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哀、愛、哀、愛

「ふざけるな……ふざけるな……ふざけるな……!!」

 壁を支えにして必死に歩く。恨み言が、自然と口から出る。

 抜かしていた腰も、なんとか立ち上がることはできるようになった。

 ボロボロになった別邸内を抜け、教会へと続く長い通路を、とぼとぼと進む。

「どいつもこいつも……役立たず!!」

 せっかく雇った用心棒たち全員、だらしなくも負け、そして、最愛の皓様を、奪われる結果となった。

 私の計画は完ぺきだった――台無しにしたのは、そいつらのせいだ。

 そして、一番の誤算だったのは。

「……あのクソ女(宿木幹)……!」

 私をこんな目に合わせた、宿木幹を、絶対に許さない。

 アイツさえいなければ、すべてがうまくいった。

 本来ならもっと、時間をかけて皓様と親密になる予定だった。筋書き通りにいけば、もっとドラマチックな演出で、二人は結ばれる運命だと、決定づけることができていたのだ。

 それなのに、皓様に近づき、信頼を得て、奪っていこうとする、あの女を見て、焦りが生じた。そして決定的になったのは……ホテルに連れ込まれたことだ。怒りを抑えることができず、衝動的に、皓様を今すぐに攫うことを決めた。

 それさえも……あの女に、阻まれた! 

 ああ、神は……!私と皓様、二人に試練を与えて、愛を確かめようとしているの?

 それなら、障害は取り除くしかない。

 ――いつか必ず、あの宿木幹を殺して、皓様と結ばれてみせる!

「誰かぁ!……誰かいないの!!」

 そのためにも、すぐにここから逃げなくては。

 誰でもいい。一人でもいるなら、車を出してすぐに家に戻ろう。お父様に頼んで資金を調達し、すぐにまた新たな用心棒を雇えばいい。あの宿木幹も、今なら満身創痍だ。明日、明後日までにまた襲撃を掛ければいい……簡単なことよ。

 しかし、通路を通り抜け、教会まで戻ってきても、誰一人姿が見えない。あの女に倒されているはずなのに、誰もいないのだ。

 ……なんだか、おかしい。

 そう思いつつも、長椅子の背もたれを手すりにして進む。すでに日は落ちてしまって、教会の中は薄暗い。

「だ、誰か……!」

 初めに銃撃戦もあって、教会の中はぐちゃぐちゃになったはずなのに、長椅子は綺麗に並び、まるで何も起こっていないかのような状態だ……やっぱり、おかしい。

 誰からの返事もない、しんと静まり返った教会。

 長椅子の間を通り抜けて、扉に向かっていると、

「こんばんわぁ」

「……っ!」

「今夜は、素敵な夜ですねぇ」

 心臓が、止まりかけた。

 いつの間にか、椅子に腰かけている人がいた。それも、すぐ横に。目の前にいて気づかないはずがないのに、声を掛けられるまで認識できなかった。

 ……疲れているせいで、見落としていた?

 サルの面をつけた……この、少女に?

「な、何よ、あなた……」

「えー?誰でしょう?うふふ……」

「……」

「つれないですねぇ。ちょっとは、考えてくださいよぉ」

 人の心を逆なでするような喋り方をする、サルの面の少女。

 しかし……どこかで一度、見たことがあるような気もするが……。

「私の名前は、ス――これを名乗るのは、マズイかなぁ……ま、とりあえずはぁ、愛の使者、とでも呼んでくださいなぁ。それなら『S』からとって、えっちゃんでもいいですよ~……それにほら、このお猿の面の眉毛が、『S』を横にしたような形になっているでしょう?これでも、ちょっとしたこだわりがあるんですからぁ」

 この女……気味が悪い。

 でも、今はそんなことどうだっていい……!

 この少女に金でもなんでも握らせて、私をここから逃がしてもらうしかない!

「そんなの何だっていいわ!……それよりもあなた!私を今すぐここから……うっ!」

 ――太ももに、鋭い痛みが一瞬走る。

 反射的に手で押さえるが……血は出ていない。

 な、なに?今の痛みは……?

 暗くてよく見えないけど、足元でシュルルと、蛇のようなものが蠢いたように見えた。

 そして次の瞬間――膝ががくりとする。

「あうっ……!!」

 足がふらつき、そのまま体を床に打ち付けた。

 足に……力が入らない……!

 立ち上がろうとするも、下半身の筋肉が全く反応せず、恐怖が込み上げる。

 なぜ?……どうして!?

「ごめんなさい。ちょっと、驚かせてしまいましたねぇ」

「な……によぉ!これはぁぁぁ!!お前、私に何をしたのよぉぉぉ!!」

「足を少しだけ止めていただきたかったので、ちょっとした神経毒を使わせてもらったんですよぉ」

「はぁ?毒……?」

「ええ。ですが、ただの麻酔のようなものですから、ちょっとだけ感覚がマヒするのと、筋肉が弛緩するぐらいで、後遺症は残りませんので安心してください。半日ぐらいで元に戻りますからぁ……たぶん」

 さっきの蛇みたいなものの、仕業か……!

 すると彼女の袖口から、ファイバースコープのような、細長い管状の機械が出ていて、自在に動かしていた。先端には、注射針のようなもの飛び出している。

 さっき私の太ももを刺し、そして毒を注入したのか……!

「!!」

 そして気づく――自身の体から、信じられないことが起っていると。

「やだ、やだ!なんで!どうして!!」

 下半身から、温かい液体が漏れ出ている――さっきまで我慢できていたはずなのに、急に下半身の感覚がなくなったことで、留めることができなかったのだ。

 生暖かい感触が、腹部まで広がり、ドレスを濡らしていく。腕に力を入れて、これ以上汚れないようになんとか上半身を浮かした。

 ……こんなの、屈辱的だ!

「ごめんなさ~い。どうも刺さった場所が近すぎて、アソコの締りも緩くなってしまったみたいですねぇ。失敬失敬……私ったら、ドジっ子さん。てへっ」

 くすくすと笑っていた。わざとらしい言葉を並べ、何を言っているのかが理解できない。理解したくもない。彼女に対する感情は、苛立ちよりも、恐怖に近い。

「大丈夫ですかぁ?」

 猿の面をつけた少女――「S」は椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。私の周りに出来た水たまりを躊躇いなく踏み、飛散する。

「うっ」

 そうすることで私から出たアンモニア臭が広がり、羞恥心をさらに駆り立てられる。

「お前……!」

「よいしょっ」

「……うっ!」

 私の背中の上に、無遠慮に座った――力を入れていた腕も耐えられず、ドレスがさらに染み渡ってくる。臭く、生暖かい。

「ど、どけなさいよ……このっ!]

「私ぃ、パーソナルスペースが近いって、他人から良く言われるんですけど……ただ仲良くなりたいだけなんですよぉ?悪気はないんです。でも、私って軽い女なので、そんな荷重ぐるしくないでしょう?……あっ、尻軽って意味じゃないですよ?そこは、勘違いしないでくださいねぇ。これでも、身持ちは固いんですからぁ」

 話しを聞くだけで、コイツにはうんざりしてくる。

「人を、小馬鹿にするのも、いい加減に……!」

「えー、だってそう思いませんか?……世啼(よなき)しとねさん」

「!」

「世啼製薬会社社長のご令嬢……なんですもんね?」

 どうやって知ったのかは分からないけど、「S」は、私の素性を知っている。

「……なんで、お前が、そんなこと」

「調べればすぐわかりますよ~。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花……花も恥じらうほど見目麗しい、婦女子のあこがれの的を知らないだなんて、失礼になっちゃいますからねぇ……ええ、見た目()()は本当に、噂通りで安心しましたよぉ」

「……何が言いたいのよ?」

「ん?何か含みがあるように感じました?もしそうでしたら、不快にさせてごめんなさい。私、帰国子女なものですから、言葉遣いが変かもしれなくてぇ……私って、穿った見方ばっかりして、よく人の琴線に触れてしまうので反省しているんですが……ってあれ?意味、あってますかぁ?……んー、やっぱり、うる覚えはよくないなぁ。ふいんきだけでしゃべるのは……」

 べらべらと、よく動く舌だ。こういうタイプの人間は、一番信用ならない。口先で人を丸め込むような、詐欺師に違いない。

 それに、コイツは……。

「何が、目的なよの……」

「ええ?」

「敵なんでしょ!?アイツの……宿木幹の、仲間でしょ!!」

「んー、それについてはノーコメントで。……敵か味方か、はたまた傍観中立風見鶏……謎の美少女えっちゃんということで、ここはなにとぞよしなに……」

「お前の話はもううんざりなのよ!!何が目的かって、私は聞いているのぉぉぉ!!」

「んもー、そんなに怒鳴らなくったっていいじゃないですかぁ……聞か猿、しちゃいますよぉ?それとも、うるさい私は、言わ猿しとけってことですかぁ?……上手いなぁ」

「……」

 両耳を塞ぎ、ポーズをとっていた。

 私はもう、余計なことには無視して、反応しないことを決めた。

「話が少し脱線してしまいましたがぁ……あなたのような顔面ガチャSSRで、Tier1なら……廃課金者の引く手数多なんですから、ここは諦めてくれません?彼の事ぐらい」

 ……皓様のことを、言っているのか?

 そんなの、冗談じゃない!

「諦めるわけないじゃない!バカなの!!……だって私は、あの方のために人生のすべてを捧げたんだから……!それを今更……」

「勘違いや思い込みって、怖いなぁ……話が通じない人との対話って、こんなにも根気がいるものなんですねぇ……」

「お前に言われたくないっ!!」

「あー、困ったなー。こんな時に、代わりに説得してくれる人がいたらなー……そう思う時、ありますよねぇ?奥さん」

「……」

 「S」は携帯電話を懐から取り出して、操作する。

「じゃじゃーん。こんなこともあろうかと、世啼さんを説得してもらうネゴシエイターを、秘かにご用意させてもらいましたぁーどんどんぱふぱふー……それでは張り切って、説得してもらいましょうー。ぴ、ぽ、ぱ、ぽ、ぴ…………はいもしもーし」

「……?」

 私の眼前にその携帯電話をかざしてきた。ライトが眩しくて目を細める。そこには映像が映し出されていて、はっきりとまだよく見えないけど……椅子に縛られて目隠しをされている、大人の男女だ。

 これは……ビデオ通話?

「こいつらが……何なのよ?」

「だから、ネゴシエイターです。交渉人。……それも、あなた特攻の、効き目抜群な、ねぇ」

 眩しさに慣れてきて、もう一度画面を見る。この二人が、私のための交渉人?

 一体、どういう……。

「……っ」

 でも、段々と気づく。気づいたことで、頭が真っ白になる。そんなわけがない。

 だって、そこにいる二人は――。

「……お父様っ!?……お母様っ!!」

 私の、最愛なる両親なのだから。

「『し、しとねか?……お前は、無事なのか!?』」

「は、はい……私は、無事です……」

「『そうか……良かったよ……』」

 それは確かに、父の声だった。

 どうして、二人はそんなことになっているのかと……聞きたくても、驚きでまだ頭が整理できずにいる私より先に、「S」が口を開く。 

「お二方ー、しっかりと大切なご息女を、説得してくださいねぇ」

「『は、はい!もちろんですとも!わたくしめらに、このようなチャンスを与えてくださり、まことに感謝しております!必ずや、しとねを説得……!』」

「あーはいはい。時間がもったいないので、さっさとやってもらえますかぁ?」

「『し、失礼いたしました……!お任せください!』」

「お、お父様……?」

 あの自慢だった父が、こんなふざけた少女に媚びへつらっている。いつもは、世啼製薬の社長として、良き父として、会社でも自宅でも、凛々しい姿しか見せたことがなかったのに……。

 「S」は、父たちに何をしたの……?

「『……しとね、事情はすべて「S」様から聞いた……どうしてお前は、こんな馬鹿げたことを!』」

「馬鹿げた、こと……?」

 父の言葉の意味が分からなかった。

 私はみっともなくも、声を張り上げる。

「だって、お父様が言ったくれたんですよ?……あの日、皓様の披露パーティで、「あの人とお前は結婚するんだぞ」、って……そう言ったじゃないですか!!」

「『お前……そんなことを……』」

 父は、動揺していた。

「『そうか……私の、せいだったんだな……まさかお前が、私のあんな妄言を真に受けて、今の今まで忘れずにいただなんて……!』」

「何を言っているの?……お父様?」

 そして、父は――すべてを吐露する。

「『すまない!しとね!……その夢は、絶対に叶わないんだ!無理なんだ!()()()()たちと私たちでは、生きる世界が違いすぎる……!あの頃の私は、まだそんなことさえ理解しておらず、もしかしたらと、万が一にも、お前が見初められでもしたら、私たちの生涯は安泰だろうと……叶わぬ夢を見てしまったんだ!過ぎたる願望だったのだ!無知だった私を……どうか、許しておくれ……!」

「……いや…………いやぁっ!!」

 父の言葉が、理解できない――理解したくない!

「『お前は、何も悪くない……!』」

「でも、だって……いやよ!!ねぇ!!お父様ぁ!!」

「『さあ、みんなで逃げよう……!そこにいる御方、「S」様は、私たちを海外に逃がしてくれると、約束してくださったんだ!もうこの国では、私たちは生きられない……!すぐにでも《白牙嶺》から、報復措置を受けるはずだ……会社も、資産も、奪われてしまうだろう……もしかしたら、命まで取られかねない……!だから、今すぐみんなで……』」

「……らめません」

「『……しとね……?』」

 私は、生まれて初めて父に向かって……反抗をする。

「しとねは諦めません!!私は、ずっと皓様の事だけを考えて、生きてきたのよ!今更、無理だって……そんなこと言われたって、受け入れられないわ!私には、最初から皓様しかいないの……!私から生き甲斐を、皓様を……奪わないで!!」

 これ以上……父の言葉は聞きたくない。

 でも、

「『――しとねっ!!』」

「っ……!」

 父の切羽詰まった、呼び声に、体がびくりとなる。

「『私の言うことを聞きなさい!!』」

「お父様……」

 ……父に怒鳴られたことなんて、一度もなかった。

 父も感情が爆発したように、私を責め始める。

「『お前の願うことは、今まで何だって……聞いてきてやったじゃないか!!習い事も、食事も、美容だって……!すべてだ……お前の望むことは、すべてさせてやった!!』」

「そ、それはすべて、皓様のために……!」

「『それなのになぜ!お前は私の言うことを聞いてくれないのだ!!』」

「だって……だって……!」

「『しとね!お父様の言うことを聞いて頂戴っ!』」

 隣で泣いてばかりで一言も発していなかったお母様が、声を上げた。

「『お父様がどんな思いでこんな残酷なことを言っているか、分かる?……本当はお父様だって、あなたの夢を否定したくないのよ!あなたのためを思って、厳しいことを言っているの……!!』」

「お母様まで……そんな……!」

 必死に説得する二人に、私は、言い返すことさえ許してくれない。

 どうして、二人とも……私の味方をしてくれないの?

 私の願いを、諦めろだなんて言うのよ……!

「『もうこんなバカのことはやめてくれ!頼む!!ほかの願い事なら、いくらだって叶えてやる!……だが、《白牙嶺》のことだけは、無理なんだ!諦めてくれっ……!』」

「『三人でまた、一からやり直しましょう!……ね?しとね?あなたも、お父様を支えてくれるわよね?

今までのようにはもう暮らせないかもしれないけど、私たちなら、また楽しく暮らしていけるわよ!ほほほ!』」

「お父様……お母様……」

 心がポキリと、折れた音がした。

 私が大事にしていた――支えにしていたお父様の言葉を、本人から否定され、私のたった一つの望みを、許してはくれない。

 でも、二人とも優しいから。私のせいだって、怒らない……でも、必死に私を説得しようとする姿を見て、心が苦しくなった。みっともなく思えた。

 私のしでかしたことの代償が、この二人の人生を狂わせてしまったんだと……それだけは、痛いほどよく分かった。

 私がここで折れなければ――二人の命はないのだと、悟ったから。

 ――私は泣きながら、項垂れた。自分の排泄物で汚れた床など、気にもせずに。

「んー、説得、終わったみたいですねぇ。お二人とも、素晴らしかったですよぉ。……それにしても、いやぁよかったー。ようやく、彼のことは諦めてくれたみたいで。ね?世啼さん?」

 ようやく口を開いた「S」は私の上で横になり、ぴったりと重なるように頭同士をくっつけて話す。

「何も私、世啼さんに意地悪したくてこんなことしてるんじゃないですよぉ?……ただまあ、これは下品かもですけどぉ……他人が一つ一つ、丁寧に並べたドミノって、とっても魅力的じゃないですかぁ?それを一思いに踏みつけて、蹴飛ばして、台無しにしちゃったりなんかした日には……この上なく、最高な気分、ですよねぇ……ふふ」

 まあ、冗談はこのくらいにしてと、続ける。

「こういうのって、殺して何もかも終わらせるより、生きる苦しみを味わわせた方が、スカッとしません?……生かして辱めて、生かして奪って、生かして苦しめて……だってそうじゃなきゃ、罰にならないでしょぉ?」

「ば、つ……?」

「そうです。死んでしまった人間を、罰することはできません。罰したところで、無意味ですから。なぜなら罰とは、罪は贖うための……これからも社会に生かさせてもらうための清算のようなものですから。死んでしまった人間には、意味のないことでしょ?それに決して、死は罰ではありませんしぃ」

 すると私の背中から、すっと重みが消えた。

 急に消えたと思い、正面を向くと、「S」が私の前にしゃがみ、じっとこちらを見ていた。

「だからこれも、ひとえに、愛なんですよ。私からあなたへの、とっておきのね……」

 そして彼女は、私に手を差し出す。

「なん……で?」

 ぽっかりと心に穴が開き、汚物にまみれた私に、なぜそんなことをするの……?

「《ラブレス・オブリージュ》……愛なき時代に、救いの手を……あなたにはもう、罪はありません」

「あ……ああ…………あ……」

 私はその手を――縋るように、握ってしまった。

 もう、他に選べる道なんて、どこにもない。

 ならいっそ、目の前の愛を、盲信すればいい。

 だってそれが、唯一の、救いの道なんだから――。

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