第10話 情報屋ジェフ
思わぬ襲撃者を振り切ったロードとローラは、弟子入り志願の少年、パークを連れて、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターは、必要以上の人員を無理やり詰め込んだようで、前後左右から圧迫され、さすがのロードも耐えられない様子だった。
ようやく三階に着くと、中に詰まった人々をかき分けて、エレベーターを降りる。ロードたちは大きく深呼吸をし、力なく肩を垂らした。
「ふうっ…相変わらずだぜ…」
ロードがうんざりしたように言う。ローラが頷いた。
「あたし、この街、好きだけど、あれにはどうしても慣れられないわ…」
「慣れられるもんか。無事か、パーク?」
ロードは自分より頭一つ分くらい小さな少年を見た。背の低い分だけ、パークはよほど息苦しかったのだろう。何度も息を吸っては、ため息のように吐き出していた。
「大丈夫です…何とか」
「そうか。じゃ、行くぞ」
ロードが大通りを歩き出す。ローラとパークもそれに続いた。
大通りも、さすがに都市の中央を縦断しているだけあって、かなりの人通りだったが、エレベーターの中よりはよっぽどマシだった。
八階建ての洋服店、横幅の長い宝石店、酒場や娼館などの前を通り過ぎ、三人は街の中を進んでゆく。しばらく歩くと、ロードは表通りから外れ、裏通りに入った。
先刻ガルと戦った場所と同じような、人気のない陰気な通りだ。そこを少し進んで、ロードたちは五階建ての古ぼけたビルに入っていった。かなり傷んだ建物で、コンクリートの壁にはひびが入っており、鉄製の階段はあちこちが錆びている。廊下を淡く照らす裸電球が、古さをさらに強調していた。
ロードを先頭に、三人はそのビルの二階、一番奥の部屋の前に立った。分厚い板でできた扉には、黒いプレートが掛かっている。プレートには白字で「情報屋ジェフ」と書かれていた。
「…ここ?」
ローラの問いに、ロードは黙って頷いた。
「…何だか、気味悪いところですね…」
パークが不安げに辺りを見回している。確かに、幽霊でも出てきそうな雰囲気だった。
ロードは一呼吸すると、扉をノックした。廊下が暗く静かだったため、その音は思いの外大きく響いた。
しばらくの間、返事もなかったが、辛抱強く、パークに至っては不安に耐えながら待っていると、一人の若い男が顔を出した。黒い髪が乱れに乱れた、お世辞にも清潔とはいえない感じの男だ。口はむすりと結ばれている。
「よう、ヒューム。久しぶりじゃねえか」
ロードは陽気な声で片手を挙げたが、ヒュームと呼ばれたその男は何も言わない。無愛想な顔のまま、ロードたちの顔を順に見ていく。ローラとパークは、その視線に思わず身を引いてしまった。
「ヒュームは耳が聞こえないんだ」
ロードが耳打ちすると、ローラは納得した。無愛想な顔はそのためであり、別に自分たちに敵意や不信感を抱いているわけではないのだ。むろん、ある程度の警戒心は保っているだろうが。
「ジェフに会いたいんだ。いるだろ?」
ロードが尋ねると、ヒュームは無言で頷いた。唇の動きから相手が何を言っているのかわかるらしい。
ヒュームは扉を開いて、顎で中を示した。三人に、入れと言っているようだ。ロードは他の二人を促して、中に入った。
玄関から一本の通路が真っ直ぐに伸びており、いくつもの枝道がある。情報屋ジェフの居城は、思ったより広いようだ。ローラは、ジェフが何人もの部下を雇っていると聞いたことを思い出して、納得した。曲がり角の奥には、部下たちの部屋があるのだろう。
ヒュームに導かれて、三人は薄暗い廊下を真っ直ぐ進んでいった。壁のところどころに、額に入った絵画が飾られている。いずれも名高い画家の手になる作品である。模写かしら、とローラは思ったが、ロードは、それがすべて本物であることを知っていた。
通路の突き当たりに、扉があった。玄関の扉よりも、心なしか立派なように見える。
ヒュームが黙って扉を開ける。中は暗くてよくわからなかった。ロードはヒュームに礼を言うと、室内に入った。ローラとパークもそれに続く。
ロードたちが入ると、背後で扉が閉じた。ヒュームが閉めたのだろうが、室内が真っ暗になったので、ローラとパークは、閉じ込められたかのような不安にかられた。
と、部屋の奥でポッと明かりがついた。だが卓上用の蛍光灯らしく、部屋は明るくならなかった。明かりのほうを見ると、おぼろげな光の中に、一人の老人の顔が浮かび上がっていた。頬がこけた顔で、一対の瞳が鋭く光っている。ローラは思わず小さな悲鳴を上げ、ロードにしがみついた。
「人の顔を見て悲鳴を上げるとは、失礼な娘じゃの…」
少し不機嫌そうな声が、小さな口から洩れてくる。ロードは軽く笑った。
「こんな暗い中に爺さんの顔が出てきたら、誰だって驚くさ。文句を言える立場じゃないぜ」
「フン、バイのせがれか。相変わらず、口の悪い奴じゃ」
老人は、ホッホッと笑った。ローラは、見かけよりも良い人なのかも、と感じた。
「久しぶりだな、爺さん。二年ぶりくらいかな。まだ生きてたとは、驚いたぜ」
「当たり前じゃ。わしはまだまだ生きるぞ」
「そんな年寄りになってもまだ、金儲けをしようってのか? 欲深いジジイだぜ」
ロードは馬鹿にしたように言った。だが冗談であることは理解しているらしく、老人は笑っただけだった。
「金というものは、あるに越したことはないからの。それにわしが死んだら、困る奴が星の数ほどいるじゃろうて。お前も含めてな」
「違いないな」
ロードは苦笑した。
「ロード…この人が、ジェフさん?」
「そうじゃよ、可愛い娘さん。情報界の長老ジェフ・リャザニとは、わしのことじゃ」
ロードの代わりに、老人が答えた。顔に浮かんだ笑みは、どこか皮肉めいていたが、存外優しそうで、好感が持てた。パークも安心したようで、もう不安の色は見られない。
「しかし、ロードよ」
ジェフは意地悪そうに目を細めて、ロードを、その後にローラとパークを見つめた。
「…何だよ」
「しばらく会わんうちに、えらく家族が増えたの。そこの娘さんをたらし込んで、子供まで作ったか?」
ジェフが言うと、ロードとローラは同時に赤面した。
「そ、そんなんじゃねえよ! 大体、俺にこんなでかい子供がいるわけねえだろ!」
「とすると…養子か? 子供ができるのが待ち切れなかったと見えるの」
「違うって!」
ロードの慌てぶりに、ジェフは愉快そうに笑った。
「お前のそういうところは、バイと大違いじゃの。奴はわしのところに来る度に、自分の女の話を自慢していったもんじゃぞ」
「親父と一緒にするなよ。俺は、それほど女好きじゃねえんだ」
「そうかの? それじゃ、その娘さんは何じゃ? まさか、妹とは言わせんぞ」
「ロ、ローラは、俺のパートナーだ。それと、こいつは…」
ロードが紹介する前に、パークは自分から名乗った。
「僕、ロードさんの弟子の、パーク・キャフタと言います。以後、よろしくお願いします」
相手が悪い人間ではないとわかれば、パークは誰にでも明るく接することができる。ジェフも、パークの人懐っこい笑顔に意表を突かれ、目を瞬かせた。
「弟子…じゃと?」
「まあ、そういうことだ。色々あってな。それより爺さん、あんたに聞きたいことがあるんだ」
「そうじゃろうな。お前がこんな老いぼれのところへ、用もなく来る訳はないわな」
ジェフはそう言うと、ロードたちに椅子を勧めた。机を挟んで、ジェフと向かい合う形になる。
「で、何を聞きたいというんじゃ?」
ロードたちが座るのを待って、ジェフが尋ねる。ロードはジェフに、虹の鏡を探していることを話した。ただし、惑星ファーサのことは伏せておいた。虹の鏡を探す目的が、他人を救うことだと知れば、ジェフは間違いなく笑うだろうからだ。裏の世界の人間に、慈善事業は似合わないのである。
「虹の鏡、じゃと?」
ロードが頷く。
「お前、妖精の国の話を、信じとるのか?」
ジェフが、疑い深げにロードの顔を覗き込む。からかっているのか、と思ったのだろう。ロードは肩をすくめた。
「さあな。ちょっと気まぐれでね。探してみたくなったんだ」
「気まぐれじゃと…? お前の気まぐれの裏には、必ず何かあるからの…何か、特別な理由があるのじゃろ?」
ごまかしてもわかっているぞ、とでも言いたげな顔。ロードは苦笑するしかなかった。
「…まあな。それは、聞かないでくれ」
ジェフは、少し考える素振りを見せたが、すぐに視線を戻した。
「まあ、いいわな。よかろう、話してやる。ただし、それ相応の代金は頂くぞ?」
「わかってるさ。持ってきてるよ」
ロードは上着のポケットから札束を取り出した。それを机の上に置くと、ジェフはそれを手に取り、素早く金額を確認した。そして納得すると、虹の鏡についての情報を語り出したのである。