紅い瓣~「宿木幹」
やっぱり、やめとくんだったかな。
そんな後悔に苛まれつつ、全身から力を抜き、大きなベッドの上に倒れ込んだ。嗅ぎなれていないシーツの匂いが、少し鼻につく。
……こうなったら、もう、どうだっていいや。とにかく今は、休みたい。
「なんなのだ、ここは……!」
「…………」
一人カンカンに怒っている皓太郎は、雨で濡れた頭をタオルで拭いていた。
「この部屋に来るまで、誰一人従業員に会わなかったぞ!受付でさえ顔を隠している始末……!なんと不親切で不気味なことだろうか!……何がラブホテルだ!!愛がどこにある!?」
……色々と勘違いしてるけど、放っておこう。今は皓太郎に、ツッコむ気力すらない。
皓太郎が「ここにしよう」と、ラブホテルを指さした時は、さすがに躊躇した……でも、どうせ他意はないのは分かっていたので、のこのこ入ってしまったわけだ。私は構わないけど、皓太郎をいつまでも雨空の下に置くわけにもいかないし。
――それにとにかく、ここならひとまず休める。私たち以外に誰もいない部屋なら、皓太郎の護衛に気を回す必要もない。だから、私にも都合が良かった。
そして今、ラブホテルの接客に怒る皓太郎を無視して、一人ベッドを占拠していたわけだ。
「……雨が、ひどくなってきたな」
「……」
まだ窓の向こう側では、まだ雨が降りしきっているだろう。さすがと言える防音設備と、外の景色を塞がれたこのラブホテルからは、想像することしかできない。
また皓太郎を無視して、私は枕に顔をうずめた……今日は本当に、最悪の一日だった。
……見られた。みられた、みられた、みられた……!
あの『巨体の男』に対して、そうすることしかできなかったとはいえ、皓太郎にあんな姿を――私の醜い右足を、晒すことになるなんて!
「……いてて……」
態勢を変えようとしたら、折れた右足の骨が痛んで、思わず声を漏らした。すると、
「!どこか痛むのか!?」
それを聞き逃さなかった皓太郎が、取り乱していた……大げさすぎ。
「……気にしないでください。別に、大した怪我じゃないので……」
「……本当か?」
「ええ。……あなたが黙って静かに寝かせてくれれば、すぐにでも治ります」
「そうか……」
取り付く島のない皓太郎は、何も言えずにしょげていた。それでも皓太郎は、ベッドの近くにイスを持ってきて、座りだした。
「……」
「……」
互いに無言が続いた。皓太郎は私の言ったことを真に受けて黙りこくっていた。気まずいけど、私から言うことは、何もない。
そんな状況が数分続いたが、皓太郎が耐え切れず口を開いた。
「なあ、幹……お前が良ければなのだが、教えてはくれないだろうか?」
「……」
「……お前の、その……足の事を……」
やっぱり、な。誰だってあんなの見といて、スルーできるわけない。
――話したくなんか、ない。
だけど、こんな得体の知れない気味の悪い女、護衛としてそばに置きたくはないだろう。
仕方なく私は、説明責任を果たすべく、重い口を開かざるを得なかった。
「……皓太郎様は、《徒花百選家》、という言葉を聞いたことがありますか?」
「徒花?…………いや、初めて聞く言葉だ」
予想通りの返答に、心の中でため息をつく。一から説明するのは面倒だけど、仕方がない。
「……遡れば、四百年くらい前のことです。この国の裏社会で、汚れ仕事で生計を立てる、百に及ぶ旧家がありました。そいつらははっきりと言えば、人様に胸を張れない、ろくでなしども……殺し屋、呪い屋、喧嘩屋、剣客屋、人斬り屋、地上げ屋、情報屋、諜報屋、戦争屋、掃除屋、解体屋、始末屋、詐欺屋、偽装屋、攫い屋、壊し屋、武器屋……挙げてもきりがないですが、どれもまともな仕事じゃない。そんな汚れた家業で、この国の一時代に華を咲かせていた、そんなクソ野郎どもの総称を――《徒花百選家》と、呼びました」
「クソ野郎」と称したが、彼らの存在が必要不可欠な時代があったのも、また事実だ。誰かがしなくてはいけない「悪」を、汚れ仕事を彼らが担っていた――だからそんな彼らには、少なからず敬意はある。
――だが、所詮は裏の世界の住民。まともなやつらなはずがない。
「うむ……百もあったから『百選家』、というのは分かるが、『徒花』、というのは?」
「たまたまなのか、示し合わせたのか知りませんが、どの旧家も花や草木に関する屋号をしていたことから、《徒花》と呼ばれたんだとか。……有名なところだと、《彼岸》や《断華》、《打良木》、だとか」
「なるほどな……」
「ですが、そんな百もあった旧家も今では、半分がすでに消滅、残りも廃業や別の稼業に鞍替えし……今でも同じ家業を続けているのは指で数えるほど……だから、知らないのは当然です。人知れずひっそり、裏の歴史から消えつつある存在――それが《徒花百選家》」
いっそ、すぐにでも消滅してくれたらと、何度願った事だろう。
なぜなら……。
「……そして私は、そのろくでもない……!《徒花百選家》の一つ……《鳳仙》の末裔――『鳳仙幹』、ですから」
「……鳳仙、幹……」
――とうとう、皓太郎に言ってしまった。穢れている、その名を……。
そして、投げ槍な私は、続ける。
「……私の足のこと、知りたいんですよね?わざわざこんなクソ長い前置きに付き合ってくれてありがとうございました……ここからがようやく、本題です」
この右足は、私の家――つまりは、《徒花百選家》の《鳳仙》が、関わってくる。
「《鳳仙》の女は、みんな体のどこかに、痣を持って生まれて来ます――それは紫色で、毒々しくて禍々しい、醜い痣が」
「ん?だが、幹のは……」
皓太郎が私の右足に視線を落とす。確かに、私の右足に広がる痣は、紫色じゃなくて、紅色だ。
――だけど、ひとまずスルーして、話を続ける。
「その痣は、はるか昔に呪われてできた、いわゆる一族の呪い、というやつです。……どこぞの誰に恨まれてそうなったかは知りませんが、仕事柄、心当たりは星の数ほどあるでしょう。とにかく、《鳳仙》に生まれた女は例外なく、その呪いによる紫色の痣を、体の一部に宿して生まれるようになったんだとか」
過去の一族の禍根が、こうして代々まで受け継がれているのだから、本当にいい迷惑だ。
こんなことをいきなり聞かされて混乱しているはずの皓太郎は、私の話をよく吟味しながら、恐る恐る質問してくる。
「その……呪いというのは、痣が残るだけ、なのか?」
「いえ、死にます」
「…………なに?」
「その痣を放置すると、一年と経たずに死に至るそうです」
「……」
私のさらっとした返答に、皓太郎は絶句していた。
――だが、それが事実なのだから、仕方がない。
「でも、私はこの年になっても死んでいないでしょ?」
「た、確かにそうだ!」
《鳳仙》には、それを対処する術があった。
「《鳳仙》家では《忌み初め》と呼ばれる儀式があります。護摩行のように、火を焚いて、痣が出た部分を焼き祓い、祈祷することで、呪いを克服するのです。そして、紫色だった痣は、紅く変色し、《鳳仙》という名の通り、ホウセンカのような痣になるんです」
「か、体を焼くだと……!?」
「はい。私はこの右足を……妹なんかは、額から両まぶたにかけて焼かれました……赤ん坊の時の事なので、痛さも何も、その時の記憶が一切ないのが、幸いですけどね」
「なんと……」
「そうしないと今こうしてこの世にはいなかったわけですから、それで家を恨んだことはないですけどね」
「…………」
ついには皓太郎も、黙ってしまった。彼にとって、よほど信じられない話だろう。だから、こんな話は、誰にも話したくはなかった。
――でも、踏み込んできたのは、皓太郎の方だ。勝手に落ち込もうが、私に失望しようが、最後まで聞いてもらう。
「そして、《忌み初め》を受けた《鳳仙》の女は、それぞれ特殊な力に目覚めます――それを、《天授具》と呼びます」
《天授具》――天から授かりし武具。それが、《忌み初め》によって呪いの痣から解放された、《鳳仙》の女が持つ力だ。
そして痣が出た体の部位によって、目覚める力も違う。
力で劣っていたはずの、あの《巨体の男》をねじ伏せた怪力――それが私に授けられた、《天授具》。
しかしそれは、あくまで副産物であって、能力の一部に過ぎない。
「私の場合、この右足が焼かれたせいなのか、右足の血が常に沸騰するほど熱くなる……という力でした」
右足に常に包帯を巻いていたのは、他人にこの痣を見られたくない、という気持ちもあるが、それよりも誰かがこの右足に触れてしまって火傷させないための、簡易的な処置でもある。
『巨体の男』の頭を両足で挟んで地面に叩きつける「フランケンシュタイナー」をぶちかました時も、右足に触れていた部分が火傷で赤く爛れていた。
地味な《天授具》だが――その熱が、ある副作用を生み出す。
「右足を通過してできた熱い血が体内に回ると、心拍数の上昇とともに過剰なアドレナリンが放出されます。それによって反射神経、動体視力、身体機能の向上――新陳代謝も異常になって、怪我の回復が他人より何十、何百倍も早くなります」
かすり傷や切り傷程度なら、数分で閉じてしまうほどだ。
身体能力向上と、新陳代謝による超回復――でも、それだけじゃない。
「そして過剰なアドレナリンは、痛みに鈍くなるのと同時に、力のリミッターを外してくれます。いわゆる、火事場の馬鹿力ってやつですね。本来生き物というのは、自分まで傷つけてしまわないように脳が力を抑えているそうですが……私ならその限界を超えて、桁外れの力を振ることが可能なんです」
あの時、『巨体の男』に頭突きして額が切れてしまったのは、そのせいだ。とてつもない力を使えても、肉体の方は限界は超えてしまうので、裂傷や打撲が絶えないが、受けた痛みをゼロにすることはできなくとも、ほとんど痛みは感じないし、軽い怪我ならすぐに治ってしまう。
だから、気にせず思うがまま、力の限りで攻撃することができる――限界を超えた、怪力を。
右足の金色のリングにそっと触れる。
このリングは、熱い血を全身に流さないための、ダムとしての機能を果たしてる。うっ血するほど、きつく締め付けている――こうでもしないと、日常生活に支障が出てしまい、他人と同じような生活が送れないからだ。《忌み初め》を受けた赤子の頃からこうしているから、私にとっては当たり前のことだ。
「……間違っても、力が暴走、なんてことはないので、皓太郎様に危害を加えることはありません。安心してください」
一応、フォローはいれておく。まだ、護衛の任を外されるとは決まったわけじゃないし。
それに対して皓太郎は、
「ああ、分かっている。幹なら大丈夫だろう」
「……」
一つ返事で、受け入れていた。
……妙に信頼を置かれるのも、困ったもんだ。こちらとしては、皓太郎をただの雇い主ぐらいにしか、思ってないのに。
「はぁーあ…………」
ベッドの上で仰向けになり、腕で顔を覆う。
今は皓太郎に拾ってもらったリングをつけたことで、落ち着いてきている。まだ全身に少し熱が残って、火照っている。それにアドレナリンが切れたことで、疲れがドッとやって来た。今まぶたを閉じれば、秒で眠りに落ちるだろう。
……これ以上長く《天授具》を使っていたら、間違いなく気絶していだろう。
ただの軽自動車に、スポーツカーのエンジンを積ませて、無理やり時速二百キロ出させているようなものだからだ。体がぶっ壊れてしまっても、おかしくない。
それを防ぐために、強制的に気絶させて、アドレナリンの過剰な分泌を防ごうとする、いわば脳の防衛機能、と言ったところか。
「……ほんと、ままならない…………ままならない、なぁ……」
もう説明も終えたことだし、このまま眠ってしまうおうかと――思った矢先、皓太郎が口を開く。
「……お前の話は分かった。隠していたことを私に話してくれたことを、感謝する。ありがとう」
「いえ、別に……」
「だが、納得できないことがある。お前がその右足を……恥じる必要はどこにもないのではないか?お前はその力を正しく使い、そして今日も私はお前に助けられた。もっと自分を、誇っていいのではないか?なぜなのだ?」
その言葉で、眠りに落ちかけていた私を、無理やり現実に引き戻す。寝たまま顔だけを、皓太郎に向ける。
「…………なんのことですか?」
皓太郎は少し沈黙したのち、躊躇いながら私に言う。
「先ほど、足を焼かれたことで家を恨んでいないと、そう言ったな?……だが、お前が《鳳仙》の家について話すときの表情には、並々ならぬ憎悪を感じたのだが、私の気のせいか?」
「……」
「お前はずっと、苦しそうだ……痛みのせいでなければ、それはなぜだ?」
それは気のせい……などではない。
きっと私は、苦虫を嚙み潰したような顔をしていたのだろう。
――この右足を焼かれたことは、恨んでいない。でも、あの家に生まれてしまったことには、心底恨み続けている。
あんな、くそったれの家のことを――父親のことを、思い出して。
……ああ、やっぱり、イライラする。
皓太郎を前にすると、いつもそうだ。
何も知らないくせに。恵まれているくせに。
これから先のことを、誰であろうと話すつもりはなかった。……だけど、体の疲れとまだ冷めやらぬ興奮のせいか、溢れ出す怒りを鎮めることができない。
そんな、思いの丈をぶつけるように――あの忌々しい私の過去を、彼に語った。
※
「三年前のこと……私が、中学生になったばかりの頃です。
私は昔からあのゴミク…………父親に、家にある道場でよく稽古をしてもらっていました。いつも父親に教えられながら、兄とともに楽しく、だけど真剣に取り組んでいました。
――それまで私は、何のために道場で武術の稽古をさせられているのか、分からずにやっていました……いえ、分かろうともしませんでした。《鳳仙》のことなんてまだよく知らなくて、稽古だってスポーツのようなものだと、そんな気持ちでいました。
父親は普段からやさしく、声を荒らげたり、怒った所を見たことがなかった。ただ私が興味を持って稽古に取り組むことを喜び、なかなか上達できなくても、できるまで何度も丁寧に教えてくれました――身体中包帯だらけで、見てくれは気味が悪いけど……いい父親だと、思ってました。
それとお兄ちゃ……ゴホン……兄と試合形式の組手をするのが、ただただ嬉しくて仕方なかった。年が違くて全然勝てないけど、そんな兄にいつかは勝ってみたい……兄は憧れであり、目標でした。いつだって、そんな兄の背中を追い掛けていました。兄のやることなすこと、何でも真似したがって……稽古を始めたのだって、そのせいだったかも。
……だけどその日は、いつもと違いました。
中学生の私は、父親に言われました――『そのリングを外していい』、と。今ではもう考えたくもないけど、私は、その一言で大喜びしました。赤ん坊の頃からつけているとはいえ、いつも何か押さえつけられているような感覚――もどかしい感情が、心の奥にずっとあったからです。それまで家族からも、絶対に外さぬよう、きつく言われてて、律儀にそれを守っていましたから。
そしてその日、生まれて初めて、リングを右足から外しました――ついに、待ち焦がれていた瞬間が。
身体が一瞬で熱くなって、感覚がフッと消える感覚――《天授具》の副作用を、初めて味わった日。
――でもそれが、悲劇の始まりでした。
そのせいで、今まで見てたものが、すべてまやかしだったと、気づかされました。
いつも兄に簡単に受け止められていた、私の力いっぱいの一撃が――目にも止まらぬ速さで、兄を吹き飛ばした。
私は……自分の目を疑いました。
なんなんだ、これは……と。
兄は壁に叩きつけられ、倒れ込むと血反吐を吐きました……内臓が、破裂したんです。
私は……自分のしでかしたことに頭が追い付かず、呆然としました。
……それなのにあの父親は!!ただ、一笑していました。そして戸惑う私の腕を乱暴につかんで、兄の前まで連れてきました。
血を吐いた兄を近くで見たとき……震えが止まりませんでした――私は、とんでもないことをしたのだと。
それを……あのクソ親父はっ!!
私の、燃えるように熱いはずの右足を、平然と掴んでみせて、喜んでいました。私は恐怖と混乱で、されるがまま……その時のクソ親父の言葉なんて、何も耳に入りませんでした。
そして、まだ苦しみながら四つん這いで血を垂らす兄の道着に手をかけると――私の熱を帯びた右足を、その背中に押し当てた!!
声にならない叫びをあげる兄と、必死に泣き叫んで乞う私――クソ親父はそれを、ただ笑っているばかり。まるで悪魔か化け物のような、人でなし!……あんな人間だったなんて、知りもしませんでした。
思い出すだけでも、気持ちが悪い……。
……そんなことがあったにもかかわらず、兄はそれからも普段通り、私に接してくれました。本当に、やさしい兄です。
だけど、それを私は……あの日の後ろめたさから、心を閉ざしました。あれほど大好きだった兄を、遠ざけるように……変わらず笑顔で話しかけてくれた兄に対して私は、ためらって、ぎこちなくて……そうしていつの間にか、会話はなくなりました。
――だから、この右足が嫌なんです。
私がそれまで大切だと思っていたものを、何もかもぐちゃぐちゃにしたから。
大好きだった兄とは心から笑い合うことができなくなって、穏やかでおっとりしていると思っていた母親は、《鳳仙》に関わるすべてのことに口出しできない、ただの操り人形だったと知り……そして、尊敬していた父親は――人でなしだった!!
だから、あのクソ親父が――あの家、《鳳仙》が嫌いだ!!
……兄は去年、大学生になって、一人暮らしをすることになって、家を出ました。
でも、去年の夏休みを境に、突然姿を消しました。それを知った時には、もう大学を退学していて、アパートもすでに引き払っていた後でした。私たち家族には、一言の相談も無しに……姿をくらまして、今も行方知らず。
――とにかく、何でもいいから、お兄ちゃんに会いたい。
無事でいてほしい。
何を話したらいいか分からないけど、ちゃんと会って、話しがしたい。
私にできる事なら、なんでもしたい。
私のせいなら、償わせてほしい。
――だから私は、兄を探すために、あの家を出ることを選びました。兄を探し出すために、金を稼ぎつつ、一人で探すための時間が欲しくて……社長に頭を下げて、働かせてもらって……。
だから、この仕事に、情熱だってない。
あの『巨体の男』が現れた時、私はすぐに《鳳仙》の力を――《天授具》を使えばいいものを、躊躇いから二人を危険にさらしました……この右足を見られたくがないために……二人よりも自分のことを優先したんです。
……つまり、私はそういう人間だったんですよ。
あの家が……あのクソ親父が嫌で逃げ出して、この右足がずっと怖くて、お兄ちゃんも全然見つかんなくて……《鳳仙》の事、この足の事、兄の事……仕事だって、何もかも、中途半端。
所詮私も、あのクソみたいな一族の――人でなしだったって、ことですよ」
あの日のトラウマのせいで、私は他人と距離を取るようになった。
小学生までは友達はそれなりにいたけど、あの日を境に、中学の私は孤立した。兄だけではなく誰に対しても、上手く笑えなくて、必要に駆られない限り、私から誰かに話し掛けることをしなくなった。
他人と触れ合えることが、できなくなっていた。――これは潔癖症のせいだと、自分をごまかして生活した。思春期をこじらせているだけだろうと、周りからは思われていたかもしれない。
あの家で唯一心を許せる、妹の枝に言われたことがある。
「お姉ちゃんのそれは、潔癖症じゃなくて対人恐怖症、だよね」
その通りだ――私は、自分が汚れることが嫌なんじゃない。他人を汚したくなくて、触ることができないんだ。
意図しない接触なら、できる。例えば、電車の中でとっさに手を引いて移動した時や、アホなことを抜かす操の頭をはたいたり……だとか。
だけど、握手やハグのような、これから相手と身体的な接触をするという状況になると、身構えてしまい、体が動かなくなる。
これが、悪意を持った相手なら、遠慮せずにぶん殴れるけど……。
――時々、傷んだ毛先をいじりながら、ぼうっとすることがある。
昔は短くしていた髪も、あの日から髪を切りに行くこともできず、伸ばしっぱなしだ。
切っても切れない、私の中に流れる《鳳仙》の血と、呪われたこの右足――そして、兄を傷つけたことへの負い目。抜け出せない呪縛と、しがらみ。どれだけ時間が経っても、きっと、一生逃れることができない。
……私はずっと、こんな人生を歩まなくちゃいけないのかな。
そしていじる枝毛を、爪で切り取った
※
「…………」
「……ったく」
皓太郎は私の話をすべて聞き終えると、すっかり意気消沈してしまった。
やっぱり、他人にこんな話、するべきじゃなかった。
「……つまりはですね、私があなたの護衛をしているのは、自分勝手な目的のためだということを、覚えておいてください。元から馴れ合う気はなかったし、それにこんな……世間知らずな坊ちゃんの面倒を見るつもりもなかったんですから……適当に三年、楽に仕事をこなして、自分のやりたいことをやれればいいって……それなのに、こんな面倒ごとに付き合わされて、ほんと、こっちはいい迷惑です……」
「…………すまない」
「……」
別に同情などしてほしくなくて、皓太郎に嫌な態度を取った。これ以上話すことはないし、皓太郎に背を向けて、また黙った。
だけど、皓太郎は突然、
「……シャワーを、浴びてきてもいいだろうか?」
「…………どうぞご勝手に」
「そうか……助かる」
そうして椅子から立ち上がると、服のボタンに手を掛けながらシャワー室に向かう。タオルで乾かしたとはいえ、体が冷えてしまったのだろうか?……どこまでも、マイペースだな、ほんと。
シャワー室はラブホテル特有の、全面透明のスケスケの壁で、こちらからでも丸見えだった。それでも、皓太郎はシャワー室前で躊躇なく服をすべて脱ぎ、シャワー室へ入った。……金持ちというのは、下々の者に裸を見られても、恥ずかしいと思わないのだろうか。こちらも別に見たくはないので、頭から布団をかぶって、狸寝入りした。
……もしかしたら、明日からの護衛の仕事、外されるかも。
だって、こんな面倒で危険な地雷女、そばに置いておきたくないだろうし……。
そんなことをふと思いながら、聞こえてくるシャワーの音が心地よくて、諦めの気持ちになった私は、睡魔に誘われてしまった……。
兄の行方は、未だ掴めない。
自分なりに兄に繋がりそうなものを調べたり、ネットやSNSを使って、少しでも手掛かりがないかと、必死に探してる。もちろん、情報屋に金を払って調査もしてもらっているが、それでも、兄の行方に繋がる情報は、一つも出てこない。
どこへ、雲隠れしたのだろうか?
……もしかしたらと、考えたことも、ある。
だけどそんなはずはないと、否定する。この目で兄の姿を見るまでは、探すのを諦めない。
最悪、見つからなくったって、いい。兄が、そう望んでいるのなら。
――だから、生きてくれていれば、私はそれで……。
「…………っは!」
少し、ウトウトしてしまった。狸寝入りどころか、本当に眠っていたようだ。
こうして誰かと同じ空間にいて眠るのは、久しぶりだった。男と二人きり……しかもラブホテルにいるのだから、警戒するべきだろう。でも、皓太郎だからと、すっかり安心しきっていた。万が一にも、男女の行為になどなるわけがない、が……だとしても、一応今は仕事の最中だ。これでは怠慢が過ぎる。
皓太郎が体を拭いてシャワー室から出てきたところで、目が覚めた……いけない、いけない。眠りこけている間に、どこかに行かれてしまう可能性だってあるんだから、これではダメだ。
両頬を叩いて、頭を覚醒させようとしていると、皓太郎が声を掛けて来る。
「なあ、幹。ちょっといいか」
「…………なんですか」
また何か、分からないことでもあったのだろうか?
皓太郎がホテルにあったバスローブに身を包んで近づいてきたので、布団から頭を出した……だが、
「………………へ?」
そこにいたのは――絹のように綺麗な白髪に、珍しい琥珀色の瞳をした、青年だった。
驚いて、ベッドの上で跳ね起きる。
「…………だ、誰!?」
「分からないか?」
その髪の色も、その瞳の色も、私はこれまで見たことがない。初めて見る人だ。
……だけど、その声、その顔つきを、私は知っている。さっきまで一緒だった人物と、瓜二つ。
「こ、皓太郎……様?」
「ああ、そうだ、私だ……コウだ」
ちょっとしたイタズラがバレたような、無邪気に微笑んで答えたのは――彪皓太郎、その人だった。




