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白には戻れない

 皓太郎が螢陵高校に転入してきた日から――もうなんだかんだと、一か月が経った。あれから何事もなく、ただ日々が通り過ぎってた。まるで、あの初日のてんやわんやが嘘みたいに。平和過ぎて、退屈で仕方がなかった。拍子抜けもいい所。……少しは楽しめそうかもと芽生えていた気持ちも、もうどこかに消えてしまった。

 特にこれと言った事件はなかったが、皓太郎が男子トイレにいった時、タバコを吸いながらたむろしていた不良上級生たちがカツアゲしてきたので、軽くシメてやったり、皓太郎のロッカーに毎日、「一目惚れです!付き合ってください!」と、ストーカーまがいのラブレターを送ってくる女子生徒がいたので、皓太郎が読む前に抜き取って、「アタシの男に手を出すな」と全部書き直して送り返してやった。

 私がどうしても皓太郎のそばを離れなくてはいけない時のために、防犯ブザーを持たせていたら、それが一度、鳴り響いたことがあった。慌てて駆けつけると……操が皓太郎に詰め寄っていたので、頭を引っぱたいてやった。

 ……まあ、それぐらいのもので、まったくもって、平和そのものと言っていいだろう。……何もないというのは、本来喜ぶべきことなのだろうけど。

 それに、予想外だったことが一つ――皓太郎は私と違って、クラスにとても馴染めていたことだ。クラスメイトには、皓太郎は帰国子女で通していたが、やはり世間知らずなところは、どうしても隠し通すことはできなかった。共通の話題やあるあるが、一つもないから仕方がない。

 ――でもそれを、みんなと感覚がズレていておかしい、ではなく、いわゆる「天然ボケ」、という風に受け取られ、面白がられたのだ。

 私は、皓太郎が金持ちだから、世間知らずだからと、決めつけて心配していたけど、それは大きな間違いだった。皓太郎の人間力――つまりは人としての魅力が、クラスのみんなと打ち解けられたのだ。どんな生まれで育ちだったとしても、こうして他人と仲良くなれる。そんなことを、改めて思い知らされた。

 ……それじゃあ、私は一体何なんだよ。……これ以上深く考えても落ち込むだけなので、やめる。別に、他人と仲良くなるために学校にいるわけじゃないし。そもそも、学校にいるのは仕事なんだから、仕事。

 心の中でみっともない言い訳をしつつ、護衛という名の、坊ちゃんのおもりをこなして、平穏無事な日々が淡々と通り過ぎていったのだった……。




「……うーん。……さすがに腹、減ったなぁ……」

 今日は日曜日。休日だけど、平日と同じように朝の六時に目が覚めた。昨夜は食事をキャンセルしたので、空腹で目が覚めた。起き抜けにキッチンへ。腹を満たすため、何かないか冷蔵庫を開ける。ネット通販で買いだめした水が、ぎっしりと詰まっているだけ。後は調味料以外、まともなものがない。仕方なく水を一本と、後はいつでも食べられるように買っておいた栄養補助食品を手に取ってリビングへ。ニュース番組をつけ、視聴しながら食べる。固形でパサパサした食品を水で流し込むと、一気に腹が膨れた。これで朝食はお終い。いつもだいたいこんなもん。食べる行為そのものが面倒臭くて、腹が多少満たされればそれで満足。

 今朝のニュースも、朝から気が重たくなるものばかりだった。まずは、今この国で社会問題に発展している『転生クラブ』。主に小中学生の間で起きている事件で、学校のクラブ活動ではなく、学校裏サイトで仲間を集めてできたのが、『転生クラブ』と呼ばれ、その活動内容は、「死ねばみんな、異世界に転生することができる」という――集団自殺を目的としたクラブだった。夜の学校に集まって忍び込み、オーバードーズや手軽に買えるシンナーなどで気分を良くし、練炭で全員窒息死した事案や、一緒に手をつないで校舎の屋上や駅のホームから飛び降りるなどの事案が起きている。今はまだ首都圏を中心としているが、それを模倣する集団が今後全国各地で現れるのではないかと、危惧されている。

 次のニュースは、こちらも世間を騒がしている、強盗『矍鑠(かくしゃく)団』だ。なんでも、六十代以上で構成されている強盗グループで、全国で被害が多発。グループの構成規模は千人はくだらないとか。そして先日、若い夫婦と子供の家庭に金銭目的で押し入り、一家を惨殺した――犯人の老人は捕まったが、一切黙秘。こうして末端の人間を捕まえたところで、残りわずかな余生を牢屋で過ごせばいいという思考からか、誰一人『矍鑠団』についての実態を話す者はいない。だから厄介だった。

 『矍鑠団』のリーダーが誰なのか。そもそも本当に存在している集団なのか――警察ですらまったく実態がつかめていないのが現状だ。

 若者たちはこの社会に夢も希望も見い出せず、ここではないどこかを求めて死を選び、一方で老人たちは、そんな若者たちから奪ってでも今日を生きようとする――今朝のニュースは、まさにこの国の現状そのものだった。

 毎日毎日、政治家の汚職や警察の怠慢、犯罪率の増加、経済の低迷だとか……こんな話ばかり聞かされたら、誰がこんな国に希望を持てるだろうか?

 それでも、生きていくしかない――だから、()()()みたいな存在が、必要なのかもしれない。

「……ん。もうこんな時間か」

 今日は珍しく、街で人と会う約束をしていた。移動に時間もかかるし、早めに出発しておきたい。……その前にシャワーでも浴びよう。『コンビニ店員、大手柄!!』というニュースが流れたところでテレビの電源を切った。




 私が住んでいるのは、鷺沼蓮次の会社であり、私の勤め先である派遣会社――『イクイプメント』。建物は高層ビルであり、一階から十階までが職場で、それより上の階は従業員の寮になっている。人によっては、朝起きてエレベーターで降りるだけで、職場に直行できる。だが大半は、私のようにどこかに『派遣』されていて、各々の仕事に精を出している。表向きは派遣会社と名乗っているが、一般人が知る派遣会社とは、だいぶ違う。

 『イクイプメント』――つまりは『道具』という意味だが、なぜこんな名前にしたのか、蓮次に聞いたことがある。

「ボクたちは客人が求める時、最高の手足となり、道具となって手助けするのが、ボクたちの使命だ。――そうボクらは、神様が作った最高傑作なんだ――間違っても、お客様は神様なんかじゃないし、ボクらはそれにかしずく信者でもない。もちろん、言葉を話せない道具でもない。気に入らない奴はこっちから願いさげだし、いくら金を積まれようが嫌なら断る――相手も人間、こちらも人間、てね」

 ……なんだとか。正直まだ、「働く」ことについてよく分からない私には、その話はピンと来なかった。

 お金をもらっているのだからまじめに働くのは当たり前なのと、()()()に帰らないため――ここで置いてもらうために、言われたことをしっかりこなしたいだけだ。仕事に対する美学だとか、情熱だとか、そんなものは何一つ持ち合わせていない。

 蓮次に言われた通りに、私は彪皓太郎を、護衛するだけ――皓太郎がどこの誰だろうとか、深入りするつもりは毛頭ない。依頼者に興味を持つなどもってのほかだ。それがこの仕事をするための、最低限のルールだと私は勝手に思っている。

 それ以下も、それ以上の感情も、必要などない。




 部屋を出てエレベーターで下に降りる。エントランスに出ると、休日にもかかわらず様々な人が行きかっていた。窓際のテーブルでは、座ってコーヒーを飲む者、スーツ姿でなにやら商談している者までいた。こうしてみると、どこにでもある普通のオフィスビルのようだが……裏では、請負人、便利屋、人材派遣会社だとか、呼ばれているような会社だ。普通なわけがない。

 受付に向かって軽く会釈をして通り過ぎようとした……が、受付の女性が、必死に手招きしていた。なんだろうと、近づく。

 受付をしているのは、中年の女性で、「住吉」という。会社の人間とはほとんど関わりがない私にとって、数少ない面識のある人物だ。どこにでもいそうな、おしゃべり好きのおばさん、といった感じ。

「ちょっと幹ちゃん!お客さんお客さん!」

「え?私にですか?」

 誰かが来るなんて話は聞いていないし、そもそも、私を訪ねてくる人間なんて、今までにない。

「ほら、あそこの!」

「ん……?」

 住吉が手で示す先、窓際のテーブル席に、再度目を向ける。

 その中に……白いジャケットにジーンズ姿、サングラスをかけた皓太郎が――はあ!?なんで!!

 思わずズッコケそうになるのを耐え、代わりに顔は引き攣っていた。

「もしかしてなんだけど、あのカッコいい彼……幹ちゃんの彼氏さん?」

「いやいや、違いますよ。その……ただの同級生です」

 同僚とはいえ、他の人に自分が今している仕事の内容を伝えるのはいかがなものかと思い、適当に濁す。

 ――それにしても、もし仮に皓太郎が彼氏だとして、私がこんな仕事をしているだとか、会社の場所を簡単に教えるような、リテラシーの無い人間は即刻クビだろう。そんなこと、するわけがない。だからそもそも、住吉の指摘はおかしいのだが……彼女は、自分の会社がどんなことをしているのか、ちゃんと把握しているのだろうかと、不安になってくる。

「あら、おばさんったら早とちり!?やだもー、ごめんなさいねぇ~」

「あはは……」

「でも、幹ちゃんもちゃんと青春してるようでおばちゃん安心したわ!今日のデート、楽しんで来てね!」

 だから違うって!……と、心の中でツッコミを入れといた。

 ……とりあえず、嫌な現実(皓太郎)に立ち向かおうか。ため息をつきながら、近づいて声を掛ける。

「……なんでいるんですか?皓太郎様」

 英字新聞を読んでいた皓太郎は、「だから、様はいらん。コウと呼べ」と、いつもの決まり文句を言い、顔を上げた。

「おはよう、幹。たまたま今日は何も予定がなかったものでな、ここで待っていればいずれ会えるだろうと思っていたのだが……うむうむ、予想通りだったな」

 何が予想通りだ。私が無視してエントランスを出ていたら、どうするつもりだったのだろうか、この人。ああ、気づかないフリしとけばよかった。

 皓太郎は新聞を畳み、ラックに戻してくる。

「よし。それでは行こうか」

「……」

 当たり前のようについて来ようとする皓太郎に、喉から出かかった罵詈雑言を飲み込み、オブラートに包もうとしていると、「送るよー」と、いつも皓太郎を送迎している先輩社員の「駒込」が気前よく車を出してくれた……というか、この人が皓太郎を会社まで連れてきたのだから、この人のせいでもあるのだが。あれよあれよと流されるまま、目的地に到着した。

 待ち合わせにしていたファミレスに降ろされ、迎えの車について「できれば夕方まで時間潰してねー。それじゃー」と言って去っていった……どうやらこの後、競馬場に行くらしい。実にいいご身分だ。

 約束の時間までまだちょっとある。皓太郎も朝食は済ませてきたそうなので、ドリンクバーだけ頼む。「どれでもいいのか!?」と、皓太郎は目を輝かせていたが、初めに選んだのは結局コーラだった。どうやら、駄菓子屋で飲んだ時に気に入ってしまったようだ。私も飲み物を手にして席に座ると、気分良さげにコーラを口にしていた皓太郎を、問い詰めた。

「……それで、どーして今日来ちゃったんですか?それに、土日は護衛の仕事はないはずですよね?」

 流されてここまで来てしまったが、タダ働きなどするつもりはない。せっかくの休みの日、いつもの様に周囲に気を配りながら皓太郎を護衛するなんて、真っ平御免だ。

「ん?蓮次にはとっくに伝えたのだが、まだ聞いていないのか?」

「は?何を……」

 するとタイミング良く(?)ケータイが振動した。取り出して画面を睨むと……まさかの、蓮次だ。内容は、「《ごめん。もしかしたら時差で連絡遅くなったかもしれないけど、日曜日にこうたろうくんの護衛で、休日出勤頼めない?無理だったら直接本人と相談してね☆よろしくー》」……だと。

 時差なんてあるわけねぇだろーが!それは時差ボケじゃなくて、お前の頭がボケてるんじゃ!

 あからさまなため息をついてみせて、答える。

「たった今、聞かされました……今日の件は、断ってもいいんでしょうか?」

「何か予定でもあったか?」

 白々しく、聞いてくる。

「はい。今日は、友達と会う予定があるので、残念ながら」

「おお、なら丁度良い。私もその友人に会うつもりで来たのだ。奇遇だな。ついでに頼むぞ」

 何が奇遇、だ。何がついでに頼むぞ、だ。分かってやって来たんだろうが。「次はめろんそーだ、というやつにしてみるか」と、席を立って行った。

  ……この、マイペース坊っちゃんはいったいどうしたものか。




 待ち合わせていた人物が、やってきた。

「幹ちゃん、お待たせー……って、えええぇ!?どうしてコウ君も!!」

「あ、おはよー。しとねさん」

「今日はよろしく頼むぞ、しとね」

 私と、えらそーに腕を組む皓太郎を見て、彼女は驚いていた。私はまず、謝る。

「しとねさん、ごめんねコイツ、どうしても今日ついて来たいって、聞かなくってさ……」

「ああ、厄介になる」

 この一か月で、他人の前で皓太郎に対してため口を使うことには慣れてしまった。気にしていたのが馬鹿馬鹿しいと思えるほど、皓太郎は能天気な男だった。

「えっと、あっと……うん。そ、そうなんだね……あはは」

 そう言って彼女――しとねは、ズレたメガネを戻しながら、苦笑いを浮かべた。

 ――そう。今日待ち合わせしていたのは、電車でナンパ男たちから助けた、あの女子高生だ。

 あれからもほとんど毎回、帰りの電車で顔を合わせるようになり、「改めてお礼がしたい」と、事あるごとに言ってきた。会うたびにそう言われるので、段々申し訳なくなり、今回予定を立てて会うことになったのだ。

 当然、皓太郎も誘われていたが――街中に連れ出すわけにはいかないし、皓太郎の事情を彼女に伝えるわけにもいかないので、「女性だけで買い物した方が色々気を使わなくていいし、何か一緒に選んでプレゼントしましょう」と、気を使って約束を取り付けたのだ。しとねは女子校育ちだからか、普段から父親や教師以外の異性とはほとんど接触する機会がないからか、皓太郎と話す時、目が泳いでいたりよく言葉を噛んだりと、挙動不審に見えた。そんな彼女のためにも、私と二人で行くのが最適だと思ったのだ。

「……迷惑、でしたよね?」

「そ、そんなことないよ!コ、コウくんにもお礼がしたかったから、良かったよ!」

 ほんと、優しい人だなぁ。

 気を使っている姿に、申し訳なくなる。

「ほら、しとねもこう言っているだろう?」

「……」

 皓太郎にもぜひ、しとねの謙虚さを学んでほしいものだ。

 しとねは皓太郎と並んで座ると、終始「はわわっ……!」と、ずっと落ち着かない様子で、ズレたメガネを直すより、髪形をすごく気にしていた。

 ……それにしても、こうして二人並んでいると、とても絵になるなぁ。美男美女の、お似合いのカップルのようだ。今日のしとねの服装は、季節に合わせたブラウスとスカートで清楚系に落ち着いているし、可愛らしい小さなバッグが、いかにも女子、って感じ。私はこの先知る由も無いだろうが、大きな胸の女性は体型が太って見える服装になってしまうそうで、服装を選ぶのも一苦労だろうだ。それで、ここまで着こなせているのは、ひとえに彼女の努力の賜物か。

 それに比べて私は、Tシャツ・ジーンズにキャップを被って、財布とケータイをジーンズのポケットに突っ込んだだけの、ラフそのもの。努力や女子力なんてクソくらえと、真っ向から挑んでいくスタイル……私も彼女から、学んだ方がいいな。

「よし、次は何にしようか……」

 皓太郎は、次に何を飲もうか思案している。しとねが来るまでにすでに五杯も飲んでいるが、まだ飲むつもりなのか、コイツ。

「……混ぜたら、良いんじゃないっすか」

「おお!それは思いもしなかった!さすがだな、幹!」

「いや、それはやめた方がいいんじゃ……」

「よし!では行ってくる!」

「……べぇ」

 しとねは止めたが、皓太郎は聞く耳持たずでドリンクバーへと向かった。私は背を向けて舌を出した。……今日だって急に護衛の仕事に任されたんだ。これぐらいのイジワル、許されたっていいだろう。

 はあ……ったく。皓太郎と一緒にいると、いつもこちらのペースが崩されてしまう。……正直、疲れる。

「……あのぉ、幹ちゃん」

「ん?どうしました?」

 しとねは皓太郎の方をちらちら伺いながら、小声で話しかけてきた。ちなみに、彼女は三年生なので、私は敬語を使っている。

「実は今日、コウくんが来ないと思って……相談したいことがあったのだけれど……」

「え?なんですか?今軽く言えることなら、聞きますけど」

 私も常に視界の端に皓太郎を入れて監視しながら、彼女の話に耳を傾ける。

「……実は、その、ね……」

 ためらい、ゴクリと唾を飲み込んで覚悟すると、蚊の鳴くような声で言い放った。

「…………コウくんのことが……その……気になっちゃって、いまして……」

 ……は?今、なんて?

 それを聞いて、私はフリーズした。

「あの時、私が電車で男の人たちに困っている時、コウくんが誰よりも先に止めに入ってくれて……それがすっ……ごく!!かっこよかったの!まるで王子様、だなぁって……!!」

「は、はあ」

 その時の情景を思い浮かべながら語る彼女は、実にうっとりしていた。

「も、もちろん!幹ちゃんもかっこよかったよ!お友達の人たちも!……でもやっぱりね、コウくんのあの姿が、忘れられなくて……お家でも、学校でも、どこでも、思い出しちゃうんだぁ……」

「あー……そーなんですね……」

 皓太郎に対して挙動不審だったのは、男に慣れていないからじゃなくて、皓太郎のことが好きだったからなのか。恋愛に疎い私じゃ、分かるはずもなかった。

 でも、これはヒジョーに困ったことになった。忘れそうになるが、皓太郎には、「必要以上に異性を近づけさせるな」という制限がある。日常会話程度は良いだろうと勝手に解釈して見過ごしたりしているが……色恋沙汰に発展させるのは、さすがにアウトだろう。

 どうやってしとねを傷つけさせずに諦めさせようかと、頭をフル回転させる。

 何か悪い所でも言って皓太郎の評価を下げるか……いや、あばたもえくぼというくらいだし、逆効果になる気も……そういう所も、「カワイイー」だとか言って。

 じゃあ、すでに私たちがカップルだということにするのは?……うーん、それは私が、なんかヤダ。

 ダメだ……!どれを選ぼうと心優しいしとねを傷つけてしまう。それが一番、できないことだ!

 あれこれ考えているうちに、皓太郎が飲み物を手にして戻ってきた。彼女は慌てて姿勢を正し、俯く。私があれこれ悩んでいるのに、呑気に飲み物で楽しんでいるのが、余計に腹立つ。

 ドンと、テーブルにコップを置いて、それを見せてくる。

「完成したぞ!これが私だけのオリジナルだ」

 何をどう混ぜたのかは知らないが、明らかにマズそうな色味をしている。まるで泥水のようだ。

「コ、コウ君。やっぱりだけど、それはやめた方がいいんじゃ……」

「さっそくだが、いただこう!……………………むぅ」

 答えは聞かずとも、その表情で十分物語っていた。ざまーみろ。




 皓太郎は何とか、自身が作り出したキメラジュースを飲みきり、口直しにコーラを持ってきた。「やっぱりコレだ……」と、しみじみと味わう。私はしとねのことに動揺して飲み物にも手を付けられない。そんなしとねも、横にいる皓太郎に気が気じゃなくて、頬赤らめていた。

 やっぱり、皓太郎を連れて来るんじゃなかった……!

 元凶(こうたろう)にバレないよう睨み、砂糖とガムシロップをドバドバ入れたアイスコーヒーを煽った。氷をバリボリ噛んでフラストレーションを和らげる。

 なんとか全員が落ち着きを取り戻したところで、しとねから口を開いた。

「あの……実はね、二人に聞いてほしいことがあるの」

「……え?」

 彼女が思いつめた表情でそう言いだした……まさか今ここで、皓太郎に告白するつもりじゃないよね?

「どうしたのだ?」

「うん、あのね……」

「あーっと!!その、ちょっと待ってください!その前に何か注文しません?私、お腹が……」

「……私、なんだか最近、誰かに跡をつけられているような気がするの……」

 ……それを聞いて、ガックリ。なんだ、さっきの相談とは別の事か……だけど、それはそれで一大事。咳払いし、真面目に聞く姿勢を取る。

「本当は今日、この話をするつもりはなかったの。だって、せっかくの一日を台無しにしたくなかったから……でも、もしかしたら、二人も襲われるかもしれないんじゃって考えたら、やっぱり伝えておかなきゃって……」

 彼女は顔を塞ぎ込み、目を潤ませていた。彼女に、そんな表情をさせちゃいけない……!

「そんなこと、気にしないでくださいよ!悪いのはしとねさんじゃなくて、そのストーカー野郎なんだし……むしろ、教えてくれてありがとうございます」

「幹の言う通りだ。お前は何も悪くないぞ、しとね」

「はい……はい!!」

 二人でフォローする。特に皓太郎の言葉には、喜んでいるように見えた。

 恋する乙女というものは、見ているこちらまで頬を染めてしまう……素直にその恋を応援できないのが、とても心苦しいけど。

 ――だけど一体どうしたものかと、みんなで考える。

 ストーカー対策なんて、蓮次や《イクイプメント》から、教わったことがない。皓太郎の護衛についてだって、テキトーなモノだったし……なら、どうするか。

 護身術でも教えて、身を守ってもらうべきか?……いや、しとねにはそういった荒事は不得意そうだし、今日一日で身につくものじゃない。とりあえず今日の買い物ついでに、スタンガンや催涙スプレー、防犯ブザーなどを買って持たせておこう。他には……何があるだろうか?

 おおそれならと、皓太郎が手を叩いて、私に視線を向けてくる……なんだ?

「私のように、蓮次の所に相談して……」

「おーい!!ちょっと!!」

「え?ど、どうしたの?」

 皓太郎の話を慌てて遮る。……コイツ、危ねー!

 そんなこと話したらしとねに、「れんじさんって、誰?私のようにって、どういうこと?」と聞かれるに決まってる。部外者のしとねに、護衛のことや私たちの素性をバラすわけにはいかない――それぐらい、分かれ!!

 ……でも私だって、しとねをただ見捨てたくはない。

「今のって、どういう……」

「ゴホン……それなら、そういうことを助けてくれそうな所を紹介することなら、できそうですけど……ってことだよね?皓太郎君!?」

「あ、ああ」

「そ、そういうことか!」

 勢いで話を押し切り、さすがの皓太郎も空気を呼んで話を合わせた。そうだ、それでいい。

 こうして第三者のふりをして、うちの会社を紹介ぐらいなら、いいだろう。

 だけど彼女は、首を横に振った。

「でも……そこまで大ごとにはしたくないの。私の勘違いかも知れないし……それに、こんなことでお父様とお母様に無用な心配を掛けたくはないので……」

「でも、こんなことと言って、もし大事になったら大変ですよ?」

「ですが……その……」

 彼女は唇を嚙み締め、俯いた。

 ……彼女の気持ちも、分からなくはない。物事が不確定な状況の時、どうしてもポジティブな方に気持ちが傾いてしまう――「気のせい」「勘違い」「大したことにはならないだろう」――そんな、希望的観測を。いつも気を張って生きろというわけじゃないが、備えあれば患いなし。「もしも」は大事な、命綱だ。それを無視すれば、取り返しのつかないことにだってなる。

 とりあえずここは、彼女の気持ちを尊重し、他に策はないものか考え直していると、皓太郎が懲りずに提案してきた。

「なあ、幹。そいつを私たちで捕まえるというのは、どうだろうか?」

「は?そんなの……」

 無理に決まっているでしょ、と答える所を、すんでのところで飲み込む――それは案外、一番シンプルな解決策かもしれない。

 さすがに、皓太郎としとねを巻き込むわけにはいかないけど、ただのストーカーぐらい、私だけでもどうにかなる。

「……タイミングが合えば、できないこともないですけど……」

「そうだろう?」

「で、でも幹ちゃん!……その右足は、大丈夫なの?」

 ああ、そうだった。今日はジーンズだけど、いつもは制服のスカートだから、右足の包帯を見られているんだった。今まで聞かれなかったので私も忘れていたけど、気を使っていたのだろうか。

 私は全然人目を気にしなくなったけど、あんな包帯姿見てれば、誰だって心配するのが普通か。

「ああ、まあ……ちょっとしたケガみたいなものですけど、全然大丈夫ですよ」

「ん?だが幹、この前は……」

「ああー!ヒザガチョットイタムナー!!」

 また皓太郎が余計なことを言い出そうとしたので、遮って大げさに痛いふりをした。

 本当はケガなどではないが、私のことを何も知らない人間には、いつもそれで通している。しとねに嘘をつくのは申し訳ないけど……この足の事情を話すのは面倒だし、今はどうでもいいことだ。

 だけど、それが裏目に出てしまった。

「やっぱり、無理よ……!幹ちゃんにそんな危険なこと、させられないわ!」

「し、しとねさん、これは……!」

 しまったな。話を潤滑に進めるために適当に答えたのが、彼女の良心を咎めてしまった。……くそ、皓太郎のせいだ。私は本当に大丈夫だと、証明すべきだろうかと口籠るうちに、彼女が立ち上がった。

「ごめんなさい、二人とも!……いきなりこんな話題を振ってしまって……今日は、お礼のために来てもらったのに!今の話のことは忘れて、気を取り直してお買い物にでも行きましょう!さあ!!」

 彼女が無理に明るく振る舞うので、こちらも合わせるべきだろうと、皓太郎と目を合わせて頷く。

「……そう、ですね」

「…………むう」

 しとねに促されるように私たちも席を立ち、店を出た。

 彼女はああ言ったが、とにかく、今日一日周囲を気にかけておけばいいだけ。都合よく現れて来るとは思わないが、皓太郎を護衛するついでだ。――それに友達として、それくらいは苦じゃない。

 出てこい、ストーカー野郎……!つーか、ネギ背負(しょ)ってやって来やがれ。

 

 


 その後は約束通り、しとねと一緒にショッピングをした。服や雑貨屋に目を通し、普段そういうのに疎い私でも、彼女と一緒ならそれなりに楽しめた。興味など全くないけど、普通の女子ならこうして休日を楽しんでいるのかなと、新鮮に感じた。

 女子二人のショッピングに付き合う形になった皓太郎は、つまらなくしてるだろうと心配したが……どうやら放っておいても勝手に一人で街を楽しんでいて、杞憂だった。

 それどころか、タピオカの屋台に行けば、「なんだあのウサギの糞のような飲み物は!?」と言って、近くを通る女子たちからは笑われるし、洋服を見に行けば、下着売り場で商品を物色し、「女はみんなこのような美麗で薄い下着を身に着けているのか……!」と、普通だったら変態丸出しの行為を悪気なくするので、良くも悪くも目を離せなかった。幸いなことに、店員は不審がるどころか、皓太郎をアイドルを見るような目で遠くから見つめていた……ケッ、所詮人は顔か。こんな感じで、私としねは、行く先々で皓太郎の蛮行(?)に、恥ずかしくて顔を赤らめる羽目になった。……しとねさん、惚れたのがこんなヤツで本当にいいの?

 夕方になり、しとねの帰宅時間が厳しいらしいので、お開きとなった。だから部活にも入らず、私たちとの帰宅の電車がよく被るのだ。こちらも、そろそろ駒込の競馬も終わっただろうし、丁度良い頃合いだった。商店街通りを歩き、しとねを送り届けるために駅まで向かっていた。

 しとみから小さな紙袋を渡される。

「はいこれ!幹ちゃんと、コウくんの」

「ありがとうございます。コレ、大事にしますね」

「私も貰っていいのだな!」

 途中で買った、クマのキャラクターのキーチェーンだ。結局私たちは特にほしいものがなかったので、しとねが選んだこれでお返し、と手打ちになった。

「もちろんです!……これだけで、お礼を返せたとは、とても思えませんが……」

「十分です。なにせ私たち、とくに欲しいものがなかったんですから」

「そうだぞ!どんなものだろうと、友からプレゼントを贈られるのは、実に良いものだな!」

「ふふふ……恥ずかしいけど、みんなでお揃い、ですね」

 しとねの分もあり、みんなでお揃いにした。こうしてみんなで同じ物を身につける、なんてことは今までの人生でしたことがないので、少しこっぱずかしい。皓太郎はすでに包みから取り出して、それを眺めていた。

「今日は本当……に、ありがとう!私のわがままに、付き合ってくれて」

「わがままって……むしろこちらこそ、わざわざありがとうですよ」

「ああ、今日は楽しかったぞ、しとね……!」

 出た出た。皓太郎のお得意の王子様スマイル。これをやられたら、しとねはまたまた頬を赤く染めて俯くだろう。

 ――だけど、そんな予想とはだいぶ違った反応を、彼女は見せた。

「…………い、いえ……そんな…………っ!」

「しとねさん?」

 彼女の顔が急に青ざめて、俯きながら歩き出した。……体調がすぐれないのか?

「……どうかしました?」

「……幹、ちゃんっ……!」

 一応、皓太郎には聞かれないよう小声で聞くと、彼女は何かに怯えていて、震えた声で何とか私の名前を呼んだ。これは、ただ事じゃない。

 ……まさか。ケータイを取り出して、顔の前に持ってくる。電源は付けずに、黒い画面のまま覗くと――ビンゴ。後方で木の後ろに隠れて、こちらを窺っているのが、いる。

 ――油断した。今の今まで、まったく気づけなかった……!

「……しとねさん。もしかして、アイツ?」

「……っん!っん!」

 声を出す代わりに、必死に首を縦に振って答えた。

 ……アイツが、ストーカーか。

 街路樹の後ろで、背をひどく曲げている、大柄の男。それで隠れているつもりなのだろうか、そいつは目算でもあの操よりも大きな恰幅で、二メートルは優に越しているだろうか。みすぼらしいコートを身に纏い、アジア人だが、日本人の顔つきではない。東南よりだろうか。他の通行人たちも、その男を二度見するほど、それは異様だった。

 どうしてあんなのを、今の今まで気づけなかった?いったいいつから、つけられていた?警戒は怠っていなかったはずなのに。何度か見ているしとねだって、今気づいたようだ。ストーキングの技術には相当長けた相手のようだ。

 目的は、なんだ?

 しとねに好意を寄せて、ストーキングしているのか?もしかしたら、誘拐して身代金目当て、という線もある。詳しくは聞いていないけど、彼女の家庭もなかなか裕福そうだ。

 ――だけど、こうして私の前に現れてくれたのは、何より好都合だ。おびき寄せてから、ひっ捕らえて、警察に引き渡してやる。

 しとねは怯えてしまっているが、何とかストーカーに気取られないよう歩いてもらう。一方で、何も気づいていない皓太郎は、まだキーチェーンを眺めている。もし今伝えたら、この前の電車の時みたいに正義感で突っ込んでいくかもしれないし、だからと言って、ストーカーを相手取るのに意思疎通しないわけにもいかないし……悩みどころだ。

「……えっ?」

 そんな目を離したほんの一瞬に――巨体の男が後ろの街路樹から、姿を消していた。嘘だろと、振り返っても、どこにもいない……勘付かれたか?

 だが、

「――っっつ!!」

 突如背後から、思いっきり横殴り――思わず息を飲んでしまった。

 すぐ近くの、休止中の看板が立てられた工事現場のゲートを巻き込むように、吹き飛ばされてしまった。

「キャーーー!!」

「なっ、なんだ!!……幹っ!」

 私があり得ない勢いで吹き飛ばされるのを目の当たりにした二人は、悲鳴と驚きの声を上げた。周りの通行人も、二人の声と工事現場から響く衝撃音を聞いて、足を止めた。

「ケ、ケホッ、ケホッ……!」

 不意の攻撃で受け止める余裕がなく、咳き込んだ。

 これは……色々と、マズい……!

 二人の背後――さっきまで私のいた場所には、ストーカー男がいる。

「キシシッ!」

 男は言葉を発さず、不気味な笑い声を発していた。これは――話の通じるような相手じゃない!

「ク……ソッ!!」

 頭が少しクラクラする中、体中の痛みを無視して、急いで起き上がる。

 コイツ、ただのストーカーじゃない――戦闘屋だ!

 あの拳、車に轢かれたような、とてつもない威力だった。とっさに受け身を取っていなかったら、激突で気を失っていただろう。

 あの一瞬の隙に私の背後に回り込み、気配を感じさせずに攻撃されるとは……ただの変質者だと、侮っていた。

「に、逃げるんだ!しとね!」

「で、でも!でも……!コウ君!」

 ストーカー男が、皓太郎としとねに詰め寄っている。皓太郎はしとねを逃がそうと、男の前に立ち塞がる。……チクショウ!

 ためらいや考えるよりも先に、口が出る。

「おい!そこのデカブツーーー!!」

 自分の叫び声で、余計に頭がクラクラする。男がこちらをゆっくり、首を曲げて見る。

 血と砂が入り混じった唾を吐き捨て、そして中指を立てる――これなら言葉が分からなくったって、通じるだろう。

「……ケシッ!!」

 男はキマッた笑顔のまま方向転換し、ゴリラのように太い腕を使った四足歩行でこちらに走ってくる。――私の挑発に乗ってくれたのか、はたまた、邪魔者を先に潰しておこうという、魂胆か。

「幹っ!!」

「幹ちゃん!!」

 ――あの二人から引き剥がせたのなら、なんだっていいや。迎え撃つ、態勢を取る。

「上等だよ、この野郎……!」

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