返せ、今すぐ
「……き…………い、み……」
「……」
「……おい、幹。聞いているのか?」
「ん?」
朝の教室でいつもの様に席につき、昨日のことを思い返していたら、ぼうっとしていたみたい。
「あー、ごめん、ごめん……つーか」
さっきから声を掛けていたのは、操だ。
「……だからさぁ、毎朝毎朝、うちのクラスに来んなってあれほど……」
「そういうわけにはいかん。特に月曜は、お前の顔を見なければ、何も手につかん。二日も会うことのできなかった切なさで、心臓が張り裂けてしまいそうだからな……」
「うん、破裂しちまえ」
朝っぱらから操の馬鹿に付き合いつつ、横に目を配る。
皓太郎は……昨日あんなことがあったというのに、いつもと変わらず一緒に登校し、落ち着いた様子で授業の用意をしていた。
私はというと、昨日できたかすり傷はだいたい塞がったものの、折れてしまった右足だけは、さすがに治らなかった。歩くたびに折れた部分が猛烈に痛み、心中耐えながらも、何でもないように装っていた。
骨は折れたままだけど、その周りの筋肉はすでに修復しており、右足に強く巻いた包帯と、常に足の筋肉に力を入れることで添え木のようにして、折れた骨をなんとか支えている状態だ。他人より多少、体が頑丈に出来ているからこその、荒治療――もとい、ただのごまかしでやり過ごしている。
皓太郎はこの通りなんともないし、護衛の私が怪我で休みます、なんてわけにはいかない。蓮次には怪我のことを報告していないし、そもそも他の誰かに護衛の代わりなんて頼むことはできない。
それに……。
「ん?どうかしたのか?」
「いや……なんでも」
皓太郎に気づかれ、すぐさま視線を逸らした。
……昨日あんなことを言ってしまった手前、格好がつかなくなってしまう。
だからどうしても、皓太郎の護衛は続けたい……これは、単なるわがままかもしれない。
まあ、座っている分には足も休めるし、何も起こらなければ日中は問題ない。
そして皓太郎は、ニコニコと通学バックを机の上に置いて眺めていた……呑気なもんだよ。
「おい、幹」
「……だから、何よ」
いまだしつこく絡んでくる操に、意識を戻す。
なんなのよ、さっきから……。
「怪我、しているな?」
「……なっ」
突然の指摘に、びっくりして言葉が出なかった。……こいつの目だけは、やっぱり誤魔化せない。
「歩き方がいつもと微妙に違う。……他人にバレないよう、怪我している足を庇わないようにしているが、それがもうすでに不自然だ。痛むのなら、無理せずに歩いたほうがいい。そんな歩き方をしていれば、余計に悪化するぞ」
「……なんでわかんのよ」
「フッ……お前を、いつも見ているからな。少しの変化だろうと逃しはしない。……バッグにキーホルダーをつけたのだな。幹にしては珍しいが、可愛いな、それ」
「キショいから近づくな変態」
気色が悪いのは間違いないが――柔道で鍛えられた、相手の動きや変化を見抜く、さすがの観察眼だ。伊達に中学柔道無敗、ではないか。
「肉離れ……まさか、骨が折れているわけじゃないだろうな?」
「はは、まさか、そんな」
じっと、目を覗かれる。私が嘘をついていないか、見抜こうとしているのだ。
隠す必要はないかもしれないけど、こいつに正直に話すものなら……「誰がやった?」と、根掘り葉掘り聞き出した挙句、投げ飛ばしに行こうとするかもしれない。
……そういえば、あの大男なら、すでに我が社――《イクイプメント》で確保したと、昨日会社に戻った時に聞かされた。あの大男が今頃どうなっているか、あまり興味はない。
「……うん?」
操は口に手を当て、首をかしげていた……私と皓太郎を、交互に見比べて。
「今、気づいたことがあるのだが……」
「……なによ」
また何か指摘をされるのかと、身構えていると、
「……なぜに、お前は転入生と同じ、キーホルダーをつけているんだ?流行りか?」
「……っ!」
しまった……!
隣の皓太郎に視線を戻す。さっきから楽しそうにバッグを見つめているその視線の先には……しとねからもらった、私と同じキーホルダーがぶら下げられていた。
皓友達からの初めての貰い物だと言っていたし、よっぽど嬉しくてつけたんだろう。
かくいう私も考え無しに、せっかくしとねから貰ったものだからとつけてきてしまった……面倒なことになったぞ。
操のその指摘をこそこそ聞いてか、クラス中から一斉に視線が集まったのが分かった。
「……え?彪くんにもう手を……」「おいおい、マジかよ……」「もしかしてあの二人……」
このままだと、皓太郎と恋人だとか付き合っているだとか、あらぬ疑いを掛けられるだろう。
それだけは、どうしても阻止したい。
「あのね、操、これにはちょーーーっと、事情があってさ……」
「……まさか、お前たち!!」
「おい!まず私の話を聞け!アンタはなんか勘違いを……!」
操は私の机に掌をバンと、強く叩きつけた。暴走したこいつの口を閉じるのは、至難の業だ。
も、もうダメか……!
そして操はクラス中に響く大きな声で、
「休日に遊びに行ったのか!転入生と、二人で!この俺に、声もかけずに……!」
「して…………る?」
操の発言に、クラス中のみんなの頭に、「?」が浮かび上がっていた。もちろん、私もその一人だ。
「……確かに今!大会が近く休日も部活に顔を出さなくてはいけないのだが!それにお前が気を使ってくれているのも十分承知だ!……だからと言ってな!俺は、お前より大事なことはこの世に無いと、再三再四!伝えているというのに!……どうして分かってくれないのだ!!」
「あー……ごめんごめん。今度はちゃんと誘うからさー。ゆるしてくれよー」
操の言ったことに適当に合わせて、気持ちの籠ってない返事で、それっぽく謝っておくことにした。
操のおかげ(?)か、クラスもそういう雰囲気ではなくなったので、これに乗る手はない。
友達……そう、このキーホルダーは、友達同士の証だ。
「なんだ、お前も行きたかったのか?」
「……貴様」
皓太郎がわめく操を見上げて言った。それに操は、苦虫を嚙み潰したよう顔で、睨み返していた。
その反応に、何やら皓太郎は何か勘違いしたみたいで、
「やらんぞ。これは大切なものだ」
「……!」
「まあ、まあ、まあ……」
それを聞いて操は、今にも皓太郎に掴みかかりそうになったので、腕を取って落ち着かせた。
この前までは、操が一方的に因縁をつけていたのに、なぜか皓太郎の操に対する態度が、少し挑発的なようにも見えた。
二人の間に一触即発な空気が流れたが、そこで朝のチャイムが鳴って操は自分のクラスへと引き換えし、事なきを得た。クラスメイト達も、私たちへ聞き耳を立てるのをやめて、着席していた。
「……なんか、操とあった?」
「?いや、特に何もないが」
「ほんと?……なんか、いつもより意地が悪く見えたんで」
「ん?そうか?……なぜだろう……分かった。以後気を付けよう」
皓太郎は自分でも不思議に思いながら、そう答えていた。私のただの勘違いかも知れないし、あの操になら、多少つんけんしてても別に構わないのだが。
「……おーい、そこー!廊下は走るなよー!俺が教室に入る前に入らないと、遅刻扱いにするからなー」
教室のドアの前で立ち止まった担任が遅れてる生徒に脅し文句を言い、クラスメイト達は笑い声をあげていた。私はそれの何が面白いのか分からないので、ただただ頬杖をついて待ち、隣の皓太郎は腕を組んで頭を傾げ、おそらくさっきのことを考えていた。
「三……二…………いーちっ!……おーい!ギリギリセーフだぞ!明日からはちゃんとゆとりをもって……」
だけど、昨日あんなことがあったせいか、いつものような今日に、少しだけほっとしていた。少なくとも学校の中なら、あんな奴に襲われる心配もないだろうから。
あんなに、何もなくて退屈していたはずの日常が、こんなにも呑気で、心穏やかでいられるものなのかと、そんな今更ながら身勝手な思考に、少し苦笑していた。
放課後になり、いつもの様に皓太郎と帰路につこうとした……が、そんなに簡単に、帰れるわけがなかった。
部活動をしている生徒たちを見かけると、興味津々で足を止めてしまい、校内から出るのも毎回一苦労だ。今日だって、校門とは反対方向にある体育館まで付き合って遠回りし、バスケ部やバレー部の様子を眺めていた。女子生徒たちが、急に現れたイケメンにざわつき、皓太郎が視線に気づいて手を振ると、「キャー!!」と、全力で手を振り返してきた……アイドルかよ。
それに男子生徒たちの大半が不快な表情でこちらを睨んできたので、さすがに退却することにした。こういう悪目立ちが、後々いらぬ面倒ごとにならなきゃいいけど……。
皓太郎は無邪気な様子で学校を出た……のまではいいが、これまたお決まりのように、通学路の途中、裏道にある店の前で止まる。
「また来たぞ、大黒堂の店主よ」
「こんにちは、大黒さん」
「あらあら、いらっしゃい、二人とも。今日もお疲れさま」
ここは初めに皓太郎を連れてきた駄菓子屋、『大黒堂』。その店主のおばあちゃんの、大黒さんだ。
「コウちゃんも、ミキちゃんも、いつもありがとねぇ」
「私が会いたくて来ているのだ。礼など不要だ」
「……ちょっと!言い方!」
「うふふ、嬉しいこと言ってくれるのね」
おばあちゃん店主がおおらかなおかげで、本当に良かった。選んだ駄菓子を入れる用のトレーを皓太郎は手に取り、さっそく店内を物色。これが今では下校の恒例になっていて、このためだけに皓太郎はわざわざ小銭まで用意してきたほどだ。よほど、ここが好きなんだろう。
前に何度か、コンビニに連れて行ったことがある。コンビニも、人生で一度も行ったことがなかったらしい。初めは『大黒堂』と同じように、目を輝かせていたりもしたのだが……何が気に食わないのか、こちらからたまにはコンビニはどうかと誘っても、『大黒堂』しか行かない。
なぜかと聞いたら、
「確かに、駄菓子屋と違い菓子以外の飲食物も豊富で、生活に必要な品もたくさんあるのだろう……私は、使い方さえわからんがな。だが、とても利便性に優れているのがよく分かる。街の方々に立てられているのも、頷けるな」
だがなと、続ける。
「あまりにも、機械的すぎるのだ。さも当然のようになんでもそろい、どの店も同じ品ぞろえ、同じ配列で、感動も薄れるというものだ。……レジを自分で打つというのは、なかなか興味深い体験ではあったが……しかし、人との関わりを減らすというのは、寂しいものだな」
そんな考えになるのは、たぶん、一般人が求めているものと、皓太郎が求めているものが、違うからだと思った。皓太郎の指摘した部分の一体何がダメなのか、私にはいまいち分からない。
だって、便利なことは、いいことに決まっているから。
そして皓太郎は、この変哲もないただの駄菓子屋を選ぶ理由も、答えていた。
「その点、『大黒堂』は温かみがある。建物の趣も、菓子たちも、あの店主もな。私にとって掛け値なし、値千金の店だ……だから私は、『大黒堂』を贔屓にしたいのだ」
そんなかけがえのないものを求めて、ここに来ている、と。
……それなら、私にも分かる。
確かにここは、居心地がいいから。駄菓子もおいしいし、雰囲気もいい。もちろん、大黒のおばあちゃんも好きだ。
「よし、いつもの頼む!」
「はいよ、コーラね。今日もキンキンに冷やしてたの、冷蔵庫から持ってくるわね」
「うむ、すまないな!やはりあれは……いいものだからな!」
「……」
決して、瓶コーラがおいしいからだとか、そんな理由ではないことを願いたい。
「いつも一緒で、二人は仲が良いんだねぇ」
軒下で二人並んで飲み食いしていると、大黒さんがやってくる。八十は過ぎていて、背も小さく腰はかなり曲がっているが、それでも一人でこの店を切り盛りしているというのだからすごい。
「うんうん、お似合いのカップルさんだ」
「私たちが、そう見えるのか?」
大黒さんの言葉に、皓太郎は少し嬉しそうな反応をした……おい、否定しろよ。
「いやいや。私たち、別にそんなんじゃないんですよ……」
「あら、そうなの?」
それに店主はニコニコとしながら、
「それじゃあ、これからだ」
……と、意味ありげなことを言い残して店内へと戻っていった。
「あ、あはは……」
だから、そんなことはありえないんだって……。
なんたって、依頼人と護衛なんだから。
「……私と、幹が、か……」
「あの……皓太郎?」
「!な、なんだ?どうした!?」
なんか様子が変だったので、声を掛けると、明らかに狼狽えていた。
「いや、こっちのセリフなんですけど……どうかしたの?」
「そ、そうか?いや、私は何ともないが!」
「ふーん……なら、別にいいけど」
なんか、怪しいなぁ……。
今朝からちょくちょく、変な気がする。
依頼人の変化にも、護衛としては常に気を配らないといけない。体調が悪いなら、早く帰った方がいいかもしれないな。
そういえば少し、顔が赤いような気もするし……風邪か?
「あ。そうだ……」
ケータイを取り出す。もうそろそろ、約束の時間だ。
今日の昼頃に、しとねからメールがあり――『昨日のことで二人にお礼がしたいので、いつもの駅で待ってるね』、とのことで、約束していたのだった。
「そろそろ駅に行こうか。しとねさん、待たせてるかもしれないし」
どっちにしろ駅にはいかないといけないし、皓太郎は風邪だと伝えてしとねにうつさないよにすればいいか。
「む?そうだったな。……またな、店主」
「ばいばーい。また来てねー」
「はい。また来ます」
帳場から可愛らしく手を振る大黒さんに手を振り返し、さっそく駅へと向かった。
「……幹!大変だぞ!!」
駅に向かう途中に、突然、皓太郎が慌てた様子で言うので、冷静を保ちつつ、まず辺りを見回す……何も、ないようだが?
「……どうしたの?」
私が気づけていない、何かが近くで起きているのか?
警戒しつつ、一旦立ち止まると、皓太郎の話を聞く。
「なにも、ないようだけど……」
「実はさっきな……『大黒堂』で、ガムとチョコレートを買ったのだが……」
「え?……ああ、うん」
確かに、買っていたけど……。
「それがだな……同時に食べればガムがチョコレートの味になるのではないかと思いつきで試してみたのだが……ガムが溶けて、消滅してしまったのだ!!」
「……」
あの、天下の大財閥、《白牙嶺》のお坊ちゃんが、随分と俗世に塗れたみたい。心配して損した。
……そんなの、私だって小学生の頃にはすでに知っていることだ。でも、彼にとっては駄菓子を食べる事は当たり前じゃなくて、みんなが成長して忘れてしまったあの時の驚きや不思議を、今になってそんな風に大げさに喜べるのは……なんだか少し、羨ましくも思う。
「だが、考えてみれば……ガムの樹脂とチョコレートの油脂が混ざって、溶けてしまったのだな。……ふむ、勉強になるな」
……こういう所は、無邪気とは程遠く、可愛くはないけれど。
ここでふと、あることに気づいて、少し焦る。
「コータロー」
「どうした?」
「ちょっと、先へ急ごう」
「ああ、そうだな。しとねをいつまでも駅で待たせるわけにもいかないな」
「……うん」
そこは適当に濁し、早足で進む。皓太郎からはできるだけ、離れないぐらいのペースで。
「ん?」
皓太郎は私の早足に気づいてついてきてくれているが……できるだけ早く、人目のつく大通りに出たい。
――それに気づくことができたのは、辺りを警戒していたからだ。皓太郎のおかげだ。
カーブミラー越しに、背後から複数の人影が来ているのが見えたからだ。一瞬だけど、不良グループのようだった。
ただ単に行く方向が同じだけなのか、それとも――。
どちらにせよ、余計な厄介事は、避けるべきだ。皓太郎を守るのが最優先。それに、私の右足は折れていて、万全の状態じゃない。こんな状態で皓太郎を守りきるのは、正直不安だ。
取り越し苦労なら、いいけど……。
とにかく先を急いだ。
――だが、
「……くっ!」
最悪の予想が、的中してしまった。
「へへへ……」「おー、来た来た……」
もうすぐで大通りに差し掛かるところで、別の不良たちに待ち伏せされていた。
後ろの不良たちを、待っていただけ……とか、淡い希望を抱くも、すぐに自分で棄却した。
「……ごめん、こっち!」
「な、なんだ?」
皓太郎の手を取り、横道に逸れた。駅からは遠ざかってしまうけど、この際そうも言ってられない。しとねにはあとで、メールで謝っておこう。
「ちょっと、走るよ!」
「おっ!……わ、分かった……!」
「オイッ!!」「待てや、コラッ!!」
不良たちが、私たちを追いかけてくる。これで狙いは、間違いなく私たちだと分かった。
……何なんだ、あいつらは?この前、電車でしとねにナンパしていた奴らの仲間か?仕返しの線だって、十分にありえる。
しかし、少なくともあの中には、見た顔はなかった。
それに、こう言っちゃ悪いけど……こんな待ち伏せや挟み撃ちをしようなんて、計画的なことができる連中だっただろうか?
……。
他に、私たちに恨みを持ってそうなので、考えられるとしたら、それは――。
「……っ!」
「ぐっ……!い、一体何が起こっているのだ、幹?」
いきなり私が止まったので、皓太郎が背中にぶつかる。そのまま私の背後に隠すように、皓太郎を手で制す。
「……私のそばから、絶対に離れないで」
「ん?なんだ、やつらは……」
前方には、三人が待ち伏せていた。その背後には、さらなる不良たちを引き連れている。
後ろからも追手が来ている……これ以上、逃げ道はない。
昨日の、大男の仲間たちか……!
三人のうちの一人――サングラスをかけた黒人の男が、クチャクチャと噛んでいた風船ガムを膨らませるが、破裂して顔面に張り付かせていた。
「オー!シット!?」
そのふざけた行動に、残る二人――白人の男は肩をすくめ、アラビア系の女は冷ややかな目で見ていた。
……しとねを狙っているのは、ただのストーカーじゃなく、計画的な集団の犯行だった。
しとねは、一体何に巻き込まれている?
そうまでして、彼女を手に入れたい理由は、なんだ?
今頃、駅で私たちを待っているしとねは、大丈夫だろうか?
ぐるぐると疑問が、頭の中を駆け回る――だけど、今一番の疑問は、
「……今日の狙いは、一体なんなんだ?」
あの大男を倒した私を警戒して、計画の邪魔になる前に潰しに来たのか?
――そんな回りくどいことをするより、直接しとねを攫うなりした方が、絶対に良いはずだ。
「ンー、オッケー……」
黒人の男は顔面にくっついたガムを取り終え、私たちの背後からは、不良たちがぞろぞろと現れ、完全に取り囲まれてしまった。
理由は分からないけど――戦う以外の道は、残されていない。
「――ヘーイ!ワッツアップ!」
「……ちっ!」
黒人の男が前に躍り出る――まさに言葉通り、軽快に踊りながらだ。
「……少し、下がってて」
「あ、ああ……」
……やるしか、ないか。万全な状態ではないからと、言っている場合でもない。
ちらりと、男の背後に目を配る。
なぜか、他の二人は傍観を決め込み、白人の男は不良たちに手出ししないよう、ハンドサインで止めていた。
……どういうつもりかは知らないけど、そっちから一対一を望むなら、願ったり叶ったり。好都合だ。
黒人の男は尻のポケットから帽子を取り出して、被る。
「レッツ……ファッキンゴー!フォー!」
そして彼は――攻撃を仕掛けてきた。
大きな踏み込みで一気に近づいてきたかと思えば、すぐに後ろに戻る。こちらの攻撃は、空を切る。
そして攻撃が避けられると、すぐにカウンターが飛んでくるし、正確に当てようと慎重になりすぎると、今度は防戦一方になる。
……なんなんだ、この攻撃スタイルは?
そんな軽快なステップに翻弄され、ペースは完全に相手に握られてしまった。
「ンッ!!」
――回転してひねりを加えた、長く太い足から繰り出される攻撃一つ一つが――重い。
「……くっ!」
折れてる右足の踏ん張りがきかず、さらに軋んで痛む。
つかみどころのない、多種多様のステップと、体全体を使ったダイナミックな動き――ブレイクダンスだ。それにカポエラを混ぜたような、オリジナルのマーシャルアーツ――まさに、自由奔放。
こちらが本領を発揮できないとはいえ、男は終始、余裕綽々だ。
……悔しいが、今の私では、まったく歯が立たない。
「……!」
「フゥーーー!!」
両手を地面につけ、逆立ちしたかと思えば――その場で回り出した。いわゆる、ウィンドミル、だ。
回転しながらこちらに迫り、遠心力から放たれる連続の蹴りは、強烈だった。避けようにも、背後には皓太郎もいるし、狭い裏道は逃れるのが困難だった。一度蹴りを喰らうと、勢いよく壁に飛ばされ、弾み――そしてまた蹴りを入れられる、を繰り返す。
このままじゃ、いずれ……!
必死にガードしながら、私はこの期に及んで……まだ躊躇っていた。
右足に宿る、私の《鳳仙》の力――《天授具》を、解放すべきかどうかを。
もう皓太郎には、私の過去を話して、右足へのこだわりは無くなったはずだ。
それなのにまだ、心のどこかで、《鳳仙》の――あの化け物じみた力を使うことを、躊躇っている。できるだけ使わないで済むようにはいかないかと、つい探してしまう。
――その決断の先送りが、取り返しのつかないことになるとも、知らずに……。
男の仲間――残る二人は、ずっと談笑をしていて、こちらの戦闘にはまるっきり興味がないみたいだ。白人の男は終始余裕の笑顔で、アラビア系の女は無表情だ。
女が話を切り上げたのか、一歩前に出てくる。
「…………はっ!」
その手に、リボルバーを構えて。
「タイムズアップ」
そう言って彼女は――なんと皓太郎に、銃口を向けていた。
「コータロー!伏せてぇ!」
「!」
「ワッツァッファ!?」
黒人の男はピタリと動きを止め、女に向かって抗議していた。
――急いで皓太郎の前に出る。
そして女は、ためらいなく引き鉄を引いた。
「……くっ!」
皓太郎が身を屈めて安全を確認してからだったが、なんとか間一髪で銃弾を避けることができた。長い髪の間を、貫いていった。
ほっと一安心――かと思いきや、
「な、なにっ!?」
左足の膝に、突き抜けるような鋭痛を感じた。足から力が抜けて支えきれず、倒れた。
……弾は避けたはずなのに、なんで?
「フッ――」
女は、銃口の先に息を吹きかけていた。
女をよく見てみると……こちらに向けたリボルバーとは別にもう一丁――背中に手を回して、隠すように銃が握られていた。背面撃ちだ。しかも、跳弾で私の左足に見事当ててみせたのだ。
つまり、最初に避けた銃弾は……ブラフ。
あえて皓太郎の方を狙い、慌てる私を構えた銃へと視線誘導させて、それが別に躱されてもいいよう、背面撃ちで足元も狙った。そして同時に撃つことで、銃声を一つにし、完全に一発だけだと思い込ませた――今の攻撃には、それだけの計算がされている。
完全に、してやられたのだ。
「……くそっ!」
「アハッ……!!」
女は地面に這いつくばる私を見つめ、微塵も崩さなかった無表情から、えらく扇情的な微笑みを浮かべていた。
なんなんだ!こいつらは……!!
「どうした!幹!」
まったく状況が把握できていない皓太郎は、いきなり倒れたように見える私を心配して駆け寄ろうとするが、
「な、なにをする!離せっ!!」
白人の男の指示によって、不良たちに取り押さえられてしまった。
「や……やめろ……!」
倒れた私も、数人に囲まれ、地面に押さえつけられる。
「幹っ!大丈夫か!!」
こんな時になっても、自分の事より、私の事を心配するなんて……!
不良たちに捕らえられた皓太郎は、白人の男の方へ連れられて行く。
「幹!!」
「コー、タロー…………!!」
「みっ……!ん、んう…………う……」
皓太郎は、白人の男に薬品のようものを嗅がされると、眠らされてしまった。
「…………」
「ま……待てっ……!」
「ユーテイクケアオブザレスト……ハウザー」
「ハァン?……ピスオフッ!!」
眠る皓太郎を抱きかかえた白人の男は、路地裏の先の道路に止めていた車に皓太郎を乗せると、女と二人で去ってしまった。遠ざかる車に、ハウザーと呼ばれた男は中指を立て、一人残った。
「コ…………コータロォォォ……!!」
――皓太郎が、連れ去られた!
「んー……おらぁ!!」「はいー、フルスイーング!!」「えぐぅ!イッた!絶対骨イッたよ!」
不良たちに囲まれ、特に右足や腹などを重点的に、殴られ、蹴られた。バットを足に思いっきり振り下ろされ、顔を踏みつけられ……好き勝手に、嬲られていた。
でも、そんな苦痛より……悔しさと不甲斐なさで、心が押しつぶされそうだった。
コータロー…………コータロー……!
「……くそっ……!」
涙が溢れそうでも、必死に堪えた。
私のせいで皓太郎が攫われたのに、泣くことなんて許されない。
……リボルバーで邪魔をしたあの女を、卑怯とは言いまい。どっちみち、あのままではハウザーにすら負けていただろう。あの数に囲まれ、逃げ出すこともできなかった……皓太郎が連れ去れるのは、時間の問題だった。
昨日のせいで右足が折れていても、体に鞭打ち、立ち向かった。敵の狙いが分からない状況では、ああするしかなかった。
そして、うだうだと迷い、右足のリングを外すことを――《天授具》を、使うことを躊躇った。……いや、恐れた。
自分がまた化け物になってしまうと、恐れたせいで……皓太郎を助けられなかった!
――心ですでに、勝負に負けていた。
折れてたのは足だけじゃなく、心もだった。
……そう思うと、段々と自分に腹が立ってくる。
守るって……約束したのに……!!
「……こういうさ、リョナ?ってやつ、俺大好きなんだよなぁ」
「うっわー悪趣味ー」
「ちょっとさ……そいつ、抑えててよ」
「…………うっ」
髪を掴まれ、地面に顔を押し付けられる。後ろからカチャカチャと、ベルトを外す音が聞こえる。
「ちょっとくらいはさぁ、楽しんだっていいよなぁ」
「あっ、ズル。終わったら次、俺にもその穴貸してよー」
「ぎゃはは!サイテーだわ、こいつら!」
「……」
残されていたハウザーを見るが、こちらには一切の興味を示さず、ただガムをクチャクチャと噛んでいた。不良たちをぶっ飛ばしたところで、コイツをどうにかしないことには、何も始まらない。
今はどうにかして、一刻も早く皓太郎を助けに行かないと……!
だけど私には、ただの不良一人振り解く力も出せない。体を押さえつけられていて、右足のリングを外すこともできない。
……ここは大人しく、チャンスを待つしかない、か。
「えへへ……」
クズ野郎どもの、下卑た笑い声が聞こえる。
私の純潔ぐらい、くれてやる……!
そんな覚悟を決め、受け入れていたところに、
「な、なんだよ、テメェ……!!」
後ろの方で、不良の一人が、狼狽えた声を上げた。周りの不良たちも、どよめき始める。
「なんだよ、アイツ……」「デ、デッケェー」「やべぇんじゃねーの?」
「…………」
私からは姿が見えないけど、まだ一言も発さないその人物から、凄まじい殺気を感じる。怒りで打ち震えているのが、空気感だけで伝わってくる。
一体、誰が、こんなところに……?
「お、おいっ!テメェえ!シカトこいてんじゃねぇぞぉぉ……!」
その人物に相対している不良は怯えているのか、強い口調でも声に覇気がなく、所々うわずっていた。
「……」
「……あ?」
だけど、その人物の体が微かに震えているのを見て、不良は何を勘違いしたのか、一気に強気に出る。
「はーん。さては、ビビってんだ?……んだよお前、デカいなりしてダセーなぁ!ヒーローぶってやって来たけど、怖くて何も……ん?」
その不良の顔の横を、何かが豪速で掠めた。
「ぶふぉっ……!!」
私の背後でベルトを外していた不良の頭に、それが思いっきり当たり、吹き飛ぶように倒れた。なかなか重量のある音がしたので、無事では済んでいないだろう。
「……あ」
ぶつかって地面に落ちたそれを見て……分かった。
それは、重りの入ったリストバンドだ――それを、常日頃から身に着けている人物を、私は知っている。
「……」
「て、てめぇ……がぁぁぁ!!」
目の前の不良の顔を万力のような握力で掴むと、なんと片手で持ち上げてしまった。
そして、ようやく沈黙を破る。
「……正義感、と言ったか?これから俺がすることに、大義名分はない。なぜならこれから俺がすることは、物にやつ当たるのと同じだからだ……!」
「ぐわぁっ!!……あうっ!……がっ!……ああ…………あっ…………」
掴んだ不良を振り回し、何度も地面に叩きつけた。段々と意識が遠のき、声がしなくなると、放り投げた。
他の不良たちがその驚愕な光景を目撃して息を飲む中、ハウザーだけは驚くように口笛を吹いた。
その人物――私の頼れる味方は、この場にいる敵すべてに向けて、叫ぶ。
「俺は今……貴様らが泣き叫ぶ顔が、見たい!!そうでなければ、もう治まりがつかんぞ……俺の腹の虫がな!!」
「「……!」」
不良たちは、たじろいだ。
武器を手にすらしていない、素手の高校生、たった一人に。
――でもそれは、正しい反応だ。
誰だって、殺気立ったクマや狼を目の前にしたら、恐怖するはず――それと同じだ。
なぜなら彼は、
「乱暴してやろう。……とくに俺の幹に手を出したやつは……死んだほうがマシだと思えるほどの、この世の地獄を味わわせてやる……!」
《白い暴牛》――廿六木操、なのだから。




