第13話 追う者、追われる者
まったく、執念深い娘だ。
ロムド・ウォンは、苦々しげにそう呟いた。
彼の額には、脂汗が滲んでいる。操縦桿を握る両手も、湿っていた。
二本の操縦桿の間に備えられているレーダー・パネルには、一つの光点が表示されている。それはこの宇宙艇、フリーフライトを追跡していた。
二機の宇宙艇が、漆黒の宇宙空間を駆ける。後方の一機は前方の一機を追尾しており、果敢に追いつこうとしている。そればかりか、後方の宇宙艇はレーザー砲を装備していて、盛んに前方の宇宙艇を狙って発射する。前方の宇宙艇は機体を傾けたり、急降下をしたりして、レーザーを巧みにかわしていた。
前方の宇宙艇は、ロムドの乗るフリーフライト。中型のジェット機といった形状であり、外見の通りかなりのスピードも出せるが、武装はしていない。後方の宇宙艇も似たような形だが、フリーフライトに比べると、二回りくらい小型である。操縦席に座っているのは、赤褐色の髪をした少女だ。その瞳は、キャノピー越しに見えるフリーフライトを凝視している。
「いい加減に諦めろ、ロムド・ウォン!」
少女が叫ぶ。無線が繋がっているから、その声はロムドのフリーフライトに届いているだろう。だが、ロムドからは何の返答もなかったし、フリーフライトは速度を緩める様子も見せない。
憎い、と少女は思った。あたしからたった一人の肉親を奪ったあの男が、限りなく憎い。ただ一人、あたしを愛してくれた父を殺した、あの男が。
少女の表情は厳しく、激しい。少女は、
「死ねェ!」
と叫んで、レーザー砲の発射スイッチを押した。
細長い砲の先端から閃光が迸り、ロムドのフリーフライトに迫る。だがフリーフライトは船体を左に傾け、それを避けた。レーザーは空しく宇宙を裂く。少女は舌打ちした。
それからさらに四度砲撃を試みたが、いずれもかわされてしまった。少女はわずかに驚愕する。
「さすがに、一筋縄じゃいかないわね…」
ロムドの反射神経は抜群で、後方を映したモニターに閃光が見えた瞬間、機体を素早く操作し、正確にレーザーをかわしているのである。
だが、それも百パーセントというわけにはいかない。疲労が重なると共に、反応がわずかずつ鈍ってくるのが人間というものだ。このままでは、いずれ撃ち落とされてしまうだろう。
ロムドは宇宙艇のエンジンが焼けてしまうことを覚悟しながら、さらに加速した。だがそれに気づいた少女の宇宙艇も、ブースターの出力を上げる。二機の性能は、ほぼ同じようだった。瞬く間に、二機の間隔は元に戻った。
『ロムド、聞こえてるんだろ? いい加減に、逃げ回るのはやめなよ!』
少女の激しい声が、スピーカーを通してフリーフライトの操縦席に響いた。ロムドは、複雑な表情を見せる。
『あんたがどんなに逃げたって、あたしは追い続けるからね! あんたを殺すまでは!』
「…」
ロムドは答えない。黙って、声が飛び出すスピーカーを見つめる。
『あんたの船に武器がないのは知ってるよ! だからどこかの星に降りて、あたしと直接戦いなよ! あんただって、無抵抗のまま殺されるのは嫌だろう? ちょっと、聞いてるの? 何とか言ったらどうなのよ!』
少女の語気は、急速に荒くなっていく。それでもロムドは無言のままだった。少女の決闘の申し込みにも、応じる様子はない。ただひたすらに操縦桿を握り、フリーフライトを疾走させる。
「あの娘とは、戦えない…」
小さく低く、ロムドは呟いた。少女には、おそらく聞こえていないだろう。
「やっぱり、逃げるのか…」
赤褐色の髪の少女は、少し失望したように洩らした。
「臆病者…!」
少女は眉を引き締めると、レーザー砲の発射スイッチを連打した。機体の腹部から、何本もの光の矢が飛び出す。フリーフライトはまた上下左右に位置をずらし、その射線から逃れる。
幾筋ものレーザーは、フリーフライトの前方に漂う小惑星に集中し、それを粉微塵に吹き飛ばした。細かな岩の塊が多量に飛んでくる。二機は一度上昇して小惑星の欠片を避けると、また逃亡と追跡を再開した。
「ロムド!」
少女が叫ぶ。カッと両目を見開いて。
直後、機体腹部に備わっていたレーザー砲が、下に降りる。砲の上部にはワイヤーがついていて、それが機体と繋がっている。レーザー砲はワイヤーに繋がれたまま、機体の前方に移動した。砲の後部に、推進機が備わっているのである。
さらに、砲身が三つに分かれる。それをモニターで見たロムドが驚愕の表情を浮かべたその時に、閃光が走った。
幾筋もの閃光が、同時にロムドのフリーフライトに降り注ぐ。まさにレーザーの雨である。
「拡散レーザー!」
そう思い至った時には、機体は激しい振動に見舞われていた。フリーフライトの強固な装甲が、致命的な直撃こそ防いだものの、何本かのレーザーは、確かにフリーフライトに損害を与えた。
左の主翼の四分の一が吹き飛び、バランスが悪くなった。また電気系統の一部がショートし、右の操縦桿が効かなくなった。ロムドは、素早く操縦機能のすべてを左の操縦桿に繋ぎ、機体の安定を保った。
「くそっ!」
ロムドは毒づいた。拡散して襲ってくるレーザーを、すべて回避するのは無理だ。次に撃ってきた時も、何発かは命中するだろう。そうなったら、今度はどこに異常が起こるかわからない。下手をすれば、推進機関が停止しかねない。
「これしかない!」
ロムドは叫んで、右脇のレバーを引いた。途端、機体が振動し、ボウッと白光りする。少女は、それが次元航行システムの作動であることを悟った。
「そうはいかないわ!」
少女は前方の機体をレーダーに捕捉、ロックした後、自分も次元航行システムを作動させた。こうすれば、補足した目標とほぼ同じ宙域にワープ・アウトすることができるのである。ただ、高次空間を航行中の目標を捕捉できるレーダーは特殊である。一般の宇宙艇に搭載されているレーダーには、到底できない芸当だ。このレーダーを備えた機体を持つのは、銀河連合軍くらいのものである。あくまでも、表の世界での話だが。
フリーフライトが、眩い閃光と共に姿を消す。やや遅れて、少女の機体も高次空間に突入した。
閃光が消えた後、この宙域に残ったのは、静寂と、粉々になった小惑星の、無数の破片だった。




