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第19話 海上の激闘-後編-

 大波が岩に当たって砕けるような音と、間欠泉の如き飛沫を上げて、それは出現した。青い空に向かってそびえたつような長い首。陽光を眩しく反射する、灰色の濡れた皮膚。黒服の二人の円盤ほどもあろうかという巨大な胴体。先刻のドルフィンとは比べものにならないほどスケールの大きな生物が、海面下から浮上してきたのである。陽光が遮られ、ロードたちを巨大な影が覆った。

 その迫力に、その場にいた全員が圧倒された。スクリーンを通して見ていたパークすらも、その場にへたり込んでしまったほどだ。ロードとチューブは戦いを忘れ、呆けたように突然の乱入者を見上げていた。ローラは梯子に脚をかけて半身を外に出したまま、驚きのあまり動けずにいる。一番近くにいたホースは、恐怖に顔をひきつらせていた。

「な…なんだ、こいつは…」

 ここに生物学者でもいれば、この巨大な生物が首長竜と呼ばれる爬虫類であることがわかるだろう。だが、あいにくこの生物が何なのか、この場にいる全員が知らなかった。首長竜が、比較的大人しい生物であることも、知る者はいなかったのである。

 驚愕の次にロードたちを襲ったのは、恐怖。首長竜は何をするでもなく、ただ天を仰いでいただけだったが、巨大さというものは、それだけで見る者に恐怖を与えるものである。

 恐怖にかられたホースは、咄嗟に熱線銃を構えた。相手が生物である以上、こちらから刺激しない限りは襲い掛かってはこないものである。ただ一つの例外、すなわち空腹の場合を除いては。だが恐怖に捕われた人間は、冷静な判断をすることができない。だから、ホースが熱線銃を撃ったのも、無理からぬことだろう。しかし、その浅慮な行動によって自らの身を危険に晒してしまう結果になるのなら、ホースの行動はやはり愚かと言うべきである。

 そして、ホースの行動は、まさに愚かというべき結果になるのだった。ホースが放った熱線は、ちょうど下を向いた首長竜の左目に命中したのである。巨大な身体を持つ生物は、皮膚も厚く、わずかな痛みなら感じない。だが、熱線が貫いた対象は眼球だった。首長竜は地の底まで響くような咆哮を発して、長大な首を反らした。粘り気のある血液が、円盤の黒い装甲の上に滴り落ちる。首長竜はさらにのたうち、大波に二機の宇宙艇は大きく揺れた。ロードがよろけながら叫ぶ。

「馬鹿野郎! また酔っちまうじゃねえか!」

「ホース! 撃つんじゃねえ!」

 チューブが叫ぶが、すでに手遅れだった。自分を見上げるちっぽけな生物たちを敵とみなした首長竜は、威嚇の咆哮を上げた。鼓膜が破れそうなほどの音量に、ロードたちは両耳を押さえた。

 次の瞬間、首長竜の頭部が急降下し、ホースの乗った宇宙艇を直撃した。大気圏通過用の耐熱装甲も、この一撃には耐えられず、黒い円盤には大きな穴が開いた。咄嗟に飛び退いたホースは、足を滑らせて海に落ちた。

「ホース!」

 チューブが慌てて駆け出し、シュルクルーズの背の端から下を覗き込んだ。相棒の姿は見えない。チューブは青ざめたが、すぐにシュルクルーズから少し離れた海面にホースの姿を認めた。とりつかれたように円盤に噛みつく首長竜のすぐ側であり、見つかったらすぐにでも食い殺されてしまいそうな位置だ。

 チューブは波間であえぐ相棒に呼びかけてから、海に飛び込んだ。泳いでホースを助けるつもりなのである。

「ば、馬鹿野郎! 無茶だ、戻ってこい!」

 ロードは叫んだ。つい先刻まで敵対していた相手にかける言葉としては不適当だが、そんなことはどうでもよかった。今のロードの頭にあるのは、彼らを助けなければという思いだった。自分を散々痛めつけた相手とはいえ、危険に晒されている者を放ってはおけないのである。

「くそっ!」

 ロードは身を翻して、船内に降りるハッチへ急いだ。そこには、泳ぎ続けるチューブを心配そうに見つめるローラの姿があった。

「ローラ!」

「ロード! あの人…!」

「わかってる! ローラ、ティンクに後部ハッチを開けさせてくれ! フライング・プレートで出る!」

「え…?」

「奴の注意を引きつけるんだ。このままじゃ、二人とも食われちまう!」

「そ、そんなこと…」

 危険よ。そう言おうとしたローラは、ロードの真剣な眼差しを見て、その言葉を飲み込んだ。こういう目をしたロードには、何を言っても無駄だ。ローラは、それを察したのである。それに、敵の命を救おうとするロードの行動が、少し嬉しくもあった。

 ローラは頷くと、梯子を降りて操縦室に向かった。そのすぐ後にロードが降りてきて、後部格納庫に急ぐ。そこには、ホバリングによって飛行できる小型マシン、フライング・プレートが置かれているのだ。

「間に合ってくれ…!」

 走りながら、ロードは思わずそう口に出していた。

 チューブは、必死の思いで水を掻く。こんな時、水泳があまり得意ではない自分が、無性に腹立たしかった。

 ホースのすぐ横で、巨大な首長竜は黒い円盤に牙を立てている。おそらく、首長竜は自分の目を潰したのがこの円盤だと思い込んでいるのだろう。それとも、海に落ちたホースを見つけらなくて、やり場のない怒りを円盤にぶつけているのか。どちらにせよ、ホースが危険なことには変わりない。

 首長竜がその巨体を揺らす度に、周囲に大きな波が立つ。いつまでもこんな状態が続けば、ホースは疲労して海の底に沈んでしまう。その前に、何としても助けなければ。ホースは、もう三年以上も行動を共にしてきた、大事な相棒なのだから。

「ホースッ!」

 泳ぎながら、チューブは叫んだ。ありったけの声で、相棒の名を呼んだ。首長竜が金属を噛み砕く音にも負けないくらいの音量で。その声が届いたらしく、ホースはチューブのほうを向いた。だが、大きく揺れる波に飲み込まれないように泳ぐのが精一杯で、返事はできない様子だった。それでもチューブは、相棒に自分の声が届いただけで嬉しかった。

 ところが、チューブの声を聞きつけたのは、ホースだけではなかった。しつこく黒い円盤に噛みついていた首長竜も、チューブの声に気づいたのである。そして悪いことに、円盤から逸れた首長竜の視線が、波間に揺れるホースの姿を捉えたのだ。首長竜は円盤を放して、大きく吠えた。海が震えるような、恐ろしい咆哮だった。

 やはり首長竜は、自分の左目を潰した相手が誰なのか、正確に認識していたのだ。円盤を攻撃したのは、単にホースが視界から消えてしまって、怒りをぶつける対象がなくなったからにすぎない。しかし今、首長竜の残った右目は、その怒りをぶつけるべき本当の対象を捉えていた。怒りに狂った瞳に宿る光は、肉食獣のそれと同じもの。ホースは、自分の身が窮地に立たされていることを知った。

「ホースッ!」

 チューブの叫び。だが、二人の距離はまだ遠い。チューブが間に合うとは思えなかった。ホースは生まれて何度目かの、死の恐怖を覚えた。

 肉食獣ほどではないが、鋭く尖った牙を見せて、首長竜は大きく口を開いた。そして、視界に捉えたちっぽけな敵に襲い掛かる。

「やめろォ!」

 チューブが悲痛な声を上げた、その時である。

 真紅の熱線が首長竜の頬に突き刺さる。首長竜はホースに食らいつくのを止めて、痛みに首をのけ反らせた。黒ずんだ血液が、ホースの周囲の海水を染める。甲高い咆哮が、首長竜の喉から洩れた。

 突然のことに呆然とするチューブの目の前を、一機のマシンが通り過ぎた。水飛沫を上げて、それは海面上を疾走する。直径二メートルほどの円盤に、長いハンドルがついており、操縦者は円盤の上に立つ形になる。それがフライング・プレートであると気づくのに、そう時間はかからなかった。

「あ…あいつ…!」

 フライング・プレートに乗っているのは、つい先刻までチューブと戦っていた少年だ。片手に熱線銃を持っているところをみると、今の銃撃もロードのものだろう。

「何のつもりだ…?」

 ロードのフライング・プレートは、首長竜の周囲を飛び回っている。まるで首長竜を威嚇しているようだ。時折紅い閃光が走り、首長竜の胴体を傷つける。そのため、首長竜の敵意はロードに移った。長い首が、ロードの乗るフライング・プレートを追って激しく動く。

「俺たちを、助けるつもりか…?」

 何故だ? そんな疑念が湧いたが、今はそれを考えている暇はない。首長竜の注意がロードに向けられている間に、ホースを助けるのが先決だ。チューブは水を掻く手を速めた。

 牙を剥いた首長竜の顔が、ロードの目前に迫る。ロードはアクセルをふかし、左にターンしてそれを避けた。そしてなおも追ってくる首長竜の顔に向けて、熱線銃を連射する。最初の一撃の後、出力を抑えているから、熱線は首長竜の皮膚を焦がしただけだったが、威嚇には十分のようだ。首長竜は怒りに目を血走らせ、狂ったように吠え続ける。

「チッ…うるせえ奴だぜ…」

 フライング・プレートを旋回させながら、ロードは毒づいた。いっそのこと、もう片方の目も潰してやろうかと思う。だが、そんなことをすればローラが怒るのは目に見えていた。両目を潰されては、この生物はこの先生きていけないだろう。つまり、殺したのと同じことになってしまうのだ。

 この生物も、初めからロードたちを襲うつもりで現れたわけではない。それが証拠に、初めはロードたちのことなど気にも留めなかった。それを怒らせたのはこちらのほうなのだから、首長竜に罪はない。ローラは、罪のない動物を殺すことを嫌う。だからロードは、熱線銃の出力を抑えているのである。

「とにかく、ここから離れなきゃな」

 ロードは再び首長竜に急接近する。最後の威嚇だと心に決めながら、熱線銃を撃った。真紅の熱線は首長竜の長い首に焦げ目を作った。首長竜は猛り、猛然とロードに襲いかかる。ロードは急速離脱してかわそうとしたが、タイミングがわずかに遅れた。爬虫類の牙が、フライング・プレートの側面を掠めた。

「おわっ!」

 ロードのフライング・プレートはバランスを崩し、錐揉みをしながら落下した。危うく海面に激突するところだったが、ロードは直前で体勢を立て直し、再び舞い上がった。操縦室でそれを見ていたローラとパークが、肝を潰したのは言うまでもない。

「ヒヤッとしたぜ…」

 そう呟いたのは、ようやく相棒の腕を掴んだチューブだった。

「あいつ…俺たちのために…?」

 ホースは、当惑を隠せない様子だった。ロードにとって、ホースとチューブは敵のはずだ。それをわざわざ、危険を冒してまで助けるとは…。

「どういうつもりだ…?」

 ホースの呟きに、チューブは肩をすくめた。

「さあ、な…」

 黒服の二人の視線の先で、ロードの乗ったフライング・プレートが遠ざかってゆく。灰色の巨体もそれを追って、シュルクルーズから離れていった。

「ロード・ハーンか…」

 チューブは、自分たちを助けたあの少年に、何か爽やかなものを感じていた。



 海上を疾走する小さな円盤。

 潮の香を含んだ涼しい風が、ロードの頬を叩く。

 チラと後ろを振り返ると、灰色の巨大な生物が大波を立てながら泳いでくるのが見える。さすがにあの巨体では、速く泳ぐことは不可能なようだ。スピードを抑えなければ、簡単に引き離してしまう。

 首長竜のさらに後方に、白い機体が見える。もう二キロメートルほど離れたろうか。そろそろ潮時だと、ロードは思った。

「死ぬまでこいつを追いかけてってくれ」

 ロードは笑いながらそう呟くと、アクセルをこのスピードを維持するように固定した。そして、フライング・プレートの高度を下げ、海面に接触する。

 途端、激しい水飛沫が上がって、一瞬の間、フライング・プレートを白い水の膜が覆い隠す。その瞬間に、ロードは海中に身を躍らせた。水飛沫が収まった時、ロードの姿はフライング・プレートの上にはない。だが首長竜はそんなことは露知らず、黙々とフライング・プレートを追い続けた。

 首長竜の巨体が十分に離れたと判断してから、ロードは海面に顔を出した。肺の中にため込んでいた空気を、一気に吐き出す。そして、操縦者のいないマシンを追って泳ぎ続ける首長竜の後姿を、愉快そうに見送った。

 程なく、白い宇宙艇がロードに接近してくる。ホースとチューブを収容したシュルクルーズである。

 後部ハッチが開き、そこから浮き輪のついたロープが投げられる。ロードはそれにしがみついてから、ハッチに立つ二人の人影を見上げた。一人はローラであり、もう一人は先刻ロードと激しい戦いを演じた、あの太った黒服の男だった。

 チューブはその剛腕で、ロードの身体を引き上げる。全身ずぶ濡れになったロードに、ローラがタオルを手渡した。

「大丈夫、ロード?」

 ローラの気遣うような口調に、ロードは微笑んでみせた。

「この通り、健康そのものさ。心配かけたかな?」

「心臓が止まるほど、心配させてもらったわ」

 今度は、怒ったような声。だがその瞳には、安堵の涙が浮かんでいる。ロードはローラの肩に手を置いた。

「悪い、悪い。それより…」

 ロードが、チューブに視線を向ける。チューブはどういう態度を取ればよいのかわからず、ロードから目を逸らした。

「お前の相棒は、無事か?」

「…あ、ああ。お前のおかげで、怪我もない」

「今は寝てるわ。ずいぶん疲れてるみたいだったから」

「そうか。よかったな」

 ロードはそう言うと、ローラを伴って歩き出した。チューブも戸惑いながら、うつむき加減でそれに続く。

 格納庫の出口まで来た時、チューブは立ち止まり、顔を上げた。

「お、おい」

 ロードとローラは、同時に振り向いた。

「何だ?」

「…どうして、俺たちを助けた」

 チューブは真剣な眼差しで、そう尋ねた。

「俺たちは、お前の敵のはずだ。それなのに、どうして助けたんだ」

「さあな、俺にもわからねえよ」

 ロードは、あっさりと答えた。あまりに予想外の返答に、チューブは目を瞬かせる。胸の内に秘めた企みを、誤魔化しているのだろうか。だがロードの表情は、何かを隠しているようには見えなかった。

「助けちまったもんはしょうがねえだろ。ほら、早く行くぞ。このままじゃ、風邪を引いちまう」

 ロードはチューブを急かして、格納庫を出た。チューブは呆気に取られたまま歩き出す。

 そんなチューブの様子に気づいてか、ローラがチューブを振り返って言った。

「ロードは、パーク君は渡さないって言ったけど、あなたたちを殺すとは言ってないわ。たとえ敵であっても、命の重さに変わりはない。あなたがロードを殺すつもりじゃなかった以上、ロードもあなたを殺す気じゃなかったはずよ」

「なぜ、俺がそいつを殺すつもりじゃなかったとわかるんだ?」

 驚愕を顔に出すまいと努力しながら、チューブは尋ねた。事実、チューブはロードを殺すつもりではなかったのだが、それを見抜かれたのが少しばかり悔しかったのである。

 ローラは微笑した。

「だって、あなた、ヒート・ソードのスイッチを入れてなかったでしょう?」

 チューブは黙るしかなかった。

「もしロードを殺すつもりだったら、最初からスイッチを入れて戦ったはずよ。もっとも、あたしもついさっき気づいたことだけれど」

 図星だった。チューブは、ロードと純粋に勝負がしたかったのだ。バイ・ザーンの息子だというロードと自分と、どちらが強いか。それを知りたかったのであって、ロードを殺したかったわけでも、憎んでいたわけでもない。大体、チューブたちの目的はパーク・キャフタを捕えることであって、ロード・ハーンを殺すことではないのだ。

「ま、そんなところかな。認めたくないけど、ローラの優しさがうつっちまったみたいだぜ。感謝するなら、ローラにしろよ」

 ロードはそう言って軽く笑うと、足を進めた。

 チューブはその後姿を見つめながら、自然と微笑んでいた。胸の中が清々しい。こんな気分になったのは、久しぶりだった。

「負けたよ、お前には…」

 チューブは、小さく呟いた。

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