白い暴牛
「……囲め囲め!全員でボコせばこんな奴、楽勝だろ!」
不良たちが突如現れた柔道着の男――操を相手するため、私から離れていく。操は、十数人に取り囲まれようと、一切狼狽えもせず構えも取らない。
私は操の邪魔にならないよう、這いつくばって移動し、壁を背もたれにして成り行きを見守った。右足のリングを外し、少しでも体の回復に努めた。右足から熱い血が全身に流れ、体が熱くなる――傷をいくらか塞いでくれる。
「……あーあ」
操の方に目を向けると――すでに、凄惨たる光景だった。
襲い掛かってくる不良たちに……目潰し、鼻を潰し、歯を折り、顎を砕いた。
逃げようとする者は、髪を掴み、膝の裏を蹴って両膝をつかせると、頭を蹴り飛ばして壁に顔面をぶつける。
泣いて土下座をする者には、後頭部を思いっきり踏みつけ、地面で額を割っていた。
丁寧に丁寧に、一人ずつ壊していった。そこに一切の、手心はない。
こんな奴らに、柔術を使う価値はないらしい。それにこれは、操からすればただの八つ当たり――ただただ、暴力を振るいたいみたいだ。
すでに辺りは、倒れた男たちで山が築かれていた。
「む、無理だ!あんな奴!!」
数ではどうしようもないと悟って、ハウザーのいる方へ逃げ出そうとする不良もいたが、
「ノー!!」
と言われて、押し返されていた。
「無理無理無理ぃ!!……なあ、頼むよぉ!!」
「これじゃあ俺たち、アイツに殺されちゃうって!!」
「アーハン?ファッキュー」
日本語は通じず、当然逃げは許されなかった。その男たちも、操に首根っこを掴まれて徹底的に処した。そして不良たち十数人を、余すことなく全員叩きのめしたのだった。
その間もハウザーは、一切手は出さず、操の力量を確かめるように、ただ眺めていた。
「……いくら金を積まれたのかは知らんが、治療費でご破算だろう」
操の言う通り、不良どもはおそらく、金か良質な薬物を取引に、駒とされたのだろう。だから同情は、しない。
そこでハウザーが、操に向けて惜しみない拍手をした。
「オーマイガー、ファッキンクレイジー、ブロォ」
「……」
ようやくここで、操は構えを取った。
さすがに本気を出さなくてはいけない相手と、見抜いたようだ。
「待って操、コイツは……!」
「……」
まるで試合のような、張りつめた空気感と真剣な表情――忠告しようにも、もう声は届かないようだ。
「……ったく。じゃあ後はあんたに任せるから」
本当は、これ以上巻き込みたくはなかったけど……こうなってしまった以上、やらせるしかない。操の、好きにさせよう。
「レッツ、ロール」
――そして、ハウザーが踊り出した。
「ヘイ、チキン!カモンカモン!」
「……」
「キャッチミーイフユーキャ~ン」
「……」
ハウザーはブレイクダンスをしながら、下段、中段、上段への激しい蹴り技を繰り出す……操は、それらを捌くことに集中していた。
そうしてしばらく見ていたが――なんと、あの操の防戦一方だった。いくらハウザーが煽ろうとも、操はほとんど反撃をしない。
あいつ、何やってんのよ……!
――ただ、
「フーーー!」
時折、腕を伸ばして掴もうとするそぶりを見せたが、それもふざけるように避けられていた。
だけどそれは、ただのけん制――あんなの、操の本気の攻撃じゃない。腕を伸ばして、ハウザーとの間合いを測っているのか?
それからも、ハウザーの独特なリズムと、体格を最大限に活かしたダイナミックな攻撃が続いた。ふざけているように見えても、ちゃんと自分の間合いを把握していて、操を近寄らせない。飛び跳ねたり、ステップで急に距離を詰めてきたと思えば、すぐに身を引く――私もあの不規則な動きに、翻弄されたんだ。
やっぱり、操を巻き込むべきじゃなかった……!
折れた右足がまだ痛むけど、このまま代わりに私が戦うべきか……そう考え始めていた時、操が不敵に笑った。
「……なんとも、奇妙で面白い技を使う手合いだ……だが、もう見切った」
「ワッツ……?」
そう言って、操は練習着用の白帯を解いて外したのだった。柔道着がはだけると、ゴリラのように分厚い、上質な筋肉を覗かせていた。
そしてどういうつもりか、手にした白帯を鞭のようにして、ハウザーに叩きつける。だけど当然、あっけなく避けられてしまうが、
「ファッ!?……ノーウェイ!!」
避けられた白帯は外壁にぶつかると、なんと、外壁を凹ませていた……なんだあれは!?
「これはトレーニング用の特注の帯で、六十キロはあってな。……当たると、痛いぞ」
「シット……!」
……あんなの今までずっとつけて、走り込みとかしてたわけ?
こいつは本当の、柔道バカだ。
特注の白帯を、ヌンチャクのように軽々と振り回す。さっきまで余裕の態度だったハウザーでも、冷や汗を浮かべ、懸命に避けていた。
……今の操の姿を見ていると、本当にこいつ、逞しくなったなって、思う。
――操が柔道で頭角を現したのは、中学生になってからだ。小学生のころから柔道を習っていたが、その頃は私よりも背が小さく、泣き虫で、体格の大きい子からよくいびられていた……そんな操の代わりに、私が返り討ちにしてやったけど。
なぜ彼が、中学生で無敵無敗となったのかは、至極簡単――それは体格だ。周囲とは規格外に、体が一気に出来上がってしまったのだ。今でも、まだ発達途中で、身長もまだ伸びているというのだから、末恐ろしい。
それからは、どんなに技が卓越した相手にも、圧倒的な力とフィジカルで、相手を投げ飛ばし、抑え込んだ。そこから、『柔道着を着た闘牛』、『マタドール殺し』、なんて二つ名で呼ばれることもあった。
そんな恵まれた体格という、生まれ持った才能の壁を前に、これまでどれだけの人間が心を折られてきただろうか。みんながみんな、操の体躯を妬み、羨んだだろう。格闘において、体の大きさに敵うものはないと、誰もが思うだろうから。
――だけど私が思うに、操の一番の強みは……愚直さだ。
「……フン!!」
振り回していた帯を、今度はハンマー投げのように回転すると、ハウザーに向かって投げた。重量のある帯が、ブーメランのように回転しながら飛んでいく。
「フオォォォーーー!!」
ハウザーはそれを上体を逸らして避け、通過していった。
外した!――と、私が落胆したのも束の間、
「――いいのか?そんな隙を晒して」
「……ッ!」
避けて態勢を崩したハウザーとの間合いを、操は一気に詰めた。六十キロの重りを投げ捨てたことで、瞬発力が桁違いだ。さすがのハウザーでも、余裕の表情はもう消えていた。
ハウザーの胸元に、手を伸ばす――掴んで、投げ飛ばすつもりだろう。
しかし、相手も手練れだ。態勢を崩しながらも、瞬時に操の手を払いのけようとした。だが、操の狙いは、初めから違っていた。
「……シット!」
ハウザーが振り払おうとした手首を、がっちりと、掴んだのだ。
そして逃げられなくなったハウザーは、胸ぐらをつかまれ、そして――、
「えっ」
私が瞬きをしたほんの一瞬の間に、すでに投げ飛ばしていた。ハウザーの体が、空中で逆さになる。――それは操の得意な、一本背負いだ。
……だけど、まだ油断ならない。あのハウザーの柔軟な体なら、地面に叩きつけても、受け身を取って体をひねり、すぐに反撃してくる可能性だってある。
自信の表れか、ハウザーもニヤリと、笑みを浮かべていた。
――だが、その顔は、大きな手で覆い隠された。
「受け身など、取らせん……!」
「ッ……!!」
ハウザーの足の裏がちょうど真上を向いたころ、操は胸を掴んでいた手を放し、ハウザーの顔面に手を掛けた。
そしてそのまま、頭から地面に力強く叩きつけた――『脳天直下型・一本背負い』だ。
「ジ、ジーザス……クラァイ……」
ハウザーは数秒、頭で倒立した状態で硬直した後、バタリと倒れ込んだ。サングラスのレンズが砕け散るほどの威力に、気絶したようだ。
「やば……」
えげつない反則技に、若干引いてしまった。
操は、帯を拾って結び直し、柔道着の襟を正した。
「フン、他愛ない」
これが――『白い暴牛』と恐れられた、廿六木操の実力。
今はもう、体格だけとは言わせない――基礎と鍛錬を怠ることなく、愚直に技も技術も磨いてきた彼を、妬む人間は、もういない。
これぞ、王者の風格、だ。
「……とりあえず、ここから離れるぞ」
「うん……助かったよ、操」
「……フン」
操におんぶされ、裏通りを出る。振り返れば、倒れた男たちで溢れかえていいるだろう。
傷はだいぶ塞がったが、折れていた右足までは、さすがにどうにもならない。痛みはなんとか誤魔化せるものの、これじゃ走れそうにない。……だから癪だけど、素直に操の背中に身を任せることにしたのだ。
――なにせ今は、私の体の事よりも、優先しなくちゃいけないことがある。今は少しでも体を休めて、早く皓太郎を助けに行かなくちゃいけない。
どうやって、皓太郎を追い掛ければいい?
その前に、居場所をどうやって突き止めようか?
……こんなちっぽけな、小娘一人で、どうにかできるものなのか?
これからどうするべきか、無い知恵を絞っていると、操が口をはさんできた。
「おい、幹……俺は、お前に怒っているんだぞ」
「……なんでよ」
「お前はなぁ……!こんな危ないことに首を突っ込んで、ボロボロになって……」
「だから、何よ?」
「!……常々思っていたが、お前はもっと、自分を大切にするべきだ!お前のことを想う、周りの人間のことを考えてな!……さっきお前があの下種どもに囲まれていたのを見た時、心臓が破裂しそうになった!……心臓がいくらあっても足りん!」
操にそう言われて、さすがにカチンときた。
「……それってさ、周りのことを考えて、自分は安パイな道を進めって、こと?」
「ああ、そうだ」
「……誰かを見捨ててでも、自分さえ助かればいいって?」
「……そこまでは、言っていないが……しかしだな!」
「あんたは、そんな女のことを好きになったわけ?」
「なっ……!」
「見くびんなよ、バカ」
無茶なことして、危険な目に遭って、周りを心配させるな?
……そんなの、クソくらえだよ。
操が、私のことを心配してくれるのは、ありがたいと思ってる。
でも、だからと言って、それで私がしたいことをするなと言われる、筋合いまではない。
皓太郎の前でまた、《鳳仙》の力を開放して、怪物になる自分がどう見られるか怖くて、躊躇った結果――後悔しか残らなかった。
……だから、
「私は……アタシは!理不尽なことには、絶対に屈したくない!!コータローだって、何も悪いことはしてないんだ……!……だから私は、取り返しに行かなくちゃいけないんだ、絶対に……!」
「幹、お前……」
操が、驚いた顔で私を見ていた……操と話したおかげで、少しだけ、昔のアタシを取り戻せたような気がする。
「……ん?」
「うわっ、うるさっ」
その時、普段なら閑静な通りに似つかわしくない、喧しい排気音を立てて走ってくる、一台の白のオープンカーが、目の前で止まった……まさか。
「……やぁ。こうして顔を合わせるのは、久しぶりだね。幹くん」
その人物は、助手席から降りて、サングラスを取って顔を見せた。
「え?……どうして?」
「貴様は……」
「おっと……今は、若い二人のデートのお邪魔だったかな?」
そこに現れたのは――《イクイプメント》を創設した、我が社の社長――『鷺沼蓮次』、その人だった。