異世界マンション
一人の少年がすごいスピードで落ちていく。
マンションの外にあるゴミ捨て場に向けて。
「まじでどうなってんの~!」
バサッ。
俺は鹿島夢、高校2年生。
身長百七十センチ、体重六十三キロ。
基本的に普通。
少しだけ変わっているところは、髪色が茶色寄りだということくらい。
でもそんな俺に最近もう一つ変わっているところが出来た。
居住地が異世界であるということ。
経緯はこうだ。
普通の高校生として普通の高校に通っていたはずの俺は、ある日ベッドの上で呟いてしまった。
「一人暮らしってつまんないな。
特になにか起こるわけでもないし。
あ~あ……なにか凄いこと起こらないかな~」
本当にただの気まぐれだった。
現状に不満があった訳でもないし、特別彼女が欲しかった訳でもない。
ただ少し刺激が欲しかった。
それだけだったのに。
気づけば異世界のマンションの一室に来ていた。
なぜ気づくことが出来たのか。
それは起きた時、近くに置き手紙が置いてあったからである。
内容はこうだ。
「刺激を求めるそこのキミ、この異世界マンションの管理人に任命する。
今キミがいるその一六三という部屋は、ボクが特別に用意した専用の部屋だよ。
飲み物に食べ物、それから家具は一通り揃えておいた。
さて、ここからが本題だよ。
このマンションには、不思議な力があるみたいなんだ。
キミにはマンションの管理人として、マンションを支えていってもらいたい。
ボクには少し力不足だったみたい。
あ、ちなみに壁にあるボタンは絶対に押しちゃダメだからね。
じゃあ、あとはよろしくね。 前管理人:クルル」
「待て待て待て待て……俺がマンションの管理人!?」
急な展開が異世界に来たことを物語る。
「異世界ねえ、いざ来てみるとよく分からん。
なんかボタンは押すなとか言ってたな」
辺りを見渡すと、壁に押してくださいと言わんばかりの赤いボタンが見えた。
当然だが押すなと言われたら押したくなるのが男という生き物である。
ポチッ。
そして今に至る。
という訳でこんな真夜中に、俺はマンションの外にあるゴミ捨て場にいるわけだが。
「なにが起こってる?
なんで床が抜けた?
なんで異世界?
なんで俺が管理人?
もう意味わかんないよ!」
幸い乾いたゴミしかなく、衣服はほとんど汚れなかった。
俺が一人で愚痴っていると、足音が近づいてきた。
「あらあら、こんな所に誰かいるなんて。
一体なにをしているのかしら」
まだこの明るさ、昼頃といったところだろうか。
なのにこの女は少し酔っ払っている。
「あなたは誰?」
「生ゴミの分際で私に話しかけるだなんて、生意気だこと」
長い黒髪を一つに結び、緑のワンピースを着ている……エルフ? が目の前に立っている。
出るとこが出ていて、なんとも理想のお姉さんって感じだ。
いやいや、そんなことはどうでもいい。
「誰が生ゴミだ!」
「違ったかしら。
だってお腹に貼ってあるじゃない」
「え……?」
自分のお腹を見ると確かに紙が貼られている。
そこには生ゴミと書かれていた。
「いつの間に。
誰がこんなふざけた真似を……」
偶然とは言い難い事態に、怒りが湧き上がってくる。
「まさかとは思うけど、あなたが新しい管理人さんかしら?」
「ああ、多分な」
くんくんと匂いをかぐような動きのあと、こう言われた。
「ふ~ん、まあどうでもいいのだけど。
私はソフィ、このマンションの住人よ。
そして今後一切、私に関わらない事。それじゃあ」
そういって彼女はマンションの中へ入っていった。
「ま、待て!」
急いで後を追ったが、もうそこに彼女の姿は無かった。
ただ、一つわかったことがある。
彼女は十七階に住んでいるということだ。
俺が彼女を追いかけるためボタンを押した時、エレベーターが十七階に止まっていたからだ。
ちなみに俺の部屋は十六階にある。
というか初めて会ったエルフに驚かない俺って一体何者?
もしかしてそういうスキルを持っているとか?
調子に乗っているとエレベーターがやってきた。
中へ乗り込み自分の階を押そうとすると、ボタンになにか付着していることに気がついた。
「なんだこれ」
ぷにぷにというか、ぷよぷよといった感じの感触だ。
気にはなったが普通にエレベーターが機能していたので、特に何かすることもなくスルーした。
それにしてもいつもと違う環境というだけで少しワクワクする。
これなら俺も頑張れるかもしれない。
そう思ったのだが……。
「なんで俺の部屋こんなに濡れてんの!」
エレベーターが到着し扉が開くと、お湯が俺の部屋から溢れているのが見えた。
急いでドアを開け中に入ると、更にお湯が溢れ出てきた。
原因を探るため、部屋をくまなく見ると天井が濡れているのがわかった。
これは間違いなく上の住人のせいだ。
「どうなってんだ。
管理人として一言叱ってやらないと」
俺はイライラしながら上の階へ向かった。
自分の部屋の上は、一七三号室のようだ。
俺はバンッバンッとドアを殴るようにノックした。
するとすぐに返事が帰ってきた。
「は~い」
「この声って……」
中から聞こえた声は、とても聞き覚えがあった。
「どうかされました?」
ニコニコで出てきた住人は、さっきゴミ捨て場で出会ったソフィだった。
「だ……誰?」
思わぬ豹変ぶりに思わず声が出た。
「あらあら、誰かと思えばさっきの生ゴミさん。
私に関わるなと伝えたはずでは?」
「おいおい、こっちは部屋濡らされてイライラしてんだ!
とりあえず謝ってもらおうか」
「部屋を濡らされて……イライラ……?」
彼女はしばらく考えたあとこう言った。
「そういえば、お風呂のお湯を止め忘れていたわ」
そう言うとソフィはバタバタと足音をたて、風のように部屋の中へ戻っていった。
不思議なことに、足音が聞こえなかったり、缶が転がるような音が聞こえたりした。
そんなに慌ててくれたのか、どうやら悪い人ではなさそうだ。
そんなことを考えていると、ソフィがゆっくりと戻ってきた。
心なしか下を向いている気がする。
「あの~……なんというか……。
本当に申し訳ございませんでした」
あの気の強そうなソフィが頭を下げた。
正直驚いた。
あとちょっと嬉しい。
「まあ、謝ってくれたからもういいよ。
でも次は絶対に無いように」
スカッとした気分の俺が帰ろうとすると、強い力で腕を掴まれた。
「待ちなさい。
新しい管理人さんになったのよね?」
力の強さに驚き、声が出ない俺が頷くとソフィが言った。
「私の部屋の掃除を手伝ってもらえるかしら。
もちろんそれ相応の報酬は支払うわ」
異世界でお金を持たない俺はすぐに食いついた。
「言いましたね!
掃除するだけでお金がもらえると」
「ええ、たっぷりと」
しかし俺は、さっき感じた違和感と鉢合わせることになる。
「ソフィさん……なんですかこのゴミの山は!」
「私片付け苦手じゃない?」
俺が走って逃げようとすると、また強い力で腕を掴まれた。
「だからよろしくね、管理人さん」
このマンションで初めて出会った一七三号室のソフィは、掃除ができないゴミ屋敷の住人だった。
前管理人であるクルルの気持ちが、少し分かった気がした。