第7話 弟子志願
小惑星都市ウォーレルは、横幅約七十キロメートル、高さ約四十キロメートルの、菱形をした小惑星をくり抜いて造られた巨大都市である。
内部は十三層に分かれていて、宇宙港となっている最上階と、発電所や水供給ポンプの中枢などがある最下階以外は、ビル群の建ち並ぶ過密都市となっている。
ロードとローラは宇宙港にシュルクルーズを停泊させると、エレベーターで都市部に降りていった。
息の詰まるような箱から解放されると、まず目に入るのは、人間である。天井にまで届きそうなビル群に挟まれた大通りを、人々がひしめくように歩いている。あまりに多くて、足下に敷かれたアスファルトが見えないほどだ。
ロードは、離れ離れにならないようにローラの手を取って、通りを進んでいった。
まず二人が向かったのは、ロードの行きつけの酒場「放浪者」である。ロードの義父、バイ・ザーンの親友であった老人が経営している。名は、ドイル・シェフィールド。ロードに聖典探索の仕事を持ちかけた仲介人でもある。
「放浪者」は、酒場であると同時に、トレジャー・ハンターを始めとする裏稼業を営む者たちに仕事を提供する仲介所でもあるのだ。だから当然、客はほとんど、ロードと同じトレジャー・ハンターか、傭兵、裏の運び屋などである。
裏通りにある「放浪者」は、この大都市には似合わない、丸太造りの古く小さな店だ。マスターのドイルによれば、常に死と隣合わせの仕事をしている者は、この小さくて古い店に安心感を覚えるのだという。
実際、ロードもそうだった。ここへ来ると、とこよりも落ち着く。木製の両開きの扉を開けると、懐かしい匂いが鼻をくすぐる。そんなに長く来ていなかった訳ではないのだが、ホッとした気分になった。
店内は薄暗く、落ち着いた雰囲気だ。オレンジ色のランプに照らされた丸テーブルを囲んで、裏の世界の住人たちが、酒を片手に語らっている。
この店に来る者たちは、皆、顔見知りだ。ロードとローラの姿を見ると、陽気に声を掛けてくる。特に「ローラちゃあん!」という声が多い。清純な美少女であるローラは、酒場の人気者であった。
「いい加減そんな奴と別れて、俺のパートナーにならないかい?」
そんな声も飛んでくる。視線を向けると、奥のテーブルで大柄の男が手を振っていた。無精髭を生やした顔が笑っている。少し顔が赤いところをみると、相当飲んでいたのだろう。この男は、ちょっとやそっとでは酔わないのである。
ジョーレス・ラウマ。ロードの同業者だ。三ヶ月ほど前、惑星ユーフォーラで独裁者に挑んだ時、味方として共に戦った男である。
「ローラは俺みたいなスリムな男がタイプなのさ。お前みたいな筋肉の塊なんか、相手にしねえよ」
ロードがニヤッと笑って言い返した。冗談だとわかっているから、ジョーレスは怒らない。豪快に笑って、グラスに残った酒を飲み干す。
「そんなことねえよな、ローラちゃん。どうだい、こっちに来て、一緒に飲もうぜ」
「やめときなよ、ローラちゃん。ジョーレスのことだから、酔わせた後で何をするかわからないぜ」
別のテーブルにいた、傭兵ふうの男が言う。他のテーブルからも、同じような言葉が飛んだ。
ローラは軽く微笑んで、
「ごめんね」
それを聞くと、ジョーレスは相当落ち込んだように、がっくりと肩を落とした。それを見た周りの客たちが、どっと笑う。
「なかなか男泣かせだね、ローラちゃんも」
二人がカウンターにつくと、白髪の老人がローラに言った。マスターのドイルである。
「やめてよ、マスター」
ローラは苦笑した。本当に落ち込んでいないかと気になって振り返ると、ジョーレスは何事もなかったように陽気に飲んでいる。ローラは安心して向き直った。
「エール酒でいいかい、ロード」
「ああ。ローラは、いつものやつだな」
ローラは頷く。ローラがここへ来て飲むのは、レモンウォーターと決まっている。ここのレモンは、果実の楽園と呼ばれる惑星プーロアーナーで採れた上質のレモンである。美容と健康にもよく、ローラのお気に入りの飲み物の一つだった。
「了解」
ドイルは言って、後ろの棚からそれぞれの飲み物の瓶を取った。ドイルがグラスにエール酒を注ぎ終わるのを待って、ロードは抱えてきた木箱をカウンターに乗せた。
「依頼の品だぜ、マスター」
「おお、そうか。とれどれ…」
ドイルが木箱を開けると、眩いばかりの黄金の光が洩れた。いつの間にか客たちが集まってきていて、その鮮やかな輝きに魅せられていた。普段は飾り気のない傭兵稼業の女も、思わずため息を洩らしていた。
「こいつは、間違いないな。早速、依頼人に連絡しておこう」
ドイルはそう言うと、蓋を閉め、木箱を持って奥に入っていった。奥の部屋にある亜空間通信機で、依頼主である宗教学者に知らせるのだろう。
「もったいねえな…売っちまえば、相当な金額になるだろうによ」
ジョーレスが言った。だがロードは首を横に振る。
「そんなことしたら、信用がなくなっちまう。この先、依頼が来なくなるよ」
「そりゃ、そうだけどよ…」
ジョーレスは、まるで自分のことのように残念がっている。ロードは笑った。
「おいおい、お前が損をしたわけでもないのに、何を残念がってるんだよ」
「へ? あ…そ、そうか。俺のことじゃなかったんだ」
ジョーレスは照れて、頭をかいた。客たちはまた笑った。
少し経って、ドイルがカウンターに戻ってきた。
「明日、品物を取りに来るそうだ。報酬はその時にということだ」
「そうか。これで、しばらく金には困らないな」
ロードは微笑して、エール酒を一口、口に含んだ。ローラもグラスに口をつける。
「それで、これからどうするんだ、ロードは?」
ドイルが、自分のグラスにも酒を注ぎながら尋ねる。
「しばらく、落ち着くのか?」
「いや、それがな…」
ロードはローラと目を合わせた。ローラは微笑んで頷く。
「何か、ネタを仕入れたのか?」
「ああ。これから、ジェフに会ってこようと思う」
ジェフというのは、このウォーレルに住む情報屋の名である。もうかなりの老人だが、未だに現役で、その情報の信憑性が高いことで有名である。
「ジェフに? 何を聞くつもりだ?」
「虹の鏡のことを」
ロードはさらりと言った。だがその一言が、店の中を沈黙させた。そして一瞬の間を置いて、笑いの渦が巻き起こる。店が振動しているかと思えるほどだった。
「マ、マジかよ? あんなインチキ信じてるのか?」
「やめとけって。時間の無駄だぜ!」
「いや、燃料の無駄だ!」
「お前はもう少し利口な奴だと思ってたぜ。少なくとも、インチキを見破れるくらいはな!」
それからしばらく、客たちの笑いは止まらなかった。
ローラは戸惑った。虹の鏡を探しに行くことが、そんなに馬鹿馬鹿しいことなのか。確かに、妖精の住まいし地、などというのは、まるでおとぎ話のようだが。だがロードは気にした風もなく、涼しげな顔でグラスを口に運んでいる。
当惑したローラの表情に気づいたのか、ドイルが説明した。
「虹の鏡の、いや、妖精の国の話はね、この世界じゃ有名なガセネタなんだよ。狂った冒険者の見た、幼稚な夢だってね」
「そ…そうなの…?」
ここへ来る途中、そういった話をロードから聞いてはいたが、ここまで馬鹿にされるとは思わなかった。
ローラがロードに視線を向けると、ロードは皮肉っぽく笑った。
「笑わせておけばいいさ。本当にインチキなのかも知れないんだからな」
「え、でも…」
シュルクルーズの中で、ロードは言ったではないか。虹の鏡は、探す価値がある、と。
「安心しろよ。俺は本気だぜ」
ローラの気持ちを察したのか、ロードはそう言った。その瞳には、いつもと同じ輝きが宿っていた。ネタを掴んで、探索の旅に出る時に見せる輝きだ。
(ロードは信じてる。いつもと同じ、ただの勘なんだろうけど、虹の鏡はあるって、信じてるんだわ)
ローラはそう確信した。途端、周囲の笑いが気にならなくなった。信じる信じないは、人それぞれだ。他人が信じていないからといって、自分も信じてはいけないという決まりとない。ロードと自分は信じている。虹の鏡は本当にあると。それで良いではないか。
「さて、飲むものも飲んだし、早速ジェフのところに行くか」
ロードは席を立った。
「マスター、今回の報酬、俺の口座に振り込んでおいてくれ」
「あ、ああ、わかった。しかし、本当に行くつもりなのか?」
さすがのドイルも、半ば呆れ顔である。だがロードはきっぱりと答えた。
「本気だ」
「そう…か…」
ドイルは、もう止めても無駄だというように、ため息をついた。一度決めたことは意地でもやろうとするところは、親譲りだな、とドイルは思った。頑固で粗野だった親友、バイ・ザーンの顔を思い浮かべながら。
「それじゃ、もう止めないよ。だが、ちょっと待ってくれ。お前に会わせたい奴がいるんだ」
「会わせたい奴?」
ロードは怪訝な顔をドイルに向けた。ドイルはカウンターの奥に向かって、声を掛けた。
「出てこい、パーク」
「パーク…?」
心当たりのない名前だ。ロードは誰だろうと、カウンターの奥を凝視した。
すると、一人の少年が姿を現した。年の頃は十二、三くらいか。黒い髪に、黒い大きな瞳。背は低いぶん、すばしっこそうな少年だ。一人前に、ヒート・ソードを腰に下げている。決して、似合っているとはいえない。
「…誰だ?」
ロードが尋ねると、その少年は人懐っこそうな笑みを浮かべて、ロードの側に駆け寄ってきた。
「あなたがロード・ハーンさんですね? トレジャー・ハンターの…!」
あまりに明るい声に、ロードは一瞬呆けた。
「あ…ああ…そうだ…けど」
「僕、パーク・キャフタって言います。トレジャー・ハンターになりたくて、ここに来ました」
「は…はあ?」
何が何だか、ロードにはわからなかった。いきなり見知らぬ少年が出てきたかと思うと、馴れ馴れしく自己紹介する。一体、何だというのか。
だが、その次にこの少年が言った言葉は、さらにロードの意表を突いていた。
「ロード・ハーンさん! 僕を、弟子にして下さい!」
「でっ…でで…」
ロードは目を丸くして、
「弟子ィ!?」
「はいっ!」
パークと名乗った少年は、大きく頷いた。屈託のない笑顔が、ロードに向けられている。その瞳には、憧れの光が爛々と輝いていた。
ローラもさすがに驚いたようで、何度も目を瞬かせている。他の客たちも、沈黙した。
直後、どっと笑いが起きる。ロードとローラ、それにパークとドイルを除いて。
「坊主、トレジャー・ハンターってのは、遊びじゃないんだぜ? 命懸けの商売なんだ。お前みたいな小僧っ子には無理だよ、無理」
「そうそう。早く家に帰って、宝探しごっこでもやってな!」
馬鹿にしたような言葉が次々と飛ぶ中、パークは懸命にロードに弟子入りを頼んでいた。
「お願いします! 僕、どうしてもトレジャー・ハンターになりたいんです! 小さい頃からの夢だったんです! 遊びじゃないのもわかってます! だから…!」
パークは、ひたすら頭を下げて頼み込んだ。
ロードが困ったような視線をドイルに向けると、ドイルは肩をすくめた。
「一昨日だな、この子が来たのは。お前が帰ってくるのを、ずっと待ってたんだ。無理だとは言ったんだがなあ…」
「…そんなこと、急に言われてもなあ…」
ロードが、今度はローラのほうを向いた。ローラも困り果てたという顔だ。
「とっても危険なお仕事なのよ? いつ死んじゃうかわからないくらい」
「わかってます! でも、僕、どうしても…!」
「でもなあ…」
ロードは少し考えていたが、すぐに自分のやるべきことを思い出した。一刻も早く、虹の鏡を探し出さなければならない。今も辛い旅を続けているであろう、ホイールたちのために。こんな訳のわからない子供に構っている暇はないのだ。
大体、連れていったところで、足手まといになってもらってはたまらない。ロードは心を決めた。
「パーク…って言ったな」
「は、はい!」
「トレジャー・ハンターってのは、弟子を取らない主義なんだ」
「え…」
「そういうことだから、じゃあな」
ロードはそう言うと、パークが止める間もなく、ローラの手を引いて店を出ていった。
「そらみろ。無理なんだよ、子供にはな」
誰かが言った。それに呼応して、客たちがまた笑う。
パークは呆然とその場に立ちつくし、ドイルはそれを少し哀れに感じていた。
と、突然パークはカウンターの奥に戻り、自分の荷物の入ったリュックを背負って出てきた。
「おい、パーク…!」
ドイルが呼び止めるが、無駄だった。
パークはロードを追って「放浪者」を飛び出した。