第1話 荒野の都市で
背中に固い感触を感じながら、ローラ・マリウスは目を覚ました。決して気持ちの良い目覚めではない。
ゆっくりと瞼を開くと、ひびが縦横無尽に走り回った天井が見えた。かつては綺麗な白だったのだろうが、長い年月が経ったためか、どちらかと言えば黄色に近かった。
(ここは…どこ?)
宇宙艇シュルクルーズの中にある、自分の部屋ではない。ずっと以前に住んでいた、狭いアパートの寝室でもない。ローラは記憶を辿り、自分が惑星ファーサに来ていることを思い出した。
ファーサ星は、銀河の辺境に位置するバラン星系の第四惑星である。十年程前に世界規模の核戦争が勃発し、文明はすべからく荒れ果てた。滅亡後一年以上も降り続いた死の灰が、生命を育む母としての役割を大地から奪った。
惑星を覆っていた大気圏も異常をきたし、太陽から降り注ぐ熱と光とを必要以上に地上に送り届けるようになった。そのため、海や湖は瞬く間に干上がり、大地はひび割れ、一面荒野と化した死の世界が、この星には広がっている。
今、ローラがいるのは、比較的戦火の及ばなかった大陸。北端部や南端部にはまだ緑が残っており、人類もそこで生き延びているという噂もあるが、真相は定かではない。
ローラは、トレジャー・ハンターのロード・ハーンと共に、この星に「仕事」をしに来たのである。
「気がついたか、ローラ」
横たわっているローラの頭の上から、聞き慣れた声がした。目を向けると、栗色の髪をした少年が、安堵の表情を浮かべて、ローラを見下ろしていた。
「ロード」
ローラはロードを安心させるように微笑して、上体を起こした。途端、左肩に鋭い痛みが走り、ローラは顔をしかめ、低く呻いた。
ローラは思い出した。ロードとローラが荒廃しきったこの都市に来た時、思わぬ出迎えがあったのだ。全身がチタン合金でできたその迎え人は、戦時中に造られた、都市防衛用のロボットだった。人間の形をしてはいるが、両腕の先に手はなく、代わりにレーザー銃がついていることや、足の裏に車輪がついているとなどが本物の人間と異なるところだった。
このロボットは、核戦争が悲劇的に終結し、都市が滅んだ後も、インプットされた命令を忠実に実行していたのである。都市を守れ、と。
だからロードとローラがこの都市に入った時も、このロボットは命令に従った。すなわち、識別信号を発するネームプレートを身に着けていない不法侵入者を抹殺せんと、襲い掛かってきたのである。
ローラは、突然現れたそのロボットのレーザーを左肩に受けて、意識を失ったのだ。それを思い出したところで、ローラは上着の袖をまくった。左肩には、紫色の痣があるだけで、出血の跡もない。レーザーが直撃したにしては、軽傷すぎる。ローラは不思議に思って、ロードの顔を見た。
「痛むか?」
「ロード…あたし…」
「ああ、あの機械野郎のレーザーが壊れてたんだ。本当だったら、肩に大穴が開いててもおかしくなかったぜ」
ロードはそう言って、ローラから離れた。二人がいるのは、マンションの一室のようだった。荒れ放題のその部屋の隅にある、マットのないベッドにローラは寝かされていた。
「壊れてた…?」
「エネルギー不足だったのかも知れねえな。とにかく、あいつの撃ったレーザーは出力が弱くて、スタンガン程度の威力しかなかったんだ。まったく、ヒヤッとしたぜ」
「そう…」
ローラはホッと胸を撫で下ろすと同時に、もしもあのロボットのレーザーが正常に機能していたらと思い、小さく肩を震わせた。
「ま、何にしても、無事で良かった」
言いながらロードは、ガラスのない窓のところまで行って、脇の壁に背をつけ、壁越しに外を見た。
「…いるの?」
ローラが問う。ロードは外に目を向けたまま頷いた。
「あの時はお前を抱えて逃げるのが精一杯だったからな。撒くのに苦労したぜ」
「…ごめんなさい…」
ローラは、申し訳なさそうに頭を垂れた。
「いいさ。俺もお前も、生きてるんだから」
ロードはチラとローラに笑いかけてから、また外に視線を戻した。
「…気を失ってる間、夢を見たわ」
「…どんな?」
ロードは興味を示したようだが、警戒は怠らない。目線は、窓の外に固定されている。
「ロードと初めて会った日のこと。あたしが酒場で働いていて、そこにロードが来て、ビールを頼んで…」
「ああ、あの時のことか。不幸だったよな、あの時のお前は」
「ええ。ロードが連れ出してくれなかったら、あたし、今でもあの星で働き続けていたかも知れないわ」
「そうだったな。しかし呑気なもんだ。俺が本気で心配してる間、お前は夢を見てたってわけだ」
ロードは、じとりとした視線を向けてくる。無論本気で怒っているわけではないのだが、ローラは狼狽した。
「そ、そんなこと言ったって、見たくて見たわけじゃないもの。そんなに怒らないでよ…」
ローラの慌てぶりに、ロードは愉快そうに笑った。
「冗談だよ、冗談。まったく、すぐ真に受けるんだからな、お前は…」
「だ、だって…」
ローラは小さく口を尖らせた。その仕草を可愛いと思うのは、ロード一人ではないはずだ。
「そんなことより、出勤の時間だぜ。あの機械野郎、やっと遠くに行ってくれた」
「え、ええ」
ローラはまだ二言三言いたげだったが、それを飲み込んで立ち上がった。
ようやく訪れたチャンスなのである。他愛もないことで時間を無駄にはできない。いつまた、都市防衛のロボットがやって来るかわからないのだ。
「行くぜ」
ロードとローラは、窓から外に出た。周囲には、崩れかけたビルや、折れ曲がった街灯、もう歩く者のいないひび割れた歩道など、空虚な光景が広がっていた。
ロードの仕事は、銀河中を旅して、埋もれた財宝を探し出すこと。今回の目標は、この都市にあるという「聖典」である。この大陸で主に普及していた宗教であるマストーラ教。その始祖たるイスマイリアという人物が直接書いた古の教典で、十六枚の黄金の板からなるという。
銀河でも少しは名の知れた宗教学者からの依頼で、報酬も満足のいくものだった。ロードは本来、他人の依頼で宝探しをするのは好きではなかったのだが、経済的危機に陥ってしまっては、そんなこだわりに構ってはいられない。最近、これといった収穫がなく、宇宙艇の燃料費などで、貯金がどんどん減ってきていたのである。次元航行システムを搭載した宇宙船は、莫大な維持費がかかる。燃料費だけで、一年の収穫の三分の一は消えてしまうのだ。トレジャー・ハンターは自由ではあるが、必ずしも裕福とは限らないのである。
かつては大陸の中心部であったこの都市には、裕福な人間が数多く住んでいたことだろう。だがそれも、昔の話だ。今はかつての栄華の様相を失い、生きるものすらいない死の街と化している。時折吹く生温かい風が、足下の砂を巻き上げ、虚無感を強調していた。
「虚しい…」
ローラは、思わず呟いていた。
これは、ここに住んでいた者たちが自ら作り出した光景である。人間たちが一時の欲にかられ、互いにいがみ合い、惑星を滅亡に導くと承知しながら核兵器を使用した、その結果がこの光景なのだ。つまり、自分で自分の首を絞めたのである。それを考えると、ローラの心は、どうしようもなく悲しく、虚しい思いにかられる。
「フン…自業自得ってやつさ」
ロードはそう吐き捨てて、足を進めた。都市の中央、聖典が安置されている大聖堂に向かって。
傾きながら空に聳えるビル群の間を、二人は進む。容赦なく照りつける日差しは厳しく、二人の額には汗が滲んでいた。強烈な太陽光に含まれる大量の紫外線は人体に有害で、直接浴びると皮膚癌を誘発する。二人はあらかじめ、紫外線その他、人体に有害な光線を遮断するクリームを全身に塗っていた。
しばらく行くと、目的の建造物が見えてきた。ドーム状の基部の上に、先端のない円錐形の塔が伸びている。その本堂の両側に、これも先端が崩れてしまった六角錐の塔が建っていた。荒れていてもなお荘厳さを保っているあたりは、さすが大聖堂といったところか。二人はそれを目指して、足を速めた。
「あの中?」
「そうだ。あのドームの地下に、マストーラ教に関する書物が保管されているそうだ。聖典はそこだって話だぜ」
「…埋まったりしてないかしら…?」
「縁起でもねえこと言うなよ。大丈夫さ、大丈夫」
ロードは少し遅れて歩いていたローラを振り返り、そう言った。ローラが悲鳴を上げたのは、その時である。
「ロード!」
ローラの視線は、ロードの背後に向けられている。何事かと振り向いたロードの目に入ったのは、金属の身体を持つ、無表情な番人だった。頭部の中心で、円形の単眼が赤く輝いている。
「伏せろ、ローラ!」
叫びながら、ロードは咄嗟に身を低くした。一瞬前までロードの頭があったところを、オレンジ色のレーザーが通り過ぎていった。それは地面に伏せたローラのすぐ上を通過し、ひび割れたアスファルトに突き刺さった。
「さっきの!」
「違う!」
立ち上がりざま、ロードは腰の熱線銃を抜いた。ロボットの二撃目を横っ飛びでかわし、地面を転がりながら引き金を引く。
赤い光線がロボットを襲うが、ロボットはそれを難なく避けた。引き金を引いた時のロードの体勢などから、弾道が読まれているのだろう。二発、三発と連射するが、どれも空を切っただけだった。
厄介だな、とロードは心の中で呟いた。先刻の奴とは違い、このロボットはレーザーの出力も、コンピュータもすべて正常だ。こんな奴に、生身の人間が敵うのだろうか。
レーザーを連射しながら、ロボットは足裏の車輪で地面を滑るように移動し、急速にロードたちに迫る。ロードはローラの手を引っ掴むと、レーザーの雨をかいくぐり、大急ぎで近くのビルに駆け込んだ。中は割れたガラスケースが無秩序に並んでおり、ネックレスや指輪が散乱している。ここはかつて、少女たちが心をときめかせた場所なのだろう。だが今となっては、ただの廃墟に過ぎない。
「上へ!」
ロードは、奥の階段を指差した。階段というより、永遠に停止したエスカレーターである。ローラがその言葉に従って黒い段を駆け上がるのを見届けてから、自分も後を追った。
ロードがエスカレーターを半分ほど上ったところで、ロボットが入ってきた。赤外線カメラを備えたロボットにとって、暗さは何の障害にもならない。すぐさまロードを見つけると、ガラスケースを蹴散らしながらエスカレーターに近づいた。
ロードは二階に着くと、ローラをさらに上に行かせ、自分は残った。熱線銃を腰に戻して、反対側に下げていた剣を鞘から抜いた。柄のスイッチを押すと、ブンという音を立てて、刃が赤熱する。剣は、鉄をも両断する高熱を帯びた「ヒート・ソード」となったのである。
ロボットがエスカレーターの一段目に足をかけた。その重量に、段は軋むような悲鳴を上げる。その瞬間、ロードは剣を振り上げ、床を蹴った。
重力に引かれて落下してくるロードに対し、ロボットは左腕の銃口を向けた。だが、照準を合わせるために費やした一瞬が、ロードに勝機を与えた。
「うおおおッ!」
ロードの叫びと、剣がレーザー銃を両断する音とが重なった。そして次の瞬間、勢い余ったロードはロボットに身体ごとぶつかり、一人と一体は派手な音を立てて床に転がった。埃が舞い、倒れたロボットの腕がガラスケースを粉砕した。
ロードは咳き込みながら立ち上がり、急いでロボットから離れた。これくらいで、都市防衛を任されたロボットがくたばるはずがない。ロードはそう判断したのである。そして、その判断は正しかった。
「大丈夫、ロード?」
エスカレーターの上から、ローラの声がする。ローラは二階に戻ってきていて、心配そうにロードを見下ろしていた。
「隠れてろ、ローラ!」
ロードが叫ぶのと、上体を起こしたロボットが頭部から熱線を発射したのは、ほぼ同時だった。