第21話 嵐の予感、そして調査チームの編成#2
「隊員が全滅した」......その言葉に、ノアはごくりと息を呑んだ。
同時に思い返すは、追悼式で流れた戦火に飲まれた都市の映像。
大地には大きな凹みができ、多くのビルが燃え、瓦礫の山となっていた。
しかし、マークベルト曰く、隊員達が死んだ原因がそれではないらしい。
「侵食領域.は、それはもうクソほど厄介だ。
例えば、先ほどの映像で言えば、『怠惰』のアビス王を倒そうと意気込んでいた連中が『怠惰』になった。
これがこのアビス王の侵食領域――『不精』による効果だ」
クルーエルに該当箇所まで映像を巻き戻してもらい、マークベルトは全体に向けて説明する。
映像の中では、隊長を除く部下達が次々と怠けていく姿が映るり、そして最終的に、隊長までもが「怠惰」の犠牲者になった。
その映像を見て、ノアは言い得ぬ恐怖に襲われる。
何が怖いか、本人達に一切自覚が無いことだ。
自分が見ている世界が正常だと思い疑わない。
真綿を首に巻き、ゆっくり自殺していることに気が付かない恐ろしさ――それがこの映像には映っていた。
もし、そうなった状態で目の前でアビスがいたら、抵抗することなく殺されるのは言うまでもない。
脳裏に不吉な想像をし、体がブルッと震える。
次に、不安を拭うように、素早く頭を横に振った。
「大丈夫か?」
そんな一人で恐怖を煽っているノアに、隣に座るライカが声をかけた。
意志の強い眉の尻を下げ、青い瞳には憂慮の感情が浮かんでいる。
ノアの感情の機微を敏感に感じ取り、声をかけてくれたようだ。
その一言だけで、ノアの内に広がった恐怖が霧散していくのがわかる。
冷たく震えそうになった手に、じんわりと温かな熱が広がった。
「ごめん、心配かけて」
「これぐらい気にすんな。昔っから怖がりだったもんな」
「それはとっくに卒業したよ」
そう、軽口を叩くライカが二ッと笑った。
その言葉が自分の気を紛らさせる優しさだってことは、ノアにも理解できる。
だからこそ、言動に反して気遣い屋の幼馴染には頭が上がらない。
そんなノアとライカをよそに、マークベルトは話を続け、
「んで、さっきも言ったが、アビス王が俺達、特魔隊にしか倒せないのはこれが理由だ。
この瘴気は毒ガスなんかと違い、魔力による干渉だ。
だから、ガスマスクをつけた所で、余裕で貫通してくる」
その時、マークベルトは手前にいる一人の黒髪メガネの女性を指差した。
「はい、ここで問題だ。アリューゼ、それならなんで俺達は防げるかわかるか?」
マークベルトから名指しされた女性――アリューゼはその場から立ち上がると、
「魔力を有しているから、です。
魔力は人によって個性があり、その個性はたとえ双子であろうと合致することがありません。
だからこそ、私達は互いに魔力を与え合うことができないと言われています。
ですが逆に、それがあることで、私達はアビス王が放つ魔力に抵抗することができます」
「その通りだ。さすが青のパレスの副代表だ。
アリューゼの言う通り、そのおかげで俺達はアビス王に近づくことができる。
逆に、一般人はそもそも魔力が持たないから干渉され放題。
例えるなら、白いキャンパスに好きなように色を塗られてる感じだ」
アリューゼの回答を受け、マークベルトは特魔隊と一般人の違いを簡単にまとめた。
そんな彼の後ろでは、先の説明を受けたわかりやすいイラストを、クルーエルがスクリーンに映し出していた。
スクリーンには白いキャンパスと黒いキャンパスの二つがあり、そのキャンパスの間には白から黒に向けて矢印が描かれている。
「一般人」と名称があることから、恐らく魔力を持たない一般人の白いキャンパスが、アビス王の魔力を示す黒色で塗られていることを指しているのだろう。
「とはいえ、いくら防げると言っても無限じゃない。
それじゃ、そうだな......ノア、この理由わかるか?」
突然マークベルトから指定され、ノアはビクッと体を震わせた。
しかしすぐに落ち着かせるための息を吐くと、短い時間で思考する。
本来なら互いに干渉できない性質を持つ魔力。
しかし、マークベルトの言葉では、その性質が打ち破られる例外が存在するという。
(考えられるのは、自分みたいに他者から魔力を借りるだけど。
でも、魔力は心臓で生み出される血液みたいなもので、体外への排出に制限をかけられても、生み出すこと自体に制限をかけられるわけじゃない)
となれば、別の方法が存在したはず。
よく思い出せ、マークベルトは他に何か言ってなかったか。
そうして思考をめぐらした時、「あっ!」とノアは一つの答えに辿り着く。
「侵食領域......他者の魔力を自分と同じものにした、ということですか?」
「あぁ、良い気づきだ。そう、全てはこの『侵食』という言葉に詰まってる。
要は、アイツらは自身の膨大な魔力を使って、人の魔力を作り変えようとしてんだ。
さっきのキャンパスの例を使うなら、もともと赤色で塗ってあったものを黒で塗り潰し、挙句にはキャンパスの形すら変える暴挙だな」
マークベルトの説明に合わせ、今度は「特魔隊」という名称で三つのキャンパスがスクリーンに映る。
左は赤のキャンパスで、そこから矢印が伸びるようにして真ん中の同じく赤――しかし、半分に黒色が「侵食」し、溶け混ざっているキャンパスの絵であった。
加えて、黒色となったキャンパスの辺が歪み、形が変わっている。
真ん中のキャンパスから矢印が伸び、最後の右側の黒いキャンパスは、もとがキャンパスという形すらなく変形してしまっている。
つまり、これが一連の「侵食」による症状なのだろう。
とても端的でわかりやすく表している。
だからこの際、パ〇ポのチープさには目瞑ろう。
そして、スクリーンに映る絵で解釈すれば、その塗り潰された果てに人が成る姿が――アビスだ。
前にライカが「人がアビスになれば戻せない」というのは、正しくスクリーンの絵の通りなのだろう。
一度黒に塗り潰されてしまえば、そこに何の色を加えようが黒は黒だ。
決して元の色に戻ることは出来ず、人の尊厳も何もなくした怪物を放っておけば、見境なく人を殺しまくる存在になる。
だから、アビスになったら殺すしかない――それが特魔隊の絶対ルール。
「......」
会議室に僅かな沈黙が流れる。重たい話に、同じく空気も重たくなる。
その空気を作り出した張本人は全体を見ると、目を瞑り、一つ大きく息を吐いた。
その状態で左手を腰当て、右手は首の後ろを擦ろうとして――止める。
首に伸びた右腕を下ろし、ゆっくり目を開けた。
先程のまだ明るく努めていた時とは違う、決意を帯びた茶色の瞳を向け、
「それでここからが、この会議の本題だ。
んで、俺からのお願い......いや、どちらかというと半分決定事項って言葉の方が正しいか」
「マーク?」
マークベルトの言葉に、クルーエルが首を傾げた。
どうやら代表同士で通っていない内容らしい、とノアはすぐに気づく。
剣呑とした空気に、意識がピリついた。
いや、そのピリつきはノアだけじゃない。
ライカも、アストレアも、この場にいる全隊員が同じ雰囲気を放っている。
誰もが、これからしゃべるマークベルトの言葉に耳を傾けていた。
その口から跳び出すであろう――地獄への片道切符を。
「今から五日後の五月十八日......俺達は旧都市トルネラへ敵情視察に行く」
「マーク! それはどういうことなの!? そんな話聞いてないわよ!」
瞬間、ガタッと椅子から立ち上がり、クルーエルが机に前のめりになって声を荒げた。
水色の瞳を小刻みに揺らし、彼女の眉が中央に険しく寄る。
対して、マークベルトはその言葉を冷静に受け止め、ただ一言、
「ギリウス総督と話し合った結果だ」
「......っ!」
その言葉に、クルーエルは目線をゆっくりと下げ、そのまま着席した。
それから、机の上で肘を立てるように両手を組み、そこへ額を預ける。
そんなクルーエルの反応で、空気の重みはさらに拍車がかかる。
青のパレスの代表、言うなれば水氷属性を使わせれば右に出る者がいない彼女がこれほどまでの反応を示すのだ。
加えて、映像の隊長が言っていた『怠惰』のアビス王の討伐宣言もある。
それらを考えれば、これから行われるのがどういうものか。
いや、この先の地獄がどんなものか、想像に難くない。
その一方で、「悪いな、伝え遅れてたもんで」とマークベルトは軽く謝り、作戦についての話を続ける。
「この作戦を立てるに至った理由が二つある。
一つは例のバカ息子を持った親からの依頼で、遺体を回収して来て欲しいと。
だが、まず遺体は残ってねぇだろうし、回収するとしたらドッグタグだな」
一つ目のクリア目標をサラッと話し、次にゆっくり息を吸うと、
「んで、問題は二つ目だ。
恐らくだが、俺達はすでに『怠惰』のアビス王の標的の可能性がある」
「「「「「っ!?!?」」」」」
マークベルトから告げられた衝撃的な言葉、瞬く間に全体へ衝撃が走った。
それはあっという間に、剣呑とした空気から困惑とした空気に変化する。
主に変えているのは、その事実を聞かされた隊員達だ。
また、ノアもその言葉に少なからずの動揺をしていた。
心臓がゆっくりと、されど大きく音を鳴らし始め、ゾワッと僅かに鳥肌が立つ。
まさかこんなにも早くアビス王と戦う日が来るなんて......。
「先日、ノアとアストレアの試合があっただろ?
あの時、実は『怠惰』のアビス王の先遣隊らしき二人組が偵察に来てたんだ。
目的はあいにくわからない。聞こうとしたら自害された。
ただ少なからず、俺達に対して注目してる様子ではあった」
「それじゃ、その目的を確かめるための調査ってことか?」
ライカが前のめりに立ち上がり発言すると、マークベルトはコクリと大きく頷いた。
それから、全体を見渡すと、
「もちろんだが、その時点でアビス王と交戦するつもりはない。
出会ってしまったら逃げの一手だ。
現状の戦力差で勝てる相手じゃないからな」
相手は十六年前の『傲慢』ではないにしろ、同じ大罪の名を連ねるアビスの王。
戦力差は比べるまでもなく、ノアが加入したところで焼け石に水だ。
加えて、『怠惰』のアビス王に関しては情報が少ない。
旧都市トルネラから活動域を出ていないというのがこれまでの情報だ。
そう、誰も『怠惰』のアビス王がどういう姿形をしているのか知らない。
知っている人達は死んでしまったか、あるいは――
「故に、慎重に調査を進めるつもりだ。だが、それでも難易度はエクストラ。
運が悪ければ、いや、悪く無くても普通に死ぬことだってあり得る」
それがマークベルトの見解であり、嘘偽りない本音である。
だからといって、指咥えて死ぬまで怯え続けるのか。
それは違う、とマークベルトは「しかし」と言葉を続け、
「目をつけられた可能性がある以上、遅かれ早かれ避けられない戦いはやってくる。
その日のために、出来ることはやっておきたいんだ。
だから、頼む。どうかその命を俺に背負わせてくれ」
最終的に、マークベルトは丁寧に頭を下げた。
その行動に、周囲はすぐさまザワつき始める。
それこそ、彼を一番よく知るライカですら、珍しそうな顔をするほどに。
当然の反応だ、その一言は「作戦のために死んでくれ」と言っているようなものだから。
特魔隊で「最強」の名を冠する男からの誠心誠意のお願い。
今の状況はそれほど緊急事態であるということだ。
「私からもお願いするわ。皆、力を貸して」
その時、クルーエルも立ち上がり、マークベルトと同じように頭を下げた。
各属性のトップ二人が頭を下げる。
もはやそのお願いを、誰が無下に出来ようか。
「マークベルト代表、それからクルーエル代表も頭を上げてください。
私達は元よりアビスを倒すために、この組織に所属しているんです」
赤ぶちの眼鏡のフレームを中指でスッと上げつつ、アリューゼは立ち上がると、そう言った。
すると、その動作を真似るように、次々と隊員が立ち上がる。
当然、ノアも立ち上がった。
まだ入隊したての自分でもわかる。
どんな覚悟で、特魔隊という組織に所属しているのかを。
その全員が立ち上がったことを雰囲気で察したのか、アリューゼは「ですから」と言葉を入れ、
「一言、『作戦開始の準備をしておけ』とおっしゃってくだされば良かったんです。
命をかけてきた場面なんて、今回が初めてじゃないんですから」
特魔隊に入る人達は、子供の頃もしくは事情が変わって大人になっての検査で適正故に入隊を勧められることが基本だ。
しかし、入隊自体に強制力はなく、それでも入る子供達の理由を挙げれば――それは志願だ。
そして、その志願の理由として一番多いのが、アビスによって親、兄弟、大切な人を失ったこと。
だからこそ、自分の大切な人を奪った復習であったり、その悲しみを他の人も経験しないようだったりで自らが元凶を断とうとする。
この場にいるのは、血の汗で滲むほどの努力と、死神を連れ添うほどの実績を積み上げた精鋭だけだ。
「総員、敬礼!」
瞬間、アリューゼのやや低く、凛とした声が会議室に響き渡った。
同時に、その号令により、代表二人を除く全員が、額に手を当て敬礼した。
その整然とした動作こそが、自分達の覚悟の表れだと示すように。
「ハハッ......全くお前らは.....」
そんな部下達を見て、マークベルトは首の後ろを触り、そして笑った。
口元にはやや硬さが残っているが、目元には笑いしわが出来ている。
「こっちはただ当たり前の誠意を見せだけなんだがな」
「フフッ、どうやら覚悟が足りなかったのは、私達の方だったようね」
マークベルトに同調するように、クルーエルも微笑みを浮かべた。
そして全員の意思が統一したのを確認すると、マークベルトは口を開く。
「それじゃ、予定通りに五日後に作戦を開始する。
それまでに各々準備しておけ。
念のため、悔いが残らないようなこともな」
「「「「「ハッ!!」」」」」
隊員達の返事を最後に、会議は終わった。
会議室からは隊員達が次々と出ていく。
その流れの最後に、ノアが出ていこうとすると、マークベルトが呼び止めた。
「ノア、今日の夜......そうだな、十九時頃って空いてるか?
ちょっと二人で飯食いに行こうぜ」
「二人でですか......?」
妙な人数設定に、ノアは首を傾げる。
その時、近くにいたライカがボソッと耳打ちしてきた。
「恐らくノアの親父のことだ。あの人、部下だったんだよ」
「っ!?」
その言葉を聞いた瞬間、ノアは目を剥いた。
父親オルガは、生まれるより前に死んでしまったので、彼は何も知らない。
知っているのは、傲慢のアビス王を倒したという武勇だけ。
もっとも、正史だとされているその情報は誤りなのだが。
とはいえ、ライカの話が確かなら、マークベルトは十六年前の戦いを知っていることに変わりない。
あの時に、オルガはシェナルークと何かを約束した。
その結果、ノアの精神にアビス王が住み着いている。
その答えをマークベルトなら知っているかもしれない。
「わかりました。たぶん大丈夫だと思いますので、一緒に行きましょう。
待ち合わせはどこでしましょうか。白のパレスのオフィスにしますか?」
「いんや、この後俺は用事があってな。
終わり次第に連絡するから、指定した場所に来て欲しい」
「わかりました」
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私服に着替え、特魔隊に入った際に支給されたスマートウォッチで、ノアは時間を見ていた。
時刻は十八時五十分頃、夜と夕陽のコントラストに顔を焼く時間帯。
待ち合わせより十分早く着き、場所を確かめるように空中に投影される地図で確認する。
「えーっと、待ち合わせは......ここでいいのか?」
マークベルトが指定したのは、都市トリエスの南側。
そこには巨大なクレーターと、その穴を埋めるためのたくさんの重機が置いてある。
通称「プライドホール」――十六年前にシェナルークとの戦いで出来た地形だ。
そこに人が食事できるような飲食店など当然無い。
それどころか、工事関係者以外立ち入り区域である。
「お、来たか」
背後から聞こえてきた声に、ノアは振り返る。
マークベルトがいた、ズボンにパーカーとラフな格好だ。
とりあえず待ち合わせ場所が合っていたことにノアはホッとすると、
「マークベルトさん、どうしてこの場所を待ち合わせにしたんですか?」
「そうさな、もしかしたらノアは見たことないんじゃないかなってのと、俺の気持ち作りの両方かな」
クレーターを眺めるマークベルトから視線を外し、ノアも同じように大きな穴を見つめる。
そして脳裏にシェナルークの姿と写真だけで見た父親の姿を想起させながら、
「見に来たことはありますよ、遠くからなら。
キッカケは父さんに関することじゃなかったですが」
「......オルガさんのこと、知りたいか?」
じっと巨大な穴を見つめるノアの横からマークベルトが目を細め、聞いてくる。
だから――、
「はい」
すぐさま頷き、ノアは返事をした。
優しい夜風が、二人の間を通り抜ける。
瞬間、空気を壊すようにマークベルトのお腹の虫が、ぐぎゅうるるると鳴いた。
「悪りぃ、飯の後でいいか? 腹減っちまったみたいだ」
「そうですね。食事ぐらいは楽しい話をしましょうか」
そして、過去の思い出に背を向け、ノアとマークベルトは都心に向かって歩き出した。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)
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