第20話 堕ちた先
目覚めると、眩しい陽光が瞳に突き刺さった。一瞬の間、盲目にでもなったかのように、目の前が真っ白になる。ロムド・ウォンは思わず目を閉じた。
しばらくして目が慣れてくると、自分を取り囲む風景がはっきりと見えてくる。
若々しい青みを含んだ長い草。風に揺れる度に、ざわめきのような音を立てる木の葉。延々と立ち並ぶ、焦げ茶色の幹。そんな中に、ロムドは仰向けに倒れていた。
草の匂いに混じって、何かが焦げるような匂いが鼻についた。ロムドは、ゆっくりと上体を起こした。
途端、左肩に激しい痛みを感じて、ロムドは顔をしかめた。袖を捲ると、左肩に紫色の痣ができている。打撲のようだ。
「俺は、一体…」
ロムドは自分の置かれた状況を把握しようと、記憶の糸を辿った。自分はなぜ、こんな森の中にいるのか。
「確か、俺は…」
まだはっきりとしない意識の中、ロムドは自分が赤褐色の髪の少女に追われていたことを思い出した。激しい憎悪をたたえた瞳が、ロムドの脳裏をよぎる。
あの少女は、ロムドが立ち寄ったとある惑星で、突然襲い掛かってきたのである。
「お前は、父さんのかたきだ!」
そう叫んだ少女の表情からは、紛れもない憎しみが感じられた。
言われた瞬間、ロムドはその少女が誰なのか、すぐに思い出した。そして、この少女とは戦えないと思い、必死に逃げ回ったのだ。
だが、少女の追跡は予想以上に執拗だった。数々の冒険や戦いを経て鍛えられたロムドの脚に、遅れることなくついてきたのである。それなら宇宙にと、宇宙艇フリーフライトを駆って惑星を飛び出したのだが、少女はそれでも追ってきた。しかも、武装した宇宙艇で。
ロムドは少女の執拗さに舌を巻きながら、咄嗟に高次元に突入した。だが、座標を指定しないままワープを行ったために、フリーフライトは思わぬ場所にワープ・アウトしてしまった。
こともあろうに、惑星の大気圏の直上に出てしまったのである。すぐさまフリーフライトはその惑星の重力に引かれ、落下を開始した。咄嗟に耐熱シャッターを閉じたものの、ワープ・アウト直後だったため、操縦系統が正常に作動しなかった。フリーフライトはコントロールを失ったまま、大気圏に突入したのである。
ロムドの記憶は、そこで途切れていた。つまり、フリーフライトは大気圏を突破し、ここに墜落したというわけだ。
焦げた匂いのするほうを見ると、ロムドの宇宙艇が胴体着陸の体勢で、幾筋もの煙を立てている。右の主翼が折れてなくなっていた。これでは、もう飛べない。宇宙空間ならともかく、重力圏内では、機体のバランスが保てず、飛んだとしてもすぐに墜落してしまうだろう。
ロムドは、愛機の無残な姿を見て、胸を痛めた。ロムドがコクピットから出られたのは、おそらく緊急脱出装置が働いたのだろう。もしコクピットの中で気を失っていたら、ロムドは煙に巻かれて窒息死していただろう。
「ありがとうな、フリーフライト…」
痛む肩を右手で押さえながら、ロムドは慎重に立ち上がった。まだ、どこか怪我を負っているかもしれないからだ。だが結局、怪我らしいところは、左肩以外にはなかった。これくらいの怪我で済んだのは、まさに幸運というしかない。
と、立ち上がったロムドの視界に、もう一機の宇宙艇が飛び込んできた。座っていた時は、フリーフライトの影になって見えなかったのだ。
「あの機体は…!」
ロムドは目をみはった。あの戦闘機型の機体は間違いなく、先刻までロムドを追尾していた少女の宇宙艇だ。ワープで振り切ったはずなのに、なぜ…。
その理由は、すぐに思い至った。
次元追尾レーダーだ。あらかじめロックした相手を、たとえそれが高次空間に突入しようとも捕捉し続けるという、高性能のレーダーである。少女の宇宙艇には、それが搭載されていたのだろう。
ただ、次元追尾レーダーは高価なため、一般の人間が手に入れることはできない。できるとすれば、豊富な資金源を持つ銀河連合軍か、裏世界の人間くらいのものだ。とすれば、少女は裏の世界に属しているのか。そう思うと、ロムドの胸は痛んだ。あの娘には、まともな人生を送ってほしかったのに…。
だが、今は感慨に耽っている時ではない。少女の機体にも、墜落の痕跡がありありと見える。おそらくロムドを追って、少女の機体もこの惑星の重力圏内にワープ・アウトしてしまったのだろう。
ロムドは両翼のなくなった機体に駆け寄り、コクピットへ上がるための梯子を昇った。墜落した際に何かがコクピットにぶつかったのか、キャノピーが耐熱シャッターごと吹き飛んでいる。それが幸いして、コクピットに煙が充満することはなかった。
赤褐色の髪の少女は、操縦席のシートに力なくもたれかかっていた。一瞬死んでいるのかと肝を潰したが、胸が上下に動いているところをみると、どうやら気絶しているだけのようだ。
ただ、少女の呼吸は規則的ではなかった。顔中から汗が吹き出し、苦しそうにあえぐような仕草を見せる。それもそのはず、少女は傷を負っていたのだ。
砕け散ったキャノピーの破片が、少女の脇腹に突き刺さっている。鮮やかなほど赤い血が、衣服を伝ってシートを染めていた。
「いけない!」
ロムドは早急に治療をしなければならないと判断し、少女の身体を抱え上げた。左肩がひどく痛んだが、気にしてはいられない。少女を落とさないように気をつけながら、ロムドは慎重に梯子を降りた。
草の上に、少女の身体を横たえる。
ロムドは傷口を広げないように細心の注意を払いながら、少女の脇腹に刺さったガラスを引き抜いた。少女の身体が、ビクッと揺れる。小さな口から、苦しそうな呻きが漏れた。
傷は、思ったほど深くはない。だが出血がひどく、このままでは失血死してしまう。ロムドは傷口に手を当て、止血処置を施した。
しばらくすると、出血が収まった。ロムドは安堵の息を吐く。これで命に別状はない。だが傷口から細菌でも入れば一大事だ。きちんとした手当をしなければならない。
ロムドはフリーフライトのコクピットから救急箱を持ってきて、ガーゼと包帯、消毒液を取り出した。そして、かなりためらいながらも、少女の衣服を脱がせていく。
自分と三つしか違わない少女の肌を目にすることに、ロムドは少なからず抵抗を感じたが、この傷をこのままにはしておけない。自分にそう言い聞かせて、ロムドは作業を続けた。
そんなわけだから、ロムドは自分たちがどこにいるのか、考えている暇はなかった。だからもちろん、知る由もない。同じ惑星に、友人であるロード・ハーンがいることを。
そして、自分たちのいる大陸が、不自然な正方形の形をしていることを。




