返せ、今すぐ
「……き…………い、み……」
「……」
「……おい、幹……聞いているのか?」
「ん?」
朝の教室でいつもの様に席につき、昨日、あのラブホテルでのことを思い出していたら、どうやらぼうっとしていたようだ。
「ごめん、ごめん…………つーか」
私にさっきから声を掛けていたのは、操だ。
「……だからさ、あんたは毎朝毎朝、うちのクラスに来なくていいってーの」
「そういうわけにはいかん。特に、月曜はお前の顔を見なければ、土日の会えない切なさで、心臓が張り裂けそうだというのに」
「破裂しちまえ」
操の馬鹿に付き合いつつ、横に目を配る。
皓太郎は、昨日あんなことがあったというのに、いつもと変わらず一緒に登校し、落ち着いた様子で朝の授業の用意をしていた。
皓太郎はこの通りなんともないし、護衛の私が怪我で休みます、なんてわけにはいかない。蓮次には足のことを報告していないから、誰かに護衛を頼めないし、それに……。
「ん?どうかしたのか?」
「いや……なんでも」
皓太郎に視線を向けていたのを気づかれてしまい、ごまかした。
……ここで護衛を放棄すれば、昨日、本人にあんなことを言った手前、格好がつかなくなってしまう。
当の本人は、そうとも知らず、なぜかニコニコと通学バックを眺めていた。……呑気なもんだよ。
「おい、幹」
「……だから、何よ」
しつこく操が話しかけてきた。
「怪我、しているな」
「……」
そう言われて、びくりとした。……こいつの目だけは、やっぱり誤魔化せないか。
「歩き方がいつもと微妙に違う。……他人にバレないよう、怪我している足を庇うことを避けているが、それがもうすでに不自然だ……痛むのなら、無理せずに歩いたほうがいいぞ」
「……なんでわかんのよ」
「フッ……お前の事なら、いつも見てるからな。少しの変化だろうと逃しはしない。……あとは、バッグにキーホルダーをつけたのだな。お前にしては珍しいが、可愛いな、それ」
「キショいから近づくな変態」
気色が悪いのは間違いないが、さすが、柔道で鍛えた、相手の動きや変化を見抜く観察眼だ。こいつには、騙し通すことはできなかった。伊達に、中学柔道無敗ではない。
「肉離れ……まさか、骨が折れているわけじゃないだろうな?」
「まさか、そんな」
じっと、目を覗かれる。私が嘘をついていないか、見抜こうとしているのだ。
隠す必要はないかもしれないが、こいつに正直に話したら、「誰がやった?」と、根掘り葉掘り聞き出した挙句、私をこうした張本人を投げ飛ばしに行こうとするかもしれない。……まあ、あの大男なら、すでに我が社、《イクイプメント》で確保しているということは、昨日会社に戻った時に聞かされている。あの大男が今頃どうなっているのかは、あまり興味はない。
操の慧眼通り、大体のケガは塞がり、腫れも引いたものの、右足の骨折だけはどうしても治すことができなかった。昨晩も《鳳仙》の力を開放して治療に専念しても、さすがに無理だった。一日中やるには体に負荷がかかりすぎてしまうので、休み休み適度に使うしかない。
骨折したままだが、その周りの筋肉はすでに修復しており、強く巻いた包帯と、常に足の筋肉に力を入れることで添え木のようにして、折れた骨を支えている状態だ。他人より多少、体が頑丈だからできることだ。
そんなわけで、こうして無理を押してまで、皓太郎を護衛するために登校してきたわけなのだが……。
なにやら、操は口に手を当てて、また何かを気にしていた。私と皓太郎を、交互に見比べて。
「……それから、今気づいたことがあるのだが」
「……なによ」
また何か、鋭い指摘をされるのかと、身構えていると、
「……なぜに、お前は転入生と同じ、キーホルダーをつけているんだ?」
「……っ!」
しまった!
隣の皓太郎に視線を戻す。さっきから楽しそうにバッグを見つめていたその視線の先には、しとねからもらった、私と同じキーホルダーがぶら下がっていた。はじめて、友達からの貰い物だといっていたし、よほどうれしかったのだろう。
私も考え無しに、せっかくしとねから貰ったものだからと、ホイホイつけてしまった。……面倒なことになったな。
操がそう指摘したのを聞いてか、クラス中から一斉に視線が集まっていた。
「……どういうこと?」「おいおい、マジかよ……」「もしかしてあの二人……」
このままだと、皓太郎と恋人だとか付き合っているだとか、あらぬ疑いを掛けられるだろう。
それだけは、どうしても阻止したい。
「あのね、操、これにはちょーーーっと、事情があってさ……」
「……まさか、お前たち!!」
「おい!まず私の話を聞け!アンタはなんか勘違いを……!」
操は私の机に掌をバンと、強く叩きつけた。暴走したこいつの口を閉じるのは、至難の業だ。
も、もうダメか……!
そして操はクラス中に響く大きな声で、
「休日に遊びに行ったのか!転入生と、二人で!この俺に、声もかけずに……!」
「して…………る?」
操の発言に、クラス中のみんなの頭に、「?」が浮かび上がっていた。もちろん、私もその一人だ。
「……確かに今!大会が近く休日も部活に顔を出さなくてはいけないのだが!それにお前が気を使ってくれているのも十分承知だ!……だからと言ってな!俺は、お前より大事なことはこの世に無いと、再三再四!伝えているというのに!……どうして分かってくれないのだ!!」
「あー……ごめんごめん。今度はちゃんと誘うからさー。ゆるしてくれよー」
操の言ったことに適当に合わせて、気持ちの籠ってない返事で、それっぽく謝っておくことにした。
操のおかげ(?)か、クラスもそういう雰囲気ではなくなったので、これに乗る手はない。
友達……そう、このキーホルダーは、友達同士の証だ。
「なんだ、お前も行きたかったのか?」
「……貴様」
皓太郎がわめく操を見上げて言った。それに操は、苦虫を嚙み潰したよう顔で、睨み返していた。
その反応に、何やら皓太郎は何か勘違いしたみたいで、
「やらんぞ。これは大切なものだ」
「……!」
「まあ、まあ、まあ……」
それを聞いて操は、今にも皓太郎に掴みかかりそうになったので、腕を取って落ち着かせた。
この前までは、操が一方的に因縁をつけていたのに、なぜか皓太郎の操に対する態度が、少し挑発的なようにも見えた。
二人の間に一触即発な空気が流れたが、そこで朝のチャイムが鳴って操は自分のクラスへと引き換えし、事なきを得た。クラスメイト達も、私たちへ聞き耳を立てるのをやめて、着席していた。
「……なんか、操とあった?」
「?いや、特に何もないが」
「ほんと?……なんか、いつもより意地が悪く見えたんで」
「ん?そうか?……なぜだろう……分かった。以後気を付けよう」
皓太郎は自分でも不思議に思いながら、そう答えていた。私のただの勘違いかも知れないし、あの操になら、多少つんけんしてても別に構わないのだが。
「……おーい、そこー!廊下は走るなよー!俺が教室に入る前に入らないと、遅刻扱いにするからなー」
教室のドアの前で立ち止まった担任が遅れてる生徒に脅し文句を言い、クラスメイト達は笑い声をあげていた。私はそれの何が面白いのか分からないので、ただただ頬杖をついて待ち、隣の皓太郎は腕を組んで頭を傾げ、おそらくさっきのことを考えていた。
「三……二…………いーちっ!……おーい!ギリギリセーフだぞ!明日からはちゃんとゆとりをもって……」
だけど、昨日あんなことがあったせいか、いつものような今日に、少しだけほっとしていた。少なくとも学校の中なら、あんな奴に襲われる心配もないだろうから。
あんなに、何もなくて退屈していたはずの日常が、こんなにも呑気で、心穏やかでいられるものなのかと、そんな今更ながら身勝手な思考に、少し苦笑していた。
放課後になると、いつもの様に皓太郎と並んで、真っ直ぐと帰り道を歩いていた。
そしてこれまたお決まりのように、ある店の前で止まった。
「また来たぞ、大黒堂の店主」
「こんにちは、大黒さん」
「あらあら、いらっしゃい。今日もお疲れさん」
ここは初めに皓太郎を連れてきた駄菓子屋の、『大黒堂』。その店主のおばあちゃんの、大黒さん。
「コウちゃんも、ミキちゃんも、いつもありがとねぇ」
「私が会いたくてここに来ているのだ。礼など不要だ」
「……ちょっと!言い方!」
「うふふ、嬉しいこと言ってくれるのね」
おばあちゃん店主がおおらかなおかげで、本当に良かった。選んだ駄菓子を入れる用のトレーを皓太郎は手に取り、さっそく店内を物色していた。これが今では下校の恒例になっていて、このためだけに皓太郎はわざわざ小銭まで用意してきたほどだ。よほど、ここが楽しいのだろう。
前に三度ほど、コンビニに連れて行ったことがある。もちろん皓太郎は、コンビニも人生で一度も行ったことがなかったらしい。初めは大黒堂と同じように、目を輝かせていたのだが、それ以降は、こちらからたまにはコンビニはどうかと誘っても、断ってこちらの大黒堂を選んだ。
それはなぜかと聞いたら、
「確かに、飲食物も豊富で、駄菓子屋と違い、それ以外の生活必需品もたくさんあるな。とても利便性に優れているのがよく分かる。街の方々に立てられているのも、頷ける店だ」
だがなと、続ける。
「あまりにも、機械的すぎるのだ。……さも当然のようになんでもそろい、どの店もほとんど同じ品ぞろえで、感動も薄れるというもの。……レジを自分で打つというのは、なかなか興味深い体験ではあったが……やはり、人との関わりを減らすというのは、寂しいものだな」
そう言う考えになるのは、たぶん、多くの庶民が求めているものと、皓太郎が求めているものが、違うからなのだろう。皓太郎の指摘した部分の何がダメなのか、私にはいまいち分からない。便利なことは、いいことに決まっているから。
でも、と思う。
皓太郎は、この変哲もないただの駄菓子屋を選ぶ理由も、答えていた。
「その点、大黒堂は温かみがある。建物の趣も、あの店主もな。私にとって掛け値なし、値千金の店だ。……だから私は、大黒堂を贔屓にしたいのだ」
そんなかけがえのないものを求めて、ここに来ているのだろうな。
確かにここは、居心地がいい。こういう日常も、存外悪くない。
「それから……いつもの、頼む!」
「コーラね。今日もキンキンに冷やしてたの、持ってくるわね」
「おお!すまないな!やはりあれは……いいものだからな!」
「……」
決して、瓶コーラの方がおいしいだとか、そんな理由ではないと、思いたい。
「いつも一緒で、二人は仲が良いんだねぇ」
軒下で二人並んで飲み食いしていると、大黒さんが近づいてきた。八十は過ぎていて、背も小さく腰はかなり曲がっているが、それでも一人でこの店の商品を切り盛りしているのだから、考えられない。
「うんうん。お似合いのカップルさんだ」
「私たちが、そう見えるのか?」
店主の言葉に、皓太郎は少し嬉しそうな反応をしていた。おい、否定しろよ。
「いやいや、私たち、別にそんなんじゃないんですよ……」
「そうなの?」
それに店主はニコニコしながら、
「それじゃあ、これからだ」
「あはは……」
そう言い残して店内へと戻って行った。
だから、そんなことにはならないって……。
依頼人と護衛なんだから。
「あ。そうだ……」
ケータイを取り出す。そういえば、もうそろそろだ。
今日の昼頃に、しとねから連絡をもらっており、『昨日のことでお礼がしたいので、いつもの駅でお待ちしてます』と、約束していたのだ。
「そろそろ行こうか。しとねさん、待たせてるかもしれないし」
「む?そうだったな。……またな、店主」
「ばいばーい。また来てねー」
帳場からの可愛らしい挨拶に手を振り返して、駅へと向かう。
「み、幹!……大変なことになったぞ!!」
突然、皓太郎が慌てた様子で言って来たので、冷静さを装いながら、辺りを見回した。
「……どうしたの?」
何事だ?
私に何か気づけていないことが、すぐ近くで起きているのか?
だが、警戒すべきものは、周囲にはなかった。
一旦立ち止まり、皓太郎の話を聞く。
「なにも、ないようだけど……」
「実はさっきな、大黒堂でガムとチョコレートを買ったのだが」
「え?あ、うん」
「それでな、同時に食べればガムがチョコレートの味になるのではないかと思いつきで試してみたのだが……ガムが溶けて消滅してしまったのだ!!」
「……」
あの、天下の大財閥の、白牙嶺のお坊ちゃんが、随分と俗世に塗れてしまったようだ。
心配して、損した。
というか、そんなことは私ですら、小学生の頃に同級生から聞かされて知っている。でも、彼にとっては駄菓子を食べる事すら当たり前ではなく、そんな、みんなが成長して忘れてしまったあの時の驚きを、今になってそうやって大げさに喜べるのは、なんだか少し羨ましくも思う。
「だが、考えてみればそうか……。ガムの樹脂とチョコレートの油脂が混ざることで、溶けてしまったのだな。……ふむ、勉強になる」
こういう所は、子どもの無邪気とは程遠く、可愛くないけれど。
ここでふと、あることに気づき、少し焦る。
「コータロー」
「どうした?」
「ちょっと、先へ急ごう」
「ああ、すまん。しとねがもうついているかもしれないしな」
「……うん」
そこは適当に濁し、少し早足で先へ行く。皓太郎も私の後をちゃんとついてくる。
どうやら、このままここに立ち止まっているわけには、いかなくなってしまった。
皓太郎のおかげか、辺りを警戒するモードになっていたので、それに気づくことができた。
カーブミラー越しに、背後から数人の不良が歩いてきているのが見えた。ただ単に行く方向が同じだけなのか、それとも――。どちらにせよ、余計な厄介事は、避けるべきだ。皓太郎を守ることが最優先なのは当然、私の右足は折れていて、万全の状態ではない。
取り越し苦労に越したことはないが、とにかく先を急いだ。
――だが、最悪の予想が的中してしまった。
もうすぐで大通りに差し掛かるところで、別の不良たちに待ち伏せされていたのだった。
後ろの不良たちを、待っていただけ……などと、淡い希望を抱いてみるも、すぐに棄却した。
「……ごめん、こっち!」
「な、なんだ?」
いきなり皓太郎の手首を取って、横道に逸れた。駅からは遠ざかってしまうが、この際そうも言ってられない。
「ちょっと、走るよ」
「うおっ!わ、分かった……!」
「オイッ!!」「待てや、コラ!!」
不良たちが、私たちを追いかけてきた。……狙いは、間違いなく私たちだ。
何なんだ、あいつらは?この前、電車でしとねにナンパしていた奴らの仲間、とか?仕返しの線は、ありえる。
だけど、あの中に見かけた顔はなかった。それに、こんな待ち伏せや挟み撃ちにしようなんて、計画的なことをできる奴らだったか?そんな知恵を持ってそうには見えなかったが。
……。
私たちに恨みを持ってそうな奴らで、他に考えられるとしたら、それは――。
「……っ!」
「ぐっ……!い、一体何が起こっているのだ、幹?」
いきなり私が止まったので、皓太郎が背後からぶつかる。そのまま、私の背中に隠すように、皓太郎を手で制す。
「……私のそばを、絶対に離れないで」
前方に、三人の外国人がいた。その背後には、さらなる不良たちが控えている。
昨日のあの、大男の仲間か……!
その中の一人、サングラスをかけた黒人の男が、クチャクチャと噛んでいた風船ガムを膨らませるが、破裂して顔面に張り付いた。
「オー!シット!?」
それに、白人の男は肩をすくめ、アラビア系の女は冷ややかな目で眺めていた。
……しとねを狙っているのは、ただのストーカーなどではなく、計画的な集団の犯行だった。
しとねは、一体何に巻き込まれている?そうまでして、彼女を手に入れたい理由は?
ぐるぐると疑問が頭の中を駆け回る。その中で、最大の疑問は、
「……今日の狙いは、一体なんだ?」
あの大男を倒した私を警戒して、潰しに来たのだろうか?
だが、それには少し違和感を覚える――そんな回りくどいことをするより、直接しとねを攫うなりした方が、絶対に良いはず。ほかにも仲間がいたのなら、なぜ昨日はあの大男一人だけに任せたのか?
黒人の男が顔面にくっついていたガムを取り終え、私たちの背後からは、追って来ていた不良たちがぞろぞろ現れ、完全に取り囲まれてしまった。
もう、逃げ場は、どこにもない。
「ヘイ!ワッツアップ!」
黒人の男が前に躍り出て来る――まさにその言葉通り、ダンスをしながらだ。
「……下がってて」
「あ、ああ……」
……やるしか、ないか。こうなってしまえば、万全な状態ではないからと、言っている場合ではない。
だがなぜか、他の二人は傍観を決め込み、白人の男は不良たちに手出ししないようにとハンドサインしていた。どういうつもりかは知らないが、そちらから一対一を望むのは、願ったり叶ったりだ。
黒人の男は尻のポケットから帽子を取り出して被る。
「……レッツ、ファッキンゴー」
そして彼は――踊った。
大きな踏み込みで一気に近づいて攻撃をしてきたかと思えば、すぐにまた後ろに戻る。まるでジャブだ。こちらの攻撃が避けられれば、すぐにカウンターが飛んでくるし、正確に当てようと慎重になりすぎると、今度は防戦一方になる。そんな掴みどころのないステップにつられ、ペースは完全に相手に握られてしまっている。そして、回転しながら繰り出される、長く太い足を活かした攻撃一つ一つが、重い。
「……くっ!」
折れてる右足の踏ん張りがきかず、軋んで痛んだ。
多種多様のステップと、体全体を使ったダイナミックな動き――ブレイクダンスだ。それにカポエラを混ぜたような、この男オリジナルのマーシャルアーツ。まさに、自由奔放。特に足技には、大層な自信が感じられた。
こちらが本領を発揮できないとはいえ、男は終始、余裕綽々と言った様子だ。
……悔しいが、今の私では、まったく歯が立たない。
「……!」
「フゥーーー!!」
そして、いきなり両手を地面につけたかと思うと、その場で回り出した。いわゆる、ウィンドミル、だ。回転しながら迫ってきて、遠心力から放たれる連続の蹴りが、強烈だった。避けようにも、背後には皓太郎もいるし、狭い裏道は壁が近くて逃れるのが困難だった。一度蹴りを喰らうと、衝撃に壁に飛ばされ、弾み、また蹴りを入れられてを繰り返される。
それを必死にガードしながら、私はこの期に及んで、まだあることを躊躇っていた。
右足を――《鳳仙》の力を、解放すべきかどうかを、だ。
もう皓太郎には、私の過去をすべて話し、右足へのこだわりは、無くなったはずだ。
――それなのにまだ、心のどこかで、《鳳仙》の、あの化け物の力を使うことを、躊躇してしまう。できるだけ使わないで済むような、方法はないかと、つい探してしまっている。
その判断の先送りが、取り返しのつかないことになるとは、思わなかった――いや、なるべくしてなった。
男の後ろで残る二人は、ずっと談笑をしていて、こちらの戦闘にはまるっきり興味がないようだ。白人の男は、終始余裕の笑顔だが、アラビア系の女の方は、終始無表情だ。
そして、女の方が話を切り上げたのか、一歩前に出てくる。……その手に、リボルバーを握って。
「タイムズアップ」
そう言って彼女は――なんと皓太郎に、その銃口を向けた。
「……!コータロー!伏せてぇ!」
「!」
「ワッツァッファ!?」
男はピタリと動きを止め、女に向かって抗議していた。
急いで皓太郎の前に躍り出る。背後にいる皓太郎に当たらないようにとっさに指示し、皓太郎はそれに従った。
そして女は、ためらいなく引き鉄を引いた。
「……くっ!」
皓太郎が身を屈めたのを確認してからだったが、なんとか間一髪で避けることができた。長い髪を弾丸が貫いていった。
だが、
「がっ……!?」
左足の膝を、何かが貫通したのを感じた。それで足から力が抜けて支えきれず、体が倒れる。
……銃弾は避けたはずなのに、なんで?
女をよく見ると、こちらに向けたリボルバーとは別に、女は背中にもう片方の手を回していて、そちらにも銃が握られていた。背面撃ちをして、そのうえ跳弾で私の左足に当ててみせたのだ。最初に避けた銃弾は……ブラフだった。避けられるのを計算の上で、気づかれぬよう足元を狙い、そして銃声を一つにすることで、完全に一発だけだと思い込ませた。
完全に、してやられた。
「……くっ!」
「……アハッ……!!」
女は地面に這いつくばる私の顔を見つめ、さっきまで崩さなかった無表情とは違い、えらく扇情的な微笑みを浮かべていた。
……なんなんだ!こいつらは!!
「どうしたんだ!幹!」
まったく状況が分かっていない皓太郎は、突然倒れたように見える私を心配して駆け寄ろうとするが、
「な、なにをする!離せっ!!」
白人の男が指示を出し、不良たちが皓太郎を押さえ出した。
「や……やめろ……!」
倒れた私にも、数人で囲まれ、押さえつけられる。
「やめろ!……幹っ!大丈夫なのか!!」
こんな時になっても、自分の事より、私の方を心配してくる。
不良たちに捕まえられた皓太郎は、白人の男の方に連れられて行く。
「み、幹っ……!」
「コー……タロー…………!」
皓太郎は、白人の男に薬品のようものを嗅がされると、眠らされてしまった。
「…………」
「ま、待て……!」
「ユーテイクケアオブザレスト……ハウザー」
「ピスオフ!!」
白人の男は、ハウザーと呼んだ黒人の男だけを残し、路地裏の先にある道路に止められていた車に皓太郎を乗せると、女と二人で連れ去って行った。遠ざかる車に、ハウザーは中指を立てた。
「っ!……コータロォォォォォ……!!」
――皓太郎が、連れていかれた!
「んー……おらぁ!」「はーい、フルスイーング!!」「えぐぅ!イッた!絶対骨イッたよ!」
不良たちに囲まれ、特に右足や腹などを重点的に、殴られ、蹴られた。バットを足に思いっきり振り下ろされたり、顔を踏みつけられもした。好き勝手に、嬲られていた。
だけど、そんな苦痛よりも、悔しさと不甲斐なさで、心がいっぱいだった。
……コータロー、……コータロー…………!
「おいおい!コイツ、泣いてんぞぉー!」「あーあ、泣かせた泣かせたー!」
悔しさで、涙が出てきた。
……リボルバーで邪魔してきたあの女を、卑怯などとは言えない。それ以前に、あのままではハウザーにすら、負けていただろう。あの数に囲まれ、逃げ出すこともできず、どのみち、皓太郎は連れ去れていた。できるだけ、皓太郎に目は向けさせないよう、私が戦って目立とうとした。昨日のせいで足が折れていたとしても、体に鞭打ち、立ち向かった……。敵の狙いが分からない状況では、ああするしかなかった。
……そして、うだうだと迷い、私は、右足のリングを外すことを――《鳳仙》の力を、使うことを、躊躇ってしまった。
――心ですでに、負けていたのだ。
折れてたのは足だけじゃなく、心もだった。
そう思うと、段々と自分に腹が立ってくる。
――守るって、約束したのに……!!
こんなに悔しい思いをしたのは、生まれて初めてだ。
「……こういうさ、リョナ?ってやつ、俺大好きなんだよなぁ」
「うっわぁ、悪趣味ー」
「ねぇねぇ、ちょっとそいつ抑えてて」
「…………うっ」
髪を掴まれ、地面に顔を押し付けられる。後ろからカチャカチャと、ベルトを外す音が聞こえてくる。
「ちょっとくらいさぁ……楽しんでもいいよねぇ」
「あっ、ズル。終わったら次、俺にもその穴貸してー」
「ぎゃはは!サイテーだわ、こいつら!」
一人残っていたハウザーは、こちらには一切の興味を示さず、ガムをクチャクチャと噛んでいた。
……こいつらの事なんて、どうでもいい。私の純潔ぐらい、くれてやる……!
今はどうにかして、一刻も早く皓太郎を助けに行かないと……!
でも今の私には、ただの不良一人蹴り飛ばすだけの、力も残されていない。体を押さえつけられていて、右足のリングを外すことさえできない。
……仕方ない。ここは大人しくして、早くこいつらがここから消えてくれるのを待つしかない、か。
そんな、すべてを受け入れていたところに、
「な、なんだよ、テメェ……!!」
後ろの方で、不良の一人が、狼狽えた声を上げた。それに続き、周りの不良たちもどよめく。
「なんだよ、アイツ……」「デ、デッケー……」「やべぇんじゃねーの……」
「……」
私からは姿が見えないが、一言も発さないその人物が、かなり怒りに打ち震えていることだけは、空気感で伝わってきた。
「お、おいっ!テメ―!シカトこいてんじゃねーぞ……!」
相手をしている不良は、その現れた人物に怯えているのか、強い口調でも声に覇気がなかった。
「……」
「……あ?」
だが、その人物の体が微かに震えているのを見て、不良は何を勘違いしたのか、一気に強気になる。
「ははーん。さては、ビビっちゃんてんだ?正義感からやって来たけど、怖くて何も……ん?」
痩せた不良の顔の横を、何かが通り過ぎた。そして、
「ぶふぉっ……!!」
ベルトを外していた不良の顔に、それが思いっきりぶつかり、鼻血を流して倒れた。ぶつかって落ちた、投げられたそれを見て、分かった。
――それは、操が日常的に身に着けている、重りの入ったリストバンドだ。
「み、操……?」
「……」
「て、てめぇ……がぁぁぁ!!」
操は、一番初めに突っかかってきた不良の顔を掴み、なんと持ち上げていた。
そして、ようやく沈黙を破る。
「……正義感、だと?……これから俺がすることに、大義名分はない。なぜならこれからすることは、物にやつ当たるのと、同じだからだ……!」
「ぐわぁっ!!……あうっ!……がぁっ……!……ああ…………あ…………」
つかんだ男を振り回し、何度も地面に叩きつけると、段々と意識を失っていった。声がしなくなると、操は後ろへと放り捨てた。
「俺は今、猛烈に……お前らが泣き叫ぶ顔が見たい」
「「……!」」
不良たちは、たった一人の男に、たじろいだ。
だがそれは、正しい反応だ。なぜなら彼は……。
「少し、乱暴してやろう」
《白い暴牛》――廿六木操だからだ。