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第21話 マンスフィールドの箱入り息子

 飛べなくなった白鳥は、緩やかに海上を進んでいる。

 この惑星に到着してから、約三時間が経過している。目指す妖精の大陸まで、あと半分の道程というところだ。

 相変わらず空は抜けるように青く、太陽は燦々と海面を照らしている。のどかな風景だった。

 ロードは、ずぶ濡れの衣服を着替えて、休憩室にいた。ソファに腰掛けて、コーヒーをすすっている。

 隣にローラが座っていて、テーブルの上のコーヒーにミルクを注いでいるところだった。テーブルを挟んで向かいのソファには、パークが腰掛け、その隣にチューブが、窮屈そうに座っていた。

 ずっとうつむいていたパークが、意を決したように顔を上げ、口を開く。それを聞いた途端、ロードは思わずコーヒーを吹き出していた。ローラも、ミルクの入った容器を危うく落としかける。

 それだけ二人が驚くことを、パークは話したのだ。

 パーク・マンスフィールド。

 パークがまず最初に口に出したのが、この名だった。キャフタというのは母親の旧姓で、これがパークの本当の名だという。

 パークはさんざん悩んだ挙句、ロードとローラに自分の素性を明かす決心をしたのである。

 ロードとチューブが戦うことになったのも、あの首長竜との一戦も、元はと言えば自分が原因だと思ったからだ。ロードが、訳も知らないまま危険を冒すことに罪悪感を覚えたのである。

 それで、ロードたちに自分の本当の名を明かした。案の定、ロードもローラも驚愕の色を隠せない様子だ。チューブはもともとパークの正体を知っていたから、平然としたままだったが。

 驚くのも無理はない。マンスフィールドとは、およそパークからは想像できないような家名なのだから。

 この銀河で、五本の指に入ると言われる大富豪。マンスフィールド星という、家名そのままの惑星を本拠地として、銀河に存在する大企業のほとんどを大株主として支配し、何十個という惑星に傀儡の政権を立て、その政治を牛耳っている。果てには銀河連合評議会に対しても強大な発言力を持ち、ほとんど操り人形と化している議員も多い。

 それが、マンスフィールドという家なのだ。この屈託のない笑顔を持つ少年は、そのマンスフィールド家の長とも言うべき男、プレスター・マンスフィールドの一人息子なのだという。それを聞けば、ロードならずとも、口に含んだコーヒーを吹き出すくらいのことはするだろう。

「ほ…本当かよ…?」

 口の周りについたコーヒーの滴をティッシュペーパーで拭いながら、ロードが尋ねる。その目は、未だ驚きに見開かれたままだった。

 パークは、静かに頷いた。

 信じられないことだが、パークはつまらない嘘をつくような少年ではない。パークの言ったことは、真実なのだろう。それを裏付けるように、チューブが口を開いた。

「本当だ。この子供は間違いなく、マンスフィールド家の一人息子、パークだ。俺たちはこの子の父親に、この子を連れ戻すよう依頼されたんだ」

「依頼?」

 ロードが、パークからチューブへ視線を移す。

「そうだ。俺とホースは、私立探偵でな」

「それで、パーク君を追ってきたのね?」

「そういうことだ。この子は親が目を離した隙に、マンスフィールド星を飛び出したんだそうだ。何しろ、一人息子が家出したとあっちゃあ、マンスフィールド家の威信にかかわる。で、あくまで内密にパークを連れ戻すようにと、プレスター氏に念を押されたんだ。それで、ああいう手段を採らざるを得なかったわけだ」

「家出…ね…」

 ロードが呟くように言うと、全員の視線がパークに集まる。パークは目を伏せた。

「…すみません…」

「なんでまた…」

「嫌だったんです…マンスフィールド家の後継者になるのが…。お父様の跡を継ぐのが嫌で、それで…」

「嫌だった? 何でだ? マンスフィールド家っていやあ、銀河屈指の大富豪じゃねえか。その一人息子だってんなら、何不自由なく暮らせたはずだろ?」

「それが、嫌だったんです!」

 パークは声を張り上げた。そして、驚いたロードたちの顔を見て、また気まずそうにうつむく。

「僕はマンスフィールド家の後継者として、大切に育てられました。外出する時も、いつも見張りが三人ついていました。それでも遠くまで出掛けることは許されなくて、外出はいつも決まったコースでした。それが、僕には耐えられなかったんです。本当の自由がほしかった。大人になるまでこんな生活が続くかと思うと、将来が真っ暗のような気がして…」

 つまり、箱入り息子ということだ。両親は一人息子を大事に思うあまり、常に自分の目の届くところに置いておく。それでいて本人の気持ちも考えず、子供を束縛することで自分の勘違いの愛情に酔うのである。金持ちの親にはよくあることだ。パークはそれに耐えられなくなって、屋敷を飛び出したというわけだ。

 金持ちの息子にも、それなりの悩みがあるのだ。

「お二人には、本当にご迷惑をかけたと思っています。破門にしてもらっても構いません。ロードさんが帰れというのなら、おとなしく帰ります…」

 嘘だ、とロードは思った。

 パークは、両親のもとに帰ることを望んではいない。語尾が震えているのが、何よりの証拠だ。

 もっとロードたちとともに冒険の旅がしたい。パークの顔には、はっきりとそう書かれていた。

「誰も、帰れなんて言ってないぜ?」

 ロードは、暗く沈んだパークを元気づけるように、わざと明るい声で言った。パークは顔を上げ、驚きと当惑の入り混じった目をロードに向けた。

「…怒ってないんですか?」

「怒る? 何で?」

「だって…ロードさんが危険な目に遭ったのは、僕の身勝手な家出のせいなんですよ…?」

 怒って当然だと、パークは思っていた。パークがロードに弟子入りしたがために、ロードの目的に余計な障害を立ててしまったのだ。その障害のために、ロードはあんな巨大な生物まで相手にしなければならなくなったのだから。

 だが、ロードはまったく怒った素振りを見せない。ローラも同様で、パークを責めようなどとは微塵も思っていない様子だった。

「宝探しに危険は付き物さ。それが一つ二つ増えたところで、変わりゃしねえよ」

「そうね。それにパーク君が家出した気持ちも、何となくわかるし。怒る理由なんて、どこにもないわ」

 ロードとローラは、感じのいい笑みをたたえていた。

「ロードさん…ローラさん…」

 パークは、目頭が熱くなるのを感じていた。

「大体、弟子が簡単に破門を覚悟するんじゃない。それとも、ホームシックにでもなったのか?」

「そ、そんなことありません!」

 パークは慌てて否定した。

(やっぱり、帰りたくない…何があっても!)

 ロードに尋ねられて、パークは自分の本心を改めて思い知った。ロードに自分の正体を明かすと決めた時は、家に帰ることを覚悟したつもりだったのに。

 せっかく手に入れた本当の自由を、手放したくなかった。親しくなった二人と、別れたくなかった。無理に押さえつけていた本当の気持ちが一気に解放され、パークはいつしか涙を流していた。

「おい、パーク…」

 ロードは戸惑っていた。どうやら、ロードは自分がパークを泣かせてしまったと勘違いしているらしい。パークは誤解を解こうと、首を左右に振った。だが、言葉が出てこない。

 家に帰りたくないという気持ちと、ロードとローラの優しさに感動した気持ち。その二つが交錯し、パークの喉を塞いでいたのだ。それに最初に気づいたのは、ローラだった。

 ローラはハンカチをパークに差し出した。優しい、慈しむような微笑を浮かべて。

「いいのよ、帰らなくても。ロードは、絶対にあなたを破門になんかしないから。自由を手にする権利は、誰にでもあるのよ」

「は、はい…」

 パークは涙を拭いながら、何度も頷いた。

 これが、本当の優しさだ。パークは、過保護という形で具現化された両親の自己満足の優しさとは違った、人間らしい優しさに初めて接したような気がした。

「ローラの言う通りだ。お前が望む限り、お前は俺の弟子だ。そこの黒服が何と言おうと、渡しはしないさ」

 ロードはそう言って、チューブのほうを見た。チューブは肩をすくめて苦笑した。

「俺だって、冷血漢じゃないぜ。こんな感動的なシーンを見せられて、そいつを渡せ、なんて言えないぜ」

「それじゃ、パークのことは諦めるんだな?」

 ロードの問いに、チューブは頷く。

「帰ったら、そのお坊ちゃんは束縛されたまま、マンスフィールド家の当主としての教育を受けるだろうよ。政界や財界を牛耳る、汚い権力者になるためのな。子供にとって、それが幸せとは、とても言えないからな」

「だけど、いいのか? 勝手に依頼を放棄したりしたら…」

「わかってる」

 チューブはその先は聞きたくないとでもいうように、ロードの言葉を遮った。

 言われなくともわかっている。仕事を放棄したりすれば、報酬がもらえないばかりか、マンスフィールド家を侮辱したとして、刺客を差し向けられかねない。それほど、マンスフィールド家は恐ろしい相手なのだ。

 だが、一人の少年の自由を守るために、命を懸けてもいいのではないかと、チューブは思い始めていた。それに前々からチューブは、マンスフィールド家のことが気に食わなかった。最近仕事がなくて、金に困ってさえいなければ、マンスフィールド家からの依頼など受けはしなかっただろう。パークの自由を確保することがマンスフィールド家を困らせることになるのなら、ささやかな抵抗をするのも悪くないと思う。一介の私立探偵が、あの強大なマンスフィールド家を困らせるなど、なかなか愉快なことではないか。

「とにかく、俺にはもう、そのお坊ちゃんを捕える気はない。ホースはどう言うかわからないが、何とか説得してみる」

 そう言うと、チューブはソファを立ち、休憩室を出ていく。相棒の様子を見に行くのだろう。その背中に、ロードは声をかけた。

「何だ?」

 振り向くチューブに、ロードは言った。

「お前、いい奴だな」

 途端に、チューブの頬が赤くなる。それを見られまいと、チューブはそっぽを向いて、無言のまま休憩室を出ていった。

 ロードは、思わず吹き出していた。

「ロードさん…ローラさん…ありがとう…」

 絞り出すような声で、パークが言う。両頬に、涙の跡が筋になって残っている。だが、その顔は笑っていた。

「いいのよ、お礼なんて」

「そうそう。それより、一つ聞きたいんだけどな」

「…何でしょう?」

「弟子入りする時、何で身分を隠してたんだ?」

 それを聞いて、パークは言い難そうな顔をした。

「聞かせてくれよ」

「…はい。僕が上流階級の人間だと知ったら、ロードさんは僕を弟子にしてくれないんじゃないかと思って…。貴族って、ロードさんみたいな人たちには嫌われてるみたいだから…」

 ロードは、パークの言葉に微笑んだ。ロードが予想していた返答と、まったく同じだったからだ。

「いい答えだ」

 ロードはそう言って、残ったコーヒーを飲み干した。

 パークは、上流階級にあって、その階級を誇示しようとは決してしない。ロードは、パークのその態度に大いに満足した。ロードは、権力を誇示する人間を一番嫌うのである。そのいい例が、あのヤード・デ・モローである。

「さあ、パーク。剣の稽古でもするか」

 ロードは、勢いよくソファを立った。その爽やかな表情に、パークは嬉しそうに大きく頷く。

「はい、ロードさん!」

 そう言ったパークは、いつもの屈託のない、人懐っこい笑みを満面にたたえていた。

 連れ立って休憩室を出ていく二人を、ローラは微笑ましく見送る。そして、小さく呟いた。

「優しくなったわね、ロード」

 ローラにとって、それはとても嬉しいことだった。

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