第4話 旅人たち
ロードとローラの窮地を救った人々は、この都市にキャンプを張った。
あちこちに簡単なテントを張り、女たちは食事の準備に取り掛かる。陽が西に傾いた頃だった。
ロードとローラは、このキャンプの中にいた。ロードが脚を負傷していたため、すぐには動けなかったのである。都市から三キロメートルほど離れた場所に停めてあるシュルクルーズをここに呼ぶこともできたのだが、ロードはそれをしなかった。ロードに言わせれば、
「この連中は、この星の生き残りだ。俺たちが宇宙船を持ってることを知ったら、連中、シュルクルーズを乗っ取って宇宙に出ようとするだろうぜ。こんな星、誰だってさっさと逃げ出したいだろうからな」
だそうである。
二人は小さなテントをあてがわれ、そこでローラがロードの傷を治療していた。といっても、ローラは医者ではないから、できることと言えば、止血をして包帯を巻き、痛み止めの注射をすることくらいである。
「い、いててっ! 何だこの消毒薬! 塩でも混ぜてあるのかよ!」
ロードが悲鳴を上げる。もちろん、消毒液に塩など混じっていない。ロードは、傷の治療の時になると、痛みを過剰に感じてしまうのである。それなら怪我をするほど無茶をしなければいいのに、というのはローラの言葉だが、怪我を恐れていてはトレジャー・ハンターなどは務まらない。大体ロードは、冒険の場面では怪我など恐れていないのである。
「はい、消毒終わり。痛み止め、打つからね」
ローラは、小型の医療ケースから小さな注射器を取り出した。液状の痛み止めの薬を、注射に入れる。ロードは思わず縮こまった。
「や…やっぱり、打つの?」
まるで、子供のような声色だ。
「まったく…男でしょ!」
「そ…そんなこと言ったってさ…」
ロードは目を伏せた。こればっかりは、どうしようもない。治療の時となると、急に神経が過敏になるのだ。だから、注射は苦手中の苦手であった。
「な、なあ、飲み薬はないのか? 痛み止めのさ」
「もうないわよ。いつも飲み薬ばっかり使うから」
「そ、そんな…」
ロードの顔が、みるみる青くなる。ローラは少し気の毒に思った。
「お願いだから、我慢して…早くロードに、元気になって欲しいのよ…」
ローラはロードにすり寄って、片手をロードの頬に当てた。そしてロードの耳元に口を寄せ、熱い息を吹きかける。ロードは興奮して、たちまち注射のことは頭から消えてしまった。
その瞬間を狙って、ローラは注射針をロードの太腿に突き立てた。直後、ロードの目が大きく見開かれる。
ロードの絶叫が、テントを震わせた。
「きったねえぞ! 不意打ちなんてよ!」
ロードは涙を浮かべながら、ローラに抗議する。ローラはそれを無視して、せっせとロードの太腿に包帯を巻いてゆく。痛み止めが効いているのか、それとも怒りで痛みを忘れているのか、包帯を巻く時にロードの悲鳴は上がらなかった。代わりに、ロードの文句がローラの耳を打った。
「色仕掛けなんか使いやがって! もっと他のやり方がありそうなもんだろうが!」
「うるさい!」
ローラは声を張り上げた。その瞳が潤んでいるのを見て、ロードは言葉を失った。
「こういう目に遭いたくなかったら、無茶しなきゃいいじゃない…!」
ローラは言うや否や、ロードの胸に飛び込んだ。
「お、おい…」
太腿が痛い。そう言おうとしたが、言葉にならなかった。ロードの顎のすぐ下に、ローラの金色の髪がある。爽やかなシャンプーの香りが、鼻腔をくすぐった。
「ロードの身体は、ロード一人のものじゃないのよ? ロードが死んだら、あたし、どうすればいいのよ…」
ローラの声は、震えていた。ロードは一瞬戸惑ったが、すぐに優しい表情になり、ややぎこちなくローラの後頭部に手を当てた。
「…悪い。言い過ぎた。ローラは、本気で俺のこと心配してくれてるんだもんな…」
ローラはロードの胸の中で、こくりと頷いた。
「だけど、この無鉄砲な性格はどうしようもないな。ローラには悪いけど、俺を信じてもらうしかない」
「うん…わかった」
わかっている。そんなことは、前からわかっていた。それでも、無茶をしないで、と言ってしまうのは、ロードの無茶で不安にさせられた心が平穏を取り戻した反動である。
二人はしばらく、お互いの温もりを感じていた。それが終わりを告げたのは、二人のテントに来客が現れたからである。
「傷は痛まぬかな?」
真っ白な髭をたたえたその客人は、暖かい笑みを浮かべていた。ロードは、この通り、と包帯を巻いた自分の左脚を示し、苦笑した。
ホイール、とこの老人は名乗った。この旅人たちの集団の長老的存在であり、ここにキャンプを張るよう指示したのも、ロードとローラにテントを提供してくれたのもこの老人であった。
この集団は、大陸の南端に住んでいた、この星の住民の生き残りである。大陸の南端は戦火がほとんど及ばなかったため、わずかな人々が生き残ることができた。また核の影響も比較的少なく、植物も水も、ある程度は残っていた。だがそこも、時が経つごとに水は干上がり、植物は枯れ始め、死の世界へと変わっていった。そこで彼らは、人の住める場所を探して、旅をしているのだという。
ローラは笑顔でこの客人を迎え、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます、ホイールさん。命を助けて頂いた上に、包帯や消毒液まで…」
「何の、困った時はお互い様じゃよ」
ホイールはローラに、頭を上げるように言った。
「ところでの、お客人。あんたたちは、一体どこの者じゃね?」
ほらきた、とロードは思った。
おそらくこの老人は、ロードたちが異星人であることを見抜いた上で、尋ねているのだろう。そうしてロードたちが身元を明かした後に、泣きつくつもりなのだ。哀れな自分たちを、どこか豊かな星に連れて行ってくれ、と。
ごめんだった。どう見積もっても、この集団は百人を越えている。シュルクルーズにそんな人数は乗れないのだ。それに、この星が滅んだのも、元はと言えばこの星に住んでいた人間たちのせいだ。惑星を好き勝手に汚染し、挙句の果てに滅ぼしておいて、今度は用なしと見て惑星を捨て去る。そんな考え方に、ロードは賛同できないのである。
さて、どうするか。ロードが自分たちの正体をどうごまかすかと考えを巡らせているうちに、ローラが話してしまった。自分たちが、この星の人間ではないことを。
「ほう、やはりそうか。たった二人でこの星を生き抜けるはずもないから、そうではないかと思っていたのじゃが」
ロードは思わず頭を抱えた。ロードの考えた展開通りになってしまいそうだったからだ。
しかし、現実は違った。
「じゃが、悪いことは言わん。傷が癒えたら、早くこの星を離れなされ。この星にあまり長くいると、身体に異常をきたすでな」
ホイールはそう言っただけだった。ロードは拍子抜けして、思わず尋ねてしまった。俺たちに、どこか他の星に連れていってくれ、と頼みにきたんじゃないのか、と。
それを聞くと、ホイールは穏やかに笑った。
「確かに、この星は荒れ果てた。人が暮らしてゆくには過酷すぎるほどにな。こうして黙っているだけでも、強烈な陽の光はわしらの身体を蝕んでゆく。じゃが、この有様はわしら人間の責任じゃ。今更逃げ出すというのは、無責任というものじゃないかね」
ロードは、意外そうに老人の顔を見つめていた。
「この星は、わしらを生み育んでくれた母じゃ。それを自分たちの身勝手で滅ぼしてしまった親不孝者には、相応の罰と、義務がある」
「義務?」
「そう。この星に緑を取り戻し、再び人が、いやすべての生き物が住めるようにしなければならん。それが、わしらのこの星に対する償いというものじゃ」
「けど…」
すでに大気層にまで異常が現れているこの惑星では、作物すら育たないだろう。緑を取り戻すなど、無理な話だ。ロードはそう思った。
「確かに、無理かもしれん。これは、わし個人の理想じゃからな」
ホイールは、悲しげな笑みを見せた。
「じゃから、当面の目的は、わしらが生活できる場所を見つけることじゃ。今、わしらは大陸の北端を目指しておる。核が落ちたのは大陸の中心じゃから、北にはまだ、人の住める場所があるやもしれんのじゃ。緑豊かな土地がの」
無理だな、とロードは思ったが、口に出しては言わなかった。ここにいる人々はロードとローラの命の恩人だし、ロード自身、この集団の境遇に少し哀れみを感じている。むざむざ希望を断つようなことは言いたくなかった。
「ま、とりあえず、今夜はここでゆっくりしなされ」
気を取り直すようにホイールは言い、テントを出て行った。
ロードとローラはどちらからともなく、視線を合わせた。
「かわいそう…」
ローラが呟く。ロードは、無言で頷いた。
その夜、ホイールたちはロードとローラを夕食に迎えてくれた。ただでさえ少ない食料を、よく知っているわけでもない二人に分け与えようとする心遣いに感謝し、ローラはシュルクルーズから食料を持ってきて、料理を手伝ったりした。人々はたいそう喜び、二人を歓迎する意を改めて示した。
食事は、テントの中でそれぞれ食べるのではなく、焚火の周りに皆が集まって食べる。ローラの提供した食料もあってか、この夜の食事はいつもより豪華だと、ピールは言っていた。ピールというのは、ホイールの孫に当たる少年で、料理を手伝ったりして、ローラとはすっかり仲良しになっていた。
人々は久しぶりのご馳走に喜び、楽しく会話をしながら料理を口に運んでいた。殊に、子供たちはまるで貪るように食べ続ける。この日の夕食は、ホイールによればいつになく楽しい食事らしかった。
ロードが驚いたのは、この集団の人々が皆、ホイールと同じ考えを持っていることだった。誰一人として、ロードに他の星へ連れて行ってくれとせがむ者はいなかったのである。
誰もが、自分たちが苦しむのは自分たちのせいだと考えており、逃げ出そうという者はいない。子供たちでさえ、そうだった。
「長い旅で、辛いでしょう?」
と気遣わしげに尋ねたローラに、ピールは答えたものである。
「この星をこんなにしたのは、僕たち人間なんだ。だから、苦しくても、文句は言えないよ」
ピールは、にっこりと笑った。
「でも、神様は僕たちを見捨てないよ。イスマイリア様も言ってたもの。神様は、罰と救いを司っておられるって。だから北の果てには、きっと僕たちが住める場所が用意されてるんだ。そこに自分の力でたどり着けば、もう苦しい思いはしなくてすむよ」
少年の瞳は、澄んでいた。まるで水晶のように。疑うことを知らない、純粋な心の証だ。ローラは胸が詰まる思いがして、ピールの身体をきつく胸に抱え込んだ。
「お姉ちゃん、苦しいよ…」
ローラは、エメラルド色の瞳に涙を浮かべていた。何と健気な子だろう。困難に対し、逃げようともせず、むしろ立ち向かってゆく。未来を信じて。絶望の中に、希望を信じて。
「着けるといいね…その場所に…」
掠れた声で、ローラが言う。少年は、ローラの胸の中で、力強く頷いた。
「絶対に着くよ。神様は、僕たちを見捨てたりしないもの」
うん、うんと、ローラは涙ながらに頷いた。
それを見ていたピールの両親も、瞳を潤ませる。
ロードはローラのほうを見ようとせず、満天の星空を見上げていた。大気層が薄くなっているために、この星での夜はいつでも星空である。悲しい皮肉だった。
この時、もしロードを見つめている者がいれば、彼の左目から、小さな雫がこぼれるのを見ただろう。しかしロードにとって幸いなことに、それを見た者はいなかった。