑色の瞳。
身長は自分と同じか、それより少し高いぐらいか。
チャックをしていない赤いスカジャンの裾がひらりひらり。
ショートデニムから伸びる美脚がクルクルと回っている。
「......」
目が釘付けになった。その女の容姿――ではない。
彼女が持っている武器、身の丈ほどある巨大な鎌だ。
腕を伸ばし、それを水平に持ちながら、彼女自身も回転している。
動きと同時に、鎌の刃先から赤い雫が点々と周囲に飛び散り、体に歪な穴の開いた鮮血のベールを纏う。
そのベールを作り出しているのはヤギの頭――ユートリーの生首だ。
刃の上に乗せた生首を落とさないように、金髪の女が回って、回って、やがて――
「あらよっと.......お、止まった! しかも、丁度顔が正面向くように!
ねぇ、今の見た!? どうこれ、すごくない!? ねぇねぇ、凄くない!?」
ピタッと動きを止めると、金髪の女は「褒めて」と言わんばかりに胸を張る。
その無邪気さは子供そのもの。もっとも、「残酷な」という言葉が頭につくが。
まるで人を殺したことに何も感じていない。
もとから欠落しているようなあっけらかんとした態度で、ノアは瞠目した。
突然、顕現した目の前の異質さ。
脳内でオルぺナが何かを言っている気がするが、今やそれすら届かない。
目の前に対して最大限の警戒を敷き、ゆっくりと口を開いて尋ねる。
「.......君は誰だ? 一体、何をしてるんだ?」
「誰.....あ、名前か。アタシの名前はギャリーギャリー。
昔の鳴き声からそうつけられたんだ。
あ、でも、皆は長いからってギャリーって呼んでるよ。よろしく♪」
場違いなほどに明るく自己紹介したギャリー。
いや、場違いなのだ。武器も服装もここにいることも。
右手に持つ鎌の刃が水平になるように肩に担ぎ、ギャリーは言葉を続ける。
「で、何をしたかだっけ。
ちょーっとカッコ可愛く登場しようとしたら、丁度進行方向にいてね。
邪魔だから殺しちゃった」
「そんな理由で殺したのか? 道端の石ころを蹴るみたいに!」
「そそ、そんな感じ~。でも、結局生きてても殺してたし。
それに狙いはキミだから何の問題も無いかなって。
ま、でも、傷ついてるみたいだし一応謝っとくよ。ごめんね☆」
頭に血が巡り、怒りで語気が荒くなるノアに対し、ギャリーは左手を顔の前に立て手礼で謝罪した。
軽い。軽すぎる。人の位置のを奪った謝罪が、あまりにも軽すぎる。
その態度に、その事実に、ノア顔が赤く染まり、両手に作った拳に力が入った。
「ふざけるな! 人の命をなんだと思って――」
「まぁまぁ、そんな怒っちゃやーよ。
それよりも、キミ――お姉ちゃんと遊ぼうよ♪」
瞬間、ギャリーの姿がノアの視界から外れた。
元からその場にいなかったように、見ていたのはずっと幻覚だったみたいに。
残るのはポツンと宙に浮かぶヤギの頭だけ。
こちらへ向く死者の双眸と目が合い――直後、緑の瞳と視線がバチッと交わる。
「いつの間――!?」
時間を跳躍したような移動速度だ。
普通にしていてはとてもじゃないが速度を追い切れない。
もうすでにギャリーは懐に潜り込んでいる。
ここから逃げる術は――否、そんな時間はない。
相手に反撃する術は――否、そんな隙はない。
攻撃を防御する術は――是、それならギリ間に合う。
瞬間、ノアの怒りで染まるように瞳が黒から赤く染まる。
全身に魔力が巡り、熱が流れ込み、感覚が鋭敏になる。
「ちょっと移動しようか。お姉ちゃん、準備あるから先行ってて――ポン」
「がっ.....!」
ノアの腹部にスッとギャリーの手が潜り込む。
刹那、掌に収束させた風を、ギャリーが掛け声とともに撃ち出した。
衝撃で呻くノア、体は弾かれるようにして急速に地面から離れ、ロケットを取り付けられたかのように斜め上に飛んでいく。
「――っ!」
呼吸をするのも困難な豪風を体に纏い、ゴゴゴゴと風を切る音が耳から入り込む。
この場で一人になるのは不味い。が、勢いが強すぎて身動きが取れない。
ノアの意思に反して、眼下に見える仲間の姿が途端に小さくなっていく。
それほどまでに、元居た場所から急激に離されているのだ。
俯瞰的に見える地上で戦う隊員達を見守ることしかできない現状に、ノアはただ歯噛みするしかできなかった。
*****
―――ノアが吹き飛ばされた直後
「ノア!」
ここからどこかへ飛ばされるノアに向かって、マークベルトは叫んだ。
すぐに助けに行きたい。しかし、動くことができない。
なぜなら、彼の周囲には全長四メートルはありそうなゴリラ型のアビスが大量にいるからだ。
その個体の強さはパッと見の魔力量で計測しても、一体当たりA級隊員数人で相手するレベルだ。
その数がサッと数えるだけでも、軽く三十体以上はいる。
強個体を数で揃える――実に、わかりやすいマークベルト対策だ。
だから、もう豆粒ほど小さくなって消えるノアに対し、無事を祈ることしかできない。
せっかく仲良くなれた恩人の息子を助けに行けない。
その情けなさを奥歯で噛み砕き、正面の敵に身構える。
「さすがに数が多いわね」
「あぁ、とはいえ、それだけだったらまだ良かったんだが......」
クルーエルの言葉に返事をしつつ、マークベルトは正面に目を向ける。
ビルの建物一部が積み上がった瓦礫の上に、一人の男が立っていた。
黒髪、黒目で三十歳ぐらいの落ち着きのある男。
白いハット帽をかぶり、目にはモノクルをつけている。
また、全身は白い燕尾服に包んでおり、立ち姿も気品溢れていた。
その男がこのアビスの軍勢を率いている。
「お初にお目にかかります。
わたくしの名前はアルバトロと申します。
以後、冥府にてお見知りおきを」
そう言って、アルバトロは右手を左胸に当て、恭しく頭を下げる。
まるで長年上流貴族に仕えてきたような無駄のない動きをしていた。
もちろん、こんな地獄のような場所に好き好んで住む貴族などいないが。
「さて、マークベルト様、この度は如何様な用事でここへ?」
アルバトロから名前を告げられた瞬間、マークベルトは目を剥いた。
どうやら相手はこちらのことを知っているらしい。
となると、以前の模擬戦のような偵察部隊が以前からいたということになる。
どこまで情報を知られているのか、それ次第でこの戦いの難易度は変わる。
少なくとも現状でわかることは――、
「俺の名前を知ってるってことは、俺の魔技も知ってるってことだよな?」
「はい、もちろん。あなた様は我々アビゲイルにとっても脅威ですからね。
しっかりと対策は練らせてもらっていますよ」
アビゲイル――それを一言で言えば、アビスの上位種だ。
アビスが数多の人間を食らい、生体情報をもとに人間を模倣している存在とも言える。
他にも発生方法はあるが、主な発生がそれだ。
その知能は当然人間並み。
いや、下手すればそこら辺の人間より知恵が回るかもしれない。
そうつまり、これからの戦いは実質――対人間だ。
「あなたの魔法は断定こそできませんが、恐らく瞬間的な時間跳躍の類だと推察しました。
なにせ情報がまず回って来ませんからね。推測の域を出ません。
とはいえ、寄せ集めの情報だけで答えを出してみたのですが......いかがでしょう?」
(大正解だよ、バカ野郎......)
そう心の中で呟きながら、マークベルトは歯噛みした。
マークベルトの魔技は基本ほぼ一撃必殺の能力だ。
だから、周囲に情報が漏れることは極めて少ない。
にもかかわらず、ここまでのアビスを揃える対策。
推測の域と言っていたが、ある程度確信が無ければ行動に移せないはずだ。
つまり、魔技はバレている。問題は、この魔技の制限までバレているかどうか。
「だんまりですか、まぁ仕方ありませんね。手の内は早々晒せないでしょう。
ですから、代わりに私が推理をお話させていただきましょう」
睨むマークベルトを意に返さず、アルバトロは手を後ろで組み、話を続ける。
「最初は全然わからなかったわたくしですが、ヒントは我が兄様がおっしゃっていたことでした。
『時間停止なんて人間に過ぎたる力だ。無敵じゃない。むしろ、デメリットが大きい分厄介な能力だ』と。
その言葉を聞いて考えたのです。強大な力に対するデメリットとは何か。
となれば、思い付くのは一つ――魔力の消費量。
その時に思いましたね。あぁ、数は脅威になるのだろうと」
アルバトロの言う通り、マークベルトの弱点は数だ。
もっと言えば、質の高いアビスが数で攻めてくること。
マークベルトの魔技は、相手の魔力抵抗値――魔力量によって効果時間の幅が決まる。
アビスの魔力量が高ければ、それだけ時間を止めていられる時間は短くなるのだ。
加えて、魔技が強すぎる代償か、その魔技は一体に使うだけでも魔力をドカ食いする。
(俺が絶対にやられたくない強個体アビスの数による攻撃。
まんまとやられたよ、チクショウ)
さすがアビゲイルというべきか。
マークベルトとて、戦った人数は十五体にも満たないがそれでもわからされる。
そこら辺のアビスと明らかに知能レベルが違うことを。
だが――、
「ハァ、あっぱれなほどの対策だよ。だが、忘れちゃいねぇか?
ここにいるのが俺だけじゃないってことを」
右手を腰に当てると、左手の親指を立て、マークベルトはそれを真横に向ける。
そこには長剣を片手に持ち、顔を下に向けるクルーエルの姿があった。
「見ろよ、この顔。めっちゃご立腹だぜ?
なんせ警戒対象が俺だけなんだからな。それって舐められてるのと同じだろ。
ま、俺が強いのはわかるけどな」
その時、クルーエルが長剣を両手に持ち、剣先を上に向けるように胸の前に掲げた。
「凍土――」
クルーエルの長剣に白い霜が降り、同時に冷気が溢れ出す。
その冷気はたちまち周囲の大気や地面を凍らせ、彼女の両手すら白く凍てつかせた。
しかし、気にすることなく、クルーエルは剣先を下に向ける。
「万衝」
剣先を地面に突き立てた直後、クルーエルを中心に氷が地面を走る。
それは地面も瓦礫も何もかも、辺り一帯のものを白く染め上げた。
雪崩とはまた違う、されどそれに匹敵する極寒の猛威が周囲を席巻する。
当然、それはゴリラ型アビスを動けないように足を氷漬けにした。
必死にもがき、両手で足の氷を剝がそうと足掻くゴリラ型アビス。
しかし、触れたそばから手が凍結し、余計に身動きが取れなくなる。
そんな凍結フィールドからアルバトロだけが跳躍して逃げた。
―――バキンッ
瞬間、広がった白い地面を追いかけるように、クルーエルの足元から氷の剣山が生え始める。
ザンザンザンと瞬く間に広がっていくそれは、たちまちゴリラアビスの全身を覆うように凍結させた。
出来上がった三十体の氷の彫刻に、クルーエルは不敵な笑みを浮かべ、
「どうかしら? あまり舐めない方がいいわよ?」
嫣然とした雰囲気すらあるような氷の女王を前に、アルバトロは少し遠くの縦に砕けた建物の鉄骨の上にスタッと着地する。
「いえ、舐めてなどおりませんよ。
それよりも味方に被害が及んでいますが、よろしいのでしょうか?」
したアルバトロにそう告げられ、クルーエルは横に顔を向けた。
すると、そこにはゴリラアビスと一緒に氷漬けになったマークベルトがいるではないか。
それに気づいたクルーエルは、「あ、しまった......」と呟き、すぐさまマークベルトの氷を溶かし始めた。
そんな氷の世界から解放されたマークベルトは、寒さに身を震わせ、歯をガタガタと鳴らしながら、
「どう.....じて.....」
「ごめんなさい。ちょっと鼻につくような言葉が聞こえたからつい......」
「そりゃないぜ......」
クルーエルの言い分に、マークベルトは大きくため息を吐いた。
とはいえ、ちょっとしたお遊び気分もここまで。
ここは戦場であり、敵は目の前にいる。
気を取り直すと、アルバトロへ視線を向けた。
「さて、それでここからどうするつもりだ、アルバトロさんよぉ?
こうなった以上、もはや俺の魔技でチェックメイトだぜ?」
「いえ、それは早計だと思いますよ。
先程も申し上げましたが、わたくしはあなた達を舐めてなどおりません。
故に、こうなることも当然――想定済みです」
―――パキッ
周囲から薄氷が割れるような音がした。
その不可解な音に、マークベルトとクルーエルはすぐさま視線を周囲に向ける。
「「っ!?」」
ゴリラ型アビスの全身を包む氷にヒビが入っていた。
それだけじゃない、そのヒビは次第に広がっていく。
そして数秒後には、何事も無かったように全ての氷が砕け、ゴリラ型アビスが動き出した。
「どうして......!?」
ゴリラアビスが平然と生きていることに、クルーエルは目を大きくした。
口は僅かに開け、信じられない光景に呆然としている。
そんな彼女の疑問に答えるように、鉄骨の上から見下ろすアルバトロが口を開き、
「それはこのアビス達が対あなたように作られたからですよ」
「!?.....どういう意味?」
「確かに、通常個体のアビスであれば、今の攻撃で死んでいたでしょう。
しかし、わたくしのアビスは違います。耐性があるのですよ」
アビスの中には、たまに「耐性持ち」という特定の属性に強いアビスが居る。
そして、そのアビスと戦う際は、その属性では有効打にならないため、大抵別の属性で戦うことが推奨される。
「そして、驚くべきことにその耐性は作れるのですよ。
時間はとてもかかりますが、あいにく餌には困らなかったもので」
その時、二人はその言葉の裏に隠された意味に気付いた。
気づいたからこそ、マークベルトの額に青筋が走り、右手に剣を生み出した。
また、その気持ちはクルーエルも同じであり、アルバトロを睨みつける。
「あなた......一体何人の隊員を食わせたの!?」
「おや、すぐにそこへ気付くとは鋭いですね。
とはいえ、その質問にはお答えかねます。
なぜなら、非常に長い間でしたから忘れました」
「アビゲイルめぇ......!」
その瞬間、クルーエルは左手をバッと上げる。
「剣の雨」
クルーエルの周辺に、数多の氷で出来た剣が魔法陣から生成され、空中に浮かぶ。
太陽光に照らされたそれらは、まるで夜空の星々のように輝いていた。
「これはこれは、凄い光景ですね。
ですが、わたくしとて簡単にやられるつもりはありませんよ。
さて、時間稼ぎを始めるとしましょうか」
激怒するクルーエルを目の前に、アルバトロは涼しい顔を崩さず言った。
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