第18話 海上の激闘-前編-
外に出る梯子を昇っていたロードの耳に、シュルクルーズとは別のエンジン音が聞こえてきた。
「来たな…」
ロードは低く呟いた。
音の大きさから判断して、黒服の追跡者の乗る宇宙艇は、もうすぐ近くまで来ている。ロードは急いで梯子を昇り切り、天井のハッチを開いて外に出た。
涼しい風が、ロードの栗色の髪を揺らした。潮の香りも心地好く、ロードの気分はいくらか良くなった。
黒い円盤型の宇宙艇は、シュルクルーズのすぐ後方まで迫っていた。潮の香に混じって、金属の匂いがロードの鼻をつく。せっかく治まったと思った胸焼けが、その匂いを嗅いだ途端に再びロードを苦しめ出した。
「くそ…」
ロードは毒づいた。ローラには安心しろと言ったものの、体調はあまり好ましくなかった。ただの船酔いといえど、これはこれでなってみると苦しいものである。ロードのように、普段船酔いなどとは無縁の者にはなおのことだ。惑星の自転が突然速くなったかのように、目の前の景色が揺れる。
黒い宇宙艇は、シュルクルーズの右側に移動すると、ゆっくりと着水した。舞い上がった霧状の海水が、ロードの全身を濡らす。
ロードは自分自身に気合いを入れて、黒い宇宙艇のほうを睨みつけた。折しも、二人の黒服の男が、宇宙艇の背に上がってきたところだった。痩せたほうの男は熱線銃を持っており、太ったほうは今度はヒート・ソードを腰に下げていた。二人とも、不敵な眼差しをロードに向けている。
「やあ、また会ったね」
痩せたほうの男が、わざとらしく片手を挙げる。その声がはっきりと聞き取れるほど、黒い宇宙艇とシュルクルーズは接近していた。
「下手な冗談はよせよ。ずっと俺たちを尾けてきたんだろうが」
ロードは胸焼けを吹き飛ばそうと、わざと声を大にして言った。それが黒服の二人には、怒っているように聞こえたらしい。
「ずいぶんと御乱心だな。しかし我々は、間違ったことをしているつもりはない。君が怒るのは、筋違いというものだ」
「銃を向けながら言える台詞かよ」
ロードは、ムッとしながら言った。正しいことをしているのなら、まず相手を説得するべきではないのか。初めから相手に銃を向けておいて、自分たちが正しいというのは道理が通らない。この二人は、ウォーレルでもそうだった。初めから相手を屈服させようというその態度が、大いに気に入らない。
「仕方のないことだ。これも仕事だからな。本来なら、事情を話して説得するのが筋なのだろうが、それができないのでな」
「他人に言えないような事情か? そんな事情とパークと、どんな関係があるっていうんだ?」
「それが言えないから、こういう手段を採らざるを得なかったのさ」
言いながら、チューブが腰の剣を抜く。その顔は、歓喜に満ちていた。
「お前と戦うのを楽しみにしてたぜ、ロード・ハーン」
相手の口から自分の名が出たのを聞いて、ロードは少し驚く。
「俺の名を知ってるのか。お前ら、裏の世界の人間だな?」
「さあな。それも、言うわけにはいかないな」
ホースがニヤリと笑って、肩をすくめる。
「言いたくないんなら、それでもいいさ」
ロードは腰の剣に手をかけ、それを鞘から抜いた。銀色の刃が、眩しい陽光にきらめく。
「まず聞く。少年は無事だな?」
「…ああ」
「大人しく渡せと言っても…無駄のようだな」
「そういうことだ」
ロードは剣を構え、不敵な笑みを浮かべて答えた。だがその表情の下で、ロードは胸焼けに苦しんでいた。幸い、黒服の二人には気づかれていないようだが。
「なら、仕方ない。力に訴えるしかないな」
ホースはそう言って、チューブに頷きかけた。チューブは待ってましたとばかりに、大きく頷き返す。
「行くぜ、ロード・ハーン!」
チューブは雄叫びとともに駆け出し、自分の宇宙艇とシュルクルーズとを隔てる三メートルほどの間隔を飛び越え、ロードと同じ足場の上に立った。
「ウォーレルでのようにはいかねえぞ!」
黒いスーツに包まれた肥満体が、その体格に似合わぬスピードでロードに迫る。ロードは船酔いに苦しみながらも、チューブの闘志を感じて奮い立った。
ローラの前では言わないが、ロードはもともと戦い好きな性格である。戦いは最大の冒険だと、ロードは考えているのだ。どんなに不利な戦いであり、追い詰められていようとも、心のどこかで興奮している自分を、ロードは自覚している。
「うおおおッ!」
チューブは大きく剣を振りかぶって、ロードの肩を狙って振り下ろした。ロードは剣を真横に構えてそれを受け止めた。金属同士がぶつかる甲高い音が辺りに響き渡り、波の音に吸い込まれていった。
チューブはその剛腕で、ロードの剣を押した。腕力では明らかにチューブが勝っている。それを認めたロードは、素早く後方に飛び退いた。このまま力比べを続けると不利だと判断したのだろう。この判断の素早さは、戦い慣れた証拠だった。
「さすがに、バイ・ザーンの息子だけのことはある」
ホースは、感心したように呟いた。彼は黒い宇宙艇の背に残っていた。これは一対一の勝負だから手を出すなと、チューブが言ったのである。だからホースは、しばらくはチューブに任せることにした。あくまでも、しばらくは、である。
チューブの形勢が不利になれば、ホースはシュルクルーズに飛び移り、戦いに参加するつもりである。チューブの個人的な主義主張のために、せっかくのビジネスを台無しにするつもりはなかった。
だが、今のところは、二人の勝負はほとんど互角に見える。行動に移る時ではないだろう。ホースは腕を組んで、海上の激しい戦いを見物していた。
チューブが、鋭い突きを繰り出す。ロードはそれを左にかわし、チューブが剣を引き戻すより先に、その懐に飛び込んだ。チューブの反応がもう少し遅かったら、ロードの剣はチューブの胸を貫通していたであろう。ロードの剣は、咄嗟に身体を傾けたチューブの脇腹を掠っていた。
「チッ」
ロードは舌打ちして、チューブから離れようとした。だがそれより先に、チューブはロードの剣を脇に挟み込んでいた。ロードの動きが、一瞬止まる。
「しまった!」
ロードが焦燥をあらわにする。チューブはニヤリと笑って、固く握った拳をロードの頬に叩き込んだ。ロードは二メートル近くも吹き飛び、シュルクルーズの装甲の上に仰向けに倒れた。
「ぐ…ちくしょお…」
ロードは口角から垂れた血を手の甲で拭いながら、ゆっくりと立ち上がった。チューブはそれを待って、ロードの剣を持ち主の足元に放った。
「楽しみにしてたんだ。あっさり終わらせないでくれよな」
チューブの表情には、明らかな余裕がうかがえる。ロードは屈辱的な思いで、足元の剣を拾った。
(ちくしょう…本調子なら、あんな奴…)
言い訳がましいとは思いながらも、ロードは心の中でそう呟いていた。
胸焼けがひどい。目の前の景色が、左右に揺れて見える。チューブの姿も、一つ所に落ち着かない。吹き出す汗が目に入り、ロードは何度も両目を擦った。
「そら、試合再開だぜ!」
チューブは勝利を確信したような表情でロードに斬りかかってきた。激しい斬撃がロードを襲う。ロードは視点が定まらない状態で、必死にそれを受け流していた。
ロードは後退を続け、次第に端へと追いやられた。
「フン…勢いが良かったのは最初だけだったな。所詮、息子は息子。バイ・ザーン本人とは比べるべくもなかったか…?」
一方的にロードを攻め続けるチューブを見て、ホースは意外そうに独りごちた。
「ロ…ロードさんが!」
操縦室のスクリーンにも、ロードの劣勢ははっきりと映し出されていた。パークは切迫した表情をローラに向けた。
「このままじゃ、ロードさんが…!」
「ロード…!」
ローラは不安と動揺を隠せない様子だ。やはり、ロードの体調は自分で言ったほど良くはなかったのだ。ロードの剣捌きが、いつもと比較にならないほどぎこちない。足元もおぼつかない様子だった。
「ぼ、僕、ロードさんを助けに行きます!」
パークがスクリーンに背を向けて駆け出す。ローラはその手を掴んで引き止めた。
「待って! 今出て行っては駄目!」
「け、けど…!」
「パーク君が行ってどうなるの? 狙われているのはあなたなのよ? 迂闊に出て行って捕まってしまったら、ロードのしていることが、みんな無駄になってしまうのよ?」
そう言いながらパークに注がれるローラの瞳には、不安の色がありありと見て取れた。ローラとて、パーク以上にロードを心配しているのだ。本当は、ローラこそが今すぐにでもロードのもとへ行きたいと思っているのだろう。その気持ちを、ロードを信じて、必死に抑えているのだ。
「ローラさん…」
パークは、ローラのロードに対する愛情の深さを痛感したような気がした。と同時に、自分が原因でロードとローラが苦しんでいることに、罪の意識を覚えた。
「ロードさん…勝って下さい!」
パークはスクリーンの中のロードに向かって、心の底からそう叫んだ。
ロードは荒い息をしながら、チューブの攻撃を受け続けている。防戦一方の自分に腹が立つが、どうしようもない。ロードの身体は、もはやロードの意志を離れているようだった。ロードは、そんな自分を限りなく情けなく思った。
(この俺が…船酔いなんかで負けるのか…?)
惨めだ。あまりに惨めな負け方である。命に関わるような病気ならともかく、原因がたかが船酔いとは。ロード・ハーンの名が泣くというものだ。そして、これから先、ロードの名は笑いの対象として語り継がれていくのだろうか。チューブの剣をほとんど勘だけで受け流しながら、ロードはそんなことを考えた。
「そりゃ!」
チューブが、一際重い一撃を見舞う。ロードは受け止めたものの、腰から力が抜け、その場に片膝をついてしまった。そこはもうシュルクルーズの背の端であり、ロードの背後には、深い青色をした海が広がっている。先刻までシュルクルーズと並んで泳いでいたドルフィンたちはもういない。海は静かに、穏やかに波打っていた。しかし、ドルフィンよりも遥かに大きい何かが、その時シュルクルーズの遥か下を泳いでいた。無論、それに気づいた者は誰もいないが。
「後がないぜ、ロード・ハーン」
チューブが、ゆっくりと剣を振り上げる。その表情には、失望の色が表れていた。バイ・ザーンの息子だというから、どんなに強い奴かと思えば…。
ロードは、この男が止めを刺そうとしていることを知りながら、何もできないでいた。胸焼けはいっそう悪化し、頭痛もひどい。今にも吐きそうな気分だった。こんな状態で、戦えるはずがないのだ。
(こんな負け方…嫌だ…)
そう唇を噛んだ時、突然ロードの脳裏に、久しく見ていなかった顔が浮かんだ。無精髭を生やした、粗暴そうな、それでいて子供っぽい面影も残した顔。それは、ロードの義父であり高名なトレジャー・ハンターにして戦士、バイ・ザーンの顔だった。その顔は、意地悪く笑っている。惨めに敗北しようとしている息子に向かって、バイ・ザーンはあらん限りの悪口雑言を投げかけた。途端、ロードの心に怒りの炎が巻き起こる。それが…それが、息子にかける言葉かよ!
「終わりだ!」
チューブが、ロードの脳天めがけて剣を振り下ろす。ホースはニヤリと口を歪め、ローラとパークは思わず目をつむった。
だが、チューブの剣はロードの頭を割ることなく、回転しながら宙を舞った。そして、やがて重力に引かれて落ちてきたその剣は、波打つ海に飲み込まれた。
驚愕するチューブの目の前には、恐ろしい闘気を発するロードの姿があった。剣を真横に振り切った体勢で、チューブの顔を真正面から睨みつけている。その鋭い眼光に、チューブすらも一瞬たじろいだ。
「な…何…?」
ホースは驚きのあまり、組んでいた両腕をほどいていた。チューブの剣を弾き飛ばしたロードの動きは、先刻までとはまるで違ったのだ。
「これが…奴の本当の力か…?」
操縦室のスクリーンの前で、ローラとパークも目を大きく見開いていた。
「…ロード…?」
ローラには、ロードがなぜか相当に怒っているのがわかった。これほどの怒りを見せたのは、惑星ユーフォーラでの戦い以来だ。あの時ロードは、ローラを人質に取り、仲間であるライロック王子をロードに殺させようとしたヤード・デ・モローに、激しい怒りを見せた。だがローラは、今のロードの怒りを誘った原因が何なのか、思い当たるところがなかった。
ロードはチューブの瞳を見据えたまま、ゆっくりと立ち上がった。まるで人が変わったように、強烈な闘志をみなぎらせている。
「へへ…ありがとよ、親父。おかげで目が覚めたぜ…」
蒼白だった顔には血の気が戻り、足取りもしっかりしている。胸焼けは治まっていなかったが、ロードは気合いでそれを消し飛ばした。
なぜ、突然ロードが調子を取り戻したのか。そんなことを、チューブが知るはずもない。たぶん、ロード自身にもわからないだろう。ローラは、激しく動いて大量の汗をかいたことが原因だろうと見当づけた。おそらくだいぶ前から船酔いは治っていたのだろうが、自分が船酔いだと思い込んでいたせいで、ありもしない苦しみを感じていたのだろう。
とにかく、ロードはいつもの調子に戻った。それがわかると、ローラはホッと胸を撫で下ろした。これで、ロードが殺されることはない。今まで散々攻められていた分、ロードは決して手加減しないだろう。そうすると…。
「いけない!」
ローラは突然声を上げて、スクリーンに背を向けた。パークは驚いて振り返った。その時ローラはもう、操縦室を出て行った後だった。
「ど…どうしたんだろう、ローラさん…?」
ローラは大急ぎで、上へと向かう梯子へと走った。ロードを止めるため、である。
ロードは今まで痛めつけられた分を返すために、本気で戦うだろう。そうなったら、あの黒服の二人の命はない。ローラは、それを止めようとしているのだ。たとえ敵であっても、命は命。むやみに奪う権利は、誰にもないはずだ。それに、あの二人がパークを狙うのにも、何か事情があるようだった。何にしても、ロードがあの二人を殺すのだけは、やめさせなければならない。
だが、ロードが取った行動は、ローラの予想とは違っていた。得物を失ったチューブに対し、剣を収めて素手で挑んでいったのである。
ロード曰く、
「丸腰相手に、こいつは不公平すぎるからな」
かくしてロードとチューブの戦いは、肉弾戦へと持ち込まれた。ロードの蹴りがチューブの脇腹を捉え、その脚を掴んだチューブは、ロードを投げ飛ばした。
空中で一回転して着地したロードは、間髪入れずにチューブと激突する。戦いは長引くかに思えた。
が、両者の戦いは、意外な幕引きを迎えるのだった。ロードの回し蹴りをチューブが右腕で受け止めた時、またローラが梯子を昇り切ってハッチを開けた時。シュルクルーズと並んで進んでいた黒い宇宙艇のすぐ側で、白い泡が立ったかと思うと、海水を押し退けて、海の中から巨大な影が姿を現したのである。




