第2話 大聖堂へ
「ロード!」
ローラの悲鳴。熱線はロードの右耳の上あたりを掠め、エスカレーターの黒い段に小さな穴を開けた。ロードは慌ててその場を離れ、ショーケースの陰に身を隠した。
ロボットが放つ熱線は、ショーケースを貫通してロードを襲う。脇や股の下を通り過ぎてゆく熱線に、ロードは肝を冷やした。
「くそっ!」
ロードは床に落ちていたネックレスを掴んで、ロボットに投げつけた。それは熱線を浴び、空中で溶けて、液状になって床に落ちた。
ロボットの単眼が、再び輝いた。暗闇の中、それはいっそう不気味に見える。重々しい足音が次第に近づいてくる。ロードは危険を感じ、ショーケースの陰から飛び出した。それを追うように、真紅の光線が空を切る。
ロードはそれを必死の思いで避けながら、さらに奥へと走った。一番奥には、本物の階段があった。「非常階段」と書かれたプレートが床に落ちている。迷う暇もなく、ロードは階段を駆け上がった。
二階は、家具や骨董品などが展示されていた。もちろん、そのほとんどは、もはや使い物にならない。
ローラの気配はない。おそらく、もっと上の階に行ったのだろう。ローラは、戦闘時には自分が足手まといになりかねないことを知っているのだ。
低い機械音と、足音がした。ロボットが階段を上がってくるのだ。ロードは急いで奥へ走り、骨董品の並ぶコーナーに身を隠した。
階段を上り詰めたロボットは、赤外線カメラで周囲を見回した後、センサーで生体反応を探した。人間の反応を見つけると、その方角に顔を向ける。間髪入れず、単眼から熱線が発射された。ロードの目の前にあった壺に穴が開き、伏せたロードの真上を閃光が走り、背後にあった銀製の騎士像の胸を貫いた。
「この野郎! 図に乗るんじゃねえぞ!」
ロードは熱線銃を抜き、ロボットの頭上に向けて赤い光線を発射した。そこには、かろうじて天井からぶら下がっているシャンデリアがあった。シャンデリアは付け根を撃ち抜かれ、ロボットの真上に落下した。かなり豪華なシャンデリアである。重量もかなりのものだ。ロボットはけたたましい音と共に床に倒れた。
もうもうと舞い上がる埃の中、立ち上がろうともがくロボットの機械音が響く。ロードはその音を頼りに、見当をつけて熱線銃を連射した。閃光が何度も壁や天井を照らす。再び暗闇が戻ってきた時には、ロボットの駆動音は止んでいた。埃が拡散すると、代わりにロボットの身体からオイルの匂いを含んだ煙が上がっていた。
「…ふうっ」
ロードは息を吐くと、銃と剣を腰に戻した。
「もういいぜ、ローラ」
ロードが声を張り上げると、三階からローラが降りてきた。
「…殺したの?」
ローラはシャンデリアの下で停止しているロボットを見て、悲しげに言った。
「おいおい、ロボットにまでか?」
ロードが呆れ顔をする。
ローラは、人の死というものを必要以上に悲しむ。それがたとえ、敵対者であっても。ロードはそれを良く知っていたが、ロボットにまで同情するとは思わなかった。
「あいつは、ただの機械なんだぜ?」
「うん…でも、ちょっとかわいそう…」
ローラは目を細めた。
「あのロボットは、与えられた役目を果たそうとしていただけなんだわ…守るべき都市が滅んだのも知らず…ただひたすらに…」
ロードはローラの言葉を聞いて、少しだけロボットが哀れに感じた。それに気づいて、慌てて頭を振る。危うくローラのペースにはまり込むところだったと、ため息をつく。
「あのな、ローラ。いつも言ってることだけど、殺らなきゃ俺たちが殺られてたんだぜ? 自分の身を守るためには、仕方のないことなんだ」
「わかってるわ…」
ローラの口調には、まだロボットに対する哀れみが含まれている。ロードは苦笑した。この過剰とも言えるローラの優しさに、好感を覚えている自分を自覚していたからだ。
「ほら、行くぞ。ぐずぐずしてたら、また別のロボットが来るかも知れない。そうなったら、またかわいそうなロボットが増えることになるぜ」
そう言って、ロードはローラを促した。ローラは頷いて、ロードについてエスカレーターを降りた。
暗闇の中、機能のほとんどが停止したロボットは、最後の力で信号を送った。侵入者の存在を、仲間たちに知らせるために。
人間には聞こえない、高周波の信号が、都市中に響き渡った。
大聖堂に着くまでには、邪魔は入らなかった。
ドーム状の、大きな礼拝堂に入る。玄関の大きな紡錘形の扉は、内側に倒れていた。
中は薄暗く、他の建物と同様、床の白いタイルはあちこちひび割れ、その上に埃が積もっている。ステンドグラスが飾られていたのか、天井近くに大きな長方形の枠があり、内側に色のついたガラスの破片がついている。左右に立ち並ぶ大理石の柱には、レリーフが彫り込まれていた。
「この奥だ」
ロードは礼拝堂の奥にある、小さな扉を指差した。
「あそこから、聖職者の宿舎になってるはずだ。地下書庫もそこだろう」
扉には鍵がかかっていたが、蝶番の接続部分がもろくなっていて、蹴飛ばすと簡単に倒れた。もうもうと埃が舞い上がり、ロードたちは軽く咳き込む。
中は狭く暗い通路が続いており、両側に扉が並んでいる。いくつか開けてみたが、粗末なベッドと椅子や机、それに完全に白骨と化した聖職者の死体があるだけだった。
二つ目の角を曲がったところで、通路は行き止まりになっていた。床に上蓋があって、開けると、下へと続く階段が現れた。
「ここだな」
ロードは迷わず階段を降り始め、ローラも続いた。
壁と階段は石のブロックを積み上げたもので、その雰囲気はどこか古城を思わせた。下へ進むにつれ、空気が冷えてくる。ローラは思わず、古城に住む吸血鬼、ドラキュラ伯爵の伝説を思い出していた。あれは、何千年も昔、テラという惑星の人類が作った架空物語だったか。若い乙女の血を好み、真夜中になれば、蝙蝠に変身して獲物を探す。幼稚なおとぎ話だと言う者もいるが、ローラはそれを読んで、寒気を覚えたものだ。
「どうした、ローラ?」
ロードの声で、ローラは現実に戻った。
「う、ううん、何でもない」
いつの間にか階段は終わっていて、頑丈そうな扉の前に二人はいた。ローラは空想の世界に入ってしまい、階段を降りた後も、無言でここに立ち尽くしていたようだ。
「…大丈夫か?」
ロードがローラの顔を覗き込む。ローラは慌てて笑顔を作った。
「ほ、ほんとに何でもないってば。それより、この中が書庫なの?」
「ん? ああ、間違いない。教会がこんなに厳重に守るものといったら、聖書の類しかないだろ」
ロードは扉に向き直ると、ヒート・ソードを抜いた。ここの扉は地下にあったため、戦争の被害を受けることなく、造られた時のままの姿を保っていた。となれば、蹴飛ばしたくらいで開くはずもない。鍵を破壊するしかないのだ。
薄暗い空間の中、ヒート・ソードが赤く輝き、ロードとローラの顔を照らした。
「やるぜ」
ロードかヒート・ソードを大きく振りかぶった。狙いは、扉の真ん中にある閂状の鍵。科学の発達していた都市にしては古風だとロードは思った。まあ、社会の発展にも背を向けて、昔ながらの伝統を貫くのが宗教というものなのだが。
「…何か、出てきたりしないよね…」
不安げに、ローラが言った。
「何かって?」
「だから、ほら…吸血鬼とか、動く骸骨とか…」
「何言ってんだ。聖書のあるところに、そんなもんがいるはずないだろ」
ロードの言葉は、決して吸血鬼とか、動く骸骨とかの存在を否定していなかった。この宇宙では、何がいようと不思議ではない。実際ロードは、不可思議な力を操る魔術師と対峙したこともある。とは言うものの、この科学文明の廃墟に、そういった類のものが存在するとは思えない。
「早いとこ、聖典を頂いて帰ろうぜ」
ロードはヒート・ソードを振り下ろした。だがその瞬間、金属だと思っていた扉の表面からぬめりとした触手が飛び出し、ヒート・ソードに絡みついた。触手は剣の熱でたちまち溶けていったが、ロードの度肝を抜くには充分だった。
「おわあっ!」
ロードは思わず剣を放す。そのどさくさにスイッチが切れたのか、剣はその輝きを失って石畳の床に転がった。
扉はまるで生物のように蠢き、次々に触手を飛ばしてくる。たちまちのうちに、ロードとローラは手足を触手に絡み取られてしまった。
「な、何なの、これ…!」
もがきながら、ローラが叫ぶ。灰色の触手が顔の前で蠢き、時折ローラの頬を撫でた。
「いやっ…ロード!」
「ちっ…こいつは計算外だぜ…」
ロードも呪縛を解こうと、必死に腕を動かしていた。
「ロード、何なの、これ…いやっ!」
今度は、触手がローラの首筋に触れたらしい。
「生体兵器だよ。細胞でできた扉さ。ご丁寧に、自己防衛本能を植えつけられてる。自分を傷つけようとする者には、見境なく攻撃するように作られてるんだ」
「ど…どうにかならないの…っ!」
もがく獲物たちに止めを刺そうと、触手は二人の首に巻きついた。物凄い力で首を絞めつける。呼吸が苦しくなり、一瞬、視界がぼやけた。
「ち…ちく…しょお…」
ロードは力を振り絞って、足元の剣に手を伸ばした。ヒート・ソードさえあれば。だが触手の呪縛は固く、剣まで手が届かなかった。
「ロー…ド…」
ローラはすでに、半ば意識を失いかけている。急がなければ、窒息してしまうだろう。
「こ…この、化物がァ!」
ロードは叫んで、自分の首に巻きついている触手に噛みつき、それを噛み切った。何とも形容しがたい味がして、ロードは顔をしかめる。
ちぎれた触手の片方はロードの首を離れて床に落ち、もう片方は細胞の扉に吸い込まれた。すぐさま、別の触手がロードの首を狙うが、ロードは頭を低くしてそれをかわし、今度は左手を縛る触手に歯を食い込ませた。その間にロードの首に新たな触手が巻きつくが、構わず顎に力を入れた。
気分の悪くなるような生々しい音と共に、触手はちぎれ、ロードの左腕が自由になった。すかさずロードは手を伸ばし、剣を拾った。柄のスイッチを入れると、刃が赤く輝いた。
「もう…こっちの…」
ロードはヒート・ソードを握る手に力を込めた。
「もんだぜ!」
たちまちのうちに、ロードを縛っていた触手は一本残らず切断された。そして、ローラのそれも。ローラは床にへたり込むと、首を押さえて咳き込んだ。
扉から、また次々と触手が飛び出す。ロードはそれを剣で薙ぎ払いながら、この生体兵器の運動を司る中枢を探していた。そこを突けば、この扉は活動を停止するはずだ。
ロードは、触手が飛び出す場所を、一つ一つ確認していった。それは線で結ぶと、綺麗な円になる。つまり。
「そこだッ!」
ロードは触手の猛攻をかいくぐりながら突進し、円の中心に剣を突き立てた。直後、無数の触手は痙攣したようにピンと伸びきると、ぐったりと垂れた。ロードの剣は、扉の運動中枢を破壊したのである。
「…ったく、厄介なもの作りやがって…」
ロードは剣を収めて、まだわずかに脈打っている扉を蹴飛ばした。だが、ぐにゃりという感触が足に伝わっただけで、あまり気分は晴れなかった。
「無事か、ローラ?」
「え、ええ…」
ローラは二、三度咳をしてから立ち上がった。
ロードはそれを見て安心すると、すでに侵入者を阻む術のなくなった扉をヒート・ソードで切り裂き、中に入った。
そこはロードの予想通り、大きな書庫になっていた。懐中電灯で辺りを照らすと、金属製の本棚に、厚い表紙の書物がぎっしり詰まっている。そして、部屋の奥に立つ、神を象った銅像の足下に、木箱があった。
「こいつだな…」
慎重に木箱を開けると、黄金に輝く板の連なりが現れた。作られてから三千年近く経っているというのに、その美しさは少しも衰えていないようだった。とはいえ、金貨のような、人の欲望を誘うような美しさではない。人の心を洗うような、神聖な金色だった。ロードとローラは、魂を奪われたかのようにしばらくの間、黄金の聖典に見入っていた。
「綺麗…」
ローラがため息交じりに呟く。
「さすがは教会の宝だ。こりゃあ、純度百パーセントだな。これを売れば、俺の貯金も復活だぜ」
「駄目よ、ロード。これはちゃんと、依頼主に渡さないと。信用なくすわよ」
「わかってるさ。言ってみただけだよ」
ロードは苦笑して蓋を閉め、木箱を小脇に抱えた。
「さ、これで今回の仕事も終わりだ。早いとこ帰って、報酬をもらおうぜ」
ロードは上機嫌で書庫を出た。ローラもそれに続いたが、気分はロードとは違った。
胸騒ぎがする。無事にシュルクルーズまで戻れればいいのだが、そうはいかないような気がするのだ。
間もなく、ローラはその予感が正しかったことを知ることになる。